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スーサイドメーカーの節度ある晩餐  作者: 木村
第三話 シュークリームとストーカー
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蛇は蛙を睨む前に食べる

 食堂は混んでいた。明らかに学生ではない、親子連れや旅行客のような姿も見えるから、ここは外部にも公開されているのだろう。


「久留木さん、なにが食べたいですか?」

「お勧めのメニューってある?」

「さあ? 俺も利用するの初めてなんですよ。あ、ランキングが貼りだされていますよ」

「あ、本当だ」


 どうやら大学の名前を冠するラーメンが一番人気のようだったが、個人的に、ラーメンとは深夜に酔っぱらっているときにひとりで食べるものであって、素面の、それも真昼間から人前で食べるものではない。少し悩んでから第三人気の親子丼を選んだ。松下くんは私が選んだものを見てから同じものを選ぶ。


「なんで? 食べたいものを食べたらいいのに……」

「食べたいものは久留木さんの手料理です」

「なにそれ。ないものを言われても困るよ」

「あのカレーですっかり胃袋掴まれました」

「たった一回で勝手に掴まれないでよ……」


 親子丼を受け取り、空いている席に探す。食堂には十人ずつ座れる長机がたくさん並んでいるが、並んで空いている席がない。しばらくお盆を持ったまま「あそこ、あっ取られちゃった」「負けちゃいましたね」うろうろとさまよい「あ、あそこ」「ああ、よかった」なんとか二席空いている机を見つけ、座ることができた。


「大人気なのね、ここ」

「そうみたいですね、まあ値段も安いので」


 松下くんは「ちょっと待っていてください」と言って、自販機でお茶をふたつ買ってきてくれた。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 私たちは目を合わせて手を合わせて同時に「いただきます」と言った。声がきれいに合わさって、少し面白かった。

 親子丼は思ったよりも卵もご飯も美味しくて、「こんなに安くてこの美味しさはずるいなあ」とつい呟くと、松下くんは「この親子丼も美味しいですが、この間のカレーとは比べ物にならないですよ」と拗ねたように言った。その口を尖らせた顔も愛らしくて、これはまずいなあ、と思った。


「本当においしかったですよ。今までの人生で一番、おいしかったです」

「分かったってば……」

「久留木さん、自信を持ってください。あなたは料理人になれます」

「なれなくていいからっ」

「小料理屋だってできますよ」

「できないよっ! もうやだ! うるさいよ!」

「ふふ、可愛い顔している」


 笑い事じゃない。『ヤバい』と分かっている相手にほだされるなんて、絶対に碌なことにならない。そう分かっているのに、顔がにやけてしまう。

 ――いいじゃないか、もう、認めてしまえば。

 こんなの久しぶりでどうしたらいいか分からないだけで、それで『ヤバい』なんて勘違いしてるんだ。そういうことにしてしまえばいい。彼みたいなハンサムが好意を示してくれている。だから、ただそれを受け止めて、認めて、……それでいいんじゃないか? 『予感』なんてなかったことにして、……。


「なんでこんなところにいるんだ」


 不意に聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、ものすごく嫌そうな顔をした凪くんだった。


「あ! 久しぶり、凪くん」

「ああ、久しぶりだな……あんた、なんで大学に……」

「宮本くんは元気になった?」


 私の質問に凪くんはまばたきをしてからくしゃりと笑った。


「ああ、もう元気だ。心配してくれてありがとう」

「ちゃんと禁煙してる?」

「徹底させてる。今日はあいつ休みだけど……親御さんに見てもらっているから」

「本当に徹底させてるね、いいねー大事だよ! そういう姿勢!」


 ぺし、と凪くんの腰のあたりを叩くと「いてえよ」と凪くんが笑った。

 が、――『ヤバい』。突然の強烈な寒気。

 それは私だけでなく凪くんも感じたらしく「ひっ」と彼は短く声を上げた。


「凪さん」


 松下くんははっきりと愛想笑いと分かる笑顔で、はっきりと悪意と分かる低い声を出した。


「随分と久留木さんと親し気なご様子で……彼女さんはどうされていますか?」

「松下、違う、俺はこんな女、全然……」

「全然? なんですか? 全然……なんですか?」


 松下くんが椅子を引き、ゆっくりと立ち上がる。真上から松下くんに見下ろされた凪くんは「ひぇ」と言葉にならない声を上げる。その長身を最大限に活かした脅しスタイルには、冗談という空気がなく、むしろ『ヤバい』ものが満ちている。


「俺、お前の彼女に手を出そうなんて全く考えていないからっ……」

「久留木さんはまだ俺の彼女ではありません。そんなことより、全然、なんですか? 久留木さんが、全然、なんだというのです? ねえ?」

「ひえっ……ちがう、そういうつもりじゃなくてっ……」


 蛇に睨まれた蛙よりも可哀想だ。松下に睨まれた凪、新しい慣用句として覚えておこう。

 そんな現実逃避をしていたら服の袖を引っ張られた。凪くんが、うるんだ目で私に助けを求めていた。


「……松下くん、ハウス」

「はい」


 松下くんは大人しく私の隣にまた座り、凪くんは安心したようにひゅうと息を吐いた。


「凪くん、ごめんね。ごめんねって言うか私が謝る話ではないんだけど……」

「あんたは俺に話しかけるな! ……松下、そんなに心配なら、今この人を大学に呼ぶべきじゃなかったんじゃないか?」

「問題はもう解決しましたから」

「いや、まだ解決していないだろ、だって……」


 凪くんと松下くんが意味ありげな会話をし始めたので、私は右手を伸ばし凪くんの白衣の裾を掴んだ。凪くんは不審そうに私を見た。


「は? なんだよ? 触んなよ!」

「その話詳しく教えてくれる?」

「松下から聞けばいいだろ、当事者なんだから……ひっ」


 凪くんが私から松下くんに目を移し、また『松下に睨まれた凪』になっていたがそれは無視をする。


「凪さん、研究が忙しいんじゃあありませんか?」

「そ、そうだな、俺は忙しいから……」

「駄目よ、凪くん」


 私は白衣を両手でつかみ、「隣の席に座って」と言った。凪くんは「空いていないだろっ」と言ったが、その言葉が終わる前に私の隣にいた人が席を立ってくれたので、彼はそこに座るしかなくなった。


「おかしい、俺は無罪だ、どうしてこんな目に……」

「それを決めるのはあなたではなく裁判官ですよ」

「松下くん、やめなさい」


 蛇のような目でいる松下くんの二の腕を軽く叩いてから「説明して」と凪くんに尋ねる。


「でも松下に聞いた方が……」

「松下くん隠し事するから駄目」

「……でも……」

「久留木さん、凪さんから聞いてどうなります? 俺に聞いた方がいいでしょう?」

「凪さんの説明が終わるまで喋ったら嫌いになるからね、松下くん」


 松下くんは笑顔のまま黙り込み、凪くんは「ひえ……」と鳴いた。

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