余談 父と子
怒りと自責、罪悪感で連日押し潰れそうだ。
このところ胃も頭も痛い。
数日置きに通うどころか、生家に泊まり込んで満足に眠れない日を過ごしている。
父に追い出されて、8日ぶりに家で寝たが、眠りが浅い。
家の周りに人気がないのを確かめて安堵する。
父が骨董商で生計を立てていたが、まさかその一つが大事になるとは思わなかった。
父は価値を知っていて家族にも黙していた。
家族も気にはしなかったが、まさか招いた客人が神棚を暴くとは予想もしなかったろう。
思い返すと沸々と怒りが湧く。
父が怒り心頭で責めてくれればもう少し気が楽だった。そうでないから辛い。
合鍵で玄関ではなく、勝手口から入り施錠する。
勝手に入る輩もいるので数日締め切っている。
家は雨戸も締めて、居留守にしているために薄暗い。
「ただいま。父さん、勝己です」
声掛けして入る。家なのに、名乗りを挙げないとならない。気がささくれる。
返事があって安堵する。夜に盗人が入ってから、強盗でもあったらと嫌な想像が頭から離れない。
父は居間で茶を飲んでいた。
手元に騒動の原因である木箱がある。その中の能面に国宝級の価値が疑われている。
骨董商の押しかけがあってから、父は肌見放さずといった状態で、出掛ける時も持ち出す。
ひったくりも怖い。父は飄々としているが、僕ら兄弟は毎日が恐怖である。
「なんだお前、ちっとも休んで来なかったじゃないか。家族とゆっくりしてきなさい。何日かかずらってるつもりだ、辞めるったって仕事も未だあるだろう」
「馬鹿いわないでくれ。仕事は知ったことじゃないよ。気にしなくていいの。こんなの緊急事態じゃないか。」
僕のせいで、とは飲み込む。父も少しばかり疲労が滲んでいるが穏やかなものだ。この人は稼ぎは安定せず母が奮起していたが、精神的な大黒柱としては頼もしかった。
「父さん、明実と住まないか?」
「ヤブカラボウになんだ。新居が落ち着いてないだろ。だがまあ、何日か留守にするのはありだな」
「何日かじゃない。ずっと。母さんも亡くなって独りだし。父さんしっかりしているから未だ先の予定だったけど、最初から明実はそういうつもりで新居建てたんだよ。」
父は新居祝いに訪った時に、ずいぶん広いと呆れていた。自分の終の棲家だと知らずに褒めている姿を明実は笑っていた。
何やら父に確執があるようだが、なんだかんだと皆、父のことは好きなのだ。浮世離れした暢気さに不思議と安心する。
「この家はどうする。生家がないと困るだろう。暫く凌げば落ち着くやもしれん。気持はありがたいが…なぁ…」
「また泥棒でも入れば、話題が大きくなる。もっと増えるかもしれない。明実夫婦も了承してるし、日出君も5歳になる。僕の、兄弟の為だよ。生家より父さん
に何かある方が困るよ」
父は腕を組んで唸っている。これは動かない。決定打が足りてない。
母さんが亡くなって2年だ。父のほうが家に未練があるのだ。
「こら、お前、泣くな。いつまでも子供か。寝てこい。布団そのままだ。すぐ横になれる」
「父さん、片付けるって言ったのに、そのままかよ」
「母さんに似て口煩いなぁお前は。泣きながら言うことがそれとは参った。少し休みなさい。今日は多分静かだよ」
泣き伏せた息子に困り果てた父は、電球を消して席を立った。正直側にいて欲しかったが、まじないのような父の言葉に瞼が落ちた。
とはいえ滾滾とした後悔が頭を巡るため、夢ではなく最近の記憶が繰り返される。
嫁の家に入り、商売を継ぐ決断をした。仕事は辞することになる。同僚に惜しまれつつ、飲みになど誘われ、最後の交流を求められる。仕事よりそちらの方が忙しかった。
世話になった同僚の一人が、旧家の建築を見たいと言い出した。それに何人か同調した。
すでに家を出て何年も過ぎているが、職場に近いこともあり生家に甘え、頻繁に泊まっていた。
新築建替えブームで旧家が珍しくなったが、我が家はそのままだ。たまに写真を撮られたりしている程度には珍しい。子供時代にも古い呼ばわりだったので、価値はなかなかだろう。
父も来客を了解し、その日は夕方までぶらつくよと外出していった。数日前に手紙を受け取っていたので、もしかしたら骨董関連の集まりに行くのだ。
兄弟が成人するまでの期間、そうやってよく出掛けて一品の骨董を獲得してきていた。それを売っての生活だった。あれだけでよく家族を賄えたものだ。よほど目利きだったのだと思う。
同僚を案内して、頼んでいた出前と酒などを用意している間だった。
彼が神棚の桐箱に目を留めて、勝手に暴いたのだ。
写真を撮る音、歓声が上がる声に嫌な予感がして台所から駆けつけ、面を取らんとする所に間に合った。
自分でもよくわからない憤激で彼を殴って叱りつけた。僕の剣幕に同僚達はろくに謝りもせずに逃げて帰った。
頭が真っ白で呆けていた所を、早く帰宅した父に慰められた。謝ってくれるならいい。悪く言いふらされて自分の立場が悪くなるとしても問題はなかった。
だが最悪だった。
もともと、彼は僕の父が骨董商だったので目をつけていて、何か値打ち品がないかと下見に来ていたのだった。
父は手元にそれらを残しておらず、あてが外れかけていたところで、神棚に目をつけたのだ。
そして面も相当だった。父が家族からも隠していただけある。本物であれば、大ニュースだ。
歴史に名を残す高名な絵師が晩年に彫った四面一組の能面。その紛失した一つ。朧という面である。
猿我盲という絵師は千年前にその道で頂点をとった人物だが国も人も恨んで出家し、以降猿の絵ばかりを描いていた。猿は歪めるといい、不吉の生き物であるが、動物の方とはニュアンスが異なるらしい。見ても実のところ双方の違いは分からないが。
寺の襖絵、大屏風は現代でも残っていて有名だ。教科書に写真がある。
他に数点の猿絵がある。時代で紛失が多いだけでなく、彼の絵師の執念が篭る呪いの作品で、禍を振りまくらしい。封印されて隠されているのか、多くの書物に作品の品評が登場するが、その八割が発見に至っていない。
面はその後ついた四厄八害という呼び名で目録に名前が残されている。
四厄は八害を生じ十二禍を呼ぶ、からの由来らしく、十二禍は有名な妖魔を指すらしい。
調べても十一名しか分からなかった。
なぜにそんな呪の発生源に祭事用の面を彫らせたのか。まるで見当がつかず、奇々怪々である。
新年の奉納舞で使われる予定だったが、朧面の舞手の肌に異変があり痛くて被れず、急遽借り受けた面で舞った。
四人の舞手の内三人が、病死、水死、圧死した。圧死は地震による家屋倒壊か土石と説があり、その面は割れたとの記録がある。
病死の面は焼かれた。水死の面は傷んでいるものの美術館に現存している。
なおこれは、至高の舞手とされる嗚静のエピソードの一つだ。仮の面で踊った人である。
使われなかった朧の面は紛失のエピソードはなく、目録に名前が残るのみだ。
本物ではないかと思う。まるで息づく首が箱に入ってるような、理想的な死に顔のように見えた。
感動だけが生涯忘れられずに胸に残ると思う。もう一度目にしたいが、どことなく畏怖の念がある。
素人の僕が一瞬の邂逅でこれだ。写真も撮られている。情報が関係者に共有されたのか、それから連日買い求めようとする輩が押しかけてきている。
脅すような者もいたが、父はうまい具合に交わすし、面倒だから燃やそうかね、とか言い出して焚き火をしてからかっている。
刺されまいか心配だ。刺されなかったが夜に泥棒が入った。強盗でなくてよかった。父よ本当に寿命が縮んだ。勘弁してほしい。
つらつらと考えていると、少しばかり気が安らいで、夢が深まってきた。側に人の気配を感じる。
父では無いだろう。懐かしいが、父に似た安堵感がる。
隙間風か、団扇で扇がれているような、産毛を撫でる微風が心地良い。
夕方ではないが薄明の日光をまぶたに感じる。
穏やかな時間だ。
甘えて気配に手を伸ばす。膝に触れた。
細いため父ではない。きっと心配して夢に来てくれたのだろう。母を呼ぶ。
瞬間、ばちんと頭を叩かれた。
父が笑いを噛み締めている。漏れ聞こえる笑い声にゆるゆると目を開けた。
手にすべやかな触感がある。桐箱を抱いて眠っていた。頭を撫でるようにして確認する。父は叩ける位置にいない。錯覚だが、何をそう思ったのか。
「お前はほんとうに面白いな。箱を母さんなんて、可哀想だろう。」
言い切ると今度は遠慮なく笑っている。久し振りで恥ずかしいより安堵が勝った。
「すまなない。父さんこれ、抱えてしまって。結び直せる?紐。」
父が慣れた手付きで綺麗に結びなおす。
用意されたぬるい茶で喉を潤した。
「鑑定に出さない?早い話、偽物ならそれで騒動は落ち着くし」
「本物だったら困るじゃないか。遺言に残したがね、これはわたしの棺に入れて持っていく。先方と約束している。」
遺言の言葉に、喉が辛くなった。もう、僕は見送る年代になった。何か役割を求めているのではないが、居てくれるだけでいいのだ。こちらの決心が着くまで長く生きてほしい。
あまり優しい顔で箱を撫でるので、ふと一時期疑われた愛人の存在を思い出す。もしくは隠し子をだ。
結局の所、誤解だった。家族の心象に反して、父の友人は極めて少なかった。
気質を継いだらしい僕もそうで、特に気に入った友人にはべったりとしていた。距離感と懐き方が近い。邪推される程度には異様らしい、周りから言われて理解した。
そんな僕を通して母も察した。
「誰か友人に預けることは出来ないの?菓子屋さんとか」
「いけない。依頼主との約束でな。そこは譲れん」
厳しい表情で言われるとずしりと来る。
しかし、依頼主との約束が引っかかった。
「約束って、父さんが買い取ったものじゃなかったの?」
珍しく言い淀む。面について調べた情報が頭を駆け抜ける。
「…日の下には出せん品でな。」
「盗品じゃないよね?ちゃんと言ってくれないと、鑑定したほうがいいって言い出したのは尚三だ。棺に入れるの、揉めるの嫌だよ」
「お前なあ…。」
父が憮然とする。盗品は言いすぎた。いまさら後悔しても遅い。
深いため息をついて項垂れる。苦悩した様子に嫌な緊張をした。
「肉付の面と言うんだ。裏に皮が焼き付いた、遺品だ。これ以上は言えん」
暫くの間、告げられた言葉に血の気が下がった。
明言しなかったが、人皮だろう。
神棚に祀るのも、家族に知らせないのも信じていた理由と様相が異なる。
なんてものを、僕は抱えて寝たんだ。安堵感と対極じゃないか。
「納棺で揉めたら、勝己が執成しなさい。いいね」
父に念押される。嫌だが、長子だ。
こんなもの手放すのも受け継ぐのもよろしくない。父の代で収めなけばならない。
半泣きで頷いた。
事態はやはり看過できず、父には長女夫婦の家に身を寄せた。
楠木の旦那
嫁に先立たれた。
面が騒動になるとは思わず、頭が痛い。
外聞が悪いので、骨董商をしてると子供に偽っていた。
心残りは菓子屋のみ。
神棚暴きは菓子屋と過ごしていたのですぐに分かった。
勝己
旦那の長子。
涙腺が弱い。嫁の家は建築業。
父は骨董商だと信じている。実際は拝み屋でちょっと詐欺案件もあるのを知らない。
明実
ニ子で長女。
父が浮気していると確信している。
日出
旦那の孫。
尚三
次男。将来的に面で揉めて、兄弟縁切り。
菓子屋
ちょっと優しくしたら母親と勘違いされた。
おっさんはお呼びでない。
これで余談もおしまいです。
読んで頂きありがとうこざいました。