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スーサイドメーカーの節度ある晩餐  作者: 木村
第二話 スパイスと強盗
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予感と強盗とターメリックと

「松下くん、強盗遭ったことある?」

「ないですね……カツアゲすらないです……強盗の相場っていくらでしょう?」

「高級マンションの住人狙いならそこそこなんじゃない?」


 こそこそとそんな話をしながら強盗被害初心者の私たちは強盗に対峙した。

 その強盗は小さなナイフを両手で持ち、その両腕を伸ばせるだけ伸ばしてこちらに向けている。へっぴり腰もいいところだ。

 松下くんは私を背にかばってくれているが『ヤバい』という予感はしないし、この強盗の様子からして怯える必要すらなさそうだ。


「か、ねっ! 出せ! そ、そしたらっ見逃してやるっ!」


 なにから見逃してもらえるのだろうと思いつつ、私はカレーをかき混ぜる。焦げたら困るからだ。


「……あー、金ですか……」


 松下くんは右手をこめかみに当てた。


「俺、現金は持ち歩かないんですよね」

「そうなの?」

「現金って汚いじゃないですか……困ったな。久留木さん、今いくら持ってます?」

「二万ぐらいはあると思うけど……あ。ごめん、私、鞄を車に置いてきちゃった」

「そういえば手ぶらでしたね。それはちょっと……久留木さん、不用心ですよ?」


 松下くんの咎めるような視線に罰が悪くなり、口を尖らせる。


「でもボルボでしょ、あの車? 窓割られたりすることある?」

「ないとは思いますけど……携帯すら持ってきてないんですか?」

「うん……全部置いてきちゃった、……」

「信用してもらえるのはありがたいですが車の中に荷物置いてきちゃ駄目ですよ。俺も気が付かなくて申し訳ないですけど、そこは警戒心を持ってくれないと……今日日携帯盗られたらいくらでも利用されてしまいますよ?」


 松下くんが私に説教をし始めたときに「いちゃいちゃするな!」と強盗に怒られた。私は「いちゃいちゃしてない!」と抗議し、松下くんは「いちゃいちゃしているように見えますか?」と嬉しそうに笑う。

 結果的に強盗は床をダンダンと踏んで「ふざけんな!」とさらに怒ってしまった。

 しかし彼は私たちに一定の距離を保ったままで、それ以上近寄ってくる気配がない。要するにこの強盗には殺気がないのだ。


「どうしよう、松下くん」

「どうしましょうかね……」


 松下くんは両手を挙げた状態で強盗に一歩近づいた(本当に武器を持ってないことは私が確認した)。すると、強盗は怯えるように二歩下がってしまった。


「ち、近づくなってば……」

「ごめんなさい。でも今手元に現金がないんです。カード払いできますか?」

「そ、そんなことできるわけないだろ!」

「このキャッシュレスの時代にカード使えないんですか?」

「無茶を言うな! 強盗だぞ!」

「そうですね、強盗は刑法二百三十……」

「六条っ……あっ、ちがっ、俺には後がないんだ⁉」

「……でしたら俺の部屋にはいくらか現金置いてありますので、……」


 急に――ぞっ――と寒気が走る。


「一緒に部屋まで取りに来てもらっていいですか?」


 松下くんの声は変わらない。けれど、【なにか】が近づいてきている予感がした。だから、私は口を開く。


「駄目だよ、松下くん」

「……なんでしょうか、久留木さん」


 松下くんは振り返らない。だから、私が松下くんの隣に駆け寄る。

 その顔をのぞきこむと、人当たりの良い笑顔すら浮かべていたが、いつもと【なにか】違う。背中にはチリチリと氷のような寒気が走る。強盗の持っている小さなナイフには少しも感じなかった『ヤバい』という予感が、松下くんの赤茶色の目からバチバチと感じた。

 私は松下くんの腕を掴んだ。


「今なに考えているか知らないけど、それはやめなさい」


 彼はじっと私を見ると、ため息を吐いた。


「……わかりました」


 松下くんは私の手を振り払うと、手首にはめていた腕時計をはずした。


「でしたらこの時計でどうでしょうか?」

「とっ、時計なんてっ、……いくらになんだよっ」


 強盗がナイフを振り回す。

 そんな持ち方をすると自分の指を怪我すると思ったが、さすがにそれを注意するほど優しくはないので、怪我しないように祈りながら見ていた。松下くんは時計を机の上に置いた。


「一千万ほどにはなるかと。足りますか?」

「えっそんなのいらない……困る……」


 強盗はついにナイフを下ろしてしまった。

 松下くんは強盗のその様子に頬を掻く。


「そんなことおっしゃらず……他に現金にできるものが手元にありません。でもこれを売ればしばらく暮らしていけますよね?」

「暮らしていけるだろうけどそんなの困る、返せない……」

「強盗したものを返すつもりなんですか?」


 これなら大丈夫だろう。

 私はコンロの前に戻り、鍋の中のカレーを確認する。

 ふつふつと煮えてきている。よかった、焦げてはいなそうだ。


「なら、やっぱり部屋から金をとってくるしかないですね。久留木さん、……久留木さん? カレー見てないで、移動しますよ?」

「え? なんで? 松下くんお金とってくる間、私はここにいた方がよくない? こう人質みたいな……そういうポジション必要でしょ?」


 「ね?」と強盗を見ると「ひえっ」と怯えられてしまった。

 やっぱり彼の持つナイフの切っ先がこちらに向くことはなさそうだ。


「……久留木さん……なにを馬鹿なことを……」


 松下くんを見上げる。彼は穏やかに微笑んでいた。

 松下くんと強盗なら、強盗と二人きりの方が私は身の安全を感じるのだが、それを言ったら松下くんに殺されそうである。それでも、とにかく彼の家は【なにか】『ヤバイ』『予感』がする。


「……実は松下くん、この強盗と知り合いなの?」

「はい?」


 私の質問に松下くんはポカンと口を開けていた。


「だから、この強盗と組んで私を部屋に連れ込むつもりかを聞いているの」


 彼は「はい?」ともう一度嫌そうに言った。


「違いますよ。ありえないです。……そうですよね? 俺たち初対面ですよね?」


 松下くんに声をかけられると強盗はおびえたように震え後退し、足をもつれさせ、尻もちをついてしまった。


「あっ」


 しかも、ついにその小さなナイフさえ落としてしまった。ナイフはくるくると回転しながら松下くんの足元に転がってくる。松下くんはそちらも見もせずに、長い脚がそのナイフをダンッと踏みつけた。


「ひぃ……」


 長身を活かし上から見下ろす松下くんと頭を抱えて怯える強盗。

 これではどちらが被害者かわからない。


「……いや、困るんですよ、そういう反応されると……」

「知らないぞ! 俺はバスタルドなんか関係ない!」

「え、あなた、うちの会社の関係者なんですか……?」

「あ。やっぱり松下くんの知り合いなんだね?」

「違いますってば。言いがかりが過ぎる。弁護士を呼びますよ?」

「とにかく私はいや! 私はきみの部屋には行かない! この強盗さんも行かないからね! 問題はここで解決しなさい!」


 私の叫びに松下くんは舌を打ち、頭を掻いた。

 【なにか】の計算が狂ったというような仕草だ。

 が、松下くんはすぐにその動きをやめて、いつもの微笑みを浮かべた。


「……でしたら預金口座を教えていただければご希望額を振り込んでおきますよ」

「そしたら俺の名前がばれちゃうだろ! 駄目だよ!」


 松下くんは強盗の叫びに「名前、ですか」と呟いた。


「あなたの顔に見覚えがあります。俺も、久留木さんも……そうなると場所は限られる」

「な、なにを……」

「研究所のメンバーはすべて把握しています。あなたはそうではない。そうなると……」


 松下くんはそこで言葉を止めた。探るように見られた強盗は目を泳がせる。おろおろとしたその様子に、私ははっと思い出した。


「スパイス屋さんにいたおじさんだ!」

「えっ、……ち、違う!」


 私の叫びに強盗は必死に首を振るが、そんなのはもう『そうだ』と言ったようなものだ。


「スパイス屋からつけていたんですか? そうすると移動手段は車になりますね……そういえばずっとミニバンが……」

「ちがっ、違う! 俺はトヨタのミニバンなんて乗ってない!」

「おじさん……」


 とことん強盗に向いていないおじさんである。

 松下くんはおろおろしているおじさんに向かってにこりと笑う。


「覚えていますよ、あの車のナンバー」

「……え?」

「さてと、強盗さん。俺はあなたを特定できそうですね?」


 にこにこと松下くんが笑い、おろおろとおじさんが怯える。


「でも、もう少し続けますか? 俺の予想ではあなたは……警察か検事かだったんですが、それにしてはあまりも迂闊すぎる。さてさて、そうなるとあと刑法覚えている職業は限られますね?」

「あ、弁護士とか?」


 私の言葉におじさんが全身を強ばらせてしまった。


「あ、ごめん……なんかごめん……」


 松下くんはクスクス笑い、「どうしますか、おじさん」とおじさんを煽る。おじさんはおどおどしてしまって、もう話にならなそうだ。


「俺にわざわざ声をかける弁護士も限られます。さて……」


 ――不意に、リリリリリリと音が鳴った。


「……お米炊けたよ、松下君」


 私がそう言うと、松下くんはため息を吐いた。

 部屋中にカレーの匂いが満ちている。ターメリックライスからはバターの香りもただよう。


「俺は炊きたての米でカレーを食べたいです。久留木さんは?」

「うん、私もそうしたい。お腹空いちゃった」

「じゃあ、そうしましょう。あなたもどうですか?」


 松下くんはおじさんに手を差し伸べた。


「は? いや、俺は……」

「おじさん、カレー嫌い?」


 私も手を差し伸べると、おじさんは泣きそうな顔をした。


「カレーは好きですけども……」

「「じゃあ食べましょう」」


 そういうことになった。


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