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ネコとわたし  作者: まめご
第Ⅰ部 ネコとわたし
28/37

残滓

冬も終わりの頃、ひょっこりハヅキが訪ねてきた。

「元気かなって思って」

それにしても、君は本当に王子だったんだな。

「相変わらず野望を抱いているのか」

「それはそれ、これはこれ」

首をすくめて笑った。

「しばらく厄介になってもいいかな。ジンの城にも興味があるんだ」

「それは構わないが」

城の門まで迎え出たわたしにスズも勿論付いてきている。

「あの時の女の子だね。随分と美しくなった」

丁寧に礼をするハヅキに、スズもペコリとお辞儀をした。

わたしの部屋で呑気に茶を啜る男に、かつての暗さはない。

吹っ切れたような、妙に明るい雰囲気だった。

「そういえば、君の探し人はどうなった」

「あの時点でもう分かっていたことなんだけど」

茶器を卓に戻しながら、ハヅキは言った。

「他の男とくっついていたよ。母から聞いて仰天した」

ティエンランの女王は、幼少期の頃事情があって、ハヅキ宅に預けられていたそうな。

「血は繋がっていないが、妹には間違いあるまい」

大学生となったハヅキは、ある商家の家庭教師をしていた。

そこで知り合ったのが、運命の女だったらしい。

「年上のくせに子供とひっくり返って遊んでいる、無邪気な人だった。妹と同じ名でリウヒといった」

スズが顔を上げた。

「お前はまたそんな菓子屑をつけて」

手で払ってやる。

「ジンからの旅人で、田舎の出身だと言った。が、教えてもらった二言は、どこの部族や村の言葉でもなかった」

「どんな言葉だ」

ハヅキの口から出たのは、聞いたこともない発音でさっぱり分からなかった。

「分かるか、スズ」

分からない、と首を振った。

「結局見つからずに、ティエンランの母の元へと帰ったが、母は宮廷に入った後だった。ほら、女王に子が生まれたからね」

「ああ、それは知っている。ヒスイという名の王子だろう」

たしか父も祝いの品を送っていたような記憶がある。

「リウヒは、ぼくの母の所に一人で身を寄せていたらしい。だが、その男が迎えにきて、仲良く去って行ったそうだ」

「そうか」

「ま、それもあって、ちょっと自棄になっていたのかもしれないな。ティエンランと違ってジンは歴史が深い。図書室の入室許可がほしいんだ。調べたいこともいっぱいあるしね」

にっこり笑ったハヅキだったが、カイドウ、リンドウはこの男を嫌った。

「何か思惑があって近づいているようにしか考えられません」

「どうもヤン・チャオさまにたかっているように見えます」

スズはどうでもよさそうだった。

ハヅキも今までの客人とは違い、スズに興味を示さなかった。

「そうは言うな」

お付き二人は不満そうに口を尖らせた。

「余りにも長期滞在するようならば、丁重に叩き出すから」


――あの人は。

ぬくぬくとした蒲団をぽふぽふといつものように叩きながら、スズが思い出す様に言った。

――想い人と一緒になっていたら、あんなに悲しそうな顔をしなかったのにね。

「ハヅキのことか」

こくりとスズが頷いた。

――見えないところから血を流しているみたいに、痛そうな顔をしている。

「そうか」

むしろ吹っ切れたような感じだったと思ったが、腹に一物二物抱えていれば面倒だ。

しばらくはリンドウかカイドウを張り付けるか。

それにしても、寝台の上で他の男を話題にされるのは気に入らない。

「気に入らないぞ、スズ」

噛み付くように口づけをすると、スズが笑った。

笑い声はその内に甘い鳴き声に変わった。




季節はゆったりと移ろい春が来た。

獣たちが穴倉から顔を出す時期だ。

わたしとスズも外へ出るようになった。

池に行きたがるスズと二人で手をつないで歩く。

衣をたなびかせてあるくスズは、本当に美しかった。

人々の目線と称賛を引き連れてわたしの隣をトホトホと歩く。

池のほとりにくると、スズはしゃがんだ。

魚たちが寄ってくる。しかしその中にあるじはいなかった。

――黒いのがいない。

「そうだな」

庭師を呼んだ。聞けば冬をこせずに死んだらしい。

「スズ。もうあの黒い鯉はいないのだそうだ」

――どうして。

「死んだ」

スズは黙って池を見ている。その目から涙がポロポロと溢れた。

憎き敵に、なにか通じるものがあったのだろうか。敵だからこそ。

しゃがんだままそっと手を合わせた。

初めて見る死者への追悼だった。

「スズ。おいで」

抱き上げると、嗚咽を上げた。

――もっと遊びたかったのに。

「そうだな」

気分を変えてやる為に厩に行った。

「少し馬を走らそうか」

そのまま城を出て、城下を抜けた。

――どこへいくの?

「どこへでも」

目的もなく走らせ、小高い丘に登った。

燃えるような太陽が西の果てへと沈んでゆく。

馬を止めてしばらく二人で眺めていた。

スズはわたしの胸に顔を預けたままじっとしている。

――あのね。

「どうした」

――黒いのはきっと、あそこまで泳いで消えたの。だから、また新しく反対側から生まれてくる。

「太陽信仰か。物知りだな、スズは」

――もし、あなたが死んだら、西の果てで待っていて。

悲しいほど切実な声でスズはそう言った。

――あたしが死んだら、必ずあそこで待っているから。だから、


「それ以上は言うな」

スズの言葉を己の口で封じた。

その先へ歩もうとするな。いて転がろうとするな。

まだ、今は。

多分わたしは怯えていたのだろう。このほんの少し先の未来に。


離れた唇から、スズは

――約束ね。

吐息のように囁いた。


太陽が消え、山際に茜の残滓ざんしが残る。

やけに目に沁みた。



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