四人集まれば何々の知恵
睡眠不足が続いているせいで、私の目の下にはコンシーラーで隠しきれないほどのクマができている。だから、クマを隠しきるのは諦めて、派手な口紅を塗り、視線を口元に寄せさせることで誤魔化すことにした。本当にそれで誤魔化せているかどうかについては言及しないものとする。
口紅を塗り直すだけという化粧直しを終えてトイレから出ると、「舞ちゃーん」と声をかけられた。
「由美さん!」
小柄で童顔、まるで女子中学生のような女性が私に向かって軽やかに駆けてくる。両手を広げて受け止めた。
五十嵐由美――今日の対局相手の一人である彼女は私に飛び付いて、えへへと笑う。彼女からは甘い花の香りがした。
「由美さん、公式戦は久しぶりじゃない?」
「そうなのー、やっと本職やれるー」
同じ女流雀士とはいえ、由美さんはグラビア、ドラマや映画にもひっぱりだこの麻雀界の稼ぎ頭。今日の対局(生放送でネットに配信される)も彼女の知名度でスポンサーが集まったと聞いている。私の三倍は稼ぎ、五倍は忙しくしている人だから、こんな風にゆっくり話せる機会はとても貴重だ。
「てかさー、舞ちゃん、旅行しようよー温泉行きたーい」
「いいね、どこ行く? 箱根?」
それでも由美さんは、私にとっては気安い友人だ。
「熱海でもいいよねー、ア」
由美さんは急に思い出したような声をあげた。
「そういえば見たよー『鋼の女王』! あははっ嫌そうな顔ー」
「……由美さんは『卓上に舞い降りた天使』だからいいかもしんないけど……」
「この年で天使って言われるのもきついんだぞー!」
由美さんはキャラキャラと笑いながら私の脇腹をくすぐってきた。私より十近く年上のはずなのにこの愛らしさと透明感。これはモテるわと思いつつ由美さんの頭をつかんで引きはがす。
「やめてよ、おなかに肉ついたの!」
「うそうそー舞ちゃん細いじゃーん!」
「細く見せてるだけ。もうショートパンツきついのよ……」
「ワンピースにしたらいいじゃーん」
「やだ! ショートパンツ好きなんだもん!」
そんな風にトイレの前で由美さんといちゃついていたら、遠くから「ババアがはしゃいでんじゃないよ」と野次がとんできた。
今日の対局相手の一人である『最高位』こと斎藤さんだ。
「うるさーい、ジジイー」
「うるせーババアー」
恐らくこの麻雀界の男女トップがそんな低レベルな言い合いをしてキャッキャしている。やはり強い人は若いと思いながら、彼らを眺めていると、斎藤さんが私の方を向いた。
「久しぶりだなあ、舞ちゃん」
「私を未だにちゃん付けするのは斎藤さんと由美さんだけよ。今年で三十路なのに」
「三十なんてまだまだケツ青いわ。それより顔色悪いぞ。ちゃんと寝てんのか?」
斎藤さんが乱暴に私の顔を掴み「ほうれん草食え」と笑う。このジジイ殴るぞ、と思うが相手は師匠なので「やめろや、ジジイ」に抑えておいた。「おうおう、口が悪い女だな」と斎藤さんはけらけら笑う。
このジジイが未だにモテるのはこういうところからだろう。口は悪いが情に厚い人だ。
――四天王が集った! 『第一回ニャン動画雀王』決定戦!
今日の対局の煽りはそれだが、実際はネット上でアンケートを取って選ばれた四名による普通の対局だ。『斎藤組』三名と由美さんなんて、私個人としては新鮮味がないがネット上では夢のマッチングらしい(ちなみに『斎藤組』というのはこのジジイ――斉藤隆――を師匠に持つ雀士の集まりで、上は九〇歳、下は二一歳まで幅広い年齢層が集まっている)。
ネット上の需要はよくわからない。
とはいえ私としても、斎藤組最年少『ネット王子』こと矢田喜一くんと打つのは久しぶりなのだけど……。
「それで舞ちゃん、『王子』がどこにいるか知らねえか?」
「どうせ遅刻でしょ?」
斎藤さんは「またか」と頭を掻く。
私に腕を絡めていた由美さんが「師匠でしょー連れてこれないのー?」と笑うと、斎藤さんは「あいつが俺の言うこと聞いたことは一回もねえよ」と眉を下げた。
斎藤さんと由美さんという麻雀界の大御所二名を待たせられる人は『王子』ぐらいしかいない。困ったものだと私たちは肩を竦めた。
「舞ちゃん、『女王』だろ? 面倒見てやれよ、姉弟子としてあの『王子』さあ……」
「……私も正直あの子苦手なのよね……」
「そう言わずにさ、頼むよ。ジジイの言葉だと全然聞いてくれないのよ」
「私、あの子と直接打ったことあんまりないからなあ……」
「悪いな、舞ちゃん」
「まだ引き受けてないよ、斎藤さん。とはいえ弟弟子を見捨てるつもりもないけどさ……」
矢田くんは漫画で麻雀を覚えたという新世代雀士だ。
彼はデジタル機器に強く動画配信なども積極的に行っているため、ネット上で人気を博しているらしい。だがその実力については……ご愛敬といったところだろうか。
それよりも彼が問題なのは時間通りに来ないこともそうだが、とにかく、対局相手に敬意を払わないことだ。実力からではなく傲慢さから『王子』とあだ名をつけられているのも見ていて痛々しい。でも彼は本当に全く、人の話を聞かない。
どうしたものかと思いつつため息をつくと、由美さんが「あの子きらーい」と口を挟んできた。
「初対面のときに『あ、女老害だ』って言ってきたんだよー? ありえなくなーい? 隆ちゃんさー、なんであの子破門しないのー?」
「そんなことしたら可哀想じゃねえか。まいったなあ。なんであいつ敵ばっかりつくるのかな? 女は特に苦手みたいだしよぉ……インターネットで友達できたならいいんだけどよぉ……」
「できるわけないでしょー? 『ネット王子』なんて、からかわれているだけー。そうじゃなかったらこんな対局組まれないでしょー、こんなさー……」
「そうだよなぁ……今日の対局があいつにとって薬になりゃいいんだけど……」
「まあ劇薬だよねー……」
「下手したらトラウマになるぜ……」
斎藤さんと由美さんはそんな話をしながら、じとっとした視線を私に向けてきた。
「……なんで二人して私を見るの?」
「……」
「……」
「私はなにもしないよ? 普通に最後まで打つだけだよ?」
「……」
「……」
「え、なんで? 今回、飛びなしでしょ? 飛ばせないよ?」
「『鋼の女王』だよねー」
「本当になー……」
「え、なに? 本当になに?」
三十分待つとようやく『ネット王子』が現れた。彼は勿論謝ることなんてなかった。私たちは予定時間を遅らせて、ようやく対局を始めることができたわけだ。
「はあ……、じゃあ、楽しくやろうか」
そうして対局は始まった。