余談 孫と菓子屋
最初にカシヤと聞いたのは小学低学年の頃か、もう少し小さかった頃だった。
細かい日付は記憶にないが、日中珍しく父が帰宅したところから覚えている。
母は何かオヤツをオーブンで焼いていて、後片付けに流しに立っていた。
父はネクタイを緩めながらリビングを大げさに見渡した。ソファーで漫画を読んでいた息子に帰宅の挨拶を告げるより、祖父の所在を気にかけた。
祖母が亡くなって、一緒に暮らすようになった最初の時期だった。
「義父さんはいないの?」
「出掛けてる。カシヤさんのところじゃないの」
やや不機嫌そうに母が返答した。
「カシヤって誰?」
「おとーさんの愛人。多分だけどー」
「ええ?モテるとは思うけど…まさか、意外だな」
「わたしが小さい頃からずっとよ。お父さんは友人だって言ってるけど、お母さんも諦めちゃったんじゃない?いつからか話題にならなくなって放任よ」
父は納得いかないらしく、曖昧な相槌をして部屋に引っ込んだ。着替えのためだ。
部屋着着替えた父は、話題を変えずにそのまま続きを始めた。
「それってさ、駄菓子屋さんじゃないか?勝己義兄さんと飲んだときに、男の人って聞いたけど」
「え?知らない。なにそれ?」
母は蛇口を閉じると、手をエプロンで拭きながら父の側にパタパタと駆け寄ってきた。
子供心に邪魔をしないように、耳をそばだてるに徹していた。
「確か、怖い話だよ。店のラジオを聴いていてそんな話題になったんだ」
勝己義兄さんが小さかった頃に、怖いものに追いかけられた。助けてもらえる人もなく、どんどん知らない所に迷い込んでいく。
言いつけを破って、友達と悪いところに石を投げてしまった。捕まったら連れてかれる、そんな恐怖があったらしい。…なんだったかな。神社にある塚かとかだったらしいけど。石を遠くに投げるときの的にしてたんだと。
それでいよいよ体力もなくなった時に、ぎりぎりで駄菓子屋をみつけて飛び込んだ。
入るとすぐに、お店の人が坊っちゃんこっち、と声を掛けてくれた。
悪いものに追いかけられてると訴えたら、文机の下に隠れていれば助けてあげると言われて、その通りにした。
その人は隠れた義兄さんが見えないように身体で隠してくれて、しばらくすると追ってきたモノが店に入ってきた。
店主と二、三言会話して、奥の私宅の部分かな?よくわからないけど、奥の部屋にそれを通した。
それで、もう大丈夫と言われたて出てきたそうだ。
お父さんが迎えにくるから、好きに駄菓子屋を食べていいと言われて、お面を被った黒い子供と仲良くなったりしたらしい。
そのうち義父さんが本当に迎えに来て、抱えられて帰ったんだと。
その人を菓子屋って呼んでたそうだよ。
「…やだ。何それ?不思議体験?」
「みたいな?勝己義兄さんも昔だから、怖かった、楽しかったって感情くらいしか覚えてないけど、若い男の店主だったって。」
「わたし、聞いたことないんだけど」
「俺が義兄さんの立場だったら、兄弟には言わないかなぁ。菓子を沢山食べたしな。あとちょっと大人になってくると馬鹿馬鹿しい話じゃない?」
「そう、かしらね。ふーん。なんだ、愛人じゃないのね。お母さん、知ってたのかなぁ」
「途中で話題にしなくなったんだろ?知ってたんじゃないか?不審者から子供を守ってもらったわけだし、挨拶くらいしただろ。しっかりした人だったじゃないか」
「わたしだけ?ずぅっとモヤモヤしてたのよ。ちょっと反抗期やり直したいかも。お父さんにすっごい当たってたから」
つらつら続きそうな母の後悔は、祖父の帰宅する音で途切れた。
母が珍しく率先して祖父を迎える。
その後ろを寝転がってリビングの扉から眺めていた。
祖父の足元に別の人の足がある。
「どうした日出」
じっと見つめる息子の奇行に、父が身を乗り出す。
「お客さんがいる」
父は覗いたが分からないらしく、立ち上がって母の背に寄った。
祖父と挨拶してすぐに戻ってくる。
「見間違いだな日出。爺ちゃん帰ってきたから、食べに行くか」
抱き上げられて視線が高くなる。視線の先、祖父の背にいる男と目が合う。
人差し指を口にあてて、しーのジェスチャーをする。真似っ子をすると彼は静かに笑った。
「あれ?何か焦げてない?パパ、オーブン確認して。お父さん、すぐ出られる?少し休んでからにする?」
「ちょっと着替えてからにしようか。母さんの古い知り合いに挨拶して来たが、近いうち葬式になるかもしれんな」
祖父の声は落ち着いてい心地がいい。
「どこの家の方?あ、お父さん喪服、ええ、どこにしまったかしら。」
「落ち着いたら焼香に行こうか程度の縁だ。自分でやるから落ち着きなさい。」
母と祖父会話はよく聞こえる。父は俺を抱えながらオーブンを開けた。
中の熱気が熱く、目を閉じた。
焦げてない、焦げてないと父が大きな声で返事を返した。
罪人の塚
括り付けられて民衆から投石された後、首をさらされた罪人の胴体を埋葬。石碑に石を投げると祟られる伝承。
楠木日出
旦那の孫、霊感あり。
勝己
旦那の長男。妹、弟の三人兄弟。
婿入したので家は妹が継いでいる。