016 騎士失格
「トワラって、あまり黄昏ってイメージ無いよな」
「え、そうでしょうか?」
ミラバルタの王宮。美しいコスモスが広がる庭園で、休憩がてらティーブレイクと洒落込むトワラと暁。
二人は、特に暁は多弁な方ではないけれど、自然と二人の会話は途切れる事が無かった。そんな中、少しの静寂の後にふと暁が話題に上げたのは、トワラの二つ名についてだった。
黄昏姫。読みを、トワイライト。夕日を思わせる綺麗な橙色の髪と、その下にある美しくも暖かい、柔らかな表情を指してそう呼ばれている。
「黄昏。夕方の薄暗い時。または夕暮れ。……うーん、なんか、やっぱりイメージと違う……」
ゲーム内にある辞書を開いて語彙を確認しても、やはり暁は納得できないのか、一つ唸って小首を傾げる。
暁の反応を見て、トワラは自身の髪を一房掴み上げて見る。
「私は、気に入っていますよ。黄昏。私の髪を美しいと思っていただいているのは、淑女として嬉しいものです」
言って、柔らかく笑うトワラ。ゲーム内で髪質がどうこうなど無粋な事は言わない。それに、トワラの髪の毛は他のプレイヤーと比べても綺麗だと暁は思う。
「でも、なんかしっくりこない」
うんうん唸って考えてる暁を見て、トワラは優しく目を細める。
親しい人が自分の事をこれほどまで考えてくれるのは素直に嬉しい。それが自身が一番信を置く暁であれば、嬉しさも一押しである。
「では、何がしっくりこないのですか?」
責め立てる事のない優しい言い方。むしろ、微笑まし気な問いに、暁は真剣に答える。
「黄昏って、格好いいけど、なんか可愛くない」
暁が真剣にそう言えば、トワラは一瞬虚を突かれたような顔をしてから、堪えきれないとばかりに声に出して笑う。勿論、淑女らしく、お淑やかにだ。
けれど、笑われた事が面白くなかったのか、暁はむっと不満げな表情を浮かべる。
「なんで笑うんだよ」
「ふふっ、ごめんなさい。でも、アカツキが可愛い事を言うからですよ? ふふふっ」
「別に可愛くなんて無いだろ」
「ええ、ええ、そうですね。ふふふっ」
むくれて暁が言えば、笑いながらトワラは頷く。
しかし、このまま笑っていては暁が機嫌を損ねてしまう。それはトワラの望むべく所では無いので、笑うのを止めて暁に言う。
「確かに、黄昏という言葉は、あまり可愛らしくは無いですね」
「だろ? こう、格好よくて、俺は好きなんだけど……」
「私には似合わない、と?」
「似合ってない訳じゃ無いんだけど……」
思い浮かべるのは、執務をこなしている時や演説をしている時のトワラ。その時のトワラは、いつもの柔らかさを引っ込め、凛とした表情をしているため、黄昏と呼ばれるのも分かる。
けれど、素の状態のトワラを見ていると、黄昏の後に疑問符が付いてしまう。
「では、アカツキが私に似合う名を考えてください」
「え、俺が?」
「ええ。言い出したのはアカツキですから」
「えぇ……俺、そういうの考えるの得意じゃないんだけど」
プレイヤーネームも良いものが考えられず、本名を使ってしまうくらいだ。まぁ、本名がペンネームのような響きなので、困った事は無いけれど。
ともあれ、暁はあまりネーミングセンスがある方ではない。
「アカツキに考えて欲しいのです。駄目ですか?」
笑顔で問われ、暁はうっと呻く。
強制力なんてまるでなければ、圧だってかけられていない。けれど、暁はどうにもこの笑みに弱い。
「……分かった」
「ふふっ、ではよろしくお願いしますね」
暁が頷けば、トワラは嬉しそうに笑った。
けれど、結局その日の内に考え付かず、ゲームをしていない時間も考えたけれど、納得のいくものを考えるのに五日間もかかってしまった。
トワラに理由付きで自分が考えた名前を言ったら、また嬉しそうに笑われてしまった。
ついぞその名で呼んだことは無いけれど、トワラはいたく気に入ったようで、時折その言葉を出してしまうと嬉しそうに微笑んだ。
それが恥ずかしくて、暁は気恥ずかしそうにそっぽを向いた。
でも、トワラが喜んでいるのは、素直に嬉しかった。
そんな気持ちを察したのか、トワラはそっぽを向く暁に言った。
「では、アカツキは――――ですね」
驚き、振り返る暁に、トワラは満面の笑みを浮かべた。
その笑顔は、確かに黄昏では無く――――
〇 〇 〇
迫り来る黄昏の聖騎士に向かって、暁は叛逆を走らせる。
黄昏の聖騎士と数秒鍔迫り合い、即座に離れて攻撃を仕掛ける。
しかし、暁の攻撃を黄昏の聖騎士は背後から伸びる二枚の大盾を使って確実に防ぐ。
『貴様は……またも我が姫君を呼び捨てたな!! 身の程を、弁えろぉッ!!』
激昂しながらも、その剣の冴えは鈍る事が無い。むしろ、絶対に殺すという意志が剣に乗り、躊躇いと容赦が無くなった斬撃は的確に暁の隙を突いてくる。
『私の! 妻に! なるお方だぞ!! 貴様風情が、気安くその名を口にするな!!』
斬撃、銃撃、盾を使った突進。その攻撃の色合いは多く、剣一つしかない暁は苦戦を強いられる。
「トワラがお前の妻になんかなる訳無いだろ!! 売国奴風情が、調子に乗るな!!」
しかし、暁は馬鹿にしたように言いながら、一つの剣で様々な角度から縦横無尽に責め立てる。
隻腕で戦う事なんて幾度だってあった。場合によっては両腕をもがれても戦った。相手の護りが厚く、手数が多いからなんだ。その程度の不利、幾度となく覆してきた。
『姫様を思ってこそだ!! このままではこの国は帝国に滅ぼされて終わる!! 誰も彼もが傷付き、流す必要の無い血が流れる!! 早期降伏こそが、この国の安寧の道だ!! 貴様のような額の無い下民には、私のこの苦渋の決断が分かるまい!!』
「お前の正しさをトワラに押し付けんな!! 今必要の無い血を流させてんのは誰だよ!!」
アグリスがこの町に敵を入れなければ、敵と内通していなければ、この町の人々は犠牲にならなくて済んだ。誰も傷つく事無く、いつもと変わり映えのしない、けれど、尊い日々を送れたはずだ。
「この町の人の傷は、死は、必要の無い血じゃ無いのかよ!! お前の理想や正しさは国の正しさなんかじゃない!! ましてやお前の独断ならそれはただの独善だ!! 落陽を早めてるのはお前の身勝手な行いそのものだ!!」
『貴様ごときに何が分かる!! 言っただろう!! この国はもう終わりだ!! 終わりが決まっているのであれば、一番傷の少ない終わり方を選ぶべきなのだ!! これは、そのために必要な犠牲なのだ!!』
「騎士が……国民を守るべき騎士がそんな事を軽々しく口にするんじゃねぇよ!! 必要な犠牲なんてあってたまるかよ!!」
やはり、こいつは何も分かっていない。
国民を護るべき騎士が国民の犠牲を良しとするなんてこと、あって良いはずが無い。ましてやその犠牲は取り返しのつかない命そのものだ。替えは効かない。回帰はしない。失われたら、戻っては来ないのだ。
「良いか!? トワラは犠牲なんざ必要だと思ってねぇ!! どうやって犠牲を減らすか、それしか考えてねぇよ!!」
『それが甘いのだ!! 犠牲なくして勝利は有り得ない!! ましてや相手は帝国だ!! 無傷で安寧など得られるものか!!』
「笑わせんな!! 勝利? 安寧? 帝国に傅いたところで、そんなもの手に入るかよ!!」
侵略の限りを尽くしている帝国だ。平伏したところで、これまでの安寧が手に入る訳が無い。
「それで日々を保証して貰えるのは力ある者だけだ!! この国の人々は日々の苦労を強いられ、ただ搾取される日々が続くだけだ!! そんなものが、安寧だなんて言えるか!!」
そこに在るのは、帝国からの強い支配だけだ。それが安寧だなんて言える訳が無い。そんなものが、安寧であっていいはずが無い。
アグリスは、自分の都合の良い未来を見ているだけだ。そこに、この国の安寧の姿は無い。
ゲームの中の帝国は自らが侵略した国への重税を強いた。ゲームでそうなら、現実でそうならないわけが無い。何せ、それが一番合理的だからだ。国力を削いで反乱の芽を未然に摘み取る。
殺さず、延々帝国のために働く歯車へと落とす。
それが、帝国のやり方だ。
ミラバルタで反乱した一部の貴族は裕福な暮らしを約束されるだろう。何せ、その貴族達に甘い汁を吸わせておけば良いだけなのだ。安寧と安泰、そして裕福な暮らしを保証されれば、彼等は反乱をする気も起こさないだろう。何せ、自分が良ければそれで良いのだから。
『だが生きてはいける!! この国は黄昏を迎えた!! 後は終わるのみ!! であれば、この私がこの国にもう一度日の目を見せよう!! 永遠に続く栄華の未来を、私が作ろう!!』
鋭い突きが放たれる。
それを、剣を使って弾くけれど、即座に大盾から銃弾が放たれ、暁は回避を強いられる。
『この国の象徴である姫様は殺されるだろう!! だが、私の妻であれば話は別だ!! 私を慕う一人の女に落ちたのであれば、帝国も姫様の命を奪う必要は無くなる!! これは、姫様のためなのだ!!』
激しい連撃が暁を襲う。それを、暁は巧みな機体捌きでいなす。
「……お前は、騎士失格だな」
『なんだと?』
「お前のしてる事は暴走だ。なに一つだってトワラのためになんてなっちゃいない」
『姫様を生かす私の選択を……暴走だと!? 貴様のような世界を知らない下民に何が分か――』
「少なくとも今お前はトワラに剣を向けてる!! これが暴走じゃ無いならなんだ!! こんな無駄な争い、トワラは望んでなんかいないんだよ!!」
隻腕で振るう剣で、暁はアグリスを責め立てる。
騎士というのは、主人を護る者だ。主人の盾となり剣となり、何者からも護り通す者の事だ。
その騎士が敵を呼び、主を危険に晒すなど言語道断。
「お前は騎士なんかじゃない。お前はただの裏切り者だ!!」
『黙れッ!! 騎士ですらない貴様が、聖騎士であるこの私に騎士が何たるかを説くだと!? ふざけるな!!』
機体を加速させ、アグリスが猛攻を仕掛ける。
突進しながら剣を振ってくる黄昏の聖騎士に、暁は左右後方に避けながら、時折反撃をする。
「騎士じゃ無くたって分かるだろ!! お前のやり方でトワラが助けられたとしても、トワラの心は助けられない!! お前が騎士だって言うなら、トワラの心も守ってみせろよ!!」
国が二つに割れ、民が苦しんでいる事にトワラは胸を痛めている。そして、自身に近しい者が裏切っている事に対しても、心を痛めている。
誰も信用できない。信用できるのは、極少数。気は休まらないだろう。心を痛める日々だろう。
アグリスの思惑が上手く行ったとしよう。帝国がミラバルタを足場に、大陸全土を支配したとしよう。
民からトワラやアグリスに向けられるのは羨望や好意の眼差しでは無く、憎悪や敵意の眼差しだ。民からすれば、トワラやアグリスは国を売った売国奴だ。国を救った英雄でも無ければ、敬うべき王侯貴族ですらない。故郷の敵だ。
暁は、トワラにそんな思いをしてほしくはない。民を大切に思っているトワラに、民が敵に回るような事になって欲しくない。
トワラは、人の中で笑顔でいるべきなのだ。いや、そうあって欲しいのだ。
それは暁の我欲かもしれない。けれど、暁の知るトワラは人々に囲まれ、笑顔を浮かべている、そんな人だった。
笑顔を忘れ、偽りの笑顔を浮かべ、誰かの敵意に怯えなければいけない日常。そんな日々を、トワラに送って欲しくはない。
「お前は、トワラに敵しか作らない!!」
だから、こいつは邪魔なのだ。
自分の考えが正しいと思い込み、トワラのためと謳いながらも、結局は自分の事しか考えて無い。自分がどれほど浅い傷で済むかどうか、それしか考えていないのだ。
「お前は、トワラの思い描く未来に必要無い!!」
『ほざけ下民が!! 貴様こそ、この国に必要無い!! 数百年前の亡霊風情が、今更立ち上がるな!! 亡霊は亡霊らしく、墓に帰れ!!』
アグリスが上段から剣を振り下ろす。
暁が逃げるであろう先に、大盾の銃口が向けられている。
黄昏の騎士団に入るだけあって、やはり攻撃の練度は高い。
けれど、暁の方が上手だ。
「お前の攻撃にはもう慣れた」
上段から振り下ろされる剣を、暁は紙一重で避ける。
振り下ろされた剣が胸部装甲を掠める。
まずは御自慢の羽を捥ぐ。
少し踏み込み、大盾を背後から伸ばす支柱を剣で叩き切る。
『ぐっ……!! 貴様ぁッ!!』
暁はそのまま機体をアグリスの背後まで流して、アグリスの振り返り様の一撃を回避する。
片方大盾が無くなっただけでだいぶ戦いやすくはなった。
このまま攻めれば――
「なっ!!」
そう思った直後、鳴り響く警告音。
咄嗟に機体を後方に跳ばせば、暁の居た場所を幾つもの銃弾が撃ち抜く。
『ハハハッ! 苦戦しているようだな、バンラッツェン!!』
アグリスの右斜め後方からの支援射撃。
「将軍機か!!」
オーヴァディアの上位互換機。ジェネラル・オーヴァ。
この部隊を指揮してる将軍であり、アグリスと結託している帝国側の人間だろう。
ジェネラル・オーヴァはオーヴァディアよりも馬力があり、その体躯も一回り程大きく、使用できる火器の威力も上がっている。
『助太刀するぞ、我が盟友よ!!』
『必要無い!! こいつは私が――』
『まぁそう言うな。このままではトワラ姫を逃すぞ? そうなれば、後詰が面倒になる。それは、貴殿も望むところではなかろう?』
『くっ……』
敵将の言葉に苦々し気な呻き声を漏らすアグリス。しかし、敵将の言葉を受け入れたのだろう。
剣を構え、暁と向き合う。
『ガハハハハッ!! それで良い!! では行こうぞ!! 我らが夜明けへ!!』
黄昏の聖騎士と並べぶジェネラル・オーヴァ。二機の性能は高く、並び立ち敵に回れば驚異的だ。
けれど、暁は怖気付く事無く剣を構える。
「いっぺんに来てくれるなら楽でいい。まとめて叩き潰す。行くぞ、叛逆」
暁の言葉に呼応するように、叛逆の目が赤く光る。
沈みゆく夕日に照らされながらも、その赤は鮮明に輝いた。