22.ダンスの練習
そうして五月になり、交流立食会の日が目前となった。少しずつ生徒同士の関わりが生まれる中で、これを機会にもっと仲よくなっちゃおうよという学園の計らいだろう。
この世界にゴールデンウィークはないものの、学園では前後含めて三日間お休みとなる。交流会も自由参加だ。入学前にも案内があったので、既によそ行きの服を持ってきている生徒は多い。更衣室も用意され、一人では着られない服もあるだろうと職員も何人か常駐してくれる。
早朝に自分のメイドを寮に呼び寄せてもよく、ラビッツはそうすることだろう。俺も侍従が朝からやってくる。貴族も多く通うことから許可証持参で使用人が来ることも多いものの、決まった時間外はこういった特別な行事の時に限られる。
そして、今日は交流会前日。
ラビッツと二人きりで旧校舎のいつもとは違う部屋にいる。アーチを描いた曇りガラスによって外から中は見えない。この校舎が使用されていた時に、高貴な身分の客を招く場所だったのかもしれないし、特別な授業用だったのかもしれない。
――この場所を聞いた時の顧問との会話を思い出す。
『こもーん! 内緒の話がしたいんだけど、こもーん!』
旧校舎三階の適当な教室に入って呼んだ。当たり前のようにガチャリと扉が開けられる。
『お前なぁ……』
『ラビッツとしたいことがあるんだけど、いい部屋ある?』
教えてもらったあとに、この世界のことも軽く聞いた。
『顧問は俺のこと、どこまで知ってるんだ?』
『それは、こっちの台詞だ』
『顧問の事情も前の世界と変わらないのか? 結果も過程も?』
カマをかけた。
人ではない、顧問。
全てを把握してるんじゃないかって。
『……ふむ。お前たちは俺とよく似た存在になった』
『…………』
『お前たち二人と一匹からは……いや、なんでもない。楽しめ、若人よ。楽しんだ先でしか見えない景色がある。はっはっは。俺から言えるのはそれだけだ。健闘を祈る!』
この世界のネタバレをする気はないらしく、すぐに立ち去った。ゲームと同じではないことと、顧問がそれを把握しているだろうことも確信した。
――今は、ラビッツと二人きり。
曇りガラスから外光がやさしく射し込んでいる。制服のジャケットを脱いでワンピース姿になったラビッツは、専用の靴を履いて背筋を伸ばし凛と立っていて――、この空間を静謐な聖域のように感じさせる。
俺も、制服のジャケットを脱いでシャツだけだ。
「実はさ……俺、初めてなんだ」
わざと茶化したように言う。いつもよりもラビッツが大人びているように感じて、軽々しく話していい相手だよなと確認したかったのかもしれない。
「奇遇ね、私もよ」
いつもよりも柔らかに笑う彼女に、なぜか自信がなくなる。
「ラビッツ、入学前は受験勉強を理由に、俺と会うのを断っていたからなー」
「怖かったのもあるわね。会わないことを受け入れてもらえると確信していたし。ゲームがそうだったから」
そう。ゲームでそうだったから、俺は疑問にも思わなかった。
「俺が怖かった?」
「ゲームとは違う展開にするのが怖かったの。私のせいでシナリオが壊れてしまうかもって」
「俺もだな。入学の半年前に転生して、これ幸いにと定期的な茶会の断りを受け入れた。俺もラビッツと会うのは少し怖かったんだ」
転生して、以前のニコラから変わってしまったせいで、周囲の皆も会わずに済むならよかったよかったと安心していた。半年後までに、公と私を使い分けられるよう再教育だ、と。
「……ラビッツ推しなのに?」
「今は少し後悔してる。もっと話したかった。あの時にしか話せないことだって、あったはずなんだ」
「……そうかもしれないわね」
時間が止まっているようだ。いつも通りを装って話しているのに、心臓の音がうるさい。
蓄音機のような形の魔導具に手を触れる。銀色の器具がほのかに輝き、空気に波紋のような魔力が広がった。
ゆっくりと流れ出す三拍子の旋律――、気品あふれるワルツだ。
「踊っていただけますか、お嬢様」
「……少し手が震えてる」
「指摘するなよ、かっこ悪いだろう?」
差し出した手に、今日は手を重ねてくれる。
「いいえ、安心するわ」
「ならいっか」
「……私だって怖いのよ」
ダンスを習った記憶はある。
ラビッツと踊った記憶もあるし、体が覚えてはいる。一人でステップを刻むこともできるのは確認した。
でも……実際に俺が転生して踊るのは初めてだ。王族や貴族として互いに嗜みはするものの、機会は昔と違って多くない。立食会でファーストダンスを踊ることになってしまい、ちゃんと踊れるか心配だからとラビッツに前日練習をお願いした。ラビッツも不安だったらしく、すぐに了承してくれた。
ゲームではそんなイベントはなかった。ただの立食会が催されるだけだった。ここでは、学園へのご意見箱に「ファーストダンスをあの二人に頼んではどうか」という内容の用紙が入っていたらしい。学園長からどうだろうかと打診を受けた。ゲームよりも、生徒への俺たちの存在感が増しているのかもしれない。
お互いにリズムを確認して、足を踏み出す。
――最初の一歩は、ぎこちない。
次第に何かを思い出すように旋律に身を委ね、円を描くようにステップを自然に刻む。
……久しぶりにプールで泳ぐ時と似ているかもしれない。
ラビッツと距離は近いけれど、意識すれば足がもつれてしまいそうだ。経験したはずのない記憶をなぞり足を運ぶ。
「……どうにか踊れそうだな」
「そうね、安心したわ」
至近距離の声に、気にしないようにしていたはずなのにドキリとしてしまう。
微かな甘い彼女の匂いとワンピースの揺れが、俺の意識を揺さぶる。細くて柔らかい指が重なっている、ただそれだけで鼓動が跳ねる。
「これくらいにしておくか」
曲が終わったと同時に手を離す。
「……ずいぶん早いわね」
せっかくの機会。
もっと触れていたいけど……。
「おかしな衝動に身を任せたくなるからな」
「……具体的に言うと?」
「なんかしたい。キスしていい?」
「ダメ」
「いいじゃんかー、ちゅーさせてくれよー」
「あんたってほんっと……」
――パシーン!
わざわざ抜いだジャケットから扇子を取り出して、はたかれた。
「具体的に聞いたの、ラビッツじゃんか!」
はたかれるのを分かってて、ラビッツが戻ってくるのを待っている俺も俺だけど。
「もうちょっと、ムードづくりくらいしなさいよ」
「えー、いいムードになったらキスしてくれんの?」
「……可能性はゼロではないわね」
「え!!!」
胸がさっきとは比べ物にならないほどにドクドクと高鳴る。
「でも、今はゼロ点よ。二人きりでダンスをしているのに、どうしてそうなるのよ。じゃ、もう踊れることは確認したし行きましょうか」
「ま、待ってくれ! チャンスを! 今から頑張るからチャンスを!」
「今から挽回できるとは思えないけど」
「えー!」
待て待て。
前世より冴えている頭で考えよう。ムード次第でキスできるということは……! ムード次第でキスできるんだな!?
「ムードってなんだ!?」
「もう音楽、消しとくわねー」
「王子らしくすればいいのか!? 俺は王子は俺は王子俺は王子……よし!」
「よし、じゃないわよ。しないってば」
「えー」
ジャケットを羽織り呆れ顔のラビッツとは、これ以上の進展はなさそうだ。諦めて、俺も制服の上着を羽織った。
「ごめんね、ニコラ」
「へ?」
突然ラビッツが近寄ってきて、俺の頭をなでた。
「まだその……、恥ずかしいことは無理なのっ」
赤い顔で俺を睨みながらそう言って、パタパタと小走りに立ち去る背中を見ながら、つい口元に手を当ててしまう。
「うっ……わ」
――さっきのラビッツよりも、きっと俺の顔は赤い。




