44.前日
「悪いな、こんなところまで」
夢結びの儀の前日、リュークに呼び出された。湖のほとりには、俺とラビッツ、そしてリュークの三人だけだ。
冬の冷たく澄み切った空気が頬を撫で、ぶるりと震える。
「リューク……」
「二人には申し訳ないと思ってるんだ」
「え?」
リュークは普段、どれだけ苦しくてもそれを見せない。けれど、最近は心ここにあらずの状態が続いていた。
「わざと盛り上げてくれていると分かってた」
「…………」
「俺たちの前で二人がイチャつかなくなったことも分かってた。気遣ってくれてたよな」
「イ、イチャついて、は……」
「リュークはどうするつもりなんだ」
あの、アナザーストーリーの光景が脳裏に浮かぶ。
リュークとルリアンが結ばれ、セイナを妹のように可愛がり、絆を深める。夢結びの儀のあとにセイナが天に還り――それから何年も経ち、セイナにそっくりな子どもが生まれる。三人で手を繋いで歩く光景だ。
もう、その未来への道は閉ざされた。
「当たり前の毎日が怖いんだ」
「え……」
まさか、リュークが弱音を吐くなんて。
「あいつを皆が、最初からいたものだと思っている」
「ああ」
「それも、もうすぐ消える」
「……そうだな」
「同じものを見て笑ったり驚いたり。そんな当たり前が、なくなるんだ」
「…………」
「ずっと一緒にいたよ。皆に見えない時だって、あいつは台車に乗って笑ったり、団子を見て食べたいと騒いでいた」
「…………っ」
いたのか。
ずっと、いたのか。
アナザーストーリーは秋から始まっていたから……俺はゲームの記憶によって、目が曇っていたんだな。
俺は、大馬鹿者だ。
リュークがここまで弱さを見せるのは、俺とラビッツの前だけなのだろう。胸が痛い。彼女の存在が消える可能性を思うと、何も言えない。
「セイナをこの世に繋ぎ止めておくことはできないのか、ニコラ」
ここまで……追い詰められていたのか。バッサリとあの踊るくま人形を浄化したリュークが、そんな言葉を吐くくらいに。
「伝統行事である夢結びの儀をやめることは……できない」
「ああ」
「でもあれは、ただ願いが光となって見えるだけなんだ。世界中でもこの月になるとあちこちで光が空を舞う。夢結びの儀は、小さな願いまで光に変えて空へと届けるだけで――、」
「セイナはどうなるんだ」
言いたくない……。
言いたくないんだよ。
「本人が望んでいなければ空には還れない。今までのように。本人が望むなら……」
「……っ」
「本人次第なんだ」
リュークの顔が歪む。
「あいつは……天に還らなくてはと。そう、思っている」
どうしたらいいんだ。
俺は、どうしたら……。
言葉を失った俺たちの間に、冷たい風が吹き抜ける。枝を落とした冬の木々が揺れ、乾いた冬の空気からは、春の気配をまるで感じない。
「ねぇ」
ラビッツが、なぜか希望を思わせるような透明感のある声を発した。
「あの日の約束、覚えてる?」
さっきまで張り詰めていた空気が、突然ほぐれた。
「あの、日……」
「幼い頃に約束したわよね。ニコラが夢結びの儀の話をした時に」
そうだ。
願いが見えるだけなんて、つまらない。俺は皆の願いを叶える夢結びの儀をするんだって、二人に宣言したんだ。
「あの時か。俺はニコラに『猫になりたい奴が猫になったら大変だぞ。世の中しっちゃかめっちゃかだ』なんて突っ込んだんだよな」
「そう。それで俺は少し悩んで、仕方ないから俺たちの願いだけ叶えようと方針転換した」
「ええ。そして私が、三人とも同じ願いを天に託すなら、きっと叶うわと言ったのよ」
――あの時に、約束した。
俺が初めて夢結びの儀を行う時。
三人で同じ願いを天に託そうと。
転生前なのに懐かしい。
『未来の俺たちは、どんな願いを持っているんだろうな』
『いいこと考えた! 明日は皆、誰にも怒られませんようにとかどうだ?』
『ニコラ、そんなに毎日怒られてるの?』
『まぁな!』
『もっと、大きな願いにしようぜ……』
『一ヶ月間、誰にも怒られませんようにとかか?』
『はぁ……。まったく、ニコラはニコラだな。世界平和とかでいいじゃないか』
『私もそれに賛成ね』
『今だって平和だろう!』
『じゃ、未来永劫の世界平和』
『もっと切実な願いがいい……。達成感があるやつ』
それは幼い頃の小さな約束で。アナザーストーリーに繋がる大切な思い出で。俺が泣きながら見つめた画面の中の回想でもあって。
『ははっ。じゃ、この中の誰かの切実な願いを叶えてくれよ、ニコラ』
『そうね。頼んだわよ、ニコラ』
『おう! どうしても叶えたい願いがあれば任せとけ! 三人で祈れば泥船じゃなくなるさ』
今は、違う未来へと向かうための――。
「ニコラ。私たちは一度、人生の終わりを迎えたわ」
「あ、ああ」
「それなのに、ここにいる」
「そう……だな」
「きっとセイナも、もう一度戻って来れるわよ。もっともっと幸せな形で」
俺だってそう信じたい。
「でも、俺たちは転生だ」
「トラは?」
「トラ……」
「突然、現れたじゃない?」
「……分からない。その前にいた茶トラ猫に会っていない。本物の猫に転生したのかもしれない」
「でも、しっぽが二本になったわよ」
「しっぽ……」
「無から有が生まれているじゃない」
確かに……そうかもしれない。無から有が生まれる可能性は、ゼロじゃないのか。
「ニコラ、その時が来たらはっちゃけるんでしょ? 今がその時なんじゃない?」
はっちゃけていたつもりだった。セイナちゃんおめでとうの催しなんかやって、そのつもりでいた。
そうか、今か。
今だったのか。
俺が暗い顔をしていたら、何も始まらない。
「そうだよ、リューク。俺たち三人だけじゃない」
待つだけじゃ、奇跡は起きない。
奇跡は自ら起こすんだ。
「皆で願えば、きっと叶う」
あの神ゲームの世界の結末が、悲恋だなんてあってはならない。あるわけがないんだ。ゲームの世界なんてものが実際にここに存在している。それならきっと――彼女だって、また現れる。
リュークがグシッと目を拭い、空を見上げた。
どこまでも青い空。
あの約束をした日のように、雲一つない――。
「そうだな」
声の調子が、さっきとは違う。
「次の春になったら転校生が来るんだったよ。名前はセイナ・ラミエル。どこから来たのかも分からない謎の転校生だ」
久しぶりに、リュークの心からの笑顔を見た気がした。
ふわりと三つ、光の球がどこからか現れ、空へと昇っていった。




