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ネコとわたし  作者: まめご
第Ⅰ部 ネコとわたし
2/37

ネコの名前

外にでると、ネコはわたしの言うことをよく聞いた。

食堂ではきちんと箸を使って食べたし(部屋の中では、わたしの箸からでないと食べなかった)、トホトホと可愛らしく歩くその姿は、道行く男たちを振り返らさせた(部屋の中では、日長一日中、寝台でゴロゴロしているばかりだった)。

そんな可愛らしいネコと、一つの寝台で寝ていれば、そりゃ男女の関係にもなるだろう。

白くしなやかな肢体と、流れるような焦げ茶の髪は、しっとりとわたしの体に馴染んだ。

ネコは素肌の背を見せる事を極端に嫌がった。

隠されると好奇心は疼く。

ある日、ついに見てしまった。

白く華奢な背中には、一面の傷の跡があった。

鞭で叩かれたであろう傷、鋭利な刃物で切られたであろう傷。その他これでもかというほど、痛々しい跡が残っていた。

見られてネコは泣いた。初めて泣いた。

「可哀そうに」

その小さな背中に唇を付けると、びくりと体を震わせた。

「誰にやられたのだ」

聞くなと言う風にかぶりを振る。

「親御さんか」

かぶりを振る。

「……前の飼い主か」

しばらく戸惑ったあと、コクンと頷いた。

「可哀そうに」

後ろからそっと抱きしめると、まわしている腕にホタホタと涙が落ちた。

「これから、お前はわたしの傍にいなさい」

しっとりした髪をかき分け、赤く染まっている耳に優しく囁く。

「いいね、ずっとわたしの傍にいるのだよ」

コクコクと頷くと、体を巡らせて唇を合わせてきた。

涙に濡れたそれは塩辛い味がした。


ネコの名前が決まった。

ある日、ある時、ある町で、大通りを歩いている時だった。

鈴の音がした。見上げると、民家にポツンと風鈴が風になびいていた。

涼を運ぶ異国のものらしい。

涼やかな音だが、季節も秋、風は冷たくなっている。

ものぐさな人物の住まいなのだろう。

ネコの足が止まった。

両手を僅かに広げ、仁王立ちになって見入っている。

「風鈴が欲しいのか?」

フルフルと頭を振った。

そして興味を無くしたように、わたしをひっぱる。

もしかして、あの音が気に入ったのではないだろうか。

風鈴。音。鈴。

「スズ」

なあに、というふうにわたしを見上げた。

「お前の名前はスズでどうだ」

嬉しそうににっこりと笑った。

やっとお気に召してくれた。

そしてネコの名は、スズになった。


宿の部屋に入ると、スズは早速、寝台の薄布シーツを引っ張って丸めた。

飛び込んでそれに抱きつき、寛いだように足をパタンパタンと振った。

いつものことだ。

その玉を抱えながらわたしの膝でくつろぐのが、最近のお気に入りらしい。

「旦那、お久しぶりです」

扉が開いて、笑顔だった宿の少年が凍った。

寝台の上で寝転がっている少女の頭を膝に乗せているわたしを見て。

「あの、その、お邪魔しました!」

慌てて引っ込む少年を、笑って呼び止める。

「邪魔ではないよ。入っておいで」

スズはちらりと首を上げたが、無関心に薄布玉に顔を埋めた。

再び足がパタンパタンとなる。衣がめくれてふくらはぎまで出現している。

初な少年が顔を赤らめた。刺激が強すぎるのだろう。

「スズ、大人しくしていなさい」

衣を直しながら注意をすると、鼻を鳴らして少年に背を向けた。

「あの、その子は……」

「わたしのネコだよ」

はあ。少年はきょとんとしていた。

「ああ、そうだ。あの、旦那の知り合いのハヅキさんて人から伝言がありまして」

「へえ。懐かしい名前だ」

「半月後にここにくるから会いたいと」

「分かった。ありがとう」

「いいえ」

少年は立ち去らない。じっとスズを見つめている。

「スズ、ご挨拶しなさい。ここの宿の息子さんだ」

しぶしぶ起き上がった少女は、寝台の上に座り直すと、少年に向かってペコリと頭を下げた。そして取って付けたように、にっこりと笑った。

少年の顔が変わった。呆然としたような、見とれているような。

すごいな。

人が恋に落ちる瞬間を、目の前で見てしまった。

当のスズは、仕事は終わったとばかりに再び寝そべった。

あくびをして、わたしの膝に頭を擦りつける。

「あっ……じゃあ……、おれはこれで……」

「ああ、申し訳ないけど、飯を部屋に持ってきてくれないか」

「はい、分かりました」

扉が閉まると、静かになった。

スズは小さな寝息を立てている。

飯がくればすぐに目を覚ますだろう。



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