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スーサイドメーカーの節度ある晩餐  作者: 木村
第二話 スパイスと強盗
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XXに必要なのは素直な思い切り

 スーパーで米、豚バラブロック、たまねぎ、トマトなどを買ってきた辺りまでは平和だった。

 しかしその後、松下くんが見つけたレンタルキッチンとして連れてこられたところは高級マンション。彼は鍵と暗証番号を使ってするするとそのマンションの地下駐車場に入っていった挙げ句「このマンションの共有スペースのキッチンの設備がいいんですよ」と笑った。様子がおかしいと思いつつ「そんなところ住人以外が入っていいの?」と聞けば「俺はここの住人ですから」という、とんでもない回答。


「松下くん……話が違うでしょ!」

「俺の家には連れ込みませんよ?」

「そういうことじゃないでしょ! そういうのよくない!」

「ここのキッチン設備、他のレンタルキッチンよりもずっとよかったので……」


 松下くんの耳たぶを思い切り引っ張る。


「なんで耳?」

「謝りなさい!」

「ごめんなさい!」


 素直に松下くんが謝ったので、その耳を離す。


「……なに? そんなに軽い女と思われてんの、私?」

「ちがいますよ!」


 松下くんは目を丸くして叫ぶ。それから「ごめんなさい」とおろおろとした様子でもう一度言った。


「本当にそんなつもりはなくて……設備がいいんですよ。他のところと比較しても圧倒的によくて……だってここピザ窯もついているんですよ?」

「え、それならナンも焼きたかった」

「じゃあ次はそうしましょうね」

「……松下くん?」

「ごめんなさい」


 松下くんが深々と頭を下げるので「罰として食材は全部松下くんが運びなさい」と私が折れるしかなかった。高級車ばかりが並ぶ駐車場を歩きながら、こんなところを運転するの絶対嫌だなと思った。




 そのキッチンは高級マンションの一階にあった。

 対面式のキッチンにふたつの大きな食卓と二十席ほど椅子が並んでいる。大きな窓に面しているそのスペースは、そのままパーティーができそうなお洒落な空間だ。


「ここ、二人で借りていいの?」

「駄目なんですか?」

「もっと大人数で使うものじゃないのかな……」

「気にしすぎですよ」


 松下くんは買ってきた食材を作業台に並べてくれた。

 キッチンも広く十人ぐらい並んで料理ができそうだ。備え付けられた棚を開くとキッチンセットもカトラリーセットも充実している。冷蔵庫を開くとビールまで冷えている。


「そこの飲み物も自由にどうぞ」

「どんなマンションなの……ここ……」

「どんなと言われましても……普通にマンションですよ?」


 松下くんの普通は絶対に普通ではない、と思いつつ、コートを脱ぐ。


「あ。かわいいですね」

「こういう服が好きなの?」


 今日の服装は由美さんセレクトの『なんちゃってOL風』だ。トップスは紺色のシアーブラウスで腕が透けて見える。ボトムは白のパンツだ。下着のラインが出るからという理由でTバックの下着まで買う羽目になった。普段の私なら絶対に着ない服だ。ちょっと不満に思いつつエプロンをつける。


「はい、可愛いと思いますよ。でも久留木さんはいつもはもっとふわふわした格好していませんか? そちらもかわいいなって思っていました。膝出してて元気だなあって。このエプロンもかわいいです。ワンピースみたいですね」


 今日持ってきたエプロンはお気に入りのエプロンドレスだ。

 肩にかけるところと背中でつくるリボンの部分だけフリルのついた黒い生地をつかっている。他の部分は元々ワンピースだった。青地に色とりどりの小さな花が舞っている布がお気に入りでリメイクしたのだ。


「そうよね。かわいいよね、これね」

「はい、すごくかわいいですよ。久留木さんに似合っています」

「……松下くんは優しいのかもしれない」

「優しい人は好きですか?」

「そりゃ好きでしょ、当たり前のこと言わないで」

「……やったー」


 彼の顔を見ると、赤くなっていた。


「別にきみが好きとは言ってないから! 豚バラブロック持ってきて!」

「はい、わかりました」


 顔が赤くなっていそうで嫌だった。

 とにかくカレーを作ろう、と気合を入れる。


「先にライスの準備しようか」

「炊飯器で炊きますか?」

「あ、炊飯器あるなら簡単だね。ターメリックライス作っておいてくれる?」

「わかりました。……、……」


 野菜をまな板の上に並べていたら、松下くんが私のエプロンを引っ張ってきた。


「松下くん? どうしたの?」

「ターメリックライス……ですよね?」

「うん、ターメリックライス……カレーだから……」

「とりあえず米をといだらいいですか?」

「駄目です」


 私の言葉に、松下くんは米の袋を開けることさえ諦めた。


「なにもわからないので一から教えてください」

「うん、わかった」


 同い年の矢田くんに見習ってほしい素直さだ。私は二合の生米の袋を開けて炊飯器に入れる。


「ターメリックライスに限らずだけど、汁ものと合わせるときはお米は洗わない方がいいの」

「どうしてですか?」

「洗っちゃうとお米の中に水が入っちゃうでしょ? そうすると折角の汁を吸い込まなくなっちゃうの。お米が単体で立っちゃうのよ。だからリゾットとか作るときも洗わない方がいいよ」

「……なるほど、でんぷんのα化をさせないと……」

「え? うん? そうなのかな? 気持ち目盛よりも水すくなめにして、ここにターメリックとローリエと……あとなんか入れたいスパイスある?」

「俺が選んでいいんですか?」

「カレーかけるしね。なにいれてもどうにでもなるよ?」


 松下くんは少し考えてからクミンを入れた。カレーでも使うスパイスだから相性は悪くないだろう。米とスパイスを混ぜてからバターを追加し炊飯を開始する。


「これでよし。お米が炊き上がるまでに頑張ってカレーを作ろうね」

「はい。頑張ります。指示してください、久留木さん」


 にこりと松下くんは笑った。

 料理番組のアナウンサーみたいだなと思いつつ、まずは玉ねぎをみじん切りにしてもらった。


「すごい! みじん切り上手いね!」

「切るのは得意なんです」

「なんかきみが言うと怖いな、それ……」

「そうですか? 外科医になったら怖くないですか?」

「外科医になるの?」

「久留木さんに格好いいって思ってもらえるものになります」

「将来の選択を押し付けるのは重すぎるからやめてくれる?」


 フライパンに油をいれ、みじん切りにしたパクチーを加え、匂いが立ってきたらみじん切りにしてもらった玉ねぎを加える。


「久留木さん、大丈夫ですか?」

「飴色玉ねぎは……冷凍してからやるともっと早くできるよ……目痛い……つらい……」

「なるほど。冷凍することで細胞壁を破壊するんですね」

「ん? うん? そうなのかな? 松下くん、豚バラ焼いててもらっていい?」

「分かりました」


 松下くんは指示通り、油におろしにんにくを加えてから豚バラを焼いてくれた。素直でいい子だ。私は飴色になった玉ねぎにトマトをくわえ「ああ、目が痛い」と呟きつつ、水気がなくなるまで炒める。


「久留木さんは作り方を調べないんですね」

「そうだね。テキトーに作ってる」

「それでできるのはすごいですね」

「できないかもよ? 美味しかったときに褒めて」


 買ってきたスパイスを加えてさらに炒めるとカレーのいい匂いがしてきた。松下くんが焼いてくれた豚バラを入れて混ぜてから水を入れる。


「あとは沸騰させて、弱火でコトコト煮込むだけ」

「炒めるときは強火で煮込むときは弱火なんですね」

「え? ……気にしたことなかった。うん、でもそうだね。その方が美味しい」

「本当に手慣れているんですね」

「そうね。両親が料理好きで自然とやるようになって、もう料理は趣味みたいなもんだよ」

「ご両親は料理人なんですか?」

「違う違う。普通のサラリーマンと専業主婦だよ、ただ料理が好きなだけで……、……」


 そこまで話して口をつむぐ。


「どうしました?」

「松下くんって話しやすいね」

「駄目ですか?」

「……警戒心が薄れて困る」

「なんですかそれ……かわいいですね」


 松下くんは頬を赤くして笑った。

 それが素直な笑顔に見えてしまって『これはまずいな』と思った。うっかり好きになってしまいそうで――私の『予感』は当たるのに、私の感情は予感には従わない。


「久留木さん」


 松下くんが私のエプロンを引っ張るので「やめて」とその手をはじくと、ひょいと腰を引き寄せられた。あ、と思った時には後ろから抱きしめられてしまっている。

 クロエの香りがする。しかも私はそれを嫌とは思わなかった。

 ……悔しい。これは完全に絆されている。


「……手慣れているのは松下くんの方ね」

「俺、嫌ですか?」

「うーん……」


 松下くんの腕は私の腰に少し触れるだけだ。

 痛みはないし怖さもない。私の肩に彼は顎を置いているけれど、ただそれだけで、それ以上触れるつもりがないのが分かる。こういう手口の男は結構いる。始めからラブラブカップルみたいなことをしてこちらを勘違いさせるのだ。

 そしてこっちが嵌ると金銭を要求し始める……そんなことを思いつつ彼の顔を見る。


「きみは悪い男だ」

「そう思われるのは不本意です」

「実際そうでしょ……、金持ちなんて誰かの敵なんだよ……」

「俺は誰かの敵になるような商売はしていませんよ。それに今までこんなことしたことないので……心臓割れそうです……」

「うそでしょ?」


 松下くんの腕の中でくるりと回り、彼の胸に耳を当ててみる。


「うわ! ほんとだ、すごい! 象みたい! バクバクしてるね!」

「ちょっと久留木さんっ……」

「あははっ可愛いじゃん……あ……」


 見上げると松下くんは顔を真っ赤にしていた。

 私が離れると、彼はよろよろと歩き、冷蔵庫の前に座り込んでしまった。


「……え、ごめんね?」

「……弄ばれた……」


 そんなつもりはないと抗議をしようとした瞬間に扉が大きな音を立てて開かれた。

 飛び込んできたのは黒いパーカー、黒い帽子を目深にかぶった中年の男性だ。その顔がどこかで見たような気はしたが思い出せない。


「あ、開いちゃった……うっ、うう……」


 彼は何故か狼狽えた様子だが、しかし覚悟を決めたように私たちの前に立った。


「ひっ、あ……、う……」


 私たちに言いたいことがあるのは間違いないが、覚えがない。


「松下くんの知り合い?」

「いや、俺は知らないですよ。久留木さんじゃないですか?」


 私が彼を見ると、彼もまた私を見ていた。どうやらお互いにお互いの知り合いと考えていたらしい。つまり、どちらの知り合いでもない。


「このマンションの住人?」

「……いや、それはないでしょう」


 松下くんが私の耳元で「スニーカーが年代物過ぎます」と呟いた。たしかにその男性のスニーカーは薄汚れていて、ボロボロだ。特に高級なスニーカーブランドでもない。


「このマンションはセキュリティー厳しいはずなんですが、……便乗では入ってこられますしね」

「車の方だと無理そうだったけど」

「そうですね。高級車ばかりなのであそこからは厳しいでしょう」

「でも普通の入り口なら共有部までは入ってこられちゃうのね……」


 松下くんは「久留木さんはここから動かないでくださいね」と私の耳に囁いてから「……あの、申し訳ありませんが、どちら様でしょうか?」と言いながらその男性に向かって歩き出した。

 が、その男性はその質問には答えずにパーカーのポケットから小さいナイフを取り出した。


「ちっ近づくな!」

「あ、はい」

「戻っておいで、松下くん」

「そうですね……」


 大人しく私の隣に戻ってきた松下くんは「困りましたね、不審者のようです」と淡々と私に囁く。

 あまりにも彼が落ち着いているので私もそれほど動揺していない。そもそも向けられたのはとても小さいナイフだ。大型のカッターナイフの方がよく切れそうなぐらいのそのナイフをかざして、男性はぶるぶると震えている。

 この男性、どうやらナイフの使い方わかってなさそうだ。

 要求を持ってここに来たようだけど暴力に慣れてなさすぎる。……そんな人がわざわざこんなところまで来るのは不自然だ。一体、なんの用件だろう。

 松下くんがさりげなく熱々のカレーが入った鍋を持とうとしたので「食べ物を武器として使ったら怒るよ」と囁く。松下くんはちらりと私を見て「仕方ないですね」と手を引っ込めた。


「松下くん、本当に知り合いじゃない?」

「どこかで見たような気はしますが……」

「本当? 私もどっかで見たような気はして……」


 私たちはカウンターキッチン越しに彼を眺める。

 しかし、どうしても思い出せない。松下くんがまたアイスピッグに手をかけるので、「だから調理の道具を武器にしないの」とその手を止めてから、「あのー」と本人に聞くことにした。


「なんのご用件ですか?」

「うっ、うっ……っか、っかねをだせ!」


 松下くんと目を合わせる。


「「あ、普通に強盗ですか?」」


 そして私たちは強盗に言ってはいけないであろう言葉を、同時に口にしていた。


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