後編 獄
あの後、気が付くといつものお堂で目を覚ました。チャガマやヤタの第三者視点では、いきなり消えた様に見えたらしい。
しかし、ミハシラ様の言うようにこの場所に戻ってみたら寝ていたということらしい。
起きては寝ての繰り返して、もう一度体力を蓄える。
気を失う前に見たあの廃墟となった町。どうしてもあそこが気になる。
しかし、あの町に向き合うには相当体力を消耗する。
あの後もう一度だけ、ミハシラ様に登らせてもらいあの町を眺めた。
吹き抜ける風は体から熱を奪い、町の事を考えようとすると頭の中の靄が思考を邪魔して気力を奪う。
考えなければ、気にしなければ、良いはずなのに。
そうすれば、チャガマやイナリ達と特に労せず和やかに過ごせるのに。
しかし、気が付いてしまった以上、知ってしまった以上。
何があったのか気になってしまった。
そんな思いを持ったまま、ある程度たった時。珍しくヤタが飛んできた。
近くの枝にとまる。そのしぐさもヤタらしくなくかなり慌てていることが伺える。
「カミサマ。伝言です。」
「ミハシラ様からかい?」
「いえ、それが、・・・初めて見る方からです。」
「初めて見る方・・・。」
いつも空を飛び回って、偵察しているヤタが初めて見る方と言う。だったらそれはこの森に居るものではないのだろう。
「あなたにお会いしたいそうで。その許可を求めています。」
言い方が気になる。会いたいなら会いたいと伝言すれば良いのに、わざわざ許可を求めてくる。
少なくともこの森にはそんな回りくどい事をするものは居ない。それに仮に許可しないと返答するのは、かなり拒絶の意味合いが強く出てくる気がする。
「わかりました。会いましょう。どちらにいます?」
「我々の森の境界付近です。下へと降りる階段の所。」
この神社のある丘の上へ続く、長く険しい階段の事だろう。であれば場所はわかる。
すでに参道を成していない、かすかに残った石畳を目印に森を横切る。
石畳の終点と階段の間に鳥居があったはずだが、周りの木々が大きくなりすぎてまったく目立たない。それでもその場所に鳥居は立っていた。
その鳥居の向こう側。急斜面の階段に目指す人物が居た。
その人物は遠目には白とか銀の毛皮に覆われた熊の様にも見えた。しかし、近づくと毛皮に見えた物はもっと人工的な物でそれを着た人であると分かる。
実物をこの目で見たことは無いが、写真などで何度も見たことがある。宇宙服だ。
場違いな宇宙服の人間はこちらに気が付き、手を挙げている。その表情はサングラスの様に真っ黒なシールドで覆い隠されまったく見えない。
「初めまして。」
「初めまして。」
宇宙服越しなのにその人の声は普通に聞き取れた。
「私は調査員でして、この世界を調査しに来ました。」
「調査、ですか。」
「ええ。前々からこの世界は気にかけていたんですが、少し前に大事件が起こった事を知りまして。今回こうして押っ取り刀で駆けつけて、調査を開始しようという次第です。」
「では、ここで何が起きたのか知っているんですか?」
「私が知っているのはあくまで外部からの観察、つまりは第三者の視点からの大雑把な所のみです。この世界に起こった事自体は全く。」
調査員は首を振る。宇宙服を着ているためかなりのオーバーリアクションで示してくれる。
「ただ、鍵となる場所にはおおよその見当はついています。」
ゆっくり振り返り、眼下の町を見る。そこに風が吹き込んでくる。
「この吹き荒れる風の出どころ。一軒の住宅です。」
指示された方に目をやると、黒い靄の様なもので覆われた一軒の住宅がある。確かに風上はそちらの方角のようだ。
「いくら調査員と名乗っても、この世界で私だけで出来ることはありません。あなたが行かなければ、あの住宅にたどり着くことも出来ないでしょう。」
「なんで自分が必要なんでしょうか?」
「カミサマ・・・だからじゃないですかね。」
「いや、だって、それは、只の・・・」
イナリとチャガマの勘違いであって、そんなことは無く自分はただの人である。そう続けたかったが、うまく言葉に出来ない。
「後はあなたの気持ち次第です。私はあなたに強要することはできません。しかし、あなたが知りたいと思うのであればできうる限りの助力は惜しまないつもりです。」
両手を広げ、さあどうすると暗に聞いてくる。
「・・・わかりました。一緒に行きましょう。」
「そうですか。それは良かった。」
宇宙服と握手を交わす。当然温かみは伝わってこない。
「あの・・・。」
不意に下から声がする。チャガマだ。
「僕たち森の生き物はここを降りて向こうには行けないので、ここで留守番しています。」
申し訳なさそうに俯き辞退するチャガマ。自分としては付いて来てほしいところだが。
「そうか、それならしょうがない。」
チャガマ達の見送りを受けて、二人で降りていく。一段毎に気温が下がっていく気がする。
「寒くてしょうがない。」
「この格好なので風除けぐらいにはなれますが、あなたを温めることはできません。ゆっくり休み休みで行きましょう。」
階段を降り切った先の住宅街の路地をゆっくり一歩一歩進む。
凍てつく向かい風の中、一歩踏み出すごとに体力が奪われる。ある程度進んだら、彼を風除けにして少し休む。そんな事を何度か繰り返し、普通に歩く数倍の時間をかけて問題の住宅にたどり着いた。
黒い靄で覆われて、陰鬱な感じのする住宅。その敷地内に入ると風は収まった。しかし、風がないだけで、凍える寒さはそのままだ。
「たどり着きましたね。」
「この家に何があるんですかね。」
「さあ。でもその答えがその扉の向こうにあるのでしょう。」
「・・・そうですね。では、行きますか。」
話しかけながら自分にも気合を入れる。
「はい。」
玄関のドアを開ける。余計な力が必要なわけでもなく、まるでついさっきまで普通に使われていた様に軽く開く。
玄関と廊下は奇麗だった。外見は廃墟だが中は使用していた時そのままだ。
なんとなくいつもの癖で、靴を脱いで入室する。
廊下の突き当りにはリビングダイニングとカウンター越しにキッチン。しかし必要な家具類は一切なく部屋の間仕切りのみ。
唯一発見したのは壁に掛けられた時計だった。
「おや、どうやら時間が設定されていないようですね。」
そういいながら彼は時計に手を伸ばす。
「まずは過去に行きますか。」
宇宙服の大きなグローブが器用に短針を反時計回りに回しだす。その手が止まった途端、家具やら小物やらがいきなり現れた。
リビングのテーブルの上は漫画やゲーム機が置かれたエリアと、書類の束と専門書籍が置かれたエリアに分かれている。
そして、壁際のコートハンガーには学生の制服と大手メーカーのロゴの入った作業着がかかっている。
一方のキッチンには数多くの調理器具と共にエプロンがハンガーで吊るされている。
「在りし日の様子ですね。この時はまだ何も問題はなく、どこにでもある普通の温かい家庭ですね。」
気が付けば身に染みる寒さが和らぎ、むしろ温かく居心地が良い。
「・・・ずっと、ここに居たい。」
心の声が口から出てしまう。ここであれば傷つくこともなくぬくぬく過ごせるのに。
「そうできればいいのですが、これはただの残響みたいなものですから。」
彼はそう言って時計を時計回りに回す。
全体として大きな変化が有るわけではないが、テーブルの上の書類の束の上にこれ見よがしに目立つ一枚。
そこには解雇通告の文字が並んでいる。
理由としてはその人に落ち度があると言うよりは、犯罪を犯した部下への監督責任を問われた形で会社から部下ともども切り落とされた。
テーブル横のソファーには黒いシミがぽつりぽつりと現れてきている。
「ここが、きっかけですね。」
「はじめは全く理解できなかった。悪くないのに、全てを押し付けられて。」
「・・・もう少し先に進みますね。」
再度、時計を動かす。
ソファーに付いていた黒いシミはどんどん広がっていく。そしてテーブルの上から紙の束や本やゲーム機の一切が無くなり、その場所には数多くの酒の空き缶が転がっている。
コートハンガーには学生の制服だけとなる。
キッチンのほうも様子が一変し、調理器具やエプロンは無くなり、近くのスーパーの制服と、所謂夜職と思しき目を引く衣装が吊るされている。
また。冷蔵庫の前面には時間帯的に会えない為に書置きされたメモがびっしりと張られている。
そのメモも、黒いシミに浸食されている。
「お父様は依存症に、お母様は欠けた経済力を補おうと兼業。結果この家から暖かさが失われていった。」
「だから、僕はこの部屋にはなるべく近づかなかった。自分の部屋で一人で居るほうが、現実を忘れられたから。」
その言葉とともに、部屋のコートハンガーにかかっていた学生服が消える。
自分の部屋に向かう。模様替えとかに興味がなかったから、小さいときからあまり変わっていない。小学生時代に父親と一緒に行った博物館で買ったもらった地球とスペースシャトルのポスターが張ったままだった。
そしてクローゼットには先ほどの学生服とバイト先の制服。
「最初は年齢をさばを読んでバイト募集に応募したんだ。年齢が足りてなかったから。でもすぐにばれてね。事情を話したら快く雇ってくれた。今の僕にとって一番居心地がいい場所かもしれない。
学校はちゃんと行ってるよ。・・・でも友達は居なくなった。強がりを言えばこちらから捨てた。みんな、僕を気遣ってくれるけど、それがかえって苦しかった。」
「・・・全て、思い出したのですね。」
「・・・うん。」
事の始まりはあの日の前日に、少し体調が悪いのを無理してバイトをした事だろうか。
翌日、予想通り体調が悪化した。高熱と頭痛と咳にやられてベットの上でもがいていた。
平日だったため、学校に行くべきだがとても行ける状況では無い。かといって、学校に休みを伝えてくれる人が居ない。
母親はいつも通り明け方に帰ってきて、今は熟睡中で起こすわけにはいかない。父親は、あてにはならない。
そして無断欠席となったわけだが、学校からは連絡は来なかった。
昼前には母親がパートに出かける。時間に追われている母親は外出寸前に靴が有ることで、僕が家にいることを知ったようだ。
「どうしたの?体調悪いの?」
わざわざ僕の部屋まで戻ってきて声をかけてくれた。
「ちょっとね。寝てれば治るよ。」
「そう。ゆっくり休みなさい。・・・早く帰ってきてあげたいけど、・・・。」
母親は申し訳なさそうな顔をしている。母親の自由に使える時間は少なく、家に帰ってくるのは明日の明け方であることは知っている。
「大丈夫だよ。行ってらっしゃい。」
「ごめんなさいね。行ってくるわね。」
強がって送り出す。
そして、夕方。家の電話機が着信を告げる。
リビングのほうで物音がして、呂律の回っていない口で対応しているのが扉越しに聞こえる。
やがて会話が終わると、父親が僕の部屋に来てやはり呂律の回っていない口で何かをしゃべっている。
曰く、バイト先から無断欠勤の理由を問いただされた事。それに対して懇切丁寧に謝っておいてあげたとの事。そして酒が無くなった事。謝罪がてらバイト先のコンビニに赴き酒を買ってこいとの事。
「やだよ。ママにもあれだけお酒は飲むなって言われてるじゃん。それに体調が悪くて休んでるのになんでバイト先に行かなきゃいけないんだよ。」
そう言い返したが、父親は同じことを繰り返すだけで、こちらの話を全く聞いていない。
とうとう根負けした。このまましゃべり続けられたら安静のしようがない。それだったらさっさと買い与えて黙ってもらうほうが良いと判断した。
「わかったよ。行ってくるよ。」
その答えを聞いて、リビングに戻っていった。何と現金な事だろう。
鞄から財布を取り出し確認する。紙幣が一枚。これならある程度の量は買えるだろう。
できうる限りの防寒を着込んで、外に出て自転車に跨る。
体調が悪く、集中力もないため、ふらふらと左右に蛇行しながらなんとか進む。いつも通っている道なのに曲がるべき場所を直進してしまったりして、あらぬ方向に進んでしまう。
働かない頭を何とか回して、コースの再設定をしようとしていると、見慣れた階段が目に付いた。
学校終わりやバイト終わりなど、そのまま家に帰りたくない時の秘密の場所。
階段のわきに自転車を止めてふらふらと階段を上る。
お堂が一つあるだけの小さな神社。社務所のような人が住む場所が無いので常駐している人はいない。
参道を歩いているとかさりと音がして茂みが揺れる。
裏に森が広がっていてかつ無人であるこの神社は、動物がよく目撃できる。つんざくような鳴き声をあげながら空を横切る烏はもちろん、狸や狐も見かけたことがある。
お堂の裏には夏祭りの道具などを閉まっておく物置がカギも付けずに置かれている。その中に中古雑貨屋で安値で買った寝袋が隠してある。
神社の片隅にその寝袋を広げて、仮眠をしたり星を眺めたり。真冬はさすがに厳しいが、ほかの季節ではそのまま朝になっていた事も有った。
そんな感じで真夜中に一人でいると、狸やら狐やらが茂みから出てくる。こちらが向こうを観察していると、向こうもこちらを観察してくる。数秒ほどすると彼らはどっかへいなくなってしまう。
だから今の茂みを揺らしたのもその辺りの小動物だろう。
参道の行きつく先、つまり神社のお堂の前まで来て思う。
何をしに来たのだろうか。
自分のした行動ながら、目的も脈絡もなさ過ぎて可笑しかった。
ふと、せっかくだからお賽銭でも入れていこうと思いつく。
ここに来た時には場所代という心の中の建前のもと、お賽銭を入れていく。多分本音は本願成就なのだろうが。
財布の中を見てみると、ちょうど良い硬貨が品切れで、お使い用に使おうと思っていた紙幣のみだった。
「・・・酒に化けるぐらいなら。」
紙幣を財布から抜いて賽銭箱に入れる。奮発ついでにお願いもしてみる。
「このまま嫌な事から逃げられますように。ここみたいな落ち着いて静かな場所に一生いられますように。」
口から出たたわ言は空中に消える。
「・・・そりゃあ、なんも起こらないよな。」
当然の結果にため息を深くつく。そして嫌な現実を思い出して気分が悪くなる。
病は気から、とはよく言ったもの。気分が悪くなると、体調も悪くなる。さっきまで忘れていた頭痛や寒気がぶり返してきた。
立っているのもやっとだったので、その場にしゃがみ込みたかったが、ここでしゃがみ込んだら動けなくなりそうだ。
そう思い、申し訳ないとは思いながらお堂の格子戸を開けて中で座り込んだ。
そのまま意識は遠のき、眠りについた。
「そうするとこの世界は僕の・・・」
「そうなりますね。あなたから見た世界があなたの中で誇張された世界。」
誰もいない黒いシミだけが広がっているリビング。そこに僕と宇宙飛行士の姿をした人。
「・・・。」
「しかし、現実は既に先に進んでいます。」
「先に?」
彼はその後に外で起こったことを説明してくれた。
あなたの不在を最初に気が付いたのは、仕事を終えて朝焼けの中帰宅した母親でした。
不審に思いリビングで寝ていた父親をたたき起こし、あなたがどこに行ったのかを聞き出そうとしますが要領を得ず諦めます。
自分で近所を探すも見つからず、警察に駆け込みました。
そして警察官も含め捜索に当たった所、神社へと続く階段のわきの自転車が発見され、お堂の中にいるのが発見されました。
ただ、ここで些細ですが奇妙なことがあり、常日頃ちゃんと施錠してあったはずのお堂の中にあなたは寝ていました。その時も施錠されたままでした。
発見した方もその異常性から万が一を考えてしまいました。寝息を立てているか、止まっているかは判断するにはお堂の中のあなたは遠すぎました。
その可能性も口にしながらの伝言ゲームの末、解錠されました。結果、あなたは特に命に別状はないけれど、肺炎で衰弱しているということで入院となりました。
一方でその口にされた可能性は、巡り巡ってあなたの父親の元までたどり着きました。
誤報であったとは言っても、あなたの父親の酔いを醒ますには十分すぎる劇薬となりました。
「そして、一か月がたちました。」
「え?一か月?」
「そうです。あなたはあの日以来、目を覚ますことなくずっと眠り続けています。さすがの医者も原因不明で匙を投げている状況ですね。」
「そんなに・・・」
自分で全く気が付かなかった。そんなにも時が過ぎているなんて。
彼の手がまた時計を動かす。
「これが現在です。」
一番の変化はやはりテーブルの上だった。乱雑に置かれていた酒の空き缶はきれいさっぱりなくなり、その代わりに1枚の紙。
どうやら依存症治療のためのグループホームへの入所案内のようだ。
「お父様は責任を感じ、依存症を完全に断つべく状況を変えました。そしてアルバイトをしながら再就職のために資格取得を目指しています。」
一方のキッチンにはスーパーの制服のみになっていた。
「お母様は少しでも時間があるときは、あなたのもとを訪れていろいろな話をしていきます。あの日以降のことや昔話やら。何かがきっかけになってあなたが目覚めてくれるのを待っているのでしょう。」
冷蔵庫のメモが一つだけを残して後はなくなっている。そこには
帰ってきて
それだけが書かれている。
そしてソファーやメモを覆っていた黒いシミは明らかに減っていた。
「このままここに居ることも、ここから出ていくことも、あなたはどちらでもできます。
ここから出ても先ほどのような温かな家庭が戻ってくるわけではありません。あれはただの過去です。しかし、新たに作っていくことはできます。その準備はお母様もお父様も着々と進んでおり後はあなただけです。」
「僕は・・・。」
「あなたの決定を私は見守るだけです。・・・ただ本音を言えば、僕はこんな作り物ではなく本物のあの神社でまたあなたに会いたいです。」
彼の本音とともに、宇宙飛行士のヘルメットに隠されていた彼のシルエットがうっすら見える。
答えなんてとっくに決まっている。
晴れの麗らかな日差しが差し込む神社の境内。一匹の狸が日向ぼっこをしながらまどろんでいる。
そこへ狐がやってくる。
「まだこんなところにいたんですか?」
「いやぁ、充実感というか達成感というか。」
「さっさとあの人の所に行きますよ。いろいろと手伝ってくださったんですから、お礼をしに行かないと。」
「・・・そうだね。」
狸は起き上がる。軽く体を伸ばす。
「そうすれば、お賽銭は私たちの物。あとは豆腐屋に行って・・・。」
「欲望が漏れてるよ。・・・あ、そういえば聞きたかったんだけど。」
「何なりと。なんたって博識ですから。」
「僕が名乗った名前。あれの由来ってどういうの?なんか名乗ったら明らかに怪訝な顔をされたんだけど。」
「・・・さ、さあ。それより早く行かないと。」
慌てて、狐が茂みに飛び込む。それをおって狸も茂みに分け入っていく。