【第1話】刺された先は、すでに詰んだ世界でした
「……推しが、こんな近くに……」
その声は、震えていた。
歓声の余韻がまだ耳に残るライブハウスの裏口。
物販を終え、スタッフに囲まれながら移動していた私――
地下アイドル《ミルフィーユ☆ルナ》こと、三坂ルナは、その声を聞いた瞬間、全身が強張った。
距離が、近すぎる。
「ありがとうございます、でも――」
言い終わる前に、腹部に衝撃が走った。
何が起きたのか理解するより先に、熱が広がる。
痛みは遅れてやってきて、息が詰まった。
「……あ……?」
視線を落とすと、赤。
私の衣装を汚す、現実感のない色。
「ごめんね……ルナちゃん……」
男は泣いていた。
笑ってもいた。
「独り占めしたかった……誰にも取られたくなかった……」
(……ああ)
理解した瞬間、背筋が凍る。
この人は、ずっと前からここにいた。
ライブにも、配信にも、SNSにも。
「応援してるよ」
「ずっと推すから」
そう言っていた、ファンの一人。
――距離を、間違えた。
地下アイドルは、近い。
手が届く距離で、夢を売る。
その代償が、これか。
視界が揺れ、床に崩れ落ちる。
スタッフの悲鳴が遠くなる。
(私、結局……)
大きなステージにも立てなかった。
売れもしなかった。
それでも必死に笑って、歌って、媚びて。
(……これで、終わり?)
スポットライトより暗い赤に包まれながら、
私の意識は途切れた。
⸻
「――お嬢様! お目覚めですか!?」
次に目を開けた時、視界いっぱいに白が広がっていた。
柔らかい天蓋。
絹のシーツ。
知らない匂い。
「……?」
声を出そうとして、違和感に気づく。
喉が、若い。
慌てて手を持ち上げると、
そこにあったのは、細く白い指。
「……え?」
混乱する私の頭に、急激な痛みが走った。
――記憶が、流れ込んでくる。
ここは、異世界。
貴族社会。
私は、公爵令嬢 ルクレツィア=ヴァルフォード。
王太子の婚約者。
名門中の名門。
魔力適性、最高ランク。
(……転生?)
一瞬、思った。
(勝ち組じゃん)
だが、その考えはすぐに粉々に砕けた。
「お嬢様……その……殿下が、また……」
言葉を濁すメイドの表情が、すべてを物語っている。
頭の中で、整理する。
ルクレツィアは――
傲慢。
高慢。
短気。
ヒロインをいびり、
使用人を道具扱いし、
婚約者である王太子を束縛し続けた。
(……あ)
悪役令嬢だ。
しかも、
すでに終盤。
前世を思い出したのは、
全部やらかした後。
昼、応接室に呼び出された。
王太子アーヴィンは、私を見るなり眉をひそめた。
「……君は、本当に変わらないな」
声は冷たく、感情がない。
「正直に言おう。君と話すのは、苦痛だ」
胸が、きゅっと締め付けられる。
「私は、君に何度も忠告した。
だが君は、エミリアを傷つけ続けた」
エミリア。
ヒロインの名前。
(……詰んだ)
これは、前触れだ。
婚約破棄イベントの。
「近いうちに、正式な場で話をする」
つまり。
公の場で、
婚約破棄。
断罪。
破滅。
地下アイドル時代で言えば――
炎上後、運営から切られる瞬間。
部屋に戻り、私はベッドに腰を下ろした。
(なんで今なんだよ……)
転生した意味、ある?
もっと早く思い出していれば。
一度も人を傷つけていなければ。
(……でも)
私は、拳を握った。
地下アイドルとして生きてきた私は、
ずっと崖っぷちだった。
売れない。
忘れられる。
代わりはいくらでもいる。
だから、
人の顔色を見て、
空気を読んで、
生き残ってきた。
(詰んでる、けど)
私は、まだ生きている。
刺されて、
殺されて、
それでも、ここにいる。
(――だったら)
この世界でも、
生き残ってやる。
婚約破棄?
断罪?
(上等じゃない)
地下アイドルの人生、
ナメないで。
(詰んでる。でも、私はまだ死んでない)
その瞬間、
私の中で、確かにスイッチが入った。
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