闇者襲来
目を見開いて追い詰められたように震えていたスズが、突然、悲鳴を上げてわたしを突き飛ばした。両の手で、思い切り。
予想外の行動に、したたか床に尻を打ちつけた。
「痛いではないか、スズ。何をする」
そのまま掻っ切られていたら痛いどころではないが、と思いつつもスズを見上げると、涙に濡らせた目を光らせて、スズが私を睨んでいる。
拳を握り締めて、まるで満身創痍のごとく。
「光なんか、知らなければよかっタ」
魂を振り絞るように、スズは叫んだ。
「ただの愛玩物のままでよかったのに、玩具のまま捨ててくれたらよかったのに、光など知りたくなかったのにッ」
まるで癇癪を起こした子供のように号泣している。
「愛なんか、欲しくなかっタ!」
多分、今までスズは、道具として扱われてきたのだろう。
目的のためならどんな手段も問わない闇の連中。
そんな者たちにとって、愛だの恋だのは、手段でしかない。
これほど美しい娘だ、これまでにも幾人かから惜しみない愛を受けたに違いない(おそらくアオイもそのうちの一人だ)。
それにスズがどう応じたのかは知らないし、知りたくもない。
だが、私に対しては一番激しく反応した。その証拠に晒してはならない本心を、今、激情のままにぶち上げている。
愛される喜びを知ってしまったスズは、愛など欲しくなかったと叫んだ。
任務と情の間でもがき苦しんだ。
闇に染まりきれなかった優しい娘。
冷徹な心を持てなかった不幸な娘。
「スズ」
床に腰を下ろしたまま、片腕を上げる。
「おいで」
スズは一瞬、ためらったが、素直におずおずと近づいてきた。
その身を思い切り抱きしめた。
ああ。
涙さえ零れそうな、この愛おしさ。
ああ、お前はわたしの半身だ。
繋がる唇から溶け合い融合しないのが不思議なくらいだ。
「あなたがあたしより、先に逝くのはイヤ」
スズはわたしの胸に頬をつけている。ぴっとりとくっついて、いつものように。
「ものすごい矛盾だな」
つい先ほど、本気で襲い掛かったくせに。
クスクスとスズは可笑しそうに笑う。
「他の人にやられるくらいなら、あたしがやると言ったノ。でも、無理だっタ」
「二人一緒に西に行くのも悪くない」
静かに時の流れる室内、傍からは誰も見当たらず、閑散としている。
風が梢を揺らす音が遠くに聞こえる。
だが、ひたひたと殺気だった気配を感じる。いうなれば飢えた狼に囲まれたような感じの。
その中でわたしは床に座り込み、膝の上のスズと抱き合っていた。
時折、睦むように口づけを交わす。
「何人いる?」
可愛い耳に囁くように聞くと、スズは感じて(スズはいつだって感度良好だ)ピクリと動いたが、すぐに小声で答えた。
「四人」
甘えたように擦り寄って、わたしの耳たぶを甘く噛んだ。
「東に一人、西に二人、北に一人、東が一番強イ」
「そうか。困ったな」
本当に困った。唯一空いている南側は窓のない壁面だ。頼るべき剣は遠くに投げ出されたままだし、傍に転がっているスズの短剣はいささか馴染みがない。
「ね、砂漠を知っていル?」
潤み始めた瞳でスズが私に聞いた。状況から全く明後日の質問に、わたしは答えた。
「知っている。見渡す限りの砂山で、この大陸にはない」
答えながら、差し出された指を口に含む。ちゅくりと音がした。
「月が砂丘を照らし、ラクダという不思議な動物がサバサバと渡る」
「いつか行きたい、二人デ」
「死ぬ気はないんだな」
深く頷いたスズを引きよせ、口付けた。
「では行こう」
あまりにもあっさり立ち上がると、気配が一瞬、動揺したのが分かった。
スズを抱えたまま、スタスタと扉に向かう。とにかくここを出てしまえばどうにでもなる。
天井から四つの黒い影が落ちてきたのと、わたしの腕の中からスズが飛んだのと、わたしが落ちていた馴染み深き剣を拾ったのは、ほぼ同時だった。
乱闘が始まった。