真夏をゆく
初めまして。
お読み頂き、少しでも娯楽になれば幸いです。
和風な異世界で、怖い話になりませんでした。
3話です。連日投稿して終わます。
つい、四日前に訪れたのだが、と内心で首を傾げた。
相談事の手紙を受け取った後日、差出人に挨拶を済ませた。今日は詳しい話を詰めようと、相手先に向かっているはずだった。
迷いなく着いた住所を見失っている。腑に落ちないが、どこかで道を間違えたのだ。それで、棄てられたような、あるいは新しくできたばかりの道を1人歩いている。
中天の太陽が真正面から、真夏の熱射を投じている。それは左右に聳える壁と道に敷き詰められた砂利とに反射して一面は益々白む。左右の壁は二人分の背丈ほどある。本当は屋敷の塀であるが、異様な高さに庭木の枝が届いていない。
一本道だ。日差しをよける術がない。先は暑さで濡れたような蜃気楼を揺らめかせており、終わりが知れない。
顎を滴る汗につき、意識が薄れていくような錯覚に襲われる。
綿入りの羽織を脱ぎ、着物も肌着も寛げた。しかし、幾許の涼しさもない。どうして夏用の着物を下ろさなかったのか、後悔を繰り返すたびに喉の渇きが耐えがたく、吐く息の熱さに焦燥感が増していく。
間違いに気がついた時点で道を戻ればよかったのだが、何処かで曲がれば正せるなどと、呑気に歩いて随分経つ。戻るのも億劫な距離に来て、殺人的な暑さに至っている。
風景は益々白く輝いていて目を開けているのも辛い。よろめいて壁に肩を摩って正気づいた。
いつの間にか蛇行して、反対側の壁にぶつかっていた。このままでは熱死してしまう。
何とかして壁の中に入れないものかと目を凝らし、少し先に初めての異変を見つけ、私は期待を大にしてそこに寄っていった。
闇の口が開いていた。希求した陰がそこに溜まっている。
強い日差しに焼き続けられた目には奈落を覗いたように見える。
一つは店の暖簾である。舟の帆のように斜めに張られた紺色の布に、菓子屋と白抜きで書かれていた。
壁と一体になった入り口は、どうみても蔵の入り口だ。
どっしりとした扉は内側に向かって開かれている。光源はこの扉と天井の採光窓に限られるのか、慣れぬ目には相変わらず陰として見える。錯覚かひやりと涼しい。
この道は元々私有地だったところを買い上げて通したのか、何かを搬入するために拵えた蔵だったのか。
…いや、確か機能を失って、菓子屋として再利用している。
助かったの一心で踏み入れ、注意をおろそかにした足が傾斜にとられて膝が落ちた。
外と蔵の床には高低差がある。店に改装するにあたり、出入りしやすいよう木材で傾斜を作ってあった。一瞬ヒヤリとしたが、店の配慮がなければ怪我をしていた。
だが、転ばずとも身体の均衡を崩した衝撃で突き抜けるように頭痛が走った。
日照りに長く晒された影響だ。助けを呼ぶのも憚られる酷い痛みに呻く。それでもしばらく耐えていれば、痛みが和らいだような心地になった。
目が慣れる。そこは多種の駄菓子がガラス瓶に詰められて並び、天井の梁から吊り下げられた凧型の広告がひらひらと揺れる夢のような場所だった。
わたしが子供であれば、間違いなく興奮していたであろう。吊り下げられた菓子が暖簾のように視界をふさぐので、すべてを見渡すことは出来ない。
天井まで見ようとして顎を持ち上げれば、再発した頭痛に呻き声をあげてしまった。
それが店主に届いたようだ。誰かしらの声が耳に届いただが、なんと言ったのか聞き取れなかった。
目線を投じたが、やはり吊り売りの笛飴の袋に遮られ、相手を見ることは出来ない。少なくとも入店を拒否するような言葉ではなかったように思われた。どう思われたとしても、私には助けが必要だった。
声のした方、入り口から真っすぐ進んだ奥へと足を進めた。
「いらっしゃい。おや旦那、お顔が真っ白ですよ。暑さにやられましたか?もう少しこちらへ来なさって下さい」
笛飴の暖簾をくぐるように進んだ先、一段高くなった蔵の終点に声の主が座していた。
立った客と、座る店主との目線が同じ位置に来るような高さだ。わたしは長身に分類され、やや店主を見下ろす形で相対した。
彼は私より若かった。
15歳は過ぎているだろうが、18歳には届いていないのではないだろうか。童顔にしても違和がある。
きちんと正座した姿に品を感じさせる青年だ。
陽を知らなそうな染みのない肌が消炭色の着物に目立つ。彼には若干色合いが濃く、惜しい。
声をかけられた時点で、何故か老婆だろうと思い込んでいたわたしは非常に驚いた。
はっきりした声は若々しい。やや高い声は女性とまではいかずとも中性的で、老人の声に錯覚させる原因は感ぜられない。
「生憎ラムネしか冷えてないのですが、どうぞこちらへ。少しお休みになって下さい。命に関わりますから」
手馴れた様子で床几を進めた。店内で飲食したい子供用だろう。
気を持ち直したわたしは、なんとか礼を返して好意を受け取った。
氷室らしい箱から取ったラムネは抜群に美味かった。
帳場格子に帳場机、算盤、箪笥と一通りそろってあり、奥に引き戸がある。奥に建物が続いているようだった。この蔵はあの長い塀の屋敷の一部ということだろうか。
お代はよいと言い、休憩を進める気のよい店主に甘えて問えば屋敷の関係者だという。
「路を通すまではここも屋敷の敷地でした。蔵は壊すのも手間だからと、壁に繋いで菓子屋を始めた次第です。旦那様の道楽といったところでしょうか」
夕方ともなれば子供が買いに来るらしく、その時間だけが賑わしく忙しい。
往来は早朝や夕の頃で、やはりこの時間に来るのは迷い者に他ならず、大概はここで一休みすると元来た道を行くのだそうだ。
「稀に先まで行かれる人もいますが、帰りのお姿を見ないので違う路を使うのでしょう」
振り返ってみる。うまい具合に遮蔽物の隙間を縫って入り口が見えた。彼からわたしは丸見えだったようだ。
先に何があるのか、どこに向かうのかを曖昧にしか店主は知らなかった。
「僕は脚が悪いのです。生まれつきで、治りようのない質のものです。他人に頼りきりでは生きていけないだろうと、旦那様が店をくれましたが、どうしても世間知らずです」
悲壮さはどこにも無かった。哀れさを一瞬でも顔に出したのを恥ずかしく思う程に、彼はさっぱりとしていた。この朗らかな様子に、わたしは健常者がそう装っているのではないかと疑った。彼らは総じて哀れだと思い込んでいたからだ。
であるから彼の棒のように衰えた足首を見た時、受け入れがたい理不尽な思いと嫌悪感にわたしは狼狽えた。
詫びのような気持ちで2本目のラムネは購入し、取り留めのないことを話している内にわたしは彼を気に入り始めた。わたしの交友関係にはない雰囲気に惹かれたのだ。
狭いが恵まれた人間関係の中に居るのだろう彼は、正しく箱入りであどけない。それがわたしには快かった。
気が付けば話の為に、請けたばかりの仕事についてこぼしてしまっていた。
「実は四日…十日前だったかな?手紙を貰ってね。今日は相手方へ向かう途中で迷った次第なんですよ」
「それは災難でしたね。しかし先方がご心配でしょう。早く快復されるとよろしいのですが」
店主がわたしの顔色を確かめるために身を乗り出す。
その善性にわたしはにこにことした。後輩を可愛がるということに憧れがあったが叶わなかったわたしは、店主の健気さにうれしくなった。
「なあに、大丈夫ですよ。仕事の依頼ですが、何かを修理するだとか緊急を要することではありません。行って話を聞くだけといった事でして。まあ、仕方ないと思ってくださるでしょう。」
楽観的な物言いに、店主は首を傾げた。
おんな子供のような仕草が不思議と不快ではなく、ものを知らない純粋さ故か自然に映った。
「僕は他に仕事というのを知らないのです。失礼ですが、旦那はどのようなお勤めをされていらっしゃるのでしょう」
「うん、そうだね」
相槌を打ちながら言葉を選ぶ。世間一般では仕事とは言わないだろう。しかし、求める人があって金銭で請け負うならば仕事ではある。
「あなたには面白く感じるかもしれないね。わたしは勤めるとかじゃあないんだよ。依頼人があって相談を受けて出張するんだ。だいたいは話を聞いて相手の気が済んでしまう事もある。解決しないも半々くらいなもので決して割のいい仕事じゃないね。…あなたはどんな仕事だと予想しますか」
店主はきょっとした顔をして、次いで眉を寄せた。
「妙な事をおっしゃる旦那ですね。あぁ、占い師ですか」
拗ねた口調が向こうもわたしに気を許している証左に思え、痛快だった。
「占い師はお嫌いですか」
「もの意地が悪い言い方をなさいますね。占い師の次席に旦那を据置きましょうか。上位のほうですよ。あれは耳に優しいことを仄めかして、がっかりさせるのが仕事みたいですから」
そうは言うが興味が乗ったのか、いくつか言葉を催促して考える素振りを見せた。結局、それらしい職やら仕事らしいものは思いつかなかったのか、店主は早々と答えを催促してきた。
「実は拝み屋というものです。これは、人から霊障がどうのと相談されたら気が済むようにしてやるのが仕事です。最初の占い師はなかなか鋭い」
ピンと来ない様子の店主は気が抜けた返事を返した。
「妖怪がいるんだ。幽霊だって存在しても不思議はないでしょう。古代からささやかれている者どもだ」
「言いますがね旦那。妖怪は疫病や災害だっていうのがお上の見解ですよ。幽霊なんて初めて耳にしましたけれど」
「そう言うが実のところ妖怪と争うために隠密衆を組織していたんだと。有名な話です。きっと影の闘争に決着がついたんでしょう。紙芝居も取り扱ってみると納得するはずだ。人気の英雄譚ですよ」
店主は興味を惹かれたように目を見開いた。そして思案するように首を傾げた。
沈黙の間に、兄の書棚に本があったのを思い出した。礼を兼ねて訪れる際に貸すのが友好的だろう。
ややあって、店主が発した言葉は予想外だった。
「つまり、旦那はその隠密の出ということですか?」
「いやまったく!一族代々染物を生業としていますよ」
「拝み屋とおっしゃるので、同業者かしら、と。当たっていたら英雄譚が聞けるのかと期待してしまいました。見識がないから、と否定するのも恥ずかしいのですが、期待と疑い半々でしょうか。お人柄にオマケしてますけれどね」
なかなか小憎い言い方をするので、はははと笑った。
「爺さんくらいの代には妖魔妖怪が居たって証言ばかりですよ。正直、幽霊は私も信じちゃいませんでした。夏の娯楽で語られる、ぞっとする話くらいの、期待半分の作り話でしたよ、幽霊なんてものは」
それがどういうわけか幽霊に脅かされる人が身近に現れ始めた。 幽霊相談で親身になってくれる者などそうそういない。呼ばれてホイホイ出向いていった。ただの道楽だった。
その延長が拝み屋に漂着した。実は、わたしのような数奇者は数えられる程度にすでに在って、彼らに届かず零れた事件をわたしが拾っていた。知らないうちに界隈で有名になっていて、この興味本位の道楽に拝み屋という名前が付いた時には心底驚いた。
そのうちに怪談に遭遇するなど、信じられない体験を経て身を引く機会を失ってしまった。
さて、何か具体的に紹介しようと、彼の後ろに飾られた生成りの般若面を指した。
「今、相談を受けているのはあのような、来歴の古い木彫りの面ってものでね。持ち主の不幸を経てから人影が立つようになったとか。
主人の不在の際に空き部屋の硝子にぼうと現れて…まぁちょっとしたお屋敷だ。誰かしら休んでるんだろうね…と気に留めていなかったそうだ。でも何年も続いて奇妙さが浮き彫りになってきた。
でね、外の者が一言二言やり取りしたと耳にして、堪らなくなってきた。その家は趣味の骨董品を抱えていたんだが、それらしいものを手放していって、怪しいのはこれに違いないというところまで行き着いた」
ここでわたしに相談事が来たと言うと、じっと耳を傾けていた店主は薄く笑って感想を口にした。
「処分されなかったのですか?多くを手放したのに?きっと思い入れのある面なのですね」
ほう、と息をついた。
「そこは…まぁどうもハッキリしなくてね。知りたいのだが口が重いのだよ。
ものは有名な彫り師の作だ。価値はあるだろうが、まぁ、燃やす以外で解決せねばならん」
脳の片隅が溶けたように漠然として思い出せない。
…何度も戻ると、二度は忍びない…思考にちらつく断片の言葉は意味をなさない。
あれは何を彫った面だったか?
ちりりと焦燥が弾けた。
「まさか燃えなかったので?幽霊宿ると神懸るのですか?」
わたしは苦笑して否定する。
そのものが妖怪変化の類ならば燃えない、ということがあるのかもしれない。
だが、霊と物は別で、何かしらの効果を持つようにはならない。物に憑いたならばその周りに生じるというだけだ。言葉を交わした、というのにも不可解に思っている。
「幽霊はどんなお姿かお聞きしても?」
店主は若いゆえか、この程度では不思議としか受け取らなかった様子だった。
純粋に不可解を前にした伸びやかな好奇心を含ませた表情で問いかける。
まだ遭遇していないと前おいて、手紙と直接聞いた証言を伝えようとして、遅まきながら気づいた。
今まさに請けている仕事の依頼者はこの辺りで駄菓子屋を開いている初老の婦人であるから、同業者である店主が噂くらいは知っている可能性はあった。
だが、血の気を引かせたのは失言の類ではなかった。幽霊の詳細を全く思い出せない。先程から欠落した記憶の異常さに慄いたからだった。
どのように私が見えているのか、店主は次の言葉を待っている。
「話の前に唐突に思われるでしょうが、菓子屋というのは店に面を飾るもんかね。それともこの辺りの風習で?」
「さあ、存じませんねぇ。これは旦那様の私物ですから、万引き避けに般若なら面白いと考えられたのやもしれません」
どうしてしまおうかと言葉に濁ると、店主はくすくすと笑った。
「意地悪をするから口を滑らしたんですよ。その方も菓子屋を営んでるということですね。この辺りで。それで迷ってこっちに」
「いやあ。参りましたね。口の軽さを専門家として恥ずばかりです」
店主はわたしの動揺をそのようにとり、対してわたしはこの失言は熱射によって注意が散漫になっているからに違いないと言い訳した。そして真剣にどこかで横にならせてはくれまいかと頼み込んだ。
店主は自分の後ろに横になっているといいと迷うことなく答えた。
「戸があるので、落ち着きは悪いでしょうが、定刻まで人は来ませんので安心なすって下さい。だから、と戸を開けるのはお勧めしませんよ。向こうから吹き込む風は暑いのです。」
そうしてわたしは店主の傍に上がり、戸の前に仰臥した。
来客はあるようで、予備の座布団を抱えさせて貰い、戸口に背を向けた。そうすると文机の脚と店主の膝の向こうに店内が伺える。
寝姿が決まると、店主は再びラムネの瓶を寄越して首筋か脇を冷やすとよいと助言した。
「屋敷には工場も併設されていましたから、夏場は若い職人が必ず倒れて冷やしていました」
「店主はいつから屋敷にお務めですか」
違和感が口をついた。店主は母に連れられて預けられていたが、両親が亡くなったので屋敷に面倒を見られていると返した。
両親へと悔やみの言葉を贈り、屋敷の主の人格を称えたが、それに対して店主は無言だった。
ただ、団扇で風をこちらに送り始める。
感情を計りかねて無言で居るうちに、本当に瞼が落ちてきた。
風には土壁特有の匂いと、かすかに煤けた香りがした。
何日前、などの発言は忘れて大丈夫です。
単に記憶が混濁しているだけ。