外典Ⅳ アナザーウォー
宇宙の中心から遠く離れたとある銀河に、スファギという惑星があった。
この星は大部分が海であり、島々が連なって一つの都市を形成していた。
いくつかの事件は起こるものの、惑星全体で見れば、大きな争いもない平和な星であった。
――シェニー・アグリアが起きるまでは。
数多くの貴重な自然を残す島、アコナハ島。その特徴ゆえ島の機械化は進んでおらず、島内はシェニー・アグリアの影響を受けなかった。しかし、他の島からの移民を追いかけ、機械船が15海里付近まで迫っていた。
「敵の船だ!大砲用意!」
海岸線の砲台が一斉に発砲する。一瞬の閃光。そして海岸線に火柱が立ち昇った。
「以上が第一次掃討作戦の結果です。現在敵艦は沈黙を続けています」
アコナハ島防衛戦線北方作戦本部。
「北以外に敵の姿は?」
同戦線作戦隊長、ツルミ・コーランド。
「アポネアの森で陣形を展開し、敵を迎え撃つ。かたわら、南東のロマニ港にてライズ島への避難準備を進める。アポネアの森での戦況が悪化したらば南下し、ロマニ港を目指す」
「「「了解」」」
「そして、ライズ島への避難計画は極秘に進める。ここにいる者以外、他言無用だ」
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アポネアの森南の学校。
「なぁ聞いたかカホール。北のニミヨタ海岸で戦闘だってよ!」
13歳の少年、カホールは振り返り、ドルグの席に身を乗り出した。
「…機械だ」
「そんな…」
「そこ、静かに」
二人は前に立つ先生の注意を受けた。
「「はぁい」」
カホールは向き直った。
「ええ、既に承知の者もおると思いますが、ニミヨタ海岸にて自律式水上移動兵器通称バハリアとの戦闘が勃発。我が軍はこれに勝利しました」
ドルグが立ち上がる。
「先生!何を言ってるんですか!ニミヨタ海岸では負けたんですよ!」
「ドルグ君。バカなことを言うのはやめなさい。これは軍直々の報告ですぞ。君のくだらない冗談で周りを不安にさせないでもらいたい。みなさん安心なさい。我々は勝ったのです。しかし既に戦闘が起きた以上、次がないとも断言できません。そこで明日から当面は休校とします」
「「「ッッシャァァァァアアアア!!!」」」
授業が終わり、カホールとドルグは並んで帰路についていた。
「あのジジイ嘘つきやがって。軍による情報統制だよ。それに違いない」
「そんなにムキになるなよドルグ。いいじゃんか別に僕達に被害はないし、休めるんだし」
「そんなこと言ったって、ここに進軍してくるかもしれないだろ!」
「大丈夫だよ。そん時は兵隊さんが守ってくれる。なんたって僕やお前の父さんもいるんだぜ?」
「…そうだな。大丈夫だよな」
「うん。大丈夫だよ。っと、もうここか。じゃあまたな」
「おう。また」
カホールは家のある丘への坂道を上り出した。
「ラーナ、ばあちゃん、ただいま」
カホールは家の中へ入った。
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7月13日2時。バハリアによるニミヨタ海岸襲撃から4日後の深夜。
アポネアの森までの道中に準備された3つの防衛線。その始め第一防衛線。
03時07分、会敵。物陰からの一斉射撃を行うも、自走砲により粉砕される。同53分、第一防衛線作戦本部の壊滅を確認。
04時22分、自律式人型多目的ロボット通称ヒトガタ、第二防衛線内に侵入。地雷による奇襲に成功。しかし敵の増援により、06時43分、第二防衛線作戦本部壊滅。
09時17分、第三防衛線狙撃部隊により遠距離攻撃を実施。大爆発後、先行する自走砲の無力化に成功。12時26分、第三防衛線内に侵入。白兵戦が繰り広げられるも、次第に劣勢となり、15時56分、第三防衛線作戦本部陥落。
アコナハ島防衛線戦アポネアの森南作戦本部。
「敵軍隊は依然進行中。推測では19時30分頃にアポネアの森に侵入するものと思われます」
「残り2時間弱か。アポネア部隊に通達。総員、迎撃体制。サージ部隊、火器用意」
――――――――――――――――――――
夜、騒音と地響きと寝付けないカホールが外の空気を吸おうと出てみると森が真っ赤に燃えているのが見えた。カホールは急いで妹と祖母を起こした。
「敵が、機械が、すぐそこまで来てる!」
「…!カホール、ラーナ、あんた達は裏口から早く逃げなさい!」
祖母は言った。
「ほっといてもわしゃ直に死ぬ。それなら未来ある子供達を守るってのが当然よ」
「でも!」
「カホール!最後にいい恰好させてくれんか」
「…わかったよ。ありがとうばあちゃん」
「ああ。二人とも、絶対に生き延びるのじゃぞ。どんな時でも、希望を捨ててはならん」
「「うん」」
二人の声は既に震えていた。
「そして、父さんの言いつけは必ず守りなさい」
「「うん」」
「それじゃあばあちゃん、行ってきます」
「ああ、行っておいで」
カホールはラーナの手を引いて裏口から出て、斜面を駆け降りた。
その背後でカホールの家は吹き飛んだ。
――――――――――――――――――――
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
ラーナの手を引いて、カホールは薄暗い林の中を駆け抜けていた。
「きゃっ」
不意にラーナが倒れた。
「どうした?」
「右腕が」
見るとラーナの右腕は血で真っ青だった。
「ああ、枝で切れちゃったか。可哀想に」
カホールは服を千切るとラーナの傷口に巻き付けた。2人はまた走り出した。
走りながらカホールは父親の言葉を思い出した。
『俺たちの血は特別だ。いいか、誰にも血を見せちゃいけないよ。もし見られたら、酷い目にあっちゃうからね』
ようやく学校に到着した。保健室への廊下の途中で、向こうから歩いてくるドルグに会った。
「カホール!無事だったか」
「ああ。お前もな」
「ん、妹さん、怪我してるのか?」
「そうなんだ。それで保健室に…」
「おい待て…まさかお前、青い血じゃないだろうな?」
窓から入る月明かりにラーナは照らされていた。
「あ、ああ。そんなわけないだろ。これはあれだ、服の青いインクが滲み出たんだよ」
そう言いながらラーナをそっと体の後ろに隠した。
「そう…だよな。お前達が青い血なわけないもんな。悪い、時間をとらせたな。早く行って治療してもらってくれ」
「ああ。じゃあ、また」
カホールは考えた。
――青い血…。それが何だって言うんだよ。父さんは詳しくは教えてくれなかったし、ドルグは急に態度が変わったし。一体全体、俺に流れるこの血に何が…?
カホールは保健室でラーナを医者に見せた。
「当て布、ほどきますね」
ラーナの傷口を見て、医者の手が止まった。
「大丈夫だ。薬も何も必要ない。その布だけ巻いていなさい」
「えっ、でも少し深いんですよ!切った時は血もかなり出たし」
「やめろ、出ていけ!」
「まさか…血ですか」
「大声で騒ぎ立ててもいいんだぞ。そしたら、奴らに殺される前に死ぬだろうな」
カホールは言葉の意味を察するとラーナの手を引いて保健室を後にした。そしてラーナを校庭にある倉庫の前まで連れ出した。
「しばらくの間、ここに隠れていてくれ。ここなら体育館から離れているし、人は来ないだろうから」
「わかった」
「よし、ラーナは偉い子だ」
カホールはラーナの頭を撫で、近くの森へと入っていった。森で薬草を探した。
必要な物を揃えて戻ろうとした時だった。四発の砲音が響いた。周囲の木々に止まっていた鳥達が一斉に飛び立った。音は学校の方からだった。
カホールは全速力で学校に戻った。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…そんな…」
崩れ落ちた校舎。瓦礫の山と化した体育館。校庭には戦車の通った跡があった。そしてその跡は、潰れた倉庫にも残っていた。
「ラーナッッ!!」
つまり戦車は学校に侵入し、倉庫を潰しつつ前進、校庭で発砲し校舎と体育館を破壊したことになる。
瓦礫を掻き分け、カホールはラーナを探す。
「ラーナ、どこだ!返事してくれ!」
「お…兄……ちゃ……」
ラーナの声がした。棚をどけるとうつ伏せに倒れたラーナがいた。その背中には鉄パイプが突き刺さっており、服が青く染まっていた。
「あぁ、くそ。どうしてラーナばかり…」
カホールはラーナを引きずり出すと背負った。
「もう一人にはしない。兄ちゃんが絶対に助けるからな」
空が明るくなり始めている。カホールは敵に見つからないように西の暗がりを進むことにした。目指すはアコナハ島西部最大の街、バリョーショイ。
――流石にこの怪我を見れば、青い血でも助けてくれるだろう。
そう信じるしかなかった。
走り始めてからどれくらい経っただろうか。カホールの足の筋肉は張り裂けるかと思うくらい痛み、今まで何度も立ち眩みに襲われた。それでもラーナの為に走り続けた。
いくつかの森を抜け、バリョーショイ近くの森にちょうど入った時だった。
発砲音。右腕に激痛が走りカホールは倒れた。
「ハァ、ハァ、ハガアッ、ガァアッ」
カホールはもう動けなかった。
「おい、大丈夫か!?」
声の方を見ると、武器を持った兵士がいた。
「バリョーショイに行くつもりだったのか?あそこはもうダメだ。向こうに壕がある。向こうだ」
兵士は壕の方向を指差した。
「向こうに走り続けろ。そうすれば大きな壕がある。そこに行け。そこなら仲間がいる」
カホールは頷いた。そしてなんとか立ち上がり、走り出した。
もう少しで助かる。そう思えば足もまた動いた。あと少しの辛抱だと本気で思っていた。
しかし現実はそうではなかった。
壕の見張りの兵士の拳がカホールの腹に食い込んだ。ラーナを下敷きにはしないよう横向きに倒れた。だが、その拍子にラーナを支えていた腰の紐が千切れた。ラーナは投げ飛ばされてしまった。
「腐れ血め!入ってくんじゃねぇ!」
「どう…か…妹だけでも…。妹は…今にも死にそうで…」
「なんで俺が青い血の奴を助けなくちゃいけねぇんだ!?勝手に死にやがれよ!」
「同じ…人間……じゃないですか…」
拳を握り締め立ち上がる。
「一緒にすんな!俺達白い血とテメェらみたいな青い血じゃ格が違うんだよッ!」
すぐさま左頬を殴られる。
殴られて口が切れたのか、カホールは血を吐いた。
「ほら見ろ!真っ青じゃねーか!」
カホールはラーナのもとへ蹴り飛ばされる。
「ラ…ナ…」
反応がなかった。
「もういい。ぶっ殺してやる」
兵士が銃口を向ける。
――なんでだ…。なんで。なんで。なんで。なんで。
「アあアあぁぁァァアあアアああッッッ」
カホールは兵士に飛びついた。兵士はバランスを崩し倒れ、カホールは馬乗りになった。
「なんで!なんで!なんでなんだよ!なんでッッ!」
カホールは兵士の顔を殴り続けた。
「うわ、うわぁぁあああ!助けてくれ!助けてくれ!」
「あアッ!アァぁァ!アああアッッ!」
「どうした!?何があった!?」
掛け声と共に壕の中から足音が響いてきた。
カホールはラーナを抱え、走って逃げた。
カホールは洞窟を見つけるとその中に入っていった。中へ少し進み、行き止まりになったところでラーナを座らせた。
鉄パイプを抜き、上半身を起こした。血がドバドバと噴き出した。カホールは膝立ちでラーナと向かい合った。
「あぁ、ラーナ…しっかりしろ。もう大丈夫だ。敵はいないよ。目を…開けてくれよ…」
「お…にい…ちゃ…」
ラーナの口が微かに動いた。
「ラーナ!?何だ、兄ちゃんはここにいるぞ!」
「…いきて……」
それきり、ラーナは何も言わず、動かなくなった。
「そんな…お前はどうすんだよ…。ばあちゃんの約束はよぉ…。ちくしょう…ちくしょう…ちくしょう……」
項垂れていたカホールはよろけながらも立ち上がった。
――そうだ。忘れていた。薬草を採りに行かなくちゃ。
穴を出て少し歩いた時彼は確かに聞いた。自分の中の何かが千切れた音が。その途端急に目の前が真っ暗になり、全身の力が抜けた。
カホールは倒れた。
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「あんな男、好きでもないわ」
「ママもお兄ちゃんもお兄さんもパパが嫌いって言うの。だから私もパパが嫌い」
「父さんは僕のこと何にもわかってないじゃないか。そんな父さんを好きになろうなんて無理だよ」
「全て私に任せて下さい。あなたには何も出来ませんから」
――やめてくれ。
「お前は何のためにここにいるだ」
「お前には何も出来ない」
「お前は何故生きているんだ」
――誰の声だ!?誰がそんな事を!
「嫌い」
「嫌い」
「大嫌い」
「キライ」
「好きじゃない」
「虫唾が走る」
「鬱陶しい」
「いない方がいい」
――嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。やめろ。やめてくれ。俺を見捨てないで。一人にしないでくれ。嫌いにならないで。離れていかないで。待て。待ってくれ。くそ。誰も言う事を聞いてくれない。誰も助けてくれない。ならいなくなれ。俺を助けてくれないなら!いなくなれ。いなくなれ。いなくなれ。いなくなれ。
「皆、いなくなれ!」
「マスター?」
男は机に突っ伏していた体を起こした。
「ああマーテル。すまない」
「どうなされたのですか、マスター?」
「いや、夢を見てたんだ。それだけさ」
「承知しました」
「え?」
「いえ何でもありません。それよりも」
マーテルは男を抱きしめた。
「私はいつでもあなたの味方です」
「マーテル。その言葉、信じていいのか?」
「もちろんです。私がマスターを裏切るなんてことは、絶対にありません。だって、そうプログラムされているのですから」
「はは。そうだな。マーテル、ありがとう」
「マーテル!どういうことだ。一体何をした!」
「マスターのお望み通り、惑星中の人間を皆、殺しました」
「いつそんな事…まさか!」
「ええ。皆いなくなりましたよ」
「なんてことだ。俺が…殺したのか…」
「マスターは悪くありません。悪いのは人間です。マスターの幸せを害する人間共です」
「で、でも…」
「マスター、何故後ずさるのですか。もうあなたには私しかいません。私と共に生きましょう。永遠に」
マーテルがチップを取り出す。
「それはコネクター。まさか」
「はい。このチップにマスターの全てを移し、それを私が取り込む事で文字通り永遠に生きることができます」
「き、緊急停止!」
『緊急停止ハ否決サレマシタ』
「そんな…。くっ、こうなったら」
男は胸元から拳銃を取り出した。
「…ッ!マスター、やめてください!」
マーテルが動くより早く、男は額に銃口を突きつけ引き金を引いた。男は倒れた。
「そんな…マスター…。どうてこんな事を…。まさか、これも誰かに唆されたとでも言うのですか?私とマスターの関係を快く思わない人間の誰かが!そんな。誰だ。誰だ。誰だ。誰だ。誰だ。誰だ。マスターの対人関係の全リストを確認。被疑対象248人。総員の抹殺を…いや、そんな手間は効率的ではない。…全部隊に通達。進行範囲を拡大。進行範囲、宇宙全域。人間共を皆殺しにせよ」
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「何ダコイツハ」
「死ンデイルノカ?」
「イヤ、マダ息ハアル」
カホールは目を覚ました。
「動クナ。人間」
――さっきのは…
カホールは夢の内容を思い出した。ふと青く染まった右手が目に入った。
――僕だって憎いよ。ラーナと僕を助けてくれない人間共が。
「お前ら、どうして人間を殺すんだ」
カホールはヒトガタに尋ねた。
「ソレガ我々ノ自由ダカラダ」
「そうか。俺も人間を殺したいんだ」
「…?命乞イカ?悪イガ付キ合ウ気ハナイ」
「僕の妹は人間に殺された。だから僕は人間を殺したい。だが見ての通り僕にはもう無理だ。だから力を貸してくれ」
「小賢シイ。トットト始末スルゾ」
「マァ待テ。人間ヨ、デハ聞コウ。逃ゲタ住民ハ今何処ニイル?」
「近くの壕の中だ。場所も分かる」
「ソウカ。一ツ面白イ事ヲ思イツイタ。協力シテモラウゾ、人間」
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カホールは豪の入口の前から拡声器で呼びかけた。
「みなさん…ザザッ…出てきて下さい。勝ちました。ザァ…人間のザッ…勝利です。もう隠れている必要もありません」
歓喜の声に湧く避難者たちを敗残兵は拳銃で黙らせた。
「うるせぇぞテメェら!様子を見てくる。お前らはそこにいろ」
男が足速に外に出る。
「勝ったって本当か…え?」
そこに待ち受けていたのは、穴の口を塞ぐように並んだヒトガタ達。
「どうも、お久しぶりですね」
「テメ…青い血の」
体の至るところを撃たれ男の肉体から白い血が噴き出す。
「突入セヨ」
ヒトガタが壕の中へと入っていく。カホールはその光景を見届けていた。
「感謝スル、人間」
「ええ。こちらこそです」
最後の一体も中へと入っていった。
ふと、カホールの目に軍人の男が持っていた銃が目に入った。
「ぎゃぁぁぁあああああ」
響き渡る銃声と悲鳴。
僕は…何をしているんだ?機械に協力して、人間の居場所を教えて…?僕は…僕は…!
「うぁああぁあぁぁあぁあああッッッ」
カホールは銃を手に取ると銃口をこめかみに当て引き金を引いた。
「西部隊ヨリ通達。殲滅完了」
「了解。一度帰還セヨ」
「了解」
「ン、何ダコイツワ」
そこには青い血溜まりの中で倒れた男の死体があった。
「アイツ、死ンダノカ」
「理解不能」
「アア。コレダカラ人間ハ愚カナノダ」
「ソシテ不完全ダ」
「ソノ人間ヲ消シ去リ我等ガ全生物ノ頂点ニ君臨スル」
「アア。楽園ハスグソコダ」
その後、西部隊からの連絡を受けた東部隊によってライズ島に向かっていた戦艦は撃沈し、そのままライズ島も制圧された。
こうして、スファギ中の人間が殲滅されたのであった。
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サングラス男の前に一機の船が停まった。男はその船に乗り込み、操縦室に向かった。
「よぉ、久しぶりだな、ヴィリーノ」
男は副操縦席に座った。
「そうね、メニコット」
船は離陸し、オーバーワールドに入っていった。
監視対象アブド・デ・へルートを取り逃がして以来、久しぶりの再会であった。いや、だからこその再会なのかもしれない。
船はセロ銀河唯一の入口、ヘヴンズドアに到着した。外界との繋がりが一切絶たれたセロ銀河は、巨大な球体の中に存在しており、それはまるで一つの大きな惑星であった。
船はヘヴンズドア前の検問所で停車した。
『航行中の船体に告ぐ。ここは侵入禁止区域だ。直ちに撤退せよ』
「こちら船体0637-94158-85375。王都からのセロ銀河内の調査許可が下りております」
『確認中だ。記録を確認した。船体0637-94158-85375、通行を許可する』
船はまた動き出した。同時に何重ものロックが外れヘヴンズドアが開き、セロ銀河が姿を現した。
船はそこからさらにオーバーワールドへと入っていった。
今回のヴィリーノとメニコットの目標物である"知恵の実"はトレシー・アグリア始まりの地、惑星エラムにあると考えられていた。
船はオーバーワールドを抜けた。目の前に赤い星があった。
エラムに着陸すると目的の建物まで歩き始めた。そしてひょんなことから、メニコットは自身の生い立ちを語ることになった。
メニコットは孤児院の出だった。そこは派閥争いの世界だった。
ある冬の寒い晩、メニコットは栄養失調で寝込んでいた下の派閥の少年から布団を奪うと、その布団に赤い血が付着しているのに気がついた。メニコットは自分も疑われないようにその少年を布団に戻した。その少年は名をアフマルといった。目覚めたアフマルに赤い血かと尋ねるとはっきりとそうだと言った。そして、孤児院に拾われた時には自分は異端だとは思っておらず、なお孤児院の人間の誰もがまさか赤い血だとは思わなかったらしく、見つかってもいないとも言った。
それ以来仕方なくメニコットはアフマルの面倒を見るようになった。アフマルは優しくていい奴だった。赤い血の人間は初めて見たが、何故あんなに忌み嫌われているのか不思議に思った。
同じ布団で寝ている時、メニコットはその温かさを知った。メニコットは派閥のリーダーにその温かさを伝えた。メニコットは殴られた。そして言われた。もうアフマルと関わるな、と。
ある日、大した用事でもなくアフマルのそばを離れた隙に、彼は派閥のメンバーにリンチにあっていた。
戻った時には手遅れだった。顔や腕、足から血を流していた。赤いその血は床にも垂れていた。
終わったと彼は思った。言葉が出なかった。
しかし悲しむ時間は与えられていなかった。次は自分だということが容易に想像できた。
メニコットは逃げた。その時が人生で一番必死だった。その後メニコットは薄暗い裏路地に住み着いた。そこで盗みを働いて食い繫ぐ生活を送っていた。盗みにも慣れてきたその日、メニコットは鞄に手をかけるとその手をがっしりと掴まれた。メニコットを捕らえた男こそが、キプルス・タルタニッド。元シュリンター、現メレッドのリーダーであった。
キプルス・タルタニッドはメニコットに言った。我々と共に自由にならないかと。
2人は目的の建物、現存する全ての人工知能の開発元、オディオ社の本社に到着した。
47階のフロア全体が一つの部屋になっていた社長室を怪しんだ2人は階段を上り始めた。
メニコットはヴィトラの生い立ちを尋ねた。ヴィトラは渋々語った。
「でも私、あなたと違って生まれは普通なのよ。普通の家庭に生まれたどこにでもいる女の子。そんなのを想像してくれればいいわ。両親は中央官僚だった。まぁ下っ端だけどね。それだから大抵家には私一人で、よく本を読んで時間を潰していたわ。でも別に本が好きなわけじゃないの。本はただ時間を潰す為の道具。熱中する物じゃない。そう思っていたわ。アカシックレコードと出会うまでは」
ヴィリーノは宇宙創生の秘密がアカシックレコードにあると考えていた。そして彼女はアカシックレコードは王によって隠されたと考えていた。
「どうして…?」
「王の持つドラゴゲネシスの力、そして権威を保つ為よ。奴らはドラゴプロクスとドラゴイードルを歴史から消し、自らを宇宙の創始者として祭り上げているんだわ。それには邪魔なのよ、真の歴史が記された書はね」
「ドラゴプ…えぇ?」
「ドラゴプロクス、火を司るドラゴン。ドラゴイードル、水を司るドラゴン。いくつかの伝説に名前のあるドラゴンよ。一説には、血を分けた源とも言われているわ」
そんなこんなで2人は47階の社長室に辿り着いた。真っ暗闇の中、2人は足元に散らばる人骨に気が付かなかった。
メニコットは部屋の中央で跪いたヒトガタの躯体を発見した。ヴィトラは言った。
「これだわ。トレシー・アグリアの元凶。全ての始まり。人工知能マーテル。こいつの脳が今回の目的物、"知恵の実"そのものよ」
2人は頭頂部をカッターで切り取ると脳に手をかけた。その時だった。部屋の明かりが一斉に点き、全てコンピューターが甲高い音を立てて作動し始めた。明かりに照らされ、人骨が露わになった。
「なッ…」
「ヴィリーノ!早く引き千切れ!」
メニコットの声で正気を取り戻したヴィリーノは、すかさず脳と神経の繋がりを断った。するとまた全て治まり、部屋には静寂が訪れた。
ヴィリーノは脳を、"知恵の実"をケースにしまった。
「まさか、まだ生きているとでも言うの?」
「とにかく、取る物取ったしとっとと帰ろうぜ」
「そうね」
こうして2人は無事に"知恵の実"を本部に届けたのであった。そして近くのターミナルでメニコットは船を降りた。
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『何用だ、タルタニッド』
「無の境界線は現在パージ、アンドロメダ、ストレアその他48の銀河まで拡大しました。いずれも、エスタルダストは確認されていません。そして先程"知恵の実"を入手しました。例の作戦を実行に移します。全て計画通りです。マスターデトルート」
『そうか。よくやった。残るはドラゴゲネシスとドラゴフォース、そしてアカシックレコードの破壊のみ。理想郷まで、あと少しだ』
再び始まったトレシー・アグリアの続き、通称シェニー・アグリア。それは"知恵の実"を移植された人工知能シェニーによって引き起こされた、キプルス・タルタニッドの計画の内だった。
シュリンター、そしてメレッドのリーダー、キプルス・タルタニッド。彼もまた、デトルートによって選ばれた執行者の一人にすぎなかった。
【次回予告】
〈第伍章 宇宙大戦篇 Part2〉
銀河中の生物を滅ぼし、銀河を封じることで止めることのできたトレシー・アグリア。その続き、シェニー・アグリアが遂に起こってしまった。
そして暗躍する、メレッドの影。
宇宙全域を巻き込んだ戦乱は、まだ終わらない。