015 あの日の答え
「う……うぅ……っ」
全身を蝕む痛みに顔を顰めながら、暗転していた意識が覚醒する。
「此処は……うっ……!!」
腕を強くぶつけてしまったのか、身動ぎをするだけで激痛が走る。
「そう……私は……」
痛みに呻きながらも周囲を見渡して、何が起こったのかを思い出す。
トワラがいるのは横転した車の中。硝子は全て割れ、車体は拉げて原型を留めていない。見るも無残な姿に変わってしまった車だけれど、乗っていた全員は無事である。
この戦火の中、機体に踏まれず、また流れ弾にも、瓦礫にも埋もれずよくもまあ無事だったものだと半ば感心してしまう。
いや、感心している場合ではないと、トワラは少しだけ朦朧としている意識を頭を振って無理矢理冷まし、必死に這いずって車の中から出る。
「姫さん! 気が付いたか!」
トワラが外に出れば、すでにガランドとバルサは車外に出ていた。
「私を助けてくれても良いじゃ無いですか」
「情けない話、俺達も今さっき気が付いたばっかなんだよ」
「良い訳がましいですが、今まさに助けようとしていたところです」
少し不満げに言えば、二人とも申し訳なさそうな顔で言った。
二人に限って見捨てるという事はしないだろう事は分かっていたので、二人の言葉を素直に信じるトワラ。
「でだ……足が無くなっちまったわけだが……」
「徒歩で巨大移動旅団機に行くしかあるまい。幸い、そう距離も開いていない。姫様、走れますか?」
「ええ。腕は痛めましたが、足は大丈夫です」
「……腕は、巨大移動旅団機に戻ったら医者に見て貰いましょう」
「ええ」
「んじゃあ、行くぜ。戦闘の真っただ中は通れねぇから、ちっと迂回するが……」
「大丈夫です。それくらいの体力はあります」
「……無理はすんなよ。最悪俺かバルサが背負う」
「まぁ、最悪だなんて失礼ですね」
「へーへ、姫さんおぶれて最高だなぁ畜生。ほれ、さっさと行くぞ」
ガランドが銃を持って前へ出て、その後ろにトワラ。殿にバルサが並ぶ。
走りながら、必死に震える腕を抑える。
怖かった。目が覚めて、車があんなにも拉げて、一歩間違えれば死んでいた。腕の痛みが何だ。まだ死んでない。死んで無いんだから大丈夫じゃ無いか。だから鎮まれ。鎮まれ、震えるな。
泣きそうになる目に意識的に力を入れる。
こんな事で泣くんじゃない。皆もっと怖い思いをしている。死んでしまった者もいるはずだ。まだ私はマシだろう。だから、泣くな。
そう自分を叱責しているのに、じんわりと涙がにじんでくる。
なんで自分がと、思わない訳では無い。こんな事、辞めたいと何度も思った。
国が割れ、権謀術数の中に放り込まれた。同じ国民なのに敵だと思わなければいけない生活。料理一つにだって怯える日々。夜だって、眠ったら次は目覚められないかもしれないと不安に駆られるときがあった。
もう、たくさんだ。何度もそう思った。
それでも、気丈に振舞っているのは、この国が大好きだから。この国に住む心優しい人達が大好きだから。
幼い頃、御付きを伴ってお忍びで城下へと降りた。
活気ある人々。楽し気な笑み。人々の優しさ。
確かな温かさに触れた。その温かさを、今でも憶えている。
だから護りたい。自分にそれが出来るのであれば、手を尽くしたい。
たかだか十七の小娘だけれど、自分に出来る事があるなら、自分にしかできない事があるなら、その温かさを護るために戦いたい。
なのに、なんだこれは?
荒れる街。そこには発展した文明の色は無く、時代も、思いも、尊厳も、何もかもを奪う戦場の色しかない。
護りたい、護るべき町が、今戦場になっている。
「あ……」
泣いている子供が目に入った。
子供の方へと走ろうとしたその時、バルサに手を掴まれる。
「――っ!!」
「いけません姫様。姫様にはなさなければならない事があります。今は、御辛抱ください」
自身の腕を掴むバルサの手を、トワラは乱暴に振り払う。
「人を助けるのに辛抱など必要なのですか!?」
「御身を護り、同盟に加盟できればより多くの者を救えます」
「そのために目の前の命を見捨てろと言うのですか!? 助けられる命を前に、見て見ぬふりをしろと言うのですか!?」
「大勢を救うためです」
「それでは……それでは何もしないのと同じではないですか!!」
感情的になっている事は分かっている。きっと今の自分は情緒不安定にあるだろう。きっと、怖い思いをしたせいだ。泣きそうになっているからだ。
けれど、そうじゃなくても、自分は目の前の命を仕方なしと見捨てられただろうか?
分からない。それは、もしもの話でしかない。
「姫様!!」
気が付けば、トワラは走っていた。
トワラの冷静な部分は、これが間違えていると分かっている。トワラのただの我が儘だ。此処でトワラが死ねば、相手の思うつぼだ。この国の未来が暗雲で埋め尽くされ、醜い同胞同士の争いに発展する事は分かっている。
自己満足だ。人を見捨てる様な、そんな自分になりたくないだけだ。
「大丈夫です! さぁ、逃げましょう!」
泣いている子供の元へとたどり着き、トワラは子供を抱き上げる。アドレナリンが出ているせいか、子供を抱き上げても腕は痛くなかった。
さて戻ろう。身を翻した直後、トワラの頭上で轟音が響き渡る。
「きゃっ!」
思わず、身を竦める。
しかし、それが間違えだった。
「あ……」
ぱらぱらと砂礫が降りかかる。
上を見れば、建物の上部が崩れ落ちてきているところだった。
逃げようにも、恐怖で足が動かない。立っているのが奇跡的なくらいに、トワラの中で恐怖が膨れ上がる。
「姫様!!」
「姫さん!!」
ガランドとバルサが来るけれど、致命的に遅い。このままでは、絶対に間に合わない。
トワラは、自身に迫る瓦礫を前に静かに目を瞑った。
逃げられない。間に合わない。なら、せめて怖くないように。
『トワラァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
「――っ!?」
諦めかけたその時、突如自らを呼ぶ声が聞こえてきた。
思わず目を見開くけれど、直ぐにまた目を閉じる羽目になった。
「――うっ……」
暴風が吹き荒れ、地響きがトワラの身体を揺らす。
けれど、いくら待っても、痛くない。
目を見開けば、そこには見知った機体があった。
『今度こそ……今度こそ、間に合った……!!』
黒と橙色の機体から聞こえてくる安堵の声。
その声に、途端に涙腺が緩むのを抑えられなかった。
一度は拒絶された。手酷くかけられた言葉が的を射ていて、その後声をかける勇気が持てなかった。
嫌われたと、思った。失望されたとも、思った。もしかしたら、もう助けてくれないかもしれないとも思った。
だって、助ける理由が無い。あれ程強いのであれば、帝国に雇われた方が良い。向こうには資金も物資もある。名を上げて、戦後の生活を豊かにするのであれば、帝国に着くのが一番良い。
自分に呆れて、帝国の味方になってもおかしくはないと思っていた。
そう思っていた彼が、助けてくれた。あんなに焦った叫び声を上げて、こんなにも安堵した声を上げて。
「アカツキ……っ!!」
トワラは、自らが雇った傭兵の名を呼んだ。
〇 〇 〇
高速で繰り広げられる戦闘の中、それが目に入ったのは本当に偶然だった。
「――ッ!?」
けれど、偶然に目に入ったそれを見間違える事など、暁にはあり得ない事だった。
モニターに映ったのは暁の好きな夕暮れ色。日が落ちかけ、世界を橙色に染め上げる太陽をもってしてもなお、世界に夕焼けは自分であると知らしめる美しく艶やかな髪。
それを、暁が見間違える事は無い。
それを認識した暁の行動は迅速だった。
迫り来る黄昏の聖騎士の斬撃を剣で受け流し、がら空きの胴体に蹴りを入れる。
『ぐうっ……!!』
呻くアグリスを尻目に、トワラを見た方へと機体を走らせる。
「――ッ!!」
それを見て、背筋が凍る。
少女を抱き上げるトワラ。その頭上の建物が、銃撃によって崩壊する。
瓦礫が、トワラの上に降り注ぐ。
その光景を、暁は一度見た事がある。
アイアンの世界のミラバルタで、暁はそれを見た。
ミラバルタ攻防戦の最後。敵将を討ち取り、残党を倒そうとしたその時、城のテラスから泣きそうな顔で戦闘を見守っていたトワラの上に瓦礫が落ちた。
それが、暁には見えていた。見えていて、間に合わなかった。
必死に邪魔をする敵を殺しながらトワラの元へと向かったけれど、間に合わなかった。そのせいで、トワラは死んでしまった。
その時の光景が……トワラが瓦礫に埋もれる直前の悲し気な表情でアカツキを見るその目が、瞬時に思い出された。
寒くも無いのに手が震える。
全身から嫌な汗が流れる。
「ふざけんな……!!」
怖気るな。怖気てトワラが救えるか。
また、同じ失敗を繰り返すつもりか? また、大切な人を失うつもりか? また、同じ痛みを味わう気か? また、約束を破るつもりか?
「守るんだよ、俺が!!」
届く。絶対に届く。いや、届かせる。この距離、この速度、この機体なら!!
『後悔、していますか?』
当たり前だ。大切な人を失ったのだ。後悔しないわけが無い。
『やり直したいですか?』
何度も思った事だ。あの日をやり直せたら、今度こそ助けられるのにって。
『救いたいですか?』
トワラの苦しそうな顔が頭から離れない。痛みからも、恐怖からも、日々の苦悩からも、今度こそ救ってあげられればと思っている。
『もう一度会いたいですか?』
ずっと、何度だって会いたかった。もう一度会って話がしたかった。手を取りたかった。笑顔を向けて貰いたかった。
『もう二度と失いたくないですか?』
一度でもこんなに苦しいのに、二度も失いたくなんて無い。二度も、トワラを苦しませたくない。もう二度と、トワラを失いたくなんて無い。
『まだ、貴方は戦えますか?』
「戦える……俺はまだ、戦える!!」
だから恐怖に勝て。もう二度と失いたくないのなら、目前に立ちはだかる全てに勝ち続けろ!!
剣を取った。引き金を引いた。機兵に乗り続ける覚悟を決めた。
『トワラ・ヒェリエメルダを助けたいですか?』
答えるまでも無い。心はいつだって決まってる。そこにトワラがいるのなら、暁に選択肢なんて無い。
「トワラァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
あらん限りの声でその名を呼ぶ。
トワラの直前で機体を急停止させ、剣で瓦礫を吹き飛ばす。
瓦礫を吹き飛ばせたことに安堵しながらも、暁は直ぐに眼下のトワラの様子を窺う。
「――っ」
思わず、息を呑んだ。
そこには、泣きじゃくる子供を抱きかかえたまま叛逆を見上げるトワラの姿があった。
爆風にでも巻き込まれたのか、トワラの服はぼろぼろで決して大丈夫だと安堵できる状態では無いけれど、それでも、トワラは確かにそこに居る。そこに、生きている。
「今度こそ……今度こそ、間に合った……!!」
思わず、安堵の声が漏れた。
胸の奥から、激情がこみあげてくる。
『アカツキ……っ!!』
涙を流すトワラを見て、暁は気付かされる。
気丈に振舞ってはいたけれど、自分の命が狙われていると分かって平気な者なんているはずが無い。それが、十七の少女であればなおさらだ。
怖かったに決まってる。今も、今までも、これからだって彼女は恐れているだろう。
喜んでいる場合ではない。暁には、まだやるべきことがあるだろう。
「トワラ、早く巨大移動旅団機に」
暁がそう言えば、トワラはこくりと頷く。
叛逆を立ち上がらせ、トワラに背を向ける。
「後ろは振り向くな。絶対に俺が護るから」
ガランドとバルサがトワラと子供を引き連れて巨大移動旅団機に向かうのを確認しながら、こちらに迫り来る黄昏の聖騎士に意識を向ける。
今ので、分かった。
どれだけ自分に言い聞かせても、どれだけ自分の知っているトワラとの差異を見つけようとも、トワラ・ヒェリエメルダは自分にとって助けたいと思う存在だ。いや、絶対に助けなくてはいけない存在なのだ。
それが自分の知るトワラへの代償行為なのだとしても、それで誰かが救えるのなら、それでも良い。
絶対に護る。何があっても。何が何でも。
暁は剣を構え、敵を睨みつける。
「お前ごときが、夕焼けを沈められると思うなよ」