006 そして、読者から編集者へ
「ふわ……」
あくびをして眠そうに目を擦る牧野からスマホを受け取り、ファイルを一つずつ確認していく。
どうやら、伊達や酔狂ではないらしい。こいつ、本当に三十本の短編小説を仕上げてきやがった。
「ねぇ、どぉ?」
俺は、震えていた。
もしかすると、とんでもない才能を目覚めさせてしまったんじゃないか。
そんな、読書家としての夢のような展開を目の当たりにして、どうしようもなく心が昂ってしまったからだった。
……だが。
「お前さん、ちゃんと寝てるのか?」
「うーん、どうだっけ。覚えてないなぁ」
「だろうな」
あまりにも誤字脱字の多い文章と、似たような展開の物語たち。
相変わらず、キャラだけは強く光っているものの、ストーリーテリングの観点から出来を肯定してやれるレベルに達していなかった。
これらをそのまま世に出せば、せっかくのアイデアを浪費することになるだろう。
そんなことを、果たして世の編集者たちは許してくれるだろうか。
……。
「牧野、保健室に行こうか」
「え〜? なんで〜?」
「ベッドがあるからだ」
「う〜ん。……zzz」
「……おい、牧野?」
牧野は、寝た。
この部室まで自分の足で歩いてきたとは思えないほど、あっさりと、深く。
「やれやれ」
仕方ないので牧野を保健室まで背負って運び、矢代先生の力を借りて彼女をベッドに眠らせると、俺は事情を説明するためにランキングの件も含めて矢代先生に報告をした。
「きっと、花ちゃんに作品を見せられたことで安心しちゃったのね」
「俺に? なんで?」
「……そう、分からないの。花ちゃんって、意外と鈍感なのかしら」
「俺は鈍感じゃないですよ、変なこと言わないでください」
「知らぬは本人ばかりなり、ってね。うふふっ」
……。
「先生」
「なにかしら。浮気のお誘いなら、謹んでお断りするわよ」
「なんでもないです、もう二度と頼りません」
「嘘!! 嘘よ!! 花ちゃん!!
や〜ね〜、も〜。空気を和ませるためのジョークじゃない!? ねっ!? ねっ!!
だから、先生のこと頼って!! ほら、カモーンヌっ!!」
本当になんなんだ、この人は。
「……牧野の小説には、十件も感想がついてました。これ、本当に凄いことなんです」
「ふぅん、そうなの?」
「えぇ。確かに、知らない人は少ないと感じるかもしれません。しかし、そもそもウェブ上で感想を貰えること自体が珍しいんです。
普通の読者は暇潰しで適当に読むだけですから、感想なんて、有名人でない限り本当に刺さった読者からしか貰うことは出来ないんですよ」
「つまり?」
「牧野が天才って話です。
既に、フォロワーだって付き始めてる。たった一作の短編で、見知らぬ他人から期待を勝ち取った。
この調子で活動を続けていくなら、もっと大きな反応を得られるはずです。
ならば、読者としての俺に拘る必要なんて無い。そうでしょう?」
「……」
「だから、先生の意見は的外れだと思います。そういう話です」
先生は小さく首を傾げると、まるで、頼りになる大人の女性のように優しく微笑むだけで何も言ってはくれなかった。
「なんで黙ってるんですか」
「うふふ、そうねぇ。先生、こういうの好きだな〜って浸ってしまったかしら」
「意味が分かりません」
そして、先生はデスクチェアに腰掛けるとわざとらしく足を組む。俺は、変なところを見てしまわないよう窓の外に視線を移した。
「女は嘘つきだってことを説明してあげたいところだけど……。まぁ、今はいいと思うわよ。大丈夫」
「は、はぁ。そうですか」
「それより、問題はアメリちゃんの具合の方ね。
花ちゃん、あなた編集者なんでしょう? どうして彼女がこうなるまで放っておいたの」
「……いや、放っておいたっていうか。クラスじゃ関わりがないんだから仕方ないじゃないですか。
大体、俺が牧野のやることに口出しする権利なんてどこにも――」
「あるでしょ、編集者なんだから」
……。
「いい? 才能には管理が必要なのよ。これは、決して作家に限った話じゃない。
例えば、凄い才能を持った野球のピッチャーがいたとするでしょう?
その子が、ボールを投げるのが楽しいからって高校生のうちからバンバン全力投球を繰り返していたら、一体どうなるかしら」
「プロの世界に行く前に壊れる、ですか?」
「その通り。そして、そうやって消えていった才能が、この世界にはとてもたくさんあるの。
あなたは、アメリちゃんにその道を辿らせるつもり?」
「……いえ」
「だったら、読者としてワクワクしてるだけじゃダメ。壊れないように、あなたが見てあげなさい」
強い言葉に思わず先生を見ると、彼女は、今までに見たことのないほど真面目な表情をしている。
それに気圧されて、俺は再び窓の外へ視線を反らしてしまった。
……そんな俺を見兼ねたのか、不意に立ち上がると、先生は俺の頭を優しく撫でた。
「ごめんね。あなたは他の子より少し大人だから、つい厳しくなっちゃった」
俺が大人ですか。
随分と、俺を買ってくれてるんですね。
「せ、先生こそ、ちゃんと大人だったんですね。見直しました」
「あら、知らなかった? 実は先生、大人の女なのよ。お望みなら、もーっと大人なことを教えてあげても――」
「結構です」
会話も終わり、しばらく経った頃。
ぼんやりと文庫本を眺めていた俺を、ふと、窓ガラスに反射する牧野がジッと見つめていることに気が付いた。
寝ぼけ眼だ。前髪も、束で明後日の方向へ向いている。
「おはよう」
「……私、なんでここにいるの?」
「さて、なんでだろうな。よく眠れたか?」
「う〜ん、まだ眠いかも」
「分かった、駅まで送るよ」
「え、部活は? 私の書いた小説、読んでくれたの?」
「今日は中止になったんだ。帰ろう、牧野」
鞄は既に、部室から運んできている。彼女のものを渡すと、受け取ったはいいものの、次第に意識がハッキリしてきたのだろう。
牧野は不服を隠そうともせず、道中、俺の周りをウロチョロと回って、時折、脇腹や背中を人差し指で突っつきながら――。
「ね〜ぇ〜、なんでだよ〜。なんで終わりなんだよ〜。てかさぁ、なんで読んでくれないんだよ〜」
しつこく、俺に文句を垂れていた。
本当に、こいつは恋愛相談を持ちかけられるような奴なのか。段々、今まで見てきた景色が信じられなくなってきたな。
「それは家でやっておく」
「家って、私のスマホに保存してあるんだから出来ないでしょ?」
「だから、あれだ。その、えっと――」
違う。これは、そういう意味じゃない。
あくまで、編集者として必要なことなんだ。この才能の原石が、今回と同じようなことで潰れてしまわないように管理するのが目的なんだ。
だから、訊けよ。朔太郎。
「なに?」
「ら、ラインを教えてくれ。そうすれば、家にいたってお前の小説をチェック出来る。
というか、三十本は多過ぎるからな。うん。家で作業しないと間に合わ――」
「いいよ。ほいっ」
……牧野は、俺の緊張なんてどこ吹く風といった様子で、なんの抵抗もなくあっさりとスマホを取り出しラインのQRコードを表示した。
情報漏洩の観点から、危険な行動だと思います。いや、俺は変なことに使ったりしないけどさ。
「お、おう」
友だちに追加した牧野とのトークルームに「よろしく」と送ると、彼女は謎のキャラクターが駄々をこねたり怒ったりしているスタンプを三点バーストで送ってきた。
どうやら、よっぽど立腹らしい。
視線を戻すと、牧野はジトッと俺を見て、おまけと言わんばかりに突っつき攻撃を繰り出した。
……三十本のチェックか。
今夜は、俺が寝不足になる番だろうな。
「なぁ、牧野。一つだけいいか?」
「なに?」
「お前さん、どうして小説を書いてるんだ?」
すると、彼女は俺の前で足を止め、素早く振り返りながら言った。
「書きたいからっ!!」
……本当、こいつには敵わないな。
牧野と別れた後も、彼女の最後の言葉はずっと、俺の頭にリフレインしていた。




