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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

いっぱい食べる君が好き。

作者: キジトラ

 「今日は空いてるな」


 日曜の昼間だというのにそこまで混雑していない風景に俺は驚いた。

 この曜日、この時間帯の病院は大抵人で溢れているものなのだが、どうやら運に恵まれたらしい。

 俺は受付の事務員に話しかけた。


 「すみません。303号室の佐倉葵さんのお見舞いに来ました」


 「303号室ですね。ではこちらにお名前の記入をお願いします」


 彼女が差し出した受付票に俺は『佐久間(さくま)(みなと)』と書き込んだ。


 「はい。ではごゆっくりどうぞ」


 受付票を受け取った彼女は、すぐに自分の業務に戻っていった。

 それを見た俺は彼女の病室に向かった。



 303号室、佐倉葵様。

 そう書かれた病室の前に俺は立っていた。

 病室を開けると彼女は窓から外の景色を見ていた。

 俺の来訪に気付いた彼女は嬉しそうに声色を弾ませて、


 「また会いに来てくれたの? もう来ないかと思ったよ」


 「悪い。最近部活が忙しくてさ」


 「ふ~ん。ほんとかな~?」


 怪しげにこちらを伺う彼女に俺は苦笑いで「本当だよ」と答えた。


 「それにしても、お医者さんは酷いよね。私に悪い所なんてどこにもないのに入院なんかさせてさ」


 「……ああ、そうだね」


 「まあ、強いて言うならちょっと太ってるくらい? でもこんな所に居たらまた太っちゃうよ」


 そう言った彼女は自分の右腕をさする。

 俺はその光景を見ていた。



 やせ細った彼女が、皮と骨だけに近い己の右腕をさする光景を。



ーー



 彼女の様子に異変が起きたのは、中学二年の冬だった。

 それまではいつものダイエットだと俺は思っていた。

 だが彼女がみるみるうちに痩せこけていくのを見て、俺はようやく異変に気づいた。

 どうやら食事を一切していないらしいのだ。

 最低限の栄養はサプリメントで補完し、あとは水のみ。

 それが彼女の食生活だった。


 彼女を心配したのか、葵の両親が無理矢理彼女を病院に連れて行った。

 摂食障害。

 それが彼女に診断された病名だった。


 それから葵は強制入院され、俺が高一になった今もここで生活している。

 病状は見ての通り、良くなる兆しすらない。


 「ねえ、ちょっと聞いてるの?」


 「……あ、ごめん。聞いてなかった」


 「もう! しっかりしてよね」


 葵はそう言うと、不機嫌そうに頬を膨らませた。


 「じゃあもう一回最初から言うけどさ、どうすればもっと痩せられると思う?」


 「……」


 「看護婦さんとかお医者さんとかはさ、もっと食べなきゃだめだとか言うんだよ? こんなに太ってる私に」


 葵は自分の顔をまるで脂肪がたくさんあるかのようにペタペタと触る。

 彼女には自分の体が太っているように見えているのだろう。


 「最近はさ無理矢理私の口に押し込んでくるの。酷くない? まあ、こっそり全部吐いてるんだけどね」


 彼女はそう言った。声色からだが、恐らく彼女の顔は笑っているのだと思う。

 俺はその顔を見ることが出来なかった。


 「最近さ、いいサプリメント見つけたんだー。退院したらやってみようかなって思ってるの。なんとね、食べる量がこれまでの半分くらいでーー」


 「なぁ」


 俺は葵の言葉を強引に辞めさせた。


 「何?」


 「葵は、まだ食べるの好きか?」


 「急にどうしたの?」


 「昔はさ、食べるのすごい好きだったじゃん。買い食いとかよくしてさ、母さんに怒られてただろ」


 「あぁ、そんなこともあったね。でも今はそんなに好きじゃないかな。食べても太るだけだし、食事は必要最低限に済まさないと」


 「……そっか」


 俺は荷物を持ち、立ち上がった。


 「もう帰るの?」


 「あぁ」


 「そっか。じゃあまた今度ね!」


 「うん。またな」


 俺は葵の病室を出た。

 ふと振り返ると、彼女は「またね」と俺に手を振っていた。

 俺は彼女に手を振りながら病室の扉を閉めた。

 病院の通路を早足で歩いていく。その最中、俺は覚悟を決めた。


 もうここには来ない、と。



ーー


 

 教室の中ではすでに掃除が始まっている。まじめに掃除する奴もいれば、サボって友達と駄弁っている奴もいる。

 俺はその様子を教室のベランダから見ていた。

 普段は俺も友達と駄弁るタイプなのだが、どうも最近はそういう気分になれない。


 葵への最後のお見舞いに行ってから、一か月が経った。

 俺はあの日から一度も彼女に会っていない。

 前までは行けなくても、一週間くらいだったからさぞ葵は驚いているだろう。


 「はあ」


 空を見る。

 雲一つない青空だ。

 ここ最近は空ばっかり見ている。

 理由は俺にも分からない。

 いや、分かっているけど分かっていないふりをしているだけだろう。


 「おーい湊。そろそろ先生来そうだから掃除しようぜ」


 ぼうっと空を見る俺にそう話しかけたのは親友の徳馬だった。

 俺の顔を見た徳馬は不思議そうに訊いた。


 「なんかあった? 機嫌悪いときのブルドッグみたいな顔してるけど」


 「別になんも。てか機嫌悪いときのブルドッグってどんな顔だよ」


 「そりゃあ、レゴ踏んだ時の松岡修造と同じ顔だよ」


 「知らん物を知らん物で例えるなよ」


 「はは、やっぱお前のツッコミ面白いな。てかさ、葵ちゃん元気か?」


 不意に聞かれたその質問に、俺は体を硬直させた。


 「もう入院して二年くらいか。拒食症だっけか、早く戻ってきてほしいよな」


 脂汗が額に滲む。

 言葉が詰まってうまくしゃべれない。


 「俺、バイトとかいろいろ忙しくてまだお見舞い行けてねぇし。お前はちょくちょく行ってんだろ?」


 徳馬にばれないように静かに息を整えて、


 「……うん。でも、もう行かない」


 「は? なんでだよ」


 「俺が葵に会うことが葵のためになんないから」


 「……お前それ、葵ちゃんの気持ち分かってて言ってんのか?」


 徳馬は怒りの表情で俺の胸ぐらをつかんだ。


 「しけた面でいるから言ってやるよ。葵ちゃんはなあ、お前の事小学生のころから好きだったんだぞ」


 「知ってる。俺もあいつの事好きだったから」


 「じゃあなんで!」


 「……の、せいなんだ」


 「あ?」


 徳馬の表情が怒りから困惑に変わる。


 「葵が、ああなったのは俺のせいなんだ」




 何気ない一言だった。

 別に気持ちが変わったわけでもなかった。

 本当に他意なんてなく、ただ一言。


 「この人、綺麗だね」


 テレビに映るスレンダーな女優を見て、幼き頃の俺はそう言った。

 その隣に葵がいた。

 葵はその時何も言ってはくれなかった。どんな表情をしていたかは、想像もつかない。

 でも、はっきりと覚えていることがある。


 その時、俺は何も気づかずに呑気にテレビを見ていた。

 俺が彼女に呪いをかけたことに知る由もなく。


 そこから彼女が別の何かに変貌した。

 異様なまでの食事制限。長時間の運動。下剤で無理に体重を落とそうともした。

 彼女の両親はずっと混乱していた。そりゃそうだ。自分たちの愛娘が急に変わり果てていったのだkら。


 彼らはずっと葵に聞いていた。

 なんで、なんで、と。


 俺は気づいていた。

 それでも、気づかないふりをした。

 まさかそんな些細な発言が、悲劇を呼ぶとは思ってもみなかったから。

 でも、罪悪感にいつしか耐えられなくなった。

 だから、彼女に会い続けた。

 彼女が頑なに痩せ続ける原因が、俺にあったとしても。


 でも、もういい。


 俺が彼女を苦しめているならば、その原因を取り除けばいい。


 もういい。



 もういいんだ。



ーー



 「なら、尚更お前が何とかしろよ」


 徳馬はそう一蹴した。


 「お前が葵ちゃんに呪いをかけたんなら、お前がその呪いを解くのが筋ってもんだろうが」


 「お前が辞めてくれって一言いえば、なんとかなるかもしれないだろうが!」


 徳馬は声を張り上げた。

 反対に俺の口から出たのは弱々しい言葉だった。


 「言ったんだ」


 「もうやめてくれって、何度も言ったんだ。でも、葵は『そんなこと言うのは湊じゃない』って。『帰れ偽者』って」


 あの時、血気迫る顔で葵は俺を罵った。

 まるで見たくないものをその場から追い出すが如く。


 「それで…もう……何も、言えなくなったんだ……」


 頬に涙が流れた。

 それを皮切りに、俺の口から言葉があふれ出す。


 「なあ、お前には分かるのか? 言いたくても言えないんだよ。どんなに助けたくたって、俺には無理なんだ」


 「自分で呪いをかけておいて、俺が葵にしてやれることは何もない。ただずっと苦しませるだけだ」


 「俺は毒だ。葵を蝕む毒だ。どう足掻いたって俺がそばにいる限り葵は元気になれない」 


 「なら、もういなくなるしかないだろ……」


 対症療法ではなく原因療法。

 もしも自分が離れて彼女が元気になる可能性があるのなら。

 俺は──。


 「うるせぇ!」


 徳馬はもともと握っていた俺の胸ぐらをさらに強く握り返した。


 「何もしてやれることは無いだぁ!? なんでてめぇが諦めてんだよ! 世界中の奴が全員諦めても、てめぇだけは諦めてんじゃねぇよ!」


 「俺は毒だって!? お前いつからそんなくせぇ台詞吐けるようになったんだ? それに、毒だってちゃんと用法守れば薬にだってなれるんだぞ! 何より、お前が葵ちゃんの所に行き続けたのは罪悪感でも贖罪のためでもねぇ」


 「お前が!! 葵ちゃんを好きだからだろうが!!」


 何も言えなかった。

 核心を突かれた気がしたから。


 「薬って……どうやって……」


 「それはお前が考えることだろ。お前が毒のまま腐っていくか、葵ちゃんの薬になれるかはお前次第だ」


 ずっと、気づかないふりをしていた。

 本当はずっとずっと前から彼女の気持ちも、俺の気持ちも気づいていたのに。


 俺は──。

 俺は、葵が好きだ。


 「徳馬。俺、行ってくるよ」


 「ああ、先生とかは俺が何とかしてやる」


 俺は脇目も振らず走り出した。


 君の、葵の元へ──。



──



 病院内を駆けていく。

 学校からずっと全力疾走だったから、息を絶え絶えだ。

 でも、今は走らなければ。

 一刻も早く、君に伝えたいことがあるから。


 ただ、走る。瞼が重い。足も手も体のあらゆる所が千切れそうだ。

 でも、そんな痛みはどうでもいい。体のどこだって千切れたっていいから。

 霞がかった目で佐倉葵のネームプレートを捉える。

 そして、彼女の病室を勢いよく開けた。


 「葵!!」


 「うおぅ! びっくりした……」


 そこには、いつもと変わらない葵がいた。


 「ど、どうしたの? なんかあった?」


 「はあ、はあ」


 何もしゃべれない。息を整えるので精いっぱいだ。

 でも、なんとか息を吸って俺は言葉を紡ぐ。


 「葵……飯を食ってくれ」


 「……は?」


 葵の表情が変わる。


 「何言ってんの? 湊は痩せてる人が好きなんでしょ? なんで頑張ってる私に対してそんなこと言うの? なんでそんな酷いことが言えるの?」


 「それに私はこれだけで十分なの。ダイエットなんて年頃の女の子なら誰だってしてるでしょ。私もそれと同じ。ダイエットしてるだけ。それをなんで止めようとしてるの? ご飯を食べるか食べないかなんて当人の選択次第でしょ。そもそも湊なら私の事を応援してくれるはず。今までもそうだったし」


 「……さてはお前、湊じゃないな」


 葵の声色が変わり、周囲の空気が凍った。


 「出てけ! 湊の姿かたちをした偽者め! さては私に無理矢理ご飯を食べさせる悪魔だな。私はそんな手には乗らないからな」


 「違う。俺は」


 「失せろ。私はお前みたいな悪魔の顔も見たくないし、声も聞きたくない。私がお前の首を絞める前にその扉から出ていけ」


 葵は顔を逸らした。

 もはや俺の話など耳を貸したくないのだろう。


 でも、俺は君に言いたいことがある。

 言わなければいけないことがある。


 「葵。これだけでいいから話を聞いてくれ」


 「……」


 「俺はずっとずっと葵と一緒に居れたらって思ってて、このまま何でもない生活が続いたらって。それで、それが壊されるのが嫌だった。葵に拒否されるのが怖かった。それで、ずっとお前を肯定し続けた」


 「でも、もう嘘をつくのは嫌なんだ。俺にも、葵にも」


 「だから……俺は本当のことを言うよ」


 俺は大きく息を吸った。

 そして、声を張り上げる。

 未だに顔を逸らし続けている葵の耳にしっかり届くように。


 「俺は葵が好きだ! 葵が思っているよりずっとずっと大好きだ!!」


 「でも、俺は今の苦しむ葵が好きじゃない! 俺のために痩せ続ける葵が好きじゃない! だって俺は!」



 「いっぱい食べる君が好きだから……!」



 声を震わせて積年の想いを葵にぶつけた。

 葵は顔を逸らしたままだった。


 「あのー。少し静かにしてもらえますか?」


 病室の扉から看護婦が迷惑そうな表情で顔をのぞかせた。


 「すみません」


 俺は頭を下げ、その場を去ろうとした。

 すると──。


 「看護婦さん」


 顔を逸らしたままだが、葵がようやく口を開いた。

 彼女の表情は分からない。

 でも、その後の彼女の声ははっきり聞こえた。


 「ご飯、持ってきてくれますか? できれば大盛りで」



──



 「葵。何にする?」


 「んー? 何にしよっかなー」


 彼女はメニュー表を睨んでいた。

 パンケーキやパフェ、プリンにワッフル。いろいろな種類のスイーツがずらっと並んでいる。

 俺ですら選ぶのを迷ってしまうくらいなのだから、彼女はもっと決めづらいだろう。


 「ていうか、迷う必要あるのか? 今日は好きなだけ食べるんだろ?」


 「んも~。退院して初めてのスイーツだよ? 最初に食べる奴が大事なんじゃん」


 「……そっか」


 今日は確か俺が奢る約束になっているはずだ。

 今日のデートが終わればきっと、財布が軽くなっているだろう。

 俺は静かに覚悟した。


 「……」


 未だにメニュー表を険しい顔で見ている葵に、俺は話しかける。


 「なあ、葵」


 「ん?」


 「葵はさ、食べるの好きか?」


 俺の質問に彼女は満面の笑みで答えた。


 「うん! 大好き!」




良ければ感想をお願いします。

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