愛姫スズ
「お前たちはなぜ止めなかった」
申し訳ありません、とカイドウ、リンドウが同時に頭を下げた。
命に別状はなかったものの、スズの脇腹には不気味な色の痣が残った。
そして熱を出した。
小さな口を開けて、苦しそうな息をしている。
「一瞬のことで、何が起こったか分からなかったんです」
じっと大人しく腰掛けていたスズ(気が付かなかったが、ボケが膝に乗せようとしたらしい。カイドウたちが必死に守ったそうな)は、あの時人間業とは思えないような速さで駆けていったという。
あっという間もなく、ジュズとわたしの間に手を広げて飛び込んだ。
汗で顔に張り付いた髪を取ってやり、濡れた布で拭った。
「本当に、この馬鹿ネコが……」
ボケはいたく感動したらしい。
王に同調するのが臣下たちの仕事である。
頭の弱い娘が、試合の意味も分からずただ純粋にわたしを守ろうとした。
その出来事は夢見る貴族の女たちや、臣下の心をキュンキュンとくすぐった。
スズの人気は城内で高騰した。
実際、見舞いの品が大量に送られてくる。
「殿下」
ジュズが入ってきた。
「スズちゃんの具合はいかがですか」
「良くも悪くもない」
心配そうにのぞきこむジュズの為に場所を開けてやる。
「殿下。わたくしは明日、ここを発つことにいたしました」
「また、急ですね」
愛おしそうにジュズが、スズの汗に濡れた髪をかき上げる。
「少し思い上がっておりましたわ」
淋しそうに言った。
「殿下。この子は……」
そのまま黙った。
「この子はなんです」
「……殿下のことが大好きなのですね」
ひっそりと笑った。
ジュズが退出した後、今度は国王がやってきた。
「なんのご用です」
「その娘の見舞いじゃ」
カイドウ、リンドウはさっさと消えた(逃げたともいえる)。
「わしはな」
ボケじいさんの為に椅子を用意してやった(優しい息子だわたしは)。
「その娘を側室に召そうと思っておった」
この好欲ジジイ。
「見事な礼ができるからだけではない。初めて無垢な娘を見たからじゃ」
そんなことはない。
スズにだって心はあるし、(食う寝る遊ぶと)欲もある。
「お前をかばったあの姿は……その極みをこの目で見てしまった。そして、いつもはのらくらとしているお前の、初めて本当の姿を見た。このわしに口応えしたのは、久しぶりじゃの」
「父上。かなり美化されているようですね」
スズが小さく鳴く。
「水か」
口移しで飲ませてやった。
よっこらしょ、とじいさんのような(じいさんだが)声をかけてボケは腰を上げた。
そして扉の前で振り返った。
「妃に迎えたいのならば、迎えるが良い。今の婚約者とお前の母は、わしが何とかしてやろう」
わたしの返事を待たずに父は部屋を出ていった。
国王が認めたネコは、公認のネコとなった。
スズの熱は下がったが、まだ体が痛むのか寝台から起き上がれない。
政務を投げ出し、ずっとつきっきりで看病している。
身体を拭いてやるのは勿論のこと、下の世話まで手伝おうとした。
スズは本気で嫌がり(なぜだ)、キムザを筆頭に女官たちの総スカンを食らった。
「早くお前の美しい声が聞きたいものだ」
激しい運動を禁止されているため、スズと体を重ねることもままならない。
夜は大人しく手をつないで寝る。
「もう大丈夫でしょう」
老医師のお許しが出て、真っ先にわたしがしたのは、激しい運動だった。
以前のように庭園に出れば、誰やこれやそれやが声をかけてくる。
一様にスズの可愛らしさを褒め、あの試合を持ち出した。
彼らの不幸は、わたしがそれを嫌っていたことである。
庭園からは足が遠のき、馬に乗ってよく遠出をするようになった。
城の塔から燃え消えてゆく太陽を眺めた。
奥深い森の中で湧水を飲んだ。
離れの東屋でこっそり体を重ねた。
しかし、スズを妃に迎えるつもりはなかった。
そうなれば限りない苦労を背負わせてしまう。
国王と人々は戸惑ったらしい。妃でも側室でも愛人でもない娘。
その内スズは、愛姫スズと呼ばれるようになった。