011 怪物
× × ×
閉じきった真っ暗な部屋の中、少女はひたすらにノートパソコンと向き合っている。
淀んだ空気、ポテトチップスのゴミ、キーボードの小気味よい音。
ディスプレイの光に照らされた少女の顔は、どこか、心にポッカリと穴が空いたように生気がなかった。
「そうじゃない、世界はこんなに綺麗じゃないんだよ」
少女は、眼帯をつけた右目に手を当てて呟く。
「違う。此岸は辛くて苦しくて醜くて。だから、人は尊い存在なんだよ。
……えへへ。あぁ、また溢れてきた。目から零れる前に、ちゃんと残しておかないと」
少女は、小説サイトのランキングを見ながら、自らの小説で次々に優しさを否定していく。テキストは、あっという間に原稿用紙を埋め尽くす。
やがて、最後の一文字を書き終わると、またしても否定のために小説を漁った。
ラブコメ、短編枠の日間ランキング。
その場所に辿り着いた少女は、トップの小説をクリックした刹那、急に正気を取り戻したかのように目を輝かせて呟いた。
「……サク?」
× × ×
日曜日。
妹たちの声を待たずにベッドから抜け出した俺は、すぐさまパソコンの電源を入れてノベハウのウェブサイトを開く。
理由は当然ランキングを確認するため。投稿から既に一日以上たった。結果が出るなら、まさにこのタイミングだろう。
「……よしっ!!」
日間ランキングの一位に煌めく牧野の作品『虐めてくる叔母様が諦めるくらい明るく振る舞っていたら、いつの間にかみんな幸せになってた』を見て、俺は思わずガッツポーズをしていた。
やはり、あいつは本物だ。
こんなこと、普通の奴に出来るわけがない。
そして、俺の理想の面白さがウェブ小説界にも刺さった証拠にもなっている。これは、紛れもない大きな一歩だ。
因みに、『初恋絶対成功委員会』は六位。もちろん、これだって大健闘と言えるだろう。
「嬉しいの? お兄ちゃん」
「あぁ、嬉しいさ。こんな気分は久しぶりだよ」
「んふふっ、よかったね」
いつの間にか膝の上に座っていた衣に適当な相槌を打ちつつ、両作品へ星をプレゼントする。
身内の不正な評価と言われるかもしれないが、正規のアカウントで一度だけなら文句を言われる筋合いも無いだろう。
この勢いなら、週間ランキングも射程圏内だろう。牧野の小説がトップページに乗るかもしれないと思うと。ふふ、胸が踊るな。
「衣。頭、撫でてやる」
「いらない」
……あっそ。
そして、特に予定のない日曜日が何事もなく過ぎていく。
トイレ以外で椅子から立ち上がったのは、クソガキ共と公園に行った時と、母さんの買い物を手伝った時だけ。
牧野と関わる前の当たり前な日常は、忙しかった編集作業から俺を遠ざけてくれているようで心地よかった。
そんなこんなで夜になり、また朝が来て、学校に行けば授業が始まった。
一つ、二つ、新しい知識を身につけながら、休み時間には寛と宮崎の恋路を盗み見して、物陰で一人ほくそ笑んだりして。
あぁ、気が付けばもう放課後だ。
果たして、牧野は次にどんなアイデアを思いつくのだろう。
そんな期待で少しだけ胸を膨らませながら、俺は静かに、文芸部室の扉を開いた。
「……やぁ、サク。元気だったかい?」
酷く痛々しい女が、そこにいた。
長い黒髪のツインテール、病的に真っ白な肌、手首には意味ありげな包帯、右目を隠す眼帯、首元には制服に相応しくないチョーカーを身に着けている。
女は、立ち上がる素振りも見せず緑茶を一口。その湯呑は、初めて牧野がここへ来た時に使ったものだった。
即ち――。
「よぉ、薬丸。厨二病は完治してないみたいだな」
すると、彼女はズッコケて鼻をテーブルにぶつけた。
「あいたっ!!」
相変わらずのドジっぷりに妙な安心感を覚えた俺は、彼女の正面に座って自分の湯呑に緑茶を注ぐと、改めて鼻を押さえる彼女のアホ面を眺めたのだった。
「……んもぅ。ボクは厨二病じゃない、羊たちと違ってちゃんと聞こえるだけだ。
ここに来た理由も、それだよ」
「へぇ、奴さんはなんて?」
「クククッ。『再び、サクと教典を編む刻が訪れた』と、さ」
薬丸幸子。
16歳、酉島高校の2年生、文芸部所属。曰く、何者かの声が聞こえる不思議で儚げな少女。
……というのは嘘ぴょんで、実際は毒電波にやられただけの、高校生にもなって一人称が『ボク』の大変な厨二病患者である。
……しかし、俺は同時にこうも思っている。
ある意味、牧野アメリ以上の天才作家である、と。
「まぁ、編むかどうかはさておき。どこから声が聞こえたんだ?」
「ククッ、これだよ」
言って、薬丸が俺に見せつけたのは、デスクの上のノートパソコンに表示された一本の小説。
よく見るとノベハウのウェブページのようだが、こいつは――。
「キミの仕業だろ、サク」
驚いた。
それは、まさしく牧野アメリ著『虐めてくる叔母様が諦めるくらい明るく振る舞っていたら、いつの間にかみんな幸せになってた』であったからだ。
「なんのことだか。大体、俺が小説を書くわけ無いだろ」
「クククッ、キミは白痴だな。ボクは、一言も『書いた』とは言ってないだろう? サクがやったのは、ズバリ編集だ」
「なぜ、そんなことを思う」
「声が聞こえた、そう言ったハズだけれど?」
……相変わらずうぜぇな、こいつ。
しかし、どれだけ発言があれだろうと、薬丸が牧野の小説から何かを感じ取ったことは確かだった。
作家ならまだしも編集者を見破るなんて、普通なら無理だろう。
厨二病と共に、どうやら才能の方も健在のようだ。
「とりあえず、おかえり。薬丸。歓迎するよ」
「ならばひれ伏せっ!! ボクに頭を垂れろっ!! あと、二度とボクを独りにしないと約束――」
「調子乗んな」
なんてやり取りをしていると、窓ガラスに反射する扉が開かれていることに気がついた。
はて、ちゃんと閉めたはずだが。
そう思って振り返ると、のぞき窓からこちらの様子を伺う牧野の姿。
不思議なことだ。陽キャの牧野ならば、知らない奴の一人や二人、気にせずに入ってきそうなものなのに。
「どうした、今日は剣道部の練習の日だろ」
「……部室に道具取り行ったら、なんか花が知らない女の子と喋ってたから」
「気になって見に来たのか?」
コクリと頷く牧野。そういえば、薬丸のことは入部時にチラッと名前を言ったくらいで、まともに紹介してなかったな。
「前に言ってた薬丸だよ、文芸部の――」
「な……っ!? 牧野アメリ!?」
紹介しようとすると、今度は薬丸がらしくないリアクションを見せた。
厨二病患者の彼女が、素直に驚いている場面など俺の記憶になかったのだ。
「なんだ、牧野を知ってるのか。なら、話は早いな。挨拶の一つでもしたらどうだ?」
言うと、薬丸はなんだか危なっかしい仕草で立ち上がり、チラチラと俺を見て、キョドりながらか細い声で言った。
「じゅ、ジュテーム」
牧野の無反応にビビったのか、即座に俺の背中に隠れ、今度は背伸びして耳元で囁く。
「ふっ。見たか、サク。ボクはフランス語で会話をしたぞ? キミに真似できるか? このグローバルな交流が」
……出来るわけねぇだろ、そんなみっともないマネ。
「なんか、いきなり告白されたんだけど。どゆこと? 花」
「さぁ、俺に訊かないでくれ」
「な……っ!? 日本語が喋れるのか!! 聞いてた話と違うぞ!!」
知るかよ、バカタレ。
「まぁ、一応確認しておいてやるけどさ。その噂、いつのやつだ?」
「入学式だけど」
一年以上前の話じゃねぇかよ。俺が言えた義理でもないが、お前、どんだけクラスに友達がいないんだ。
あと、フランス語の挨拶は「ボンジュール」な。恥かくから、言葉の意味くらい調べてから使え。
「……と、とにかくっ!!」
あ、誤魔化した。
「ボクは、また花と一緒に活動するために学校へ来たんだ。やってくれるだろう?」
「まぁ、今となっちゃ断る理由はないけどよ」
「……え?」
「よし、なら決まりだ。ちょうど、ここに書きかけの原稿がある。これを読んで、ひとまずは感想を――」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ。なんで、急にそんな話になるわけ? 花は私の担当でしょ?」
あれ、空気が変わったと思うのは気のせいだろうか。
「……あぁ。キミが、あれら小説の作者だったのか。牧野アメリ。
僭越ながら、投稿された三作品とも読ませてもらったよ。ランキングでも目立っていたからね」
「え、本当!? どうだった!?」
瞬間、薬丸が罠にかかったと言わんばかりに鼻で笑う。
「どれも嘘塗れの最悪な作品だったよ。特に酷かったのは、他でもないキャラクターだ」
牧野の笑顔がピタリと止まる。
しかし、なぜだろう。
この時の俺は、きっと今から起きるであろう争いが、これからの二人にとって必要になるんじゃないかと、そんな気がしていた。




