002:バカと親友
「で、今俺たちが念頭に置いておくべき事は何だ?」
「咲良たんとのフラグ立て」
「俺は優しいからもう一度チャンスをやろう。俺たちが一番気にすべき事は何だ」
「咲良たん攻略後のハーレムルート突入フラグの準備」
「俺は温厚だからな。もう一度聞くが俺たちが絶対に気にしておかねばならないことは何だ」
「ハーレムルート突入後における全員の好感度調整」
「…………。よし、これが最後だと思えよ。俺たちが何が何でも気にすべき事項は何だ」
「精力剤とゴムの用意」
「このゲーム全年齢対象だろ」
どうやら俺の思っていた以上に春野弘司という男は馬鹿だったらしい。これ以上俺は堪えきれず、勢いよく弘司の顔面を殴っていた。
「いたいんだけど」
「人の話を聞かないからだ」
弘司との再開を果たした後、勝手の知らない三森坂学園に登校して初めての昼休み。俺は弘司と顔を突き合わせて、購買で買ってきたパンを食べつつこれからのことについて話し合っていた。
午前中、俺は休み時間が来る事に弘司を廊下へ呼び出し、自分たちの置かれている状況について考え得る限りの推論を並べ立てた。そして推論を立てる上で重要な情報を握る弘司曰く、この世界は何から何まで『とぅるまい』の世界と同じらしい。ゲームのテキストで説明される主人公の家の間取りや、朝起こしに来る幼馴染みの存在、仕草、何から何までがゲームそのままだという。クラスの皆の反応から、弘司がゲームの主人公、俺がその親友ポジションに着いているのも間違いないようである。
ということは、やはり俺たちはゲームの世界に入り込んでしまったと見るのが妥当なところだろう。あまり認めたくはないが。
ちなみに、弘司は俺の想像通り泣いて喜んでいた。「咲良たんが、霧子さんが、灯里ちゃんも! うおおおおおお!」などと見苦しく叫んでいたのでとりあえず腹に一撃を入れてやったらすぐに黙ったけども。
「俺たちが気にすべきはこれからどうやって元の世界に戻るのか、だろうが」
「や、やめてよジン、そんな顔で迫らないでよ怖い」
「至って普通の顔だボケ」
若干涙目になってまで言われると俺としては非常に傷付く。
「ああもうともかくだな。俺もお前も元の世界に戻るために何らかの手がかりを探してだな――」
「え、ジンは元の世界に帰りたいの?」
「いや、当たり前だろ。ワケのわからん世界に好き好んで居たいと言うヤツはいないと思うぞ。何よりあっちで親父達が心配してるかもしれないし」
俺がギャルゲーの世界に飛ばされているとすれば、元の世界にいた俺は忽然と姿を消していることだろう。家族達にあまり心配はかけたくないし、まだ色々と心残りが多すぎる。俺としてはとっとと帰還したいところだったのだが、目の前のこの男はどうもそういう様子ではなさそうだ。
顎に手を当て思案顔を見せた弘司は、若干の間を置いた後に躊躇いなく言い放った。
「……僕は帰りたくないなあ」
「はぁ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまった。何を言っているんだこの男。
こいつにだって家族はいるだろうし、少ないが友人もいる(この趣味のせいで友人の数が少なかったりするが)。そんな奴らの存在を厭わないのか、こいつは。
「だってここは僕のパラダイスなんだよ!? 幼馴染みに咲良たんがいて、麗しの霧子さんがいて、生意気だけど可愛らしい灯里ちゃんがいる! どうしてここから帰る理由があろうか! いや、ないね!」
「言い切りやがったこいつ……」
流石は馬鹿だった。堂々と言い切った弘司の姿に、俺は嘆息する他無かった。
やれやれ……。こりゃ俺が一人で現実世界への帰還の手がかりを探す必要がありそうだな……。
「ジンの言いたいこともわかるよ。家族とか、友達とか、向こうにも大事な人がいる。かけがえのないものもね」
「……わかってんなら、なんで」
「でも! ずっと恋い焦がれていた少女達を、こうして自分の目で、見て、触れて、言葉を交わせる! 想いを、通わせあうことだって不可能じゃない! これだって十分、かけがえのないものなんじゃないかなっ!?」
ぐっと拳を握りしめて力説する弘司の姿は、今までにないほどに輝いて見えた。馬鹿だけど。言ってることすごく馬鹿らしい気がするけど。
俺は曖昧な――だが諦めを滲ませた――笑みを浮かべ、昼食のサンドイッチを頬張った。
飛ばされたのはゲーム内の世界だが、弘司の言う通り物に触れるし、味も感じる。いやまあそれは朝食の時点で実証済みだが、この世界にある物は殆ど現実世界と大差はない。ただ違うのは、住んでいる家と通っている学校と人々の顔ぶれだけだ。
「……やれやれ、参った。随分でかい差だ」
「なに悩んでんのさ。らしくない」
苦笑混じりのハスキーボイスが耳に入った。
「ん……お前は確か、倉橋辰美だったか……?」
ぐてーっ、と椅子の後ろに仰け反ると、ちょうどこちらへと歩いてきた女子が反転して目に入る。
短く揃えられた髪と、すらっとしていて高く、よく引き締まった身体、中性的な顔立ちが印象的なこの少女は、倉橋辰美。
共通ルートで幾度か会話を交わすことがあると弘司が言っていた。ちなみに彼女曰く俺とはよく話す仲だそうだ。
というのも、彼女の記憶にある俺は『松原勇次』という『とぅるまい』の主人公の親友ポジションにある男であり、俺『湊仁一朗』は『松原勇次』という名前に上書きがなされただけの存在だと思われるからだ。皆は『松原勇次』の名前以外の情報を引き継いで、それに『湊仁一朗』の名前を組み合わせた新しい記憶を形成している形になっているようだ。それは弘司についても同様で、ヤツも『鈴木秋也』を『春野弘司』という存在で上書きしていた。
そしてそれ故に、俺は彼女についての情報を全く持っていなかった。
同時に、彼女の記憶にある俺に関する情報と、現在の状態には齟齬が生じてしまうのだった。なんせ皆の記憶にあるのは『松原勇次』のデータであって今の俺とは別人の物だからな……。
「湊、まさかアンタに今更フルネームで呼ばれるなんて思いもしなかったよ。いつも名前で呼んでたはずじゃないか」
「あー……、そうだったか」
これが倉橋辰美が俺に関して持っている情報と、俺の現在状態の間に生じている齟齬だ。
女子を名前で呼ぶというのは初体験だが、怪しまれるわけにはいかない。俺は羞恥心を押し殺し、震える声で名前を呼んだ。
「……た、辰美。何か用か?」
「……本格的におかしいね。アンタはいつも倉橋って苗字で呼んでたよ」
謀られた。
俺がこれ以上のボロを見せるわけにも行かないと、倉橋との会話を続行するか考えあぐねている間に、弘司の方は随分親しげに彼女に話しかけていた。
「倉橋さん、ジンの頭の中は空っぽだから仕方ないんだよ」
「ああ、そうか……。空っぽだもんねぇ」
「うん、まさか友人の呼び方すら忘れるなんてね……」
俺に注がれる生暖かい視線が二つ。くそっ、こいつら……。初対面だから倉橋に関しては怒りの感情を抱きはしないが、勝手知れたる弘司は別だ。とりあえずぶん殴っておいた。
どうも弘司に暴力を振るう回数が増えている気がするがまあいいか。
「で、何かあったのかい? 辰美お姉様に相談してごらんよ」
「何もないです」
「嘘だね」
一発で見抜かれた。俺はポーカーフェイスだと自負していたのだがそうではなかったのか?
「この一連の流れで、何か隠してるってのは疑う余地がないだろうに……」
「そんな呆れ果てたような目で俺を見るなっ!」
「ジンってば……」
「お前もだ弘司」
弘司を殴る。くそっ、周りは知らない相手だらけだというのに相手は自分を知っているというこの環境、激しく居心地が悪い!
憂さ晴らしに弘司に十七連撃でも喰らわせてやろうかと考えていたら、弘司の背後からまた一人姿を現した少女がいた。
「弘司くんも湊くんも辰美ちゃんもいるんだ。ちょうど良かった」
笑顔を見せながらやってきたのは、朝一緒に登校してきた日比野咲良だった。『とぅるまい』のメインヒロインで、弘司の超おすすめ物件。主人公の幼馴染みで、世話焼きな性格、明るく友人が多くて皆の人気者と――、全く捻ったところのないオーソドックスな設定を持つ女だが、弘司曰く「その奇を衒わない至って普通の設定が逆に目の肥えたユーザー達の心を掴んで離さないんだよ!」だそうである。毎日の日課は、朝に家が隣同士の関係にある主人公――つまりは弘司――を起こしに行くことだという。この時点で俺には現実味を感じられないのだがどうだろうか。当然弘司は殺したいほど妬ましいけど。女子が起こしに来てくれるというのはいつになっても男子の憧れだ。
ちなみに外見はゲームから飛び出してきただけあって――もとい、ゲームの登場人物だけあってしっかり整っている。色素の薄い髪を肩を越えるあたりまで伸ばしており――その一本一本がさらさらだった――、スタイルは抜群とは言わないが、ちゃんと自己主張を忘れていない胸を持つなかなかの体型だ。
余談だが、彼女には前衛的なデザインの学園指定セーラー服が非常に似合っているのに対し倉橋は壊滅的なまでに似合っていなかった。
「……素材の違いか」
「何か失礼なことを考えたねアンタ」
バレてた。顔が悪いわけではなく純粋にスタイルの問題なんだが。
「次なんか変なこと考えたら殺すよ」
「すまん……」
底冷えのする声で倉橋が言った。目がマジだ。
日比野はそんな俺たちのやりとりを笑顔で見やった後、手に握る何かを掲げた。弁当箱、か? 可愛らしいナプキンに包まれたそれは、しかしどうも妙な染み(紫色)を作っている。何だあれ……。
「三人とも、お昼はもう食べちゃった? もし良かったら――」
首を傾げ尋ねてくる日比野。弘司は彼女の一挙一動に目を奪われていて――ホントに好きなんだな、と少し感心するがあそこまで凝視しているのではただの変態だ――、倉橋がじり、と後ずさるのには気付いていないようだった。
そこで、俺も思い当たる。
『咲良たんはさ、料理ベタなんだよね。料理ベタって設定はやっぱシンプルだけど良いよね』
『料理が出来るに越したことはないだろ』
『わかってないな。下手なりに愛が籠もってるんだよ、愛がさあ!』
『でもその料理食った主人公、悶絶してないか?』
『……ま、愛さえあれば大丈夫なんだよ』
『昇天しかけてるけど』
『愛が足りないんだよ主人公』
今こそお前の愛を見せる時だぞ春野弘司。俺は心の底からお前を応援しているぞ……。
何だか腐卵臭だとか刺激臭だとかが漂ってきているのは気のせいに違いない。きっと気のせいだ。視界が歪むのもきっと。気のせい……なわけあるか! あんなもん食わされた死ぬ!
だから弘司。俺はお前を囮にしてとりあえず逃げるぜっ☆
生きていたらまた会おうっ☆
「さあ倉橋……逃げようぜっ☆」
小声で倉橋に合図っ☆
「ああ、ダメだ、湊が狂った……。酷い、酷すぎるよ、日比野――」
「何を言ってるんだよ倉橋っ☆」
あ、やばい……何かダメな気がするぜっ☆
語尾のこの余計なアクセントってもしかして副作用なんですかねっ☆
とりあえず倉橋と一緒に教室の外へっ☆
「あの、咲良……? これは……」
「料理だよ? 遠慮しないで食べてね、弘司くん。作り過ぎちゃったから……」
「いや、あの……えーと……ジンも倉橋さんも一緒に……」
「でも二人ともいないし、それより私は……弘司くんに食べて欲しいなあって……」
「僕を売って逃げたなああああああああっ!?」
弘司の叫び声が廊下にまで響いてきたが気にしたら負けだっ☆
結局日比野の料理を全て食べたらしい弘司は午後の授業中起き上がる気配を全く見せなかった。
そして、日比野の料理のせいで俺の語尾にこびりついてしまった妙なアクセントは放課後まで直らなかったぜっ☆ ……違う! 直らなかった。
「酷い目にあった」
「お互い様だ」
「ジンは直接口にしてないから良いじゃないか。僕はあれを全部食べたせいで生死の境を彷徨ったよ」
「俺は社会的な生死を彷徨ったがな。語尾のせいで」
放課後、俺と弘司は二人して教室で駄弁っていた。教室に他の生徒達は残っていなかったので、気兼ねなく俺たち自身についての深い話を展開することも出来る。
二人並んで窓際からグラウンドやテニスコートで部活に興じる生徒達の姿を目で追いつつ、俺は差し込み始めた夕陽にその目を細めた。
弘司を生贄に日比野の料理を回避した後、どうやらずっと笑いを堪えていた倉橋の堤防が決壊、彼女は爆笑しすぎて腹痛を引き起こしてしまった。腹を押さえる彼女を保健室に連れて行って、養護教諭に彼女の腹痛の原因を伝えた時の辛さと言ったら、軽くトラウマになりかけるレベルだった。ずっと噴き出しそうになっていた養護教諭の顔を俺は忘れない。
もう金輪際日比野の料理には近づかないことを誓おう。口に入れたら最後、今日よりも強烈なダメージを受けることに違いないからな……。
「……それでジン、どうだった?」
「はい?」
「今日一日、楽しかった?」
「はぁ? 急に何を言ってるんだよ」
急な話題の転換に俺は眉を顰めた。何が言いたいんだこいつ。
「僕にはこの世界が本当にゲームの世界だなんて思えないよ」
「いや、登場人物みんなゲームのキャラだろ」
「……僕は、この世界が現実であって欲しい。いや、もう僕にとってこの世界は現実だ」
俺の呟きを無視し、弘司が言った。
昨日も聞いた気がする、真剣な語調で。
「聞いたよね、昨日。もしギャルゲーの世界には入れたらって」
「ああ……聞いた」
「僕は、やっぱりジンに親友でいてもらいたい」
こちらをしっかりと見据え、弘司が言う。その瞳は真摯な輝きを放っていて、俺は視線を逸らすことができなかった、
「この世界で、ジンと親友でいて、そのまま暮らしていきたい」
「弘司、お前……」
「ジンが元の世界に戻りたいって気持ちもよくわかるし、僕にだって色々大事なものが向こうにあることは変わりない。けど、僕はこの世界で生きていたい。だって僕の夢だったんだから……」
「……」
「僕の言ってることはすごく我が儘なことだろうけど、言わせてくれ。仮に元の世界に戻れる手段があったとしても、僕はこの世界に残る。そして出来るなら、君も一緒にいて欲しい。僕にとっての親友は、ジン、君しかいないから」
弘司の言葉に、俺は言葉を返すことが出来ずただただ黙っていることしかできなかった。
沈黙を肯定と取ったのかは知らないが、弘司は何かすっきりしたような笑顔を浮かべ、窓に背を向けた。自分の席まで歩いていき、鞄を手に取った後口を開く。
「さ、帰ろう」
「……」
「ジン?」
言いたいことは纏まっていないが、俺もこの馬鹿にここまで言われて黙っているような男ではない。
だから毅然とヤツに向き直り、言ってやった。
「弘司。俺は元の世界へ帰るのを諦めはしない。手段を見つけたら、首根っこ引っ掴んででもお前を元の世界へ連れ戻す」
「ジン……」
「ここはあくまで仮想の世界だろ? 俺たちが存在できる時点できっと何かがおかしいんだよ」
「でも何も問題なんて起こってないじゃないか」
「今はそうかも知れないが、いずれどうなるかはわからないだろ? お前に危害が加わるのを見過ごすわけにはいかないんだよ。……親友としてな」
そう、一番親しい友人として、こいつに何か不幸が降りかかってしまうのなら、その不幸を取り除いてやらなくちゃならない。そう、不幸は取り除いてやるさ。
中学時代に受けた恩を、我ながら随分引き摺っているのだなあとは思うが、それでもだ。
「だから、まあ……、元の世界に戻れるまでは好きに過ごすと良いさ」
「……ジン……。…………手がかり、見つけないでくれることを願ってるよ。願わくば失敗しろ」
「ああ、そうか。じゃあ俺もお前の恋路を精一杯邪魔してやるよ。お前が幸せになるのを黙って見過ごすわけにはいかないんだ。親友としてな」
「本音が漏れ出たなジン!」
「お前、俺と一緒に喪男同盟組んでたじゃないか、なあ? 幼馴染みが出来た瞬間に裏切りか?」
「くっ、近寄るな非リア充が! 臭いが移る! 僕は、僕は必ずハーレムルートに突入して酒池肉林の宴を楽しむんだよッ!」
「お前こそ本音が漏れ出てきやがったな弘司ッ! テメェ、俺の目が黒いうちは貴様に幸福が訪れることはないと思えよ!」
「くそっ、何が何でもハーレムルートまっしぐらだ! 邪魔はさせない! というわけで早速咲良たんと帰宅してフラグを立てる!」
「そうはさせるか! 何が何でもお前は俺と一緒に帰宅だ……! くはははは!」
「うわ、邪悪! 邪悪な笑い顔! 邪神降臨!」
「誰が邪神だコラ!」
ま、最終的には。
たとえゲームの世界に飛ばされていようと何だろうと、俺たち二人の関係はそう簡単に変わりはしないって事らしい。
「あの、二人とも荒い息で組み合って……何をやってるのかな?」
「日比野っ!?」「咲良っ!?」
「……もしかして、そういう関係……」
「「断じて違います」」
色々大変そうだな……この生活。
二話目です。
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