余談 七草粥と菓子屋
蔵を改修した駄菓子屋。梁から吊るし売りしている袋を掻き分けて、体躯の良い壮年の男が機嫌良さげに顔を出した。
楠木という拝み屋を家業にしている。
彼は小ぶりな両取手のアルミ鍋を小脇にし、中身が暑いのか額に汗を滲ませている。
蔵の奥、売り棚がなければ入口の奥向かいに引き戸がある。屋敷に繋がっており、四畳ほどの広さが高くなっていて、店主が居座る空間が整えられている。
「店主、いるかね。七草粥をもってきた」
「なんの嫌がらせですか、旦那。夏ですよ」
品の良い青年が顔を上げる。
風通しのよい麻着物は程よく使い込まれ、風合いが柔らかい。楠木とは対象に薄い身体つきの店主は涼しげに見える。淡茶は店主の柔らかな雰囲気によく似合っている。
「外は正月だ。妻が気を利かせて、友人とどうぞと用意したんだ」
ここはあの世とこの世の狭間にあるような、世迷言のような場所だ。一年中灼熱の夏に固定されている。
そこに店を構える店主は人外である。
肉付きの面という忌み名の着いたそれが、とりあえずの店主の正体だ。火災で亡くなった者の無念が集約した怪異である。
「浮気を疑われてますよ旦那。」
「お前、よくよくそういう冗談を口にするね」
憮然として楠木に、店主は露骨なため息をつく。
「奥様に菓子屋が隠語に思われていますよ。陰間と噂されるのは嫌ですからね」
この旦那はちょいちょい来る。なんてことない話を二、三話して帰る日が多いが、来ない日を数える方が早い。友人がいないのか、寂しいのか。悪さもできない。
「誰が噂するんだ」
「気分、気分の問題です。」
若干の苛立ちを滲ませ、語気強く菓子屋が言う。
しかしすぐにスッと和やかな顔になると、商売人に戻る。
「新しく冷やし飴を始めました。いかがです?」
「スルメがいいな。勝手に取らせてもらうよ」
「よいですけれど。旦那、七草粥は邪気払いですよ。嫌がらせですよね?」
「馬鹿者。善意と季節感だ。時節を感じなさい」
楠木は勝手知ったる店内から目当ての瓶を素早く見つけた。酢味の強いスルメを選ぶ。
店主が鍋蓋を開けたり閉じたりする音が聞こえる。
興味は持っている様子だった。あの怪異は子供らしさを残していて、新しい菓子や外の食べ物を喜ぶ。
同業の助言と面が家内にバレたのをきっかけに、行李から取り出し、神棚に上げてから店主は苛立っている。
家内の真心か、持ち主の心象も受けるのか、得体のしれない不気味さは鳴りを潜めた。驚くほどに人間らしい。
御神酒を供えたところ菓子屋に嫌味を言われて家内が冷やし飴を供えた。あれは都合よく子供ぶる。
面の由来が焼死した子供にあると知って、家内はずいぶんと大事にしている。
菓子屋は冷やし飴を気に入ったらしい。
澄ました顔で勧められた時は擽ったい思いをした。
たちの悪い怪異だと頭の片隅に気持ちがあるが、大半の楽観的な考えが、己が在る限り好転するだろうと信じている。
しかし、実のところ厄を齎す性質は変わらない。
面には愛人の霊も在る。面の謂れが内包する不幸に家庭不和があったことを彼は失念していた。
楠木は早々に愛妻に不信の目を向けられて一時離縁の危険になった。腹に子がいたから説き伏せる機会を貰えたが、冷汗をかくはめになった。
菓子屋は楠木をお馬鹿とせせら笑い、夫婦のよりが戻る間、楠木を出禁にした。
楠木の旦那
末っ子なので、兄の友人など年上との付き合いが多かった。後輩や弟に憧れていた。
好奇心で幽霊やら怪談やらに顔を突っ込んでふらふらしている間に、友人と疎遠になったり距離を置かれてしまった。
欲しい属性そろった奇跡の出合いに有頂天。
妻
幽霊関係で楠木の世話になり、嫁入りする。
ちょいちょい出掛ける上、菓子屋に行ってきたと言いながら土産もなくご機嫌な夫を怪しんで後をつけるが、見失うこと数度。腹に子供いる不安な時期と重なり、浮気を確信する。
菓子屋
実績ある悪霊なのに神棚に祀られて、まめに水やら菓子やらを供えられて困惑している。
悪霊の希求にマッチした対応をされて、一時的に鎮静化している。仲間を増やしたいが、旦那がちょいちょい来て間に立つので悪霊業が出来ていない。
諦めてからは道理を曲げて、旦那の存命期間一家の守護に腐心する。
約束は守られなかった。
奥さんの不安を見ているので、旦那に忠告はしていたが拗れて大層喜んでいる。