第肆章 運命超動篇
その日、この宇宙の長たる者たちが集う、13人評議会が臨時で開かれた。
議題はもちろん天の川銀河の消滅についてだった。
宇宙のバランスは銀河間の需要と供給のバランスによって成り立っている。今、銀河の終わりに放出される物質、エスタルダストが出ていないという事は、即ち新たな銀河が生まれなくなるという事である。直ちに修復せねば、宇宙全体のバランスが崩れ、やがてこの宇宙は――。
誰かが呟いた。「闇の復活…」と。天の川銀河、それは130億年の間開くことのなかった結界であった。
メンバーは次々に席を立つ。最後まで部屋に残っていた年老いた王は呟いた。
「済まない…アロン、済まない…」
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暗い図書館の隅で少年は泣いていた。
「どうして泣いているんだい、少年?」
少年はその声で顔を上げる。部屋には一人きりのはずであった。少年の足元で何かが蠢く。
「い、今のは誰?どこにいるの?」
机の向かい側に鎌首をもたげた蛇がいた。蛇は人の言葉を話した。
「いや、君は正常だよ。そんなことより、俺と友達にならないか、少年?」
「ああ。君はいつも一人でここにいるだろう?そしてそれには何か訳があるんだろう?」
「うん…。僕の父上と母上は、いつも完璧な兄上のことばっかりで、ダメダメで気の弱い僕のことなんかどうでもいいんだ。だから…僕は…!」
「そうかそうか。可哀想に。では、俺が君の兄すらも凌駕するような力を授けよう」
少年は目を輝かせながら蛇を見た。
「…いいの?」
「もちろん」
「でも、どうして僕に?」
「君が一人だからだ。二人でいつか家族を見返そうじゃないか」
「そうすれば、皆は僕のことも褒めてくれるよね?」
「当然さ」
「…僕、やるよ」
「よく言った少年」
「でも、どうするの?」
「君にはあるものを探して欲しい。モナク君」
蛇の探し求める物。それこそがアカシックレコードであった。
蛇はそれだけ伝えると姿を消した。蛇との契約、力を求めるモナクのアカシックレコード捜索が始まった。
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――ジリジリジリジリジリジリジリジリ
起床時間を知らせるサイレンが、室内に響く。全てが白色で統一された部屋の中で少年は目を覚ました。
ここは宇宙一の大監獄、セメラムズ監獄。
少年は空虚な生活を繰り返していた。だが、状況は突如として一変する。
ある日、轟音とともに屋根が落ちてきた。煙が充満する部屋の中にロープを伝って一人の女が下りてきた。
「あんた…誰だ?」
少年は尋ねた。
「私はヴィリーノ。ヴィリーノ・デ・クレダント。あなたを救いに来たのよ」
「俺を、救いに?」
「ええ。それとも、あなたはここに居たい?」
「俺は、ここに居なきゃ、いけないんだ」
「あなたはどうしたいの?」
「俺は…分からない」
「自由になりたくはないの?」
「…自由?」
ヴィリーノは言った。
「そうよ。王が平和の代償として民衆から奪ったもの、それが自由。そしてその自由を取り返す為に戦うのが、私達シュリンター」
「自由…」
少年は穴の開いた天井から星空を眺めた。少年は言った。
「…俺、行きたいです。宇宙に。…自由に、なりたい」
その言葉を聞いたヴィリーノは少年をロープの先に促した。その先にはもう一人の仲間がいて、宇宙船が用意されていた。黒いフードにサングラスをかけた男の名はメニコットといった。
3人は宇宙船に乗り込むとセメラムズから脱出した。
少年には名前がなかった。彼を形容するものは何もなかった。識別コードさえも。
ヴィリーノは少年にアブド・デ・へルートという名前を与えた。
メニコットはオーバードライブエンジンを起動させると惑星マディーナに飛んだ。
惑星マディーナにて必要な物資を一通り集め終わるとシュリンター本部から連絡があった。それは新たにシュリンターに加わったアブドへの任務だった。
『ガルディオが新兵の募集をかけており、3日後に入団試験を控えている。君にこれに参加し、訓練兵としてガルディオ内に潜入してもらいたい』
ガルディオ。それは王のもとに宇宙の平和を維持する騎士団のことを指す。
『そして本題はここからだ。ガルディオに潜入後、君に調査してもらいたい物がある。それが、アカシックレコードだ』
アカシックレコード。それは全知全能の書といわれているもの。同時にそれ以外に情報のないものでもあった。
しかし王ならば何か知っているのではないかと目論んだシュリンターは王により近い存在、ガルディオとして調査する計画を立てたのであった。そして最も安全にかつ確実にガルディオに接近する方法として、ガルディオへの入団が、その試験の対象であったアブドが選ばれたということであった。
男は言った。
『アカシックレコードは全知全能の書だ。この世の全てがそこにはある。もちろん、強大なる王の力の秘密、そしてそれを打倒する手段もな。我々シュリンターは、自由の為に王を打倒する。全ては君次第だ。頼んだぞ、アブド』
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「これより、ガルディオ入団試験を始める」
アブドは試験会場へと訪れていた。試験は無作為に抽出された4人による自立型戦闘ロボットの撃破であった。
「十八班、アブド・デ・ヘルート。リデル・セペリオ。シオン・エンテラル。ティナ・イ・オディオ」
男のアブドとリデルが剣を握り、女のシオンとティナは銃を構えた。
ロボットの両肩の上にある的に弾を当てて機能を停止させる。試験はそれだけであった。
しかし弾は腕に弾かれた。そしてロボットの腕は追尾型ロケットであった。
アブドとリデルが腕を斬り落とそうとするも装甲に傷をつけることもできず、厚くて広い手の甲に突かれただけで2人は吹き飛ばされた。
リデルを起こしたティナは言った。
「まずはあの腕をどうにかしないと。一箇所に攻撃を集中させればあの腕も斬り落とせるかしら」
そして細い二の腕を狙う連撃が始まった。
一方アブドはシオンに起こされた。状況を見たアブドは駆け出す。リデルの入れた一太刀に続けてアブドも同じ場所を狙う。すると刃先がハマってしまった。
ティナとシオンは的に向かって発砲する。ロボットはアブドを盾にした。刃先がハマっているアブドは動くことができない。
「うおおおおおぉぉぉぉぉッッッ!!」
アブドは手に全体重をかけて剣の柄を握りしめる。ロボットの右腕が落ちた。しかしアブドは左手で首を絞められていた。左腕はそのまま放たれる。会場の端の壁にアブドごとを突っ込んだ。
アブドに気を取られたリデルが蹴り飛ばされる。リデルのもとにティナとシオンが集まる。
拳がアブドに向けて発射されて炸裂する。リデルは一か八かロボットに近づき背後から抱き着く。
ロボットの左拳が再装填されないように押さえる。リデルは浮遊する拳にタコ殴りにされていた。
ティナとシオンが的に向かって銃口を向ける。
そしてロボットの拘束具がリデルと共に弾け飛ぶ。拳がティナとシオン目掛けて放たれる。足を挫いたティナを庇おうとシオンが拳を前にして手を広げる。
シオンの前に目を覚ましたアブドが滑り込む。
「ウオオオオオオオオッッッ!」
アブドが右腕を突き出す。その腕は拳を貫通し、拳は跡形もなく消えた。
その隙にティナとシオンが発砲する。2発の弾丸はロボットの的に命中する。ロボットは機能を停止した。
4人はロボットに勝利した。
試験通過者が整列する会場に4人は最後に到着した。ガルディオ団長イポテスダ・ドゥクスは4人を見て言った。
「この列の諸君には、高難易度の試験を受けてもらった。特に最後尾の18班の彼らには、最高難易度、ガルディオの騎士達が鍛錬で使用するようなものであった」
アブド、リデル、ティナ、シオンの4人は上位クラスのビーシュに配属された。
そしてアブドのガルディオ訓練生としての生活が始まった。
入団試験から数日、その日はオリエンテーションがあった。二人一組で制限時間以内にお題の物を持ってくるというミッションだったのだが、アブドはペアが見つからなかった。そこへシオンから声を掛けられる。
2人はペアを組むことにした。お題はオベスの角とアルブナの皮だった。アブドとシオンはそれらを求めて市場に向かった。
王都の反対側にあるバーバル街へとやってきた2人は肉屋を探した。その途中、アブドはボロボロな店を構える老人に声を掛けられた。老人は言った。「主の未来を占ってやろう」
「なに、金は取らんよ。こんなに強い念を感じたのは久々なのじゃ。少しだけ、老人の好奇心に付き合ってくれ」
2人は渋々店に入った。そこには客と老人を仕切る横長の机とその上に置かれた砂時計しかなかった。
「ほうこりゃまた。凄いな」
「そうなんですか?」
「ああ。君は今後、災難続きだろうよ」
アブドは災難の詳細を尋ねる。
「それは分かるまい。さて終いじゃ。わざわざ付き合ってくれてありがとうな。まぁ、何か困ったことがあればまた来ておくれよ」
老人はそう言ってカラカラと笑った。アブドはムッとして店を出た。
そして2人は肉屋を見つけた。オベスの角もアルブナの皮もそこにあった。アブドは店主に紙を見せて譲ってもらうように交渉した。教官からはそうするように言われていた。
「てめぇちょっと金あるからって俺達低級の連中見下してんだろゴラ」
店主のウィルはブチギレてアブドの胸倉をつかんだ。突き飛ばされ、無理やり額を地面に擦り付けられた。
「二度と舐めた真似すんじゃねーぞガキが」
2人が立ち去ろうとすると店主は角と毛皮を持って仁王立ちしていた。
「こいつがいるんだろ?」
しかし2人は金を持っていなかった。ウィルはその代わりにお使いを要求した。
「あの山からカルス石をこの袋満杯分取ってこい」
アブドとシオンは山の中の木々の間を掻き分け、進んでいた。
カルス石は希少な鉱石だった。要は嵌められた訳である。道中に足を滑らせた2人は洞窟のはるか奥へと転落した。
シュランゲルという怪物に追いかけられながらもカルス石の鉱脈を発見した2人は袋いっぱいに詰めて持ち帰った。かつての採掘作業時に使われていたエレベーターで街に戻ると、取引を終え、ウィルの唖然とした顔を尻目にバーバル街を後にした。
アブドの訓練生としても大方軌道に乗ってきた。アブドは図書館で調べたアカシックレコードに関する資料403冊を片っ端から読破した。
様々な賢者達が記すには、アカシックレコードに接触して奇跡を起こしただの、この世の理を知っただの、それに肝心なアカシックレコードがあるとされる場所も、要約するとこの世界を超えた高次元だのと荒唐無稽な内容ばかりであった。しかし、とりあえずはそういう任務なので、一冊読み終わるごとに内容を事細かに記して報告した。
1年が経過した頃、シオンの姿を見なくなり始めた。
夜、図書館で本を読み漁り、寮に戻ろうとしていたアブドはたまたまシオンを見つけた。話しかけるとシオンは口を開いた。
「私…ガルディオを辞めようと思うの」
何をしてもうまくいかないことに嫌気がさしていたとのことだった。アブドは自分でもどうかと思いながらも言葉を紡いだ。
「とにかく、少なくとも俺は、シオンがいない方が良いなんて思ってないし思ったことも無いし、多分、他の奴らもそうだと思う。だから、もう一度考え直さないか?もっと強くなりたいなら特訓だってしてやる。いつだって相手になってやる。だからさ、な?」
シオンは泣き出した。
「私…怖かったんだ…。前にお兄ちゃんの事話したでしょ?それでガルディオの騎士になるのを諦めちゃった人がどれだけ周囲から失望の目で見られるか知ってたから。だからたくさん頑張ったのに、結果は全然ついてこなくて、だから私、このまま死んじゃおうかとか考えてたんだ。でも、アブド君が助けてくれた。ありがとう。本当にありがとう」
2人は校舎の屋上に上がった。そこには満点の星空があった。
「実は私…あの時一つ心残りがあったの。それで…」
「うん」
「あ、あのね、わ、私は!…ごめん。忘れて。まだ早かった」
「…?そっか。じゃあ待つよ」
「うん。ありがとう」
シオンは笑った。
星空の遥か遠くの向こうで、ネメシスが暗く輝いていた。
入団から3年の月日が流れた。その日は訓練生卒業試験の結果が発表される日だった。
『頑張ってね、兄ちゃん』
『絶対帰って来てね』
『約束だよ』
『みんなで待ってるからね』
『リデル、頼んだわよ』
リデルは家族に送り出されたあの日のことを思い出していた。
「…リデル・セペリオ!」
『どう思う、ティナ?』
『すごく、本当にすごくいいと思う』
『大丈夫かな…?』
『シオンなら、きっとね』
『うん。ありがとう。私、頑張るよ』
「…シオン・エンテラル!ティナ・イ・オディオ!」
「あれ、やるんでしょ?」
「…もちろんよ」
シオンは力強く頷いた。
「…アブド・デ・へルート!」
アブドは俯いていた。彼はずっと、昨日の指令を受けてからこの調子だった。
皆で囲んだ夕食の後、暗い部屋の中で一人見つめた液晶画面。そこに映っていたその文字列を一目見てから、ずっと。
"アブド・デ・へルート回収及びガルディオ施設襲撃要綱"
翌日、王都レグーノの宮殿前広場に、多数のデモ隊が集結していた。その集団は今にも宮殿に突入する勢いであった。要請を受け、ドゥクス団長は最も近いレグーノ駐在のガルディオの騎士を派遣。警察と共にデモ隊を逮捕していった。しかし数が多い為、鎮圧には時間がかかると思われていた。
「おいアブド、一昨日からなんだか浮かない顔してるが、どうした?」
アブドの様子を心配したリデルが尋ねた。
「いや、気にしないでくれ。大したことじゃないんだ」
「…そうか」
「それよりお前、一旦実家に帰るんだろ?」
「ああ。明日からな。ガルディオの騎士になったって、家族に報告してくるんだ」
「出発は、今日の夜にしないか?」
「何言ってんだよ。一時帰宅は明日からって、そういう指示だったろ」
「そう…だったな…」
「それに今日の夜だったら、まだ何の準備も終わってないし、そもそも祝賀会も出れねーじゃねーか」
「お前まだ準備終わってねーのかよ」
「うるせーなぁ」
二人は笑った。
「冗談も言えりゃ上出来だ。大丈夫そうだな」
「おう。だから気にすんなって言ったろ」
「そろそろ行くか」
「ん、もう時間か。よし行こう」
そしてアブドとリデルは合格者を祝う祝賀パーティがに向かった。
ビーシュの下位クラスの訓練生は卒業試験を受けられずに寮に残っていた。
寮内に爆発音が響いた。それと同時に、建物の全てが暗闇に包まれた。爆発した発電室から火が上がる。
寮の小さな扉に人だかりができた。扉は開かなかった。続々と人が集まってきた。
途端に大きな音がして扉が開かれた。
「今から害虫駆除を始めまーす!」
ガトリングを持った小柄な男が寮内に向けて発砲を開始した。
血が噴き出し、死体が背後の人へ倒れかかる。
「う、うわぁぁぁ!!あああぁぁ、逃げろぉぉぉぉ!!!」
ほとばしる弾丸と迫り来る炎、その両方に挟まれた訓練兵達は、近くの部屋に逃げ込み、棚やベッドで扉を塞いだ。
「いいね、いいね。そうやって逃げ回ってる方が駆除のし甲斐があるってもんよ」
そう言って男は時計についた通信機に話しかけた。
「総員、無条件発砲を許可。どんどん殺せ」
パーティ会場でも停電が起きる。事態を察知した教官が避難指示を出す。
アブドは思った。
――始まってしまった…。もう戻れない。
「…や、やばい」
「どうしたアブド?」
「騎士手帳が無い。どこかで落としたみたいだ」
「そんなこと言ったって、今は探せないだろ」
「でも、あれが無いとガルディオの騎士と認められない。絶対失くすなって言われてたし…。多分図書室だ。あそこで落としたんだ。どうにかして行かないと」
リデルの静止を無視してアブドは避難の列から離れる。リデルはアブドの後を追う。2人の姿を見つけたシオンが追いかけようとする。ティナは止めたが、シオンが走り出したので渋々後を追った。
爆発が起きる。天井が崩落してリデルとシオンはアブドを見失う。シオンは言った。
「…これじゃ上の階も通れないし、屋上から窓を伝って降りましょう」
そうして階段を駆け上った。
「はぁ、はぁ、はぁ。もう、三人はどこよ」ティナも一人ではぐれてしまっていた。
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船のハッチが開く。
「よう。久しぶりだなアブド」
中から、メニコットとヴィリーノが降りてきた。
「どうも」
「そんな拗ねんなって、アブド」
「本当にこれしか手段は無かったんですか…?」
アブドは消え入りそうな声で呟いた。
「なにもあなたの回収が最大の目的ではないわ。それにあなたはガルディオではなく、シュリンターでしょ?」
「分かってますよ。そんな事は」
「なら良いわね。さぁ、帰るわよ」
その時だった。
「アブド…?」
「アブド君…?」
――……!
アブドは見つかってしまった。リデルとシオンに。
アブドが振り返るより早く、メニコットとヴィリーノが二人の手を腰に固定した。
「おい、どういう事だよ。説明しろアブ…」
「黙れ、ガキ」
メニコットがリデルの口を塞ぐ。
「アブド君…」
シオンの口もヴィリーノに塞がれる。
「アブド。あなたの組織への忠誠を今一度示しなさい」
ヴィリーノはそう言って、アブドにナイフを差し出した。
「待って下さい。こいつらは俺の一番の友達で、それで、その、何も関係ありません!殺す必要はないてしょ!!」
「目撃された以上、生かしてはおけないわ」
「そんな…」
アブドはどこを見ることも出来ず、俯いた。
「それとも、あの日望んだあなたの自由は、友情なんかに囚われるちっぽけなものだったのかしら?」
――…違う。俺は宇宙を見たあの日から、ずっと自由の為に生きているんだ。
――ちっぽけだなんて、言われてたまるか。
アブドはリデルの目を見た。リデルの目は、怒りに包まれていた。
「やるべき事は分かってますよ」
アブドはナイフを握りしめた。そしてリデルに一歩、近づく。
リデルは首を振ってメニコットの手を弾き、口を開いた。
「お前は!ずっと騙してたのかよ!俺達のことを!仲間だと思ってた…。友達だと、親友だと思ってたのに!!そう思ってたのは俺だけだったのかよ。…そりゃねぇよ。…俺はお前を赦さないぞ。俺達を裏切った事、死んでもお前を赦さない!!!」
リデルに罵倒され、涙と共に今までの思い出が溢れてきた。
「くっ…」
アブドは奥歯を噛み締めた。
「あああああぁぁぁぁぁぁッッッ!!」
アブドは全ての力を込めて、ナイフをリデルの胸に突き刺した。
引き抜き、メニコットが手を離し、リデルは倒れた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
そしてアブドはシオンを見た。シオンの目は、悲しみに満ちていた。
「私…私!アブド君が、アブドが好きだった!アブドはいつも優しくて、私のこと慰めてくれて!覚えてる?私が逃げ出そうとした時、必死に止めてくれた日のこと!私すごく嬉しかった。人にあんなに優しくされるなんて初めてだったの。ねぇ、戻ってよ。前の優しいアブドに戻ってよ!!」
アブドはシオンに近づく。ナイフから血が滴る。
アブドはシオンの目を見て言った。
「…ごめん」
アブドの体が、シオンの血で染まった。
崩れ落ちたシオンはその場でうずくまり、やがて動かなくなった。
「あ…ああ…」
アブドは丸まった二人を、血に染まった自分の手を見て、目眩がした。吐きそうになった。
――頭が痛い。助けて。誰か助けて…
「アブド、あなたのやったことは間違ってはいないわ。確かに残念だけれども、自由の為には仕方のないことよ」
ヴィリーノはアブドの肩に手を置き、船に戻っていった。
メニコットは辺りに火を放ち、後に続いた。
――そうだ。仕方なかったんだ。ここに来た二人が悪いんだ。
そう、思うしかなかった。
アブドはもう一度二人を見た。そして歩き出した。
「アブド…?」
ハッチが閉まりかけた時、アブドは誰かに呼ばれた気がして振り返った。そこには…炎に包まれたティナがいた。
――目が…合った…。
そしてハッチが閉まった。
『任務完了。総員撤退』
やがてシュリンターを乗せた船は、静かに星空の彼方へと消えた。
黒煙立ち上る屋上で、ティナはその船団を睨みつけていた。
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「はぁ。どうやらここにも無いようだな。これで88個目だ。次行くぞ、デトルート」
「はい」
赤色矮星テハートから、デトルートは飛び立った。
【次回予告】
〈第伍章 宇宙大戦篇Part1〉
シュリンターのガルディオ襲撃から3年。
この間に、宇宙の流れは大きく変わった。王議会はシュリンターをテロ組織認定。シュリンター側もこれに対抗し、宇宙大戦が勃発した。
超動する流れの中で、少年もまた、変わろうとしていた。