御前会議
五日後になった。ボブがスキップしながら中学校の授業を終えて外へ飛び出していく。すでに中学校では通常授業が始まっていた。そんなボブが呼び止められた。
「よお。ボブ。どうしたんだよ。ずいぶんと浮かれてるじゃないか。何か良い事でもあったのか?」
校門を出た辺りでボブが立ち止まり、声の主に振り返った。ボブの太眉がリズム良く上下に動いている。
「やあ、チャック。そうなんだよ、へへへ。すまないけど、今日は遊びに行けそうにない」
チャックとボブに呼ばれた男子学生が、残念そうな表情を浮かべた。
彼もボブと同学年で、黒の肩まで届くパーマである。面長の顔にはキリリとした眉が乗っていて、その下で黒い瞳が存在感を放っている。身長はボブより高い180センチメートルほどで、ボクサー体型である。
「なんだよー……クラブチームが休日なんだけどな。また親が訪ねてきたのかよ。それとも急なバイト仕事か?」
チャックは地元のサッカークラブに所属している。
ボブが黒の短髪パーマをかいた。
「別件だよ。という訳でチャックよ。彼女とデートでもやってろ」
チャックが口元を少し緩めて答えた。
「そうするよ。明日でも良いから、今日やった数学の授業のノートを見せてくれ。あの先公、いつまで経っても教え方が下手クソなんだよな。ボブから教えてもらった方が分かりやすいって、それってどうなんだか」
ボブが気楽な表情で了解した。
「分かった。明日の朝にノートを渡すよ。それじゃバイバイ」
ボブが学生アパートへ戻り、自室で着替えてしばらくすると、ドアの呼び鈴が鳴った。ボブが部屋の置時計を見て、感心する。
「おお。まるで俺を監視してるみたいな感じだな」
ボブの左人差し指の黒い爪に融合しているポルクが淡々とした口調で同意した。ボブの予想通り、黒い爪は中学校で黙認されたようである。
「そのようだな。まあ、想定の範囲内だ。気にするな」
ボブが部屋のドアを開けると、外にはロマイが立っていた。先日と同じく黒いローブ姿である。ボブの出迎えに感謝して、軽く会釈した。
「やあ。ボブ君。迎えに来たよ。日帰りだから安心しなさい」
ボブが廊下に設置されている監視カメラを指さして、ロマイに聞いてみた。
「もしかして、あの監視カメラには映っていないんですか? あからさまに不審者の恰好ですよ、それ」
ロマイが廊下の隅に設置されている監視カメラに手を振ってから、ボブに振り返る。ローブの前を少し開いて、腰ベルトに付けている小さなポーチを見せた。小銭入れくらいの大きさだ。
「この携帯サーバーの魔力で、簡単なウィザード魔術を使っているんだよ。映っていないし、音声と体温も記録されていない」
つまり、今はボブが不審な言動を部屋の入り口で『独り』でしている……という状況なのだろう。ボブが了解した。
「なるほど。変人の奇行だと誤解されないように気をつけます。どうぞ、部屋の中へ」
ボブがロマイに、冷えた炭酸飲料をコップに注いで手渡した。それを美味そうに飲みながら、ロマイがボブに聞く。ご機嫌な様子で、彼の肩まで伸びている黒髪パーマの毛先がヒョイヒョイと跳ねている。
「私の世界には、こういった飲み物が無くてね。ボブ君の御両親に一言残しておこうと思うのだが、どうするかね?」
ボブの日帰り異世界旅行を強制的に認めさせるウィザード魔術を使うらしい。ボブが少し考えてから遠慮した。
「んー……必要ないと思います。両親は首都住まいをしていませんので」
ボブの説明によると、彼の両親は田舎に住んでいるという事だった。ボブだけが学生アパートに住んでいる。
ロマイがコップの炭酸飲料を飲み干して、イスから立ち上がった。
「ボブ君がそう言うなら、まあ構わないか。それじゃあ、そろそろ私の世界へ移動しよう。魔法陣の中に入りなさい」
いつの間にかロマイの足元に直径1メートルほどの円形魔法陣が出現していた。起動済みのようで文字と模様が光を放っている。ボブが聞いてみた。
「ん? 先日見た魔術陣とは違いますね。立体的ですよ」
確かに、ボブとロマイを包み込むような立体型だ。しかも小窓表示でハゲ頭の老人の顔が表示されている。その老人にロマイが何かの言語で挨拶してから、ボブに振り向いた。
「鋭いね。これが魔法だよ。使用する言語が異なるのが魔術との大きな違いだな。世界間移動ゲート魔法と呼ばれている古代語魔法陣だね」
先日、ロマイがボブと別れた際に使用した魔術陣は、単なるテレポート魔術陣だったそうだ。別の場所に設置していた世界間移動ゲート魔法陣へ移動しただけだと種明かししてくれた。
世界間移動ゲート魔法陣、略してゲート魔法陣は本来、大きな門のような施設を使っての儀式魔法だ。しかし、数人の人間だけが世界間移動する場合は、こうして簡略化された魔法陣を使用すると話すロマイ。
ロマイが老人をボブに紹介した。
「テレポート魔術は同じ世界内での空間移動、この世界間移動ゲート魔法は世界と世界とを行き来する魔法だ。ゲート魔法は難解なので私でも使いこなせない。従って、こうしてゲート管理人に申請して利用しているんだよ。彼がそのゲート管理人だ。上位アンデッドで、ナン氏と呼んでいる」
小窓表示のハゲ頭老人が鷹揚に会釈した。何となくカエルのような顔だちである。アンデッドという説明だったが、血色が良い。しかし、顔立ちは明らかにボブとロマイのような人間とは異なっている。
「初めましてだな。ナンだ。ポルク君はワシと同じく猿人由来か。期せずして同胞と会えたわい。移動準備は整っておるよ、ロマイ君」
ロマイが了解して、ボブの肩に片手を添えた。
「古代語魔法を開発したのは300万年前に栄えた古代文明なんだけど、その住民が猿人だったんだよ。ポルク君が猿人由来となると、ワラセア王国では古代語魔法を使用していたようだね。魔術の暴走ではなくて、魔法の暴走だったかも知れないのか。ふむ……」
ナンが急かした。
「思索は世界間移動を終えてからゆっくりやってくれ、ロマイ君」
ロマイが我に返る。
「ああ、そうだったね。では行こう」
空間移動した先は大きな倉庫内だった。倉庫の奥に数メートルの高さと幅がある大きな門が見えている。門の前には貨物がズラリと並んでいて、それらが順に門へ運ばれていき、そして姿を消していく。その反対に門から突如貨物が出現してもいる。
ボブとロマイが出現した場所は専用区画のようで、他にもいくつか魔法陣が設けられていた。ここでも魔法陣から人が出現したり、消えたりしている。
ロマイがボブと一緒に魔法陣の外へ出てから説明してくれた。
「ここは世界間移動ゲート魔法を使う『世界間交易所』だ。異世界への貨物輸出と輸入を行っている。私たちが立っていたのは、少人数の旅行者専用の世界間移動ゲート魔法陣を設置した区画だな。ナン氏の分身が、あそこで通関業務をしているよ」
ボブが門を見ると、背の低いハゲ頭の老人がイスに腰かけていた。分身なのは、ナンが他の異世界でもこの門管理、ゲート管理というそうだが、その業務をしているためだと話すロマイ。
「世界間交易所は王国に1つだけ設けるという決まりでね。だけど、魔術研究所は世界間移動魔法陣を1つだけ専用で使う事ができる。なので、次回からはここを使わずに済むよ。ここでは魔法場汚染が生じているから、長居するのは良くないんだ」
具体的には、ここの世界間移動魔法陣に魔術研究所のテレポート魔術陣をリンクさせているそうだ。そのため、次回からは魔術研究所から直接ボブの世界へ行き来できるようになる。今回は新規利用者となるボブとポルクをゲート管理人のナンに紹介するために、世界間交易所を介したと話すロマイである。
「ナン氏に無断でゲート魔法を使うと罰則を食らって、しばらくの間ゲート魔法を利用できなくなるんだよ。さて、それじゃあ今度はテレポート魔術で魔術研究所へ移動しようか」
ロマイと共にテレポート移動した先は、石造りの堅牢な部屋だった。床には色鮮やかな模様が描かれた絨毯が敷いてあり、壁には絵画と彫刻が飾られている。天井には照明器具が付いていないのだが、天井全体が穏やかに発光していた。
正面には大きな窓があり、真っ青な海が見える。水平線の上には巨大な雷雲があり、盛んに落雷していた。
ボブをオシャレな木彫りのイスに案内し、ロマイが部屋のドアを開ける。と、廊下から黒いローブ姿の魔術師が数人と、それとは別の白い法衣姿の少女が一人入室してきた。彼らにロマイが指示を出し、同じようにオシャレなイスに座ってもらう。
ロマイが部屋の中央付近にある教壇に立ち、短い杖を手にした。
「では、時間となったので御前会議を開始する。皆は着席したままで居るように」
次の瞬間。教壇の周囲にいくつもの空中モニターが出現した。ちょうどロマイを中心にして左右に配置されている。その左右の一番大きい空中モニターに威厳のある初老男性が姿を見せた。左右一人ずつである。
服装はガンダーラ美術の仏像が着ているような、薄手のローブ姿だ。ただ、かなり色鮮やかな模様と装飾が付いているが。
ボブが内心で小首をかしげた。
(ん? ローマ時代の服装っぽいな。国立博物館で展示されている伝統衣装とは別物だ。ふむ、異世界なんだなあ)
まあ、正確にはローマ時代の服装とも違う。
ロマイが二人の初老男性に会釈した。かなり気軽な仕草である。
「サフール国王陛下、スンダ国王陛下、この度は緊急の会議にも関わらず御臨席賜りまして、感謝いたします」
ボブがロマイたち魔術師の様子を見て、再び小首をかしげた。
(んー? 頭を下げる必要は無いのかな。慣習も違うのか)
空中モニターに映っているサフール国王が、向かいの空中モニターに映っているスンダ国王と挨拶を交わしてから、ロマイに答えた。
「よい。して、十勲のディオモン侯爵よ。小惑星がワーラ内海へ落下するという予測は確かなのだな?」
ロマイが肯定した。
「はい。そこに控えている地下世界の魔術師ポルクが知らせた通りでした。こちらの魔術研究所で軌道計算をしてみた所、落下が確実と追確認しております」
ロマイがボブに顔を向けた。
「ボブ君。すまないが、左人差し指を私の方へ向けてくれるかな。ポルク君からの情報を改めて両陛下に示したい」
ボブがうなずき、言う通りにした。
「はい」
それ以降は、ボブには聞き取れない言語を使っての会議が始まった。とりあえず、左人差し指をずっと突き出したままの姿勢でいる事にするボブだ。
(うう。いきなり退屈になったぞ。しかも、なんかこれってウェブ会議をやってるみたいだな)
そんなボブの隣に、白い法衣姿の少女がやって来た。身長は155センチメートルほどでスラリとした体形である。ボブと同じくらいの濃い褐色肌をした丸顔で、ふわふわな黒い短髪パーマが存在感を示している。
その少女がボブに小声で挨拶した。短い細眉の下にある黒緑色の瞳が落ち着いた光を帯びている。
「魔術禁止世界から来た人間のロバートさんだな。初めまして。私はフタンという。見ての通り、法術師で聖剣士をしている。貴方の護衛任務を担当するので、よろしく」
小柄で可愛らしい姿なのに、男口調だったので少し驚いている様子のボブである。
「ど、どうも。ボブと呼んでください」
フタンが軽いジト目をボブに向けた。
「背が低いのに聖剣士だから、不審に思っているようだな。だが、心配無用だぞ」
聖剣士と名乗っているが、法衣姿の彼女は腰に剣を吊るしていない。柄らしき物がホルダーに収められているだけである。ボブが直感した。
(あ。もしかして、ビーム剣みたいなヤツかな。宇宙SF映画でよく見るアレか)
「俺の世界では、森林地域の戦士は背が低いですよ。大柄ですと、木々が密生している森の中で自由に動けません。ですので、不審には感じていませんよ」
フタンがキョトンとした表情になった。予想外の返答だったのだろう。ボブが暇つぶしを兼ねて聞いてみる。
「フタンさん。ロマイさんと両国王陛下が話しているのは、特別な言語なんですか? 全然聞き取れないんですが」
フタンが静かにうなずいた。短い細眉が困ったような形になっている。
「暗号化された魔術言語だな。私にも聞き取れない。魔術師ロマイは十勲の貴族なので、かなり高い地位だ。王族との秘密会談が可能な地位だな」
フタンの解説によると、魔術師ロマイの公式名称は十勲のディオモン侯爵というそうだ。王族以外の貴族は全員が侯爵で、領地の名前を冠する。ロマイの場合はディオモンの丘を領地にしている。貴族の序列は勲功の数で決まり、多いほど権力を有する。王族には公爵が含まれ、王族と貴族の下に騎士がつくという事だった。
フタンとこの場に同席している魔術師たちは爵位ナシだという。フタンは聖剣士という技能職だが、騎士に叙勲されていない。
「私の年齢がまだ15歳だから、年齢制限に引っかかって騎士になれないだけだ。恐らく、来年には騎士に叙勲されるだろう」
ボブが再び驚いた表情になった。
「俺は14歳です。凄いですね。俺なんか、ただの中学生ですよ」
ボブとフタンが小声で雑談を交わしていると、御前会議が終了した。十分間ほどの短い会議で終わり、空中モニターが全て消えて、ロマイが大きなため息をついた。少ししてから顔を上げ、ボブに左人差し指を下げるように指示を出す。
「ボブ君、ご苦労様。左腕をずっと上げ続けていたから、疲れただろう」
ボブが左肩をグルグル回した。
「そうでもないですよ。それで、この会議では何が決まったんですか?」
配下の魔術師たちに退席して通常業務に戻る指示をロマイが下してから、深刻な表情になった。
「うむ。大忙しになりそうだ」
ロマイが御前会議で決まった事をボブとフタンに話してくれた。
これより一年半後に起きる小惑星落下の被害予想は、かなり深刻なものだった。特にサフール王国領で甚大になるという。
「ボブ君にはサフール王国の詳細な地図をまだ見せていなかったね。小惑星が落下するワーラ多島海の東部沿岸に首都トゥアルがあるんだ。世界間交易所もある」
首都トゥアルは港湾都市でもあるので、津波被害の直撃を受けてしまう。小惑星の落下予想地点がまだ確定できていないのだが、津波の高さは30メートル以上になると見積もられているようだ。
「小惑星がワーラ多島海の島に落下すれば、多少は津波被害の軽減を期待できるだろうけどね。海面に落ちる確率の方が現状では高い。この津波と、小惑星落下で生じた爆発による衝撃波の被害を予想して、沿岸から内陸100キロメートルまでの全域を強制退避地域に指定した。指定した場所へ強制移住してもらう」
ボブの目が点になった。フタンもキロメートルを地元の単位に換算してから、驚いた表情になっている。ロマイが肩をすくめて話を続けた。
「もちろん、ワーラ多島海の島々も全て指定された。ただ、人口が少ないので退避そのものは大した問題にならないだろう。大半は海賊だし」
ボブが少し思案してからロマイに聞いてみた。
「かなり大きな爆発が起きるんですね。そうなると、大気中に大量の土砂が噴き上がるのでは? 巨大火山の破局噴火のようなものですよね」
ロマイが素直に肯定した。
「そうなるね。この世界はボブ君の世界よりも海面が低い。氷河期に入っているんだよ。寒冷化がさらに進む可能性は……非常に高いな。そのため、王国民の強制移住と併せて、農地開拓も行う。食糧不足が大いに懸念されるからね」
燃料については、それほど大きな問題にはならないらしい。魔術文明なので、煮炊きと冷暖房の魔術具がすでに実用化されているためだ。これらは化石燃料や薪、木炭を必要としない。
「多少の魔術場汚染が生じるが、換気をすれば解消する。ボブ君の世界と違い、私たちの世界では人口がかなり少ないからね。必要となるエネルギーも少なくて済むんだよ」
人口はサフール王国が100万人、スンダ王国が200万人らしい。
ボブが納得した。
「なるほど。俺の世界では首都ポートモレスビーだけで70万人の人口です。隣国のインドネシアやフィリピンの首都圏では一千万人の大台に乗ってます。食糧不足の対策に集中できるのは不幸中の幸いですね。
その他の国への対応は、どうするんですか? 寒冷化が進むとなると無関係ではいられないと思います」
ロマイがうなずく。
「当然、世界中の国へ知らせるよ。スンダ王国の隣にはニライ王国とバラティア王国があってね。その二ヶ国へ今日中に知らせを出す。電波を使った魔術通信網があるんだ」
そう言ってから、ロマイが残念そうな表情になった。ボブの左人差し指を見つめる。
「地下の古代王国ワラセアと連絡がつけば、より効果的な対処が可能なんだけどね。さすがに地下600キロメートルともなると、魔術通信が使えないんだよ」
ようやくポルクが発言した。
「ワラセア魔術師も、地球から3億キロメートル先の宇宙空間を秒速30キロメートルで移動している直径百数十メートルの小惑星を、破壊するような魔術は持ち合わせておらぬよ。古代語魔法は失われて久しい。
火星、金星に落ちるよう軌道変更する事も無理だ。ワーラ多島海へ呼び寄せられているのでな。
テレポート移動させる場合は、地球から火星、金星までの距離が刻々と変化するので厄介だ。月は重力が弱い上に地球に近すぎて、小惑星が月に落ちず、ワーラ多島海へ引き寄せられる恐れがある。
安定しているのは太陽までだが、その距離が1億5千万キロメートルもある。多数の中継点を設ける必要があるが、その設置を一年半以内に終えるのは不可能だろう」
ロマイが肩をすくめて答える。
「だが、小惑星を太陽へ向けてテレポート移動させる事業を行うと決まった。ポルク君が指摘する通り、間に合わないけどね。他にも地球へ落下する小惑星があるかも知れないので、その対策だな。今回の小惑星についてだが、残念ながら落下を防ぐ事は不可能だ」
ポルクが補足した。
「まあ、今後百年ほどなら小惑星の落下は起きぬよ。だが、そうだな。小惑星が百年おきに落ちてきては、寒冷化が進み過ぎる恐れはあるかもな。熱帯地域以外は、居住不可な環境になるかも知れぬ」
フタンが冷や汗をかいているのを見たロマイが、ボブに説明した。
「この世界ではすでに、ボブ君の世界でいう北米大陸と欧州、それとロシアと中央アジアの大半が氷床で覆われているんだよ。もしくは凍土だな。これらの地域では夏になっても農作物の栽培ができないんだ。そんな地域が拡大する恐れがある、という懸念だよ」
この世界の人口が少ない理由を理解したボブであった。
ポルクがロマイを気遣う口調になった。
「運が悪い時に魔術師となったのだな。我らワラセア魔術師が知る限りでは、この300万年の間、魔力を帯びた小惑星の落下は観測されておらぬ。せめて100年前に我らが気づいて、地上へ知らせておけば良かったのだが」
ロマイが気楽な口調で答えた。表情はかなり深刻そうなままだが。
「そうでもないさ。これは歴史に残る大事件だ。担当する魔術師としては、やりがいがあるよ。狭いけれど、私は海岸沿いに領地を持つ貴族でもあるからね」
ボブは内心で興奮していた。しかし、努めて表情には出さないようにしている。
(おお……この世界の人たちには申し訳ないけど、凄いタイミングに居合わせているのか、俺。あの女魔族に感謝しないといけないな)
御前会議が終わって小惑星落下への対策が決定されたため、ポルクの地上への来訪目的は達成された。ロマイがポルクに聞く。
「それで、今後はどうする予定かね? 地下の古代王国ワラセアへ戻るのは難しいと思うのだが」
ポルクが悩みながら答えた。
「マグマの流れが地上への一方通行なのでな。戻る予定は最初から立てておらぬよ。だが、マントルの中は退屈でな。仲間の生き残り5600人ほどを、地上へ観光できるようにしてやりたい。全員がダイヤモンドだがな」
ロマイが軽く腕組みをして思案し始めた。
「ふむ……巨大な魔力を有する者たちから協力を得られれば、可能だろう。上位精霊と火龍、海龍、知性アンデッドなどからの魔力支援だな。実は、先ほどの太陽向けテレポート魔術陣の設置でも、彼らからの協力を模索しているんだよ。抱き合わせという形で、古代王国ワラセアへの行き来を構築するのは可能だ。たった600キロメートルだしね」
ポルクが喜色を帯びた声になった。
「そ、そうかね。では、サフール王国とスンダ王国を手伝いつつ、空き時間にその連中と会って協力を頼んでみよう。地上では常温常圧なので、ポルクス構造が外気に露出すると構造崩壊してしまうが……この爪のように融合すれば対処可能だ」
ロマイが気楽な口調で答えた。
「その点については心配無用だ。土製ゴーレムなどのコアとなればいい。爪と違って、ゴーレムなので自由な行動ができるよ。まあ、安全のために君たちワラセア魔術師の本体は地下に留まり、コピー体を地上へ送ればいいだろうね。
魔術師は常時不足しているんだ。5600人も来てくれると、大いに助かる」
ボブが小首をかしげて、隣のフタンに聞いた。
「ん? 魔術文明の王国なのに、魔術師が不足しているんですか」
フタンが苦笑する。
「だな。魔術適性が低い者ばかりなんだ。そういった者たちは役場、警察、軍で働いている。魔術適性が高い者は、この魔術研究所と私が所属する真教団で働くのだが、あわせて数千人ほどだな」
ボブが納得した。
「なるほど。一気に魔術師が倍増するんですね」
ロマイがボブに視線を向けた。
「ボブ君には魔術適性が無いのだが、ポルク君に協力する形で、この世界に都度召喚されてもらえないかな? 当面はサフール王国内の仕事を手伝ってもらいたい。スンダ王国への支援は半年後くらいになるだろう」
仕事は以下の内容だった。
●王国内に通っているテレポート魔術ゲートの動作確認。新規路線の開拓手伝い。
●盗賊団や海賊、魔獣などの討伐・駆除参加と逮捕。
●森や海などでの魔術用素材の採集。
●太陽と古代王国ワラセア方面への長距離テレポート魔術ゲート設置と運用への協力を、上位精霊と火龍、海龍、上位アンデッドなどから得る。
ロマイがボブに真面目な表情を向けた。
「これらは魔術研究所の魔術師が主体となって担当するのだが、人数が足りない。一年半という期限もある。ポルク君とボブ君が手伝ってくれると大助かりだ」
フタンは法術師で聖剣士なので、逮捕権を有するそうだ。彼女がボブとポルクの警護を担当する。そのフタンがボブに告げた。
「警察業務を一部請け負うという形だ。ボブさんとポルクさんは、私の補佐という業務上の位置づけになる。基本的には現行犯逮捕を行うのだが、相手を殺したり過剰に暴行を加える行為は禁止されている。違反すれば私ともども実刑を食らうぞ」
ボブが内心でツッコミを入れた。
(ちょ……警護される俺も警察仕事をするんですか。で、実刑を食らう恐れがあるって……ええええ)
民主制国家ではないため、こうなるというロマイの補足説明だった。選挙権などの参政権は、貴族と王族にのみ与えられてるそうな。
それでも仕事を引き受ける事にしたボブであった。危機意識が多少緩いようである。
ボブの返事を聞いて安堵したロマイが、近くの戸棚からベルトに通して固定するタイプの小さな腰付けポーチを2つ取り出した。それをボブとフタンに手渡す。
「本人認証はもう済ませてある。物入れとして使ってくれ。召喚魔術具としての機能も付随しているので、ボブ君は召喚時にコレを身に付けておくようにな。でないと、ポーチだけが召喚されてしまう」
ポーチは小さくて、ジッパー口は10センチメートルほどしかない。しかし、ロマイによると空間操作魔術が作用するため、乗用車サイズの物でも出し入れできるそうだ。どこかの青い猫型ロボットに付いている半月型ポケットのような機能だ。ただし、ポーチ内部は空気が薄い。生物を入れると窒息死してしまうと注意を与えるロマイである。
「召喚時間だが、時間操作魔術を使う。この世界で1日活動しても、ボブ君の世界では1分経過するだけだ。その代償として、連続召喚はできない。5日おきに1回の召喚になると理解しておいてくれ。ただ、緊急の場合はその限りではない。魔術場汚染が生じるので、できれば避けたいが」
手順としては、ロマイがゲート管理人に申請し許可を得てから、世界間ゲート魔法陣を起動する。それにリンクする形で召喚魔術を行い、異世界からポーチを身に付けたボブとポルクを召喚するという流れになる。
ボブは召喚魔術陣を操作できないため、先ほどのポーチに召喚機能を持たせてある。ロマイとの応答はポルクが行うので、ボブが寝間着姿で召喚されるような事態は回避されるだろう。
今回のようにロマイがボブの世界まで移動して、ボブを呼びにいく必要は無くなる。同時に世界間交易所を介する事も無くなる。
この世界では車や自転車が無いため、基本的に移動は徒歩だ。もしくは移動用の魔術を使う。
「だけど、仕事で長距離を移動する場合が多くなるだろう。そこで、乗り物を用意した。ポーチの中に入っているから、確認しておきなさい」
ボブとフタンがポーチの中から大きな麻人形を取り出した。二本足の大きな鳥型だ。背中までの高さが1.2メートル、脚の長さは60センチメートルほどか。ボブが直感した。
「あ。これってエミューのぬいぐるみですね。しかし大きいな。小型の馬くらいありますね。実物エミューの倍くらいあるかも」
フタンが同じぬいぐるみに触れた。少し嬉しそうな表情になっている。
「私たちの世界ではミュレと呼ばれている。通称、麻ミュレだ。見覚えがあるなと思ったのだが、故郷の村で作られたのだな」
どうやら、フタンの故郷で作られた麻人形らしい。ロマイが注意事項を述べた。
「麻製なので燃えるぞ。走行に必要な魔力は、そのポーチが自動で空気中から収集して麻ミュレに送信する。なので、1日中走る事が可能だ」
ボブが麻ミュレをポーチの中へ押し込んで、ロマイにキラキラした黒い瞳を向けた。
「凄いですね、魔術。ウィザード魔術でしたっけ。さすが魔術文明国ですねっ」
ウィザード魔術にはいくつかの分野があるそうだ。幻導術、力場術、占道術、招造術、魔術工学とあり、ロマイは招造術の研究者である。死霊術、精霊魔術、ソーサラー魔術は空席らしい。
ロマイが微笑んだ。
「すでにポルク君には、ウィザード魔術の共通魔術を提供してある。ボブ君はポルク君と相談しながら、適した魔術を使うといい。ボブ君の世界では魔術が使いにくいので、あまり役立たないと思うけれどね」
ボブがニコニコ笑顔で左人差し指を頭上に掲げた。黒い爪に語りかける。
「やったあ。俺も魔術師っぽくなるのか。よろしく、ポルクさん」
ポルクも明るい口調で答えた。
「こちらこそ、よろしくな」
スンダ王国の地図です。赤文字が町村名、青文字が地名です。画像のピクセル数が大きいため、ここでは表示されないかも。
スンダ地図
赤文字
1:バンカ首都 魔法具
2:バタム城塞 バラティアとの交易拠点、油ヤシ、ゴム集積
3:リアウ港町 ニライとの交易拠点、淡水魚、サトウキビ、サトウヤシ
4:パンカン城塞 油ヤシ、ゴム集積、淡水魚
5:クリオン港町 サトウキビ、樹脂、薬用植物
6:マジェネ村 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ、ゴム、樹脂、コーヒー
7:ラッパン村 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ、ゴム
8:シンジャイ村 木材、樹脂、薬用植物
9:ケタパン村 木材、樹脂、薬用植物
10:マンガル城塞 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ、ゴム
11:トゥバン村 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ、ゴム、樹脂、コーヒー
12:テガル村 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ、ゴム、樹脂、コーヒー
13:第二バンテン城塞港 コーヒー
14:コバ城塞 樹脂
15:シンケプ村 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ、ゴム、樹脂
16:ピナン漁村 淡水魚、麻
16:マナド港町 サトウキビ、サトウヤシ
17:サンバス村 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ、ゴム、樹脂、薬用植物
17:スンダのパナボ海賊アジト 鉱石と綿花を奪う
18:レトン漁村 淡水魚、麻
18:ボボン海賊アジト
19:ムラカ村 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ、ゴム、
19:マウメレ海賊アジト ダイヤ産出の火山島、ここの島民の移住作戦
20:ドゥマイ村 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ、ゴム、樹脂、薬用植物、コーヒー
21:トボン漁村 淡水魚、麻
22:ビントゥル港町 木材、樹脂、薬用植物
23:バンジ村 木材、樹脂、薬用植物
24:イピル村 樹脂、薬用植物、サトウキビ
25:ボホール村 サトウキビ
26:パナイ港町 サトウキビ、樹脂、木材集積
27:カラパン港町 サトウキビ、樹脂、木材集積、薬用植物、養蚕
28:コンソン村 サトウキビ、木材集積
29:ニンホア要塞 ニライとの交易拠点
30:カマウ村 サトウキビ、樹脂、木材集積、薬用植物、油ヤシ、サトウヤシ、養蚕
31:スクン村 木材、樹脂、薬用植物、綿花、紅茶
32:ケップ村 サトウキビ、樹脂、木材集積、薬用植物、油ヤシ、サトウヤシ、養蚕
33:カンポット観光町 淡水魚
34:タタイ漁村 淡水魚、麻
35:ラヨン村 樹脂、木材集積、薬用植物、油ヤシ、ゴム、綿花
36:アントン村 樹脂、木材集積、薬用植物、ゴム、綿花
37:プールアン村 樹脂、木材集積、薬用植物、ゴム、綿花
38:ロンパウ要塞
39:ルアン村 油ヤシ、ゴム
40:マリワン村 サトウキビ
41:タンセ要塞港 バラティアとの交易拠点
42:シンキル要塞港 木材、樹脂、薬用植物、サトウキビ、サトウヤシ
43:ブナン港町 コーヒー
43:バンテン港町 木材、樹脂、ゴム、サフールとの交易拠点
44:バラティアのダウェイ要塞港
44:ブラカス要塞
45;バラティアのムドン港町 木材、樹脂、薬用植物集積
45:コラカ海賊アジト サフール支援
46:バラティアのバラタン要塞港
46:タイパ港町 木材、樹脂、ゴム
47:バラティアのバセイン村 サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ
47:トギアン海賊アジト
48:ニライのフォンタン要塞
48:ボンガオ港町 キナバル山の登山口、サトウキビ、サトウヤシ、油ヤシ
49:ニライのタムキ要塞
50:ニライのホイアン要塞
51:ニライのフエ港町 茶
52:バラティアのシリアム要塞
53:ラナウ観光村 キナバル山、紅茶、氷
青文字
1:マナド 海モンスター 巨大クラゲ
2:タラウド 海中洞窟、海モンスター、ニライのアンデッド(グール)
3:オビ 海モンスター、水精霊(上級)
4:ティンタン盗賊団 サフールの支援
5:クンダサン氷精霊、風精霊
6:オサミス森モンスター(バジリスク)
7:ソゴト洞窟
8:ダエト海モンスター(クラーケン)、風精霊(上級)
9:ビガン森モンスター(グリフォン)
10:セミララ 海モンスター(巨大ウミヘビ)
11:クリオン 草原モンスター(コカリトス)
12:ビリンジャン岩山、バラティアのジャイアント基地(ヒルG)
13:カピト廃墟、ニライのアンデッド基地
14:サバオイ 森精霊(上級)
15:アロール火山洞窟、土精霊、ワラセアへの降り口
16:メノエ洞窟、スンダの魔獣使い群
17:パラガ 森モンスター(マンドラゴラ、ダンデライオン)
18:パガタン 森モンスター(トレント)
19:サンガウ 森モンスター(オウルベア)
20:タンベラン 湿地帯モンスター(巨大ヒル、巨大スライム)
21:クティリ 森モンスター(ケンタウロス)
22:バンジャル洞窟
23:ブランティ洞窟
24:マルタプラ 源流 水精霊
25:シンバン 森モンスター(ワータイガー)
26:ジャンビ 岩山、バラティアのジャイアント基地(ヒルG)
27:パガイ 海モンスター(クラーケン)
28:クオック岩山洞窟、バラティアのジャイアント基地(ストーンG)、火龍の巣、火精霊
29:トパ湖のサモシール島 廃墟、魔族結社アジト(サイレン)
30:ロンガ岩山 ワイバーン
31:テニア島 海龍の巣、水精霊
32:ロクスマウェ湿地帯モンスター(ローバー)
33:ベラン洞窟
34:ケンクラ湿地帯モンスター(吸血コウモリ)
35:プティサト岩山(ロック鳥)
36:トンレ湿地帯モンスター(巨大カメ、巨大蚊)
37:ラジー 海モンスター(巨大カニ)
38:スンバ海龍の巣、水精霊
39:ルテン火龍の巣、火精霊
40:カンゲアン海モンスター 巨大タコ
41:ドンプ 海モンスター 巨大毒矢貝
42:バオロク廃墟 反乱勢力アジト、スンダの魔獣使い群
43:パーサック 森モンスター(オウルベア)
44:カティン洞窟 反乱勢力アジト、スンダの魔獣使い群(強化カマキリ)
45:ナノイ廃墟、ニライのアンデッド基地
46:カオレム洞窟、スンダの魔獣使い群
47:メーピン洞窟、バラティアのジャイアント基地
48:ポパ火山、火精霊(上級)