45.夢結びの儀
光の塔は、学園の旧校舎の近くにそびえる白亜の塔だ。螺旋階段で頂上まで登れる。頂上は円形の祭壇で、開かれた空間となっている。
いつもは人のいない場所。
けれど今は、夢結びの儀のために集まった生徒たちが塔をぐるりと囲み、張られたロープの向こう側から息を呑んでこちらを見つめていた。夕日が彼らの顔を赤々と照らしている。
――昼の名残が夜に溶けていく。
ロープの内側には、俺の侍従と共にラビッツもいる。婚約者として、そして俺を支える者として。
祭壇で杖を掲げ、定められた祈りの詞を口にする。
「――ここに、我らが願いを結び天に還そう。世界を守りし女神よ、聞き届け給え」
自分の声が震えて聞こえる。
本来なら胸が踊る場面のはずだ。ゲームで見た時は、光が昇るシーンに鳥肌が立つほど感動した。いよいよラストが迫ってくるぞと。
けれど、今は違う。リュークの顔が……あの言葉が頭から離れない。
『当たり前の毎日が怖いんだ』
思い出した瞬間、胸が締めつけられる。
――大丈夫、大丈夫だ。
信じろ。
自分を信じろ。
皆を信じろ。
ラビッツを信じろ。
セイナを信じろ。
リュークを信じろ。
この世界を……信じるんだ。
なぁ、女神。
俺をわざわざ転生させたんだ。まさか、親友の悲恋なんて結末を用意してないよな?
自分の中から不思議な力が外へと解き放たれる。やがて、どこからか淡い球体の光が生まれた。生徒たちの願い、希望――それらが無数の輝きとなって形を成す。
王都が光に満ちる。
学園が光に満たされる。
ゆらゆらと空へ向かう数え切れない誰かの願い。まばゆいばかりの光に彩られて、生徒たちから歓声があがる。
まるで世界から取り残されているようだ。誰もが楽しそうに浮かれているのに……俺は。いや、俺たちは……。
――王族の務めは果たした。
侍従へと手で合図を送る。王宮へ送られていた映像が止められたはずだ。
大きな拍手の中、俺は大きく息を吸った。
「王子としての務めは今、終えた。ここからは一人の生徒、ニコラ・スタッドボルトとして皆に頼みたいことがある。その話をする前に少しだけ待ってほしい」
ラビッツと視線を交わす。
「ラビッツ・ロマンシカ、こちらへ」
彼女が打ち合わせ通りに光の塔を昇る。俺の元へとゆったりと向かう。
ただの、時間稼ぎだ。
頼むぞ……!
俺は、旧校舎の屋上へと目をやった。仲間たちの姿を、この目で確かめるように。セイナとリュークは今、そこにいる。
◆
「始まったね」
セイナが少し寂しそうな、でも夢見るような瞳で光の塔を見つめている。
夢結びの月。
世界中で、強い願いの光が見えることもある。そんな月。今は、たくさんの光が学園の内外から生み出されている。
この街の伝統行事で。
毎年、見ていた景色だ。
今年から親友のニコラが生み出す景色。
――それだけのはずだった。
「セ、セイナちゃん……透けて、る……?」
ルリアンの震え声に、全員が息を呑んだ。彼女の輪郭が淡く揺れ、光と同じように空へ溶けようとしている。
次の瞬間――セイナは、旧校舎の屋上の柵をふわりと越えた。わずかなスペースに降り立ってこちらを向く。
「あ、危ないです! セイナちゃん!」
ルリアンの叫び声にも、穏やかに微笑むだけだ。
「今までありがとう、みんな。短い間だったけど、すごく楽しかった。元気でね」
「……!!!」
パトロール隊の全員が息を呑む。
やっぱり、そのつもりだったか。
「……違うだろう」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「え?」
「来年になったら、また俺たちの前に現れるんだろう」
「……リュークくん」
透けたままのセイナが困ったように笑った。笑顔の奥には変わらない決意がある。
「あはは、そうだったね。でも、ごめん。今はちゃんと皆とお別れしたいの」
そう……だよな。
分かっていた。来年、謎の転校生としてセイナが現れる話を何度も一緒にした。でも……現実感がなかった。空へ還ることを決めている顔をしていた。
俺の言葉は届いていないと、知っていた。
「ふざけんなっ……!!!」
ありったけの声で叫ぶ。
「お前だけが気分よく還るのかよ!」
「…………っ」
「お前だけがサッパリと、残された人の気持ちも考えずに還るのかよっ!」
「な――っ」
互いの視線が、夜空の下でぶつかる。
やっと、セイナの笑顔が消えた。
「……何も知らないくせに……。私はずっと、ここに縛られていたんだよ! 見るだけだった! どこにも行けず! 私だけ時間が止まったままで! それがどんなに辛いかなんて、誰にも分かりっこない!」
笑顔で別れようとするセイナを、俺はずっと苛立ちと共に見ていた。
「それなら俺はどうなるんだよ!」
「そん、なの……っ!」
「好きな女と一生会えなくなる俺を、ないがしろにして自分だけ笑って立ち去るのかよ! ずるすぎるだろう!」
セイナの顔がくしゃくしゃに歪む。
「私じゃなくたっていい! リュークくんには未来があるじゃない!」
「お前にだってある!」
「ないよ!」
「ある! あると信じろ! お前が信じなきゃ、奇跡は起きない!」
「き、せき……」
セイナの瞳が揺れた。
「奇跡なんて起きない……私は一度死んだのっ! 死んだんだよ。こんな言葉言わせないで。言うのだってすごく辛いの!」
パトロール隊の全員が、声を次々と張り上げる。
「にゃーだって、死んだにゃん! でもここにいるにゃん!」
「トラちゃん……」
「あなたはもう隊員の一人でしょう! 投げだそうなんてそうはいかないわよ!」
「え……、えっと、オリヴィアさん? ま、まさか……」
「皆、知ってる。セイナのこと。だって、一人だけ寮に戻らずに思わせぶりに旧校舎に残ってたし」
「うぎゅぅ。ベル子ちゃんは、こんな時にも辛辣だなぁ」
「昨日の夜、寮に戻る途中でリュークさんとニコラさんに聞いたんです。セイナちゃんのこと」
「そっか……」
えへへとまた、セイナが悲しそうに笑った。
「昨日まで黙っててくれたんだね。ありがとう。私からはどうしても言えなかった。皆の笑顔を曇らせると思って。今の今まで言えなかった。すごくすごく楽しかったよ。もう十分ってほど、思い出をもらった。幸せな最後の記憶と一緒に、空に還れる」
セイナが空を見る。
光に満ちた空を。
「本当にもう……思い残すことなんてないんだよ」
柵越しに、透けているセイナの手ををガシリと掴んだ。
「俺と、俺たちともう思い出をつくりたくないのかよ!!!」
「もう! 最後くらい綺麗にお別れさせて! リュークくんの分からず屋!」
光の塔から声が聞こえた。
『皆に伝えなければならないことがある』
ニコラだ。
いつもとは違う、重みのある声。今は、ラビッツと二人で光の塔の上に立っている。
『旧校舎の屋上にいる――皆がよく知る、セイナ。彼女は特別な存在だ。生きている人間じゃない。噂として誰もが聞いたことあるだろう、旧校舎のゴーストであり思念体。かつて事故により亡くなり、まさに今日、この世界から光と共に還ってしまうはずの存在だ』
周囲が凍りついたように静まりかえる。
『彼女もそれを自覚しているからこそ、立ち去ろうとしている。皆と楽しく遊びたかった。そんな願いを叶えて天に昇ろうとしている』
ニコラとラビッツが、真っ直ぐにこちらを向いた。
『でも俺は! セイナに帰ってきてほしい! 思念体としてじゃない、人間として帰ってきてほしいんだ!』
『皆も呼びかけてほしい。セイナが心からそれを望んでくれるように』
二人の声が、はっきりと聞こえる。
この儀式のために拡声のための魔道具が使われている。が、それだけではない気がする。頭に響くようなその声に、大きな何かの力を感じる。
『この光を見て。小さな願いも、今日はこんなにも美しく光り輝いている。皆の願いを一つにすれば、きっと叶う』
ニコラとラビッツが杖に飛び乗った。こちらへ飛んでくる。一緒に塔を囲んでいた生徒たちもこちらへ走ってきた。
ラビッツが声を張り上げる。
『セイナ! 過去にとらわれるわけじゃない! 縛られるわけじゃない! きっと人として戻ってこれる! 私とニコラがここにいる! だからあなただって、きっと……!』
その声に呼応して、たくさんの生徒たちが次々と声をあげる。
「セイナー! 勝手にどっかに行くなー! また台車リレーやるんだろー!」
「一緒にまたお菓子も作るんでしょー!」
「リュークくんに、ピリ辛のワッフルを焼くんだって話をしてたじゃないー!」
「さよならも言わずに立ち去ろうとするなんて、薄情だぞー!」
思い思いに叫ぶ生徒たち。
「な、なにこれ……、還ろうとしてる私が、悪者みたいじゃない……」
ニコラが空中で、杖の上に立って大声で叫んだ。
『今日は特別サービスだ! 今日の夢結びの儀は、どんな願いだって叶うんだ! 俺が言うんだから間違いない!』
セイナが自分の透けた体を見ながら「でも……でも……」と動揺している。
屋上の扉が開いた。
「セイナ」
顧問と学園長と――、それから国王陛下!?
「親父ぃぃ!? 間違えたっ、父上!?!?」
ニコラ、どうしてお前はこういう時にそうなんだ。杖から落っこちそうになって、慌ててバランスをとっている。
「先生……」
顧問の体も透けている。
「帰ってこい。また、人間として」
「そんなの……」
「信じろ」
「信じて……いいのかな」
「皆、信じている。信じていないのは、お前だけだ」
「そっ……か」
国王陛下が、ゆっくりとセイナに近づいた。
「バルトくん、来てくれたんだね」
「久しぶりだな」
「うん。すっかり国王様になったんだね。風格があるね、びっくりしたよ。私は……変わらないでしょ」
「ああ、あまりにも変わらない」
「……うん」
「今度こそ、変わるために戻ってこい」
「うん……そうだね」
俺たちには知らない、たくさんの思い出が二人にもあるのだろう。
「ありがとう」
セイナが俺へと向き合った。
「私、信じてみるね」
「……ああ」
「皆が大丈夫って言うなら、大丈夫だよね」
「ああ。必ず戻ってこれる」
やっとだ。
やっと……未来を見つめる顔になった。
柵越しに手を握りあう。
「また、皆と過ごせるよね」
「もちろんだ」
「あのパトロール隊の部屋で、また皆とたくさんお話して」
「そうだな」
「先生に言えないような困り事を誰かが持ち込んだりして」
「ああ。これからもたくさん来るぞ」
「今度こそ私、ボトルフェスにも参加できるよね」
「当然だ。偶然、お互いのボトルを選ぶのかもな」
「楽しみだよ」
わずかにあった手の感触が消えていく。少しずつ少しずつ……存在が薄れていく。
「また、会いに行くから」
「ああ。ずっと待っている」
消えていく。
入学式の日、旧校舎の上で学園を眺めていた女の子。俺にしか見えなくて、だからやけに気になって……。皆にも見えるようになったと思ったら、存在ごとなくなってしまう。
「戻ってこい」
「うん」
「必ずだ」
「うん」
キラキラと世界に溶けていく。
「今だけ、サヨナラ」
まるで最初からいなかったように、そこから存在が消えた。俺の手は、空を掴むようにさまよった。
「セイ……ナ」
静寂が訪れる。
消えてしまったその場所から、光すらも消える。
「セイナアアアアアァァァァァァッッッ!!!!!!」
気づけば、俺は叫んでいた。
天に届きそうな声で。
力なく、その場に膝から落ちる。
光が昇っていく。
――いつかまた、君と会いたい。
ここにいる全員の想いが波のように空へと昇っていく。天へと還っていく。
彼女の温もり。
高くて元気な声。
跳ね回る姿。
それはもう、どこにもない。
ただ縋るように、その光を見上げていた。




