せねばならぬことは須らく爆発せよ
約束通りシュークリームを持っていくと、研究所の玄関まで迎えに来てくれた白翔くんが女の子を抱っこしていた。
「白翔くん、子持ちだったの?」
彼は私の質問に不満そうに眉間に皺を作った。
「俺は潔癖です」
「それはどういう意味? キレイ好きってこと? まあいいや、深堀りはしないでおこう」
「詳しく聞いていただいて構わないのに」
「いやだ」
「そうですか、残念」
そのおさげ髪の女の子は彼の白衣を掴んだまま眠ってしまっているようだ。
「白衣も似合ってるね」
「仕事着ですよ」
「いつも黒いけど、白も似合う」
「でしたら今度選んでください、……さてと」
白翔くんは抱っこしていたその女の子を指さした。
「後藤さんの娘さんの『ゆきちゃん』です」
「後藤さん?」
「強盗の後藤さんですよ」
「ああ! 強盗の!」
白翔くんは人差し指を口元にあてて「シー、やっと寝てくれたところなんです」と慌てたので、「ごめんね」と頭を下げる。
「後藤さんの娘さんがどうしてここにいるの?」
「色々理由があるんですが……とにかく研究室に行きましょう。ここは煙草臭いので」
「あ。そうだね、子どもにはよくない。相変わらず喫煙所と化してるのね……」
白翔くんは手早く私の入館手続きを済まし、彼の城に案内してくれた。
相変わらずどういう用途で使われるのかわからない機械に満ちている場所だ。しかし今日は前に来た時とは違い、机の上にも椅子の上にも夥しい量の書類が積まれている。
「どうしたのこれ、すごい量だけど……」
「年度末関連の書類と俺のレポート草稿ですね……校正は紙で見た方が安心なので印刷したんです。よかったらこちらに座ってください」
「こちらって……」
白翔くんはその長い脚で書類を蹴り飛ばして席をひとつ開けてくれた。
「どうぞ、久留木さん」
「……ありがとう」
席に座り、蹴り飛ばされた書類の一枚拾ってみる。……異種形状の結晶粒からなる多結晶材の……。私にはよく分からない言葉が並んでいたので、また床に放流しておいた。
白翔くんは部屋の隅にあるドリンクコーナーから私を見た。
「紅茶とコーヒーどちらがいいですか?」
「どちらでも」
「ならコーヒーにしましょう」
白翔くんはコーヒーメーカーのスイッチを入れると「重いな……」と呟きながら女の子を抱き直した。
「それで、……その子はどうしたの?」
「後藤さんに決算対応をお願いしていたら税務署に直接行かなくてはいけない用件があったそうで……そのタイミングでこの子が熱を出したと保育園から連絡がありまして……でしたら税務署は別日でいいと言ったのですがどういうわけか後藤さんはこの子を置いて、税務署に行ってしまいました。後藤さんは俺の想像を越えてくれますよ」
ハハッと白翔くんは乾いた笑い声をあげた。あまりにも分かりやすい皮肉だった。
「……そんなに子ども苦手なの?」
「得意だと思いますか?」
「愛想よくはできると思ってたかな」
「その結果がこの有様です」
白翔くんはにこりと笑う。それはそれはハンサムだった。
「初恋泥棒しちゃったんだね?」
「盗んだ自覚はありません。時任さんがいるときであれば彼が対応してくれたと思うのですが、彼は彼でメディア対応をお願いしていたので……」
白翔くんの目の下にできていたクマが濃くなっている。
「忙しいのね」
「この時期はどうしてもそうなりますね」
白翔くんがコーヒーの入ったマグカップを持ってきてくれた。マグカップには葡萄のイラストが描かれている。
「そんな時に私ここに来てよかったの?」
「他の人間は歓迎できませんが、あなたは別です。あなたがいることで俺の生産性が飛躍的に高まります」
そんなことあるだろうかと思いながらコーヒーをひとくち飲む。酸味が強くコク深い浅煎りの豆の味がした。おいしい、と呟くと、白翔くんは私のうなじと髪の間にその高い鼻をつっこんできた。
「久留木さん、会いたかった」
「あ、うん……犬みたいね……」
「ふふ、久留木さんだ。……はあ、……」
「……そんなに忙しいならやっぱり私来ない方がよかったんじゃない?」
無言で笑みを返されたのでそれ以上はなにも言えなかった。
白翔くんはコーヒーメーカーをもう一度動かし自分の分のコーヒーを淹れだした。その腕の中で女の子はすやすやと眠っている。
「それにしても、ゆきちゃん、よく寝ているね。熱があるからかな」
「熱はもう下がっていますよ。ちゃんと病院で診てもらいました。さすがに小児は自信がありませんので」
「そう……じゃあなんでそんなに寝ているのかな」
「ああ。それは『も』ったので」
「へ? なに?」
「薬を『盛』ったので」
白翔くんはさらりとそう言うと、腕の中の子どもを抱き直した。
「……それは、大丈夫なの?」
「子どもの治験は済んでいますから……よほど運が悪くなければ死にはしません」
「運が悪いとどうなるの?」
「運が悪ければ人間は死にますよ。今生きている人間は今まで運が良かっただけです」
暴論を吐いた後、白翔くんが淹れたばかりのコーヒーを飲む。
いつもより棘が多いというか愛想が少ない。今の彼は本当に疲れているのだろう。
「私が抱っこしようか?」
「いえ、あなたに抱かれるのは俺だけでいい」
「……白翔くん……ガンガン来るのね……」
「彼氏ですから」
私の隣の席の上に乗っている書類を蹴り落とし、白翔くんは腰掛けると私の肩にその頭を預けてきた。
その体からはいつもの甘い香水の匂いはなく、昨日と同じ消毒液の匂いがする。
「眠いの?」
「……」
白翔くんは目を閉じてしまっていた。その腕の中の女の子もまた起きる気配がない。私は小さくため息をつく。
「そんなに眠いなら仮眠して来たら? そういう部屋はないの?」
「折角あなたがいるのに仮眠室にいけと?」
「膝枕してほしい?」
「いいですね……」
彼はそうは言ったが、私にそれを頼まず、私の肩にその頭を預けて深く息をしている。その髪を撫でると「久留木さん、いい匂いです」と彼は笑った。
「白翔くん、昨日はたまたまコンビニに来ただけじゃない?」
「……どうしてそう思います?」
「昨日は本当に怒っていたから、……私がコンビニにいて驚いたんじゃない? きみが怒るときは予想が裏切られたときだけ……きみがGPSとか見ていても違和感ないけど、違うでしょう?」
彼は深く息を吐いた。
「そうですね。そもそも俺にあなたを監視する余裕はない。……昨日は気分転換と夜食を買いに、……あなたにもし会えたらとちょっと期待してあのコンビニまでいったんです。そしたら本当にいて……しかも、あんな無防備な恰好で……車ごと突っ込むところでした」
そんな頻繁にダイナミック入店されては、あのコンビニはつぶれてしまうだろう。あそこが家から一番近いコンビ二なのでそれは困る。「やめてね」と言うと「あなた次第です」と白翔くんは口を尖らせた。
「次、もし材料がなくて困ったら俺を呼んでください。買っていきます。家はもう知ってますから」
シレっと言われたら、もうどうしようもない。
「……私もきみに会いたかったよ」
彼はにんまりと笑った。
「なんできみはそこまでしてくれるんだろう……そこまで好かれる理由が私にはないよ」
「どこが好きか説明してほしいんですか?」
白翔くんは目を開けて私の肩から離れた。
「明確な理由を説明したら、それを失った時に俺はあなたを嫌いになるという証明になります。かと言って曖昧な表現をしたらあなたは俺の思いを疑うのではありませんか?」
「……そんな面倒な気持ちで聞いてはいなかった。単純に、ちょっと聞きたいなーっていうか……」
「好きなだけですよ。そこに理由は求めない方がいいんじゃありませんか?」
「……そういうもんなのかなぁ?」
そんなこともない、と言えるほど私は恋愛に詳しくなかった。白翔くんは私の顔を覗き込むと「あなたに好かれたい、今よりもっと」と笑った。
私は彼のことをもう結構好きなのだけど、彼は赤茶色の瞳で真っ直ぐに私を見ていたから、迂闊なことは言えなかった。
「……ちゃんと考えます。彼女なので……」
「俺はフラれても諦められないので、最終的には久留木さんが諦めて俺の隣で死んでください」
「え。怖い」
「今更ですが、他にお付き合いしている人いませんよね?」
「いないよ。いたらさすがにシュークリームなんて持ってこないよ」
「ああ、よかった。じゃあ、シュークリームを食べましょうか」
そうだねと返事をしようとした瞬間、――バアン、と遠くでなにかが弾ける音がした。
窓を開けると病院から煙が上がっているのがわかった。遅れて『病院で爆発発生』と緊急放送が流れ始める。すみやかに避難するように……と続く放送を聞きながら白翔くんを見る。
彼は爆発音とともに目を覚ましてギャン泣きし始めた女の子に爽やかな笑顔を見せていた。
「大丈夫ですよ」
「怖い!」
「怖くないですよ。お父さんもすぐに帰ってきますよ」
「おとうさん……、おとうさんどこぉ!」
「ああ……余計なことを言ってしまいましたね……」
「やだあ! おかあさんやだぁ!」
「そうですね、お母さんは嫌ですね。……泣かないでくれますか?」
ギャン泣きしている子からは、後藤さんのDV被害を裏付けるような不安定さを感じた。そんな子どもを抱きしめて「大丈夫ですよ、怖くありません」と白翔くんは何度も囁く。うんざりしているのは私から見れば明らかだが、その子から見たらわからないようだ。
穏やかに微笑んだ人に、低く落ち着いた声で「怖いことはありませんよ。ここに怖いことはありません」と何度も諭してもらえるのは、落ち着くだろう。少し羨ましい。
「……ほんとう? あきちゃん、大丈夫?」
「はい、あきちゃんがゆきちゃんを守ってあげますよ」
「怖くない?」
「はい、怖くないです」
緊急放送がぎゃあぎゃあと流れている中、彼女の耳にはその落ち着いた声の慰めだけが響く。やっぱり羨ましい。私も少しは不安なのだ。
五分ほどおだやかに話しかけられ続け、ようやく女の子が泣き止んだ。
「もう、……怖くない」
「そうですか、よかったです」
心温まる状況だ。しかし、……である。
「……白翔くん、さすがに避難した方がいいんじゃない?」
「そうですね……、ですがそうすると、俺は明日提出のレポートを書き終わらない予感がしています」
「明日提出なの⁉」
「正確に言えば今日の二十四時までに教授に送らないとアウトです」
「アウトってどうなるの?」
「必修科目なので留年ですね」
「……留年って……」
「……さて、……どうしますかね……会社代表としては避けたいところですが……」
白翔くんは疲れているようだったので、私は彼の腕の中の子に「こんにちは」と声をかけた。
「だれ?」
「あきちゃんのともだち。まいっていうの」
「まいちゃん?」
「うん、まいちゃん。ゆきちゃん、まいちゃんともあそんでくれる?」
「いいよ?」
「よかったー、あのね、ゆきちゃん、ちょっとこっちきて?」
嫌がられていないのを確認しながらその子を抱き上げる。思っていたよりは重いけれど、やはり小さいし、細い。その背中を撫でたあと、その小さな耳に口を寄せる。
「まいちゃんね、あきちゃんにないしょのプレゼントあげたいの」
「ないしょの?」
「そう、ないしょの……いっしょにえらんでくれる?」
ゆきちゃんは『あきちゃん』を見て、それから私を見上げてにっこりと笑った。
「いいよ!」
「ありがとう」
その辺の雑貨屋を散歩して来よう、その間に白翔くんならレポートを片付けられるだろう。
ゆきちゃんを抱っこしたまま「あきちゃん、またね」と言うと、白翔くんはぽかんと口を開けて私を見上げていた。
「どうしたの?」
「いや……久留木さん、お子さん似合いますね……」
ピリリと【なにか】寒気が走った。
「……恐ろしいこと考えてない?」
「大したことは考えてませんよ。まあ、そういった手段も、というだけで……」
「どういった手段の話をしているかわからないけど、やめてね? 怒るよ?」
「ふふ」
「笑い事じゃないんだよな……」
寝不足の白翔くんは倫理観も死ぬようなので放っておこうと決めた。とっとといこうと思ったら、白翔くんが立ち上がり私の肩を掴む。
「どうしたの? ぐえっ」
彼はいきなり私の顎をつかんできた。
「なにっ⁉」
「これ、飲んでください」
「へ? うぐっ……」
なにかを口の中に入れられたと思ったら、すぐにコーヒーを注ぎ込まれた。冷えていたから火傷はなかったがいきなりの水責めに「うぇっ」とひどい声で呻いてしまった。
「飲んで」
「……ごほっ、うえ……」
鼻と口をふさがれては飲み下すしかなかった。
ごくん、と喉を異物が通り過ぎたのが分かったが今更吐きだせもしない。白翔くんは私が全てを飲み下したのを確認してから鼻と口を解放してくれた。
「……なにを、飲ませたの……?」
「ちょっとしたものです」
「なに、爆弾⁉」
「違いますよ。……でも、あまり遠くには行かないでくださいね」
「遠くに行くとどうなるの‼ なに⁉」
「あはは」
「笑い事じゃないんだけど!」
不意に襟を引っ張られた。
「けんかしてるの?」
ゆきちゃんが不安そうな顔で私を見ていた。なので笑顔で「違うよー、仲良しだよー」と笑った。『あきちゃん』も便乗するように笑顔で「早く帰ってきてくださいね、寂しいので」と笑いやがった。
私は喉の奥になにかがあることに恐怖を覚えつつ、緊急放送の流れる研究所を後にした。




