004 ようこそ、文芸部へ
「……剣道部の練習はどうした、牧野」
「あれ。花、私の部活知ってたの? 意外〜」
「そりゃ、通学時に竹刀を携えてる奴なんて剣道部か時代錯誤の体育教師くらいだろ」
「んふふっ、確かにっ」
「……ところで、なんの用だ? こんな放課後に、わざわざ――」
「小説、一緒に書こう!!」
……あぁ、忘れてた。
だから、俺は牧野が苦手だったんだ。
「やらない」
「なんで? 絶対に楽しいよ? てか、私は花の感想を聞きたいし、アイデアも出して欲しい」
「感想は既に言ったろ」
未完結作に対して評価するなんて、俺からすれば出血大サービスもいいところだ。
「もっと聞きたい!! いいとこだけじゃなくて、悪いところも全部ひっくるめて評価して欲しいのっ!!」
……それ、一番嫌われるタイプの作者だぞ。
「いいか、牧野」
「なに?」
「感想なんてものはな、とどのつまり、受け手側の感謝の気持ちなんだよ。
それを無理矢理に寄越せだなんて言葉、作家は絶対に言っちゃダメだと俺は思うぜ」
「でも、花は私の初めてで唯一の読者なんだもん」
「これから書いていくなら、読者に最初とか後なんて関係なくなるさ」
「それは、花が書いたことないから言えるんだよ。やっぱり、初めての人って特別なの」
……。
「え。てかさぁ、なんでそんなに嫌なの?」
「なんでって――」
俺は、答えに困っていた。
なぜなら、書きたくないトラウマとか、批評家としてのスタンスとか、そう言った明確な理由なんてものを、俺は一つも持ち合わせていないからだ。
ただ、漠然と思い浮かんだのは、昔書き溜めていたアイデアノート。
何ページにも渡って設定や展開を記した、黒くて痛い俺の歴史。
決して誰にも見せることのない、俺だけが知る俺の汚点。
読み返してみるとなんてことのない。しかし、あの頃は何よりも面白いと心から思えた、世界にひとつだけの本。
……もしかすると、俺は、自分に才能がないことを知るのが怖いのかもしれなかった。
「花?」
「悪い。でも、嫌なんだ。物語を作る側になるのは」
「……ふぅん、そっか」
俺は、落胆してパイプ椅子に座った牧野の前に、新しく緑茶を淹れた湯呑を静かに置いた。
初めての読者。俺がそれになってしまった罪悪感を、少しでも紛らわせるためだった。
「じゃあ、仕方ないから編集でいいよ」
「……は?」
「切ったり貼ったりするだけなら、執筆活動にはならないよね?
んふふ。そうと決まれば、今夜はたくさん頑張っちゃうぞ〜」
「いや、ちょっと待て。お前さん、編集を舐め過ぎ――」
「あ、お茶ありがとう。いただきま〜す」
なんなんだ! この脳天気な女は!
少しは俺の気持ちを考えたりしたらどうなんだ!
なぜ、恋愛相談を持ちかける連中には気を遣うのに、昨日までほとんど面識のなかった俺にはあけすけな態度を取る!?
まさか、いじめられてるのか!? 俺は!
「てかさぁ、文芸部って花一人なの?」
「あ、あぁ。いや、違う。
今は不登校だが、二年の薬丸ってのと、もう一人は寛が名前を貸してくれてる。
三人いないと部活として存続出来ないから、奴に無理言って力を借りた。
だから、実質的な部員は二人だ」
「へー。いいなー。
なんか、この部室って狭いから和むよね。私、今でもたまに押し入れで寝てるんだよ。ぐっすり眠れるからさ〜」
ドラえもんかよ。
「てか、部活って兼部とか出来たんだっけ?」
「そりゃ、出来るさ。寛は柔道部だもの」
「だったら、私も文芸部に入るね。その方が活動しやすいし。欲しい時にすぐ花の感想が聞けるしっ!! よろしくっ!!」
「……ほぁ?」
「そうだ。後で湯呑買いに行こっと。私ね、水色が好きなの。んふふっ」
ほ、本当に人の話を聞かない奴だな。
というか、は? ちょっと待て?
展開が早すぎて、世界のスピードに追いつけないのだが。話を整理すると、要するに牧野が文芸部に入部するってことになったのか?
おいおい。一体なんの冗談だよ。
ここは文芸部だぞ。本を読むことしか出来ない奴の根城だぞ。あのな、この場所は、根暗な生徒が根暗なまま自由に時間を満喫するための最後のオアシスであってだな――。
「あ、いっけない。そろそろ道場に行かないと。それじゃ!! 明日は練習ないからここに来るねっ!!」
「ちょ、待てよ!!」
しかし、牧野は当たり前のように俺の言葉を無視して(というか多分マジで気付いてない)、韋駄天の如きスピードで一目散に道場の方へ駆けていった。
あれだけ自分勝手に振る舞えたら、そりゃ人生楽しいだろうな、と俺は思った。
「……やれやれ」
しかし、クソラノベ作家と二人で放課後を過ごすモラトリアム。かたや、彼女から逃げ帰った先の我が家での役割。
どちらの献身がマシかを天秤にかけて、少しだけ牧野の方に傾いたのもまた事実だった。
「編集、ね……」
未完成なモノに手を入れる。
これはもう、立派な創作活動だと言えてしまうだろう。ただ、この理屈をかのマドモアゼルに説明したって理解なんてしないだろう。
というか、あいつ、俺が嫌がっているものを勝手に『執筆』に限定してたしな。
どんな言葉を尽くそうと、そもそも俺の声が届かないであろうことは容易に想像出来てしまった。
……なるほど。
巻き込まれ、状況を認めるしかないやれやれ系主人公の気持ちは、こういうものなのかもしれない。
何か打開する方法を考えるよりも、ひとまずは流れに身を委ねた方が楽なんじゃないかと逃げてしまう弱さを、俺は初めて理解した。
「おう、サク。例の件だが――」
扉を開けて文芸部室に入ってきたのは、唯一の友人、浅井寛。
奴は、テーブルに置いてある二つの湯呑を見てから、しばらく何かを考えるような仕草を見せてこう言った。
「牧野は、多分いい奴だぞ」
……分かってる。
「何を揉めてるのか知らないが、力、貸してやれよ」
「無理だ。無能な完璧主義者は必ず人の足を引っ張る。お前は、そんな俺を知ってるはずだろ。
薬丸の時だって――」
「お前が無能だなんて、俺は思わないけどな」
遮るように言って、寛は踵を返した。どうやら、俺の気分を察してくれたらしい。
「宮崎は純文学が好きなんだってよ。周りの誰も読んでなくて寂しいとも言ってた。
明日、お前のオススメを教えてくれ」
背中を向けたまま、黒帯で縛った道着を揺らして挨拶をする友人。
厚い信頼を感じる背中を見送ってから、俺はスマホを手に取ると、徐に『恋愛ってめんどくさい』のページを開く。
「……やっぱり、クソラノベだ」
だが、情熱はある。
その事実が、俺の胸に深く突き刺さっている。
牧野の作品だけではない。
これも、これも、これも。
閲覧履歴に残っている、読むたびに苦笑いしてしまう素人のクソラノベたち。そのすべてが、俺に創作の素晴らしさを訴えかけている。
……そうか。
俺は、小説を書ける奴が、ずっと羨ましかったんだ。
……。
「あれ、なーにしょげてんのっ?」
「な……っ!! 牧野!? お前さん、道場に行ったんじゃ……」
「ごめーん!! 間違えちゃった!! 今日は道場、柔道部が使う日だった!! 剣道部は明日!!」
「そ、そうなのか。大変だな」
「んふふ。だから、文芸部の活動、やろっ!!」
目を爛々と輝かせて、手に持ったスマホを俺に見せつけると、眠たい猫のように大きな目を細めてニコリ笑う牧野。
自らの可能性を、ほんの一ミリだって否定していない。
やりたいからやる。
美しさすら感じるシンプルな動機を、これでもかというくらいに見せつける、元気の塊みたいな笑顔だった。
その姿を見て、俺は。
俺は――。
「……分かった、やろう」
俺は、面白い小説が好きだ。
しかし、俺には才能がない。力もない。これは事実だ。今さらどうやっても覆ることではないし、だから、この生き方を変えるつもりもない。
宣言しておこう。
決して俺が小説を書くことはなく、あくまでも読書家で居続けることは決まっている。物語の中心に立つことを、俺は決して望まないのだ。
……ただ、それでも、やれることはある。
そう信じられたから、俺は再び、天才の横に並び立つことを決めたのだ。
「なぁ、牧野」
「なに?」
「ようこそ、文芸部へ」




