012 アグリス・バンラッツェン
それから数日。巨大移動旅団機は何の問題も無く進み、侯爵領へとたどり着く事が出来た。
町を外壁で囲まれた城塞都市ツェペル。その壮大な城壁を見て、双子の少女は興奮したように声を上げている。
そんな様子を微笑ましく思いながらも、どこか素直に喜べない自分がいる事に、暁は気付いていた。
あの日、トワラの誘いを断った時から、どこか心の調子が悪い。
誘いを受ければ良かったとは思わない。なし崩し的にそんな関係になっても嬉しくはない。それに、やはりあれは暁の知るトワラではない。そんな者と結ばれても、虚しいだけだ。
鬱屈とした心境のまま、巨大移動旅団機は城塞都市ツェペルへと入る。
巨大移動旅団機などの巨大戦艦用の入口を潜り、専用の搬入ドッグで巨大移動旅団機を停止させる。
「二人ともー、降りるんだからこっち来なさーい」
「うん!」
「分かったー」
シシリアに呼ばれ、二人は喜び勇んでシシリアの元へと向かった。
「暁は本当に良いの? 久しぶりの町なのに」
「俺は良いよ。ラッド達と留守番してる」
「そ。それなら、お土産買ってきましょうか?」
「気にしないで。疲れたから、ゆっくりしたいだけなんだ」
戦い詰めでは無かったけれど、いつ来るかも分からない敵に消耗させられたのも事実だ。外に出てはしゃぐのも良いけれど、こういう時にしっかりと休んでおきたい。
「分かった。ならゆっくり休んでなさいね。ポーニャ、ピーニャ、行くわよ」
「あいさー!」
「さー」
嬉しそうにしている二人を見ていると、どうやら遊びに行く程度の感覚であろうことは察しがつく。此処に置いて行くという事は言っていないのだろうかと、少しだけ心配になるけれど、そこはシシリアや他の大人がどうにかするだろう。
三人が去ったのを見送って、暁はガレージへと向かう。
外に出た者達は夕方には返ってくる。夕暮れまで、あと数時間程度。機体の整備や物資の運搬の手伝いをしていれば良いだろう。
シシリアには休むと言っておいて身体を動かしに行く暁。休むなんて建前だ。本当は、トワラに会いたくないのだ。
あれから、トワラと顔を合わせれば何とも言えない空気になってしまう。嫌うでも、怒るでもない。ただ、二人とも気まずかった。まだ、お互いの感情の整理がついていないのだ。
トワラにああは言ったけれど、頭を冷やしてみて分かった事がある。
『姫様が信を置き、姫様に忠を誓う。そんな騎士が姫様には必要なのだ』
バルサのこの言葉を聞いて、暁は分かった。
トワラには本当に頼れる味方が必要なのだ。裏切りを疑わず、決別を疑わない、そんな味方が。
今回の事で、トワラの味方に、それもかなり近しい位置にいる者に内通者がいる事が分かった。それは、もしかしたらこの艦の中に居るかもしれない。
国が二つに別たれそうになりそうな現状で、さらに裏切者がいる事が発覚した。不安になっても当然だ。
寝返ってしまえば楽だろうか。全て捨てて逃げてしまった方が楽だろうか。そう思ってしまっても、無理は無いだろう。不安に眠れぬ夜だってあったろう。
たった一つの心の拠り所。それが、トワラは欲しかったのだろう。例え自らの身体を使ってでも、引き留めておきたい確かな力が、欲しかったのだろう。
そう考えて、また気付いた。
そうか、トワラの周りには、良い人が居なかったんだ。
ゲームの中では、同盟派と帝国派が居た事は事実。けれど、ゲームはゲームだ。NPCであるトワラにつらく当たる者はかなり少なく、どちらの派閥も自分の国のお姫様に対して好意的に接していた。何せ、トワラはお姫様でありゲーム内でもその容姿からアイドル的存在だったのだ。好意的に見ない者の方が少なかった。
けれど、それはゲームだからだ。
此処は、ゲームではない。確かな現実だ。
いくらトワラの見た目が優れていようと、国の存亡がかかった今、同盟派の筆頭であるトワラを好意的に見る帝国派はいないだろう。不埒な目を向ける者は、ごまんといるだろうけれど。
ゲームのように、トワラは誰かの優しさだけに触れてきたわけじゃない。暁の知るトワラと違って当たり前だ。
それに落胆して、偉そうに説教して、なにも背負っていない自分が良くもああそこまで言えたものだと、冷静になって自分に呆れ果てる。
謝ろうと思ったけれど、身体を使おうとしたトワラに対して怒りを抱いたのも事実だった。トワラだけじゃ無く、シシリアが同じ事をしても、暁は怒ったと思う。自分の身体は、もっと大事にしてほしい。
そんな思いもあったから、暁は謝るに謝れなかった。謝って、身体を大事にしてくれと言うだけなのに。
思えば、喧嘩なんてあまりしてこなかった。大抵の事は自分が我慢すれば良いと思って我慢をしていた。勿論、本当に譲れないものに対しては我慢なんてしなかったけれど。
喧嘩をしてこなかったから、仲直りの方法も分からないし、謝る度胸だってない。謝って、許されなかった時が怖いのだ。
戻ってきたら、謝ろう。
そう言って、先延ばしをして今日まで来た。今度こそ、ちゃんと謝ろう。
今そう思っていても、いざ本人を前にするとその決意も弱まってしまう。
「本当に駄目な奴だ、俺……」
なよなよとしてしまっている自分に呆れながら、暁はガレージにたどり着く。
せっせと運搬作業をしているラッドに、暁は取り繕った笑みを浮かべて言う。
「ラッド。俺も手伝うよ」
〇 〇 〇
ミラバルタ王国侯爵。テラハット・バンラッツェン侯爵。ミラバルタ王国の由緒ある家名を持つ、古くから国のために使えてくれている貴族だ。
国を思い、国のために尽くしてくれている貴族の中の貴族。他の貴族からの信頼も篤く、これほど頼りになる味方もそういないだろう。
バンラッツェン侯爵の屋敷に挨拶に向かったトワラと他数名は、談話室に通されていた。
「この度は、難民の引き受け、および物資の提供。まことに感謝いたします。バンラッツェン侯」
「いえ。国のため、これしきの事は当然にございます、姫殿下」
人の良い、好々爺然とした笑みを浮かべるテラハット。
テラハットとトワラはパーティーなどで何度も会った事がある。その度に挨拶や世間話もした。知らぬ中ではない。
テラハットの優しくも力強い笑みを見て、トワラの緊張も自然とほぐれる。
「では、こちらが難民のリストになります」
「ありがとうございます。こちらは、提供物資のリストになります。艦の方の乗組員にも同じものを渡しています。何か、足りない物はございますか?」
難民のリストと交換で渡されたリストに目を通す。
不足分は無い。むしろ、少し多いくらいだ。
「いえ、十分過ぎます。本当に、ありがとうございます」
「なんのなんの。これしき、当然でございますよ。国のため、尽力するのが貴族の役目ですからな」
「そう言っていただけると助かります」
はははっと少し豪快に笑うテラハットに、トワラは少しだけ精彩に欠ける笑みを浮かべる。
こんな好々爺然としたテラハットを疑わなければいけない事が辛い。
「して、道中はいかがでしたか? 巨大移動旅団機の外装に傷がありましたが、もしや……」
「はい。二度程、敵襲に遭いました」
「なんと! よくぞご無事で……」
「ええ。頼もしい騎士がいますので」
曖昧に笑うトワラ。自らの誘いを断った暁を騎士と呼んで良いのか迷った上の、誤魔化し笑いである。
「それにしても、二度も、ですか? ……偶然にしては、出来過ぎているとさえ思えますな」
「確かに、偶然と言うには有り得なくはない回数ですが、偶然として片付けるには難しい回数でもあります。一回目の襲撃も、あまりに――」
かまをかけるために、ある程度の情報を出して反応を見ようとしたその時、突然談話室の扉がノックされる。
「誰だ。客人の対応中だ。後にしろ」
顔を顰め、厳かな声音でテラハットは言う。
客人と濁したのは、町の中、それも自身の城であってもトワラが滞在していたという痕跡を残さないためである。
しかし、テラハットの言葉は無視され、闖入者はおもむろに扉を開けた。
「酷いでは無いですか御爺様。我が姫の来訪を隠すだなんて」
「アグリス……」
「お久しゅうございます、我が姫君」
言って、トワラに笑みを浮かべるのは誰もが見惚れる美青年。親譲りの金の髪に、誰もが見惚れる美しい笑み。そして、騎士として鍛えられた屈強な身体。
アグリス・バンラッツェン。テラハットの孫であり――
「黄昏の騎士団が一人、アグリス・バンラッツェン。トワラ殿下のために、参上仕りました」
――トワラの直属部隊、黄昏の騎士団の一人である。
「アグリス!! 誰が入室の許可を与えた!! 今すぐ出て行け!!」
客人の対応中のために入室の許可を出していない。にもかかわらず勝手に入室をした。これは騎士として貴族としてあり得ない行為だ。あまりにも礼節に欠ける。
孫の事を決して嫌ってはいない。けれど、だからと言って甘やかしてはいけない。礼節も守れないような人間に育てた憶えは無い。
だからこそトワラの前であるけれど厳しい叱責をするテラハット。
しかし、当のアグリスはテラハットに白い眼を向けるだけで退出する気が無い。
何か、おかしい。長年培ってきた勘がそう訴えるのは、テラハットとトワラの護衛についているバルサとガランドの三名。
「お爺様。私と姫の逢瀬を邪魔しないでいただきたい」
「邪魔をしているのはお前だアグリス!! 私は入室の許可をしていないぞ!!」
「アグリス下がりなさい。今私はバンラッツェン候と大事な話をしているのです。私の騎士であるのなら、下がりなさい」
話が進まない事もあるけれど、あまりにも無礼な態度であるアグリスに冷めた口調でそう命令をするトワラ。
「それは出来ません、我が姫君」
しかし、トワラの命令を笑みを浮かべたまま拒むアグリス。
やはりおかしい。トワラの護衛役である二人の警戒が更に高まる。
「姫。私は、姫を迎えに来たのです」
「アグリス、もう一度言います。下がりなさい」
「いいえ下がりません。姫、私と共に行きましょう」
「アグリス! 無礼であるぞ!! おい!! 誰かアグリスを摘まみだせ!!」
流石に堪忍袋の緒が切れたのだろう。テラハットが外を護衛していた騎士を呼ぶ。
しかし、誰が来る様子も無い。
「なっ、何故誰も来ない?!」
誰も来ない事に疑問の声を上げるテラハットに、アグリスは心底馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「耄碌しましたね、お爺様。此処にはお爺様の部下はもういませんよ」
アグリスがそう言った直後、部屋の扉から騎士が入ってくる。
それが誰であるかなど、ガランドとバルサにとってはどうでも良かった。
即座に、ガランド、バルサの両名は無許可で入室してきた騎士を一撃のもとに沈める。
「姫さん、撤退だ!!」
「姫様から離れてもらおうか、アグリス」
ガランドが扉を警戒し、バルサがアグリスに銃口を向ける。
銃口を向けられているというのに、アグリスは動じた様子も無くやれやれと首を振るだけだ。
「どうぞ、お好きに」
しかし、意外にもアグリスはバルサの言う事を聞き、トワラから離れる。
謎の余裕を訝しみながらも、トワラはバルサの元へと向かう。
「姫様、少々の御辛抱を。私が必ずや迎えに上がります」
にこりとトワラに好意的な笑みを浮かべるアグリス。しかし、その好意をトワラは素直に受け取る事が出来ない。
近しい者が裏切者だとは思っていた。けれど、こんなにも近くだとは思わなかった。
「貴方が内通者だったのですね、アグリス」
「ええ、姫様」
トワラの問いに、アグリスは素直に一つ頷く。
どうして。そう問おうとした時、町の方で衝撃音が鳴り響く。
見やれば、町のいたるところで煙が上がり、黒色の巨人が暴れていた。
「なっ!? オーヴァディア!?」
何故、とは思わない。手引きしたのだ、アグリスが。
「姫さん! 今は退くぞ!」
銃を構え、部屋の外を警戒するガランド。
問い質したい気持ちはある。けれど、今此処に留まって自身が囚われる訳にはいかないのだ。
「バンラッツェン候、後は任せます」
「はっ!」
トワラの言葉に、テラハットは厳めしく頷く。
「行くぞ姫さん!」
三人は駆け足で部屋を出て、巨大移動旅団機へと向かう。
トワラの背中に向けて、アグリスは親愛の言葉を注ぐ。
「待っていてください。直ぐにお迎えに上がりますので」
「そうは行かぬぞアグリス。此度の事、どのような理由があったとて許される事ではない」
アグリスに向けて、テラハットは拳銃の銃口を向ける。
「大人しく投降しろ。これ以上恥をさらす前に」
「お爺様、このまま行けば、恥をさらすのはミラバルタです。分かるでしょう? 帝国との国力の差は歴然です」
「そのための加盟だ」
「温い! 生温い事この上ない!! 同盟に加盟したとして、帝国には勝てはしない!! 帝国は戦のプロ。かたやこちらは日和見連中の烏合の衆!! どちらに軍配が上がるかなど考えるまでも無い!!」
帝国は大陸の半分を戦争で手中に収めてきた。しかし、同盟と連合、ミラバルタは戦争をあまり知らない。
どちらが有利かなど、考えるまでも無い事なのだ。
「お爺様は甘い。問答をする前に、私を撃つべきでした」
「何を――」
するつもりだ。
言い切る前に銃声が響き渡る。
「さようなら、お爺様。時代遅れの貴方には、この先を生きていく事は出来ません」