ギャル語を使う死神さん
時刻は夜中の2時。
「……死のうかな」
節約のため、と消された真っ暗なオフィスで不気味に僕の顔を照らすパソコンを前に、僕は正解にたどり着いたかのようにごく自然に言葉が出た。
「もういいや」
明日のプレゼンのために作成していた資料を作る手を止め、僕は座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がった。
なんかもう、どうでもよくなった。
一段一段屋上へと進む足音はコツコツとリズムを刻みながら反響し、まるで僕の選択が正しいといわんばかりの拍手のようにも聞こえた。
屋上の扉は解放厳禁と書いてある割には不用心にも鍵が開いていたけど、別に不思議と疑問は持たなかった。
扉を開けると、夜の涼しい風が髪をなびかせ僕の体を包みこんだ。
僕は迷うことなく屋上の柵へ手をかけ、二十三階建ての高さを確認する。
________あぁ、ようやく死ねるんだ
磨く暇などなかった汚く汚れた革靴を丁寧に揃えてから柵を乗り越え、僕は屋上から寝静まった街の景色を目に焼き付けて僕は目を閉じた。
________来世に期待しよう
柵から手を放して体を下のほうへと傾かせた。
「……はい!それでは落ちるまでー?さん!にぃ!いち!」
そんな声が聞こえて僕は待てよ、と離したはずの柵をもう一度掴んだ。
後ろを見ると人はいない。ましてや僕が死ぬのを実況姿もない。
気のせいか?と思い、僕は再び柵の向こう側へ向き直った。
「えー......今のはリハーサル?あ、画面はこのままでお願いしゃーす!」
明らかにおかしい。死ぬ間際に幻聴なんて聞こえるもんなのか?
「彼がなかなか落ちないのでここでリクエストに応えていきまっしょう!えー……ペンネーム守護天使かもしれないさん!リクエストあざーす!どんな顔をしているか見たい?おけーい!じゃ、彼の顔を映して……」
何か頭上から人がふわりと僕の目の前に降りてきた。……Go Proをもって。
その人物はいかにも死神です!なんて言いそうな黒い装束に骸骨の顔をしていて、背中には鋭利な大きい鎌を背負っていた。あと、なぜが黒い羽根が生えていた。
ん?死神って羽根生えてたっけか?
「えっと……」
僕が死神になんて話しかけようか迷っていた時、
「あれ?こいつ磨けば光る原石じゃね?」
よくわからないことを呟き始めて、じぃっと僕の顔を覗き込む。
「……ち、近い」
近すぎて死神の背負っている鎌に僕の情けない顔が映り込むほどだ。
僕が焦っていると、死神の動きがピタリと止まった。
「あっれれ?もしかしてお兄さん俺の事見えちゃってる系ヒューマン?」
その問いに僕が冷や汗を流しながら頷くと、
「マジやばたにえんなんですけどぉー!」
寝静まった真夜中の街に響き渡るほどに彼の大きな声が目の前で放たれた。
「声大きい……」
「めんごめんご!とりま一旦生放送切るねぇ!ぐっばーい!」
Go Proのカメラを切るなり死神はポケットからスマホを取り出しどこかに電話をかけ始めた。
「あ、しもしもー?ちょっちヤバみだから変わってもらえる?」
見た目は死神なのに、今どきの若者って感じするのはなんなんだろう。
そうか、喋り方が陽キャすぎて陰キャの僕にはついていけない言葉の世界なんだきっと。
目の前で話す死神を見ていると、顔の下から風がぶわっと吹いて僕の髪を揺らした。
なんだ?と下を見ると、先ほどまでここから飛び降りようとしてたことに気が付くと途端に肝が冷えてカクンと足の力が抜けた。
________あ、落ちる
一瞬魂が抜けたかと思うほど胸がひゅっとしたが、すぐにふわっと宙を舞う感覚があった。
「ちょ、ま!?おにーさん何現世から離脱しようとしてんの!馬鹿じゃね!?」
頭上からバサバサと羽根の音がして上を見るとさっきの死神が僕の腕を掴んで宙に浮いている。
「もー俺がいなかったら今頃人生オワコンですよっと!」
「うわっ!」
宙に浮いているかと思えば、突然屋上のコンクリートに投げ出されて僕は顔面で受け身を取ることになった。
さすがに痛すぎて涙が出そうだったけど、なんとか堪えた。僕もいい大人だ。涙なんてこんな僕よりも年下そうな若者の前で
「げ!おにーさん、エグイ量の鼻血出てるけどだいじょ」
「うわぁぁぁ!痛いよぉぉぉ!」
流すよね。鼻血は別だよ。だって血液だもん。痛くて当然じゃん。涙も色ついてない血液だって前なんかの雑誌で読んだし。鼻血も涙も血液。うん。痛くて当然。
「おに、おにーさん……?頭かどっか打っちゃったぱてぃーん??」
「き、君が……顔面から、お、落とすから……」
「ま!?それは申し訳だわぁ」
死神は羽根を畳んで宙から屋上へと降りて僕に箱ティッシュを渡してきた。
「ありがとうぉ。準備いいんだねぇ」
「当たり前体操!箱ティはスクールで必需品☆なんてったって箱に穴開けて机の横に掛けられるのがいいよね~」
チーンと鼻血と鼻水を拭きながら僕も高校の時そうやってたなぁなんて昔を思い出したけど、
「学校?」
よく考えてみれば死神に学校なんてあるのか?
「そうだけど?現世って学校ナッシン?」
「いや、あるけど…..君、学校行ってるの?」
「え、もしかして俺学校とか行ってないように見えてるってことー?まじ侵害なんですけどぉ」
「そうじゃなくて、そういう意味じゃなくて……」
「テンションさげぽよの萎え萎え」
骸骨頭でもわかりやすいほどに落ち込んでいるのが分かる。でも、話し方だけで決めつけたわけじゃなくて
「だって君……死神でしょ?」
「はい??」
死神は露骨に何言ってんだこいつ、みたいな雰囲気を醸し出してきたけど、え?ないよね?ていうかあること知ってたらむしろ怖いよね?
「僕たち人間はさ、教育として学校はあるけど死神って」
「え?あるけど?死神でも天使でも勉強、実習、研修、実践、最終試験からの配属ってくらいあるけど?普通じゃね?ちな、俺は試験受かって仕事中~。」
「まさかの大学と会社が合わさった制度。」
死神や天使にそんな制度があるなんて……
「そういえばさ、君いかにも死神って感じだけど、それ本物の骸骨?」
「まっさかー!これは被り物!しかもこの格好は生放送するための衣装だよーん」
本物の骸骨はもっと小さくて脆いよ、と悲しそうに呟いた。
「俺さ、死神さんって名前でゲンドウバーやってるんだけどさ」
「なんて?」
「え?ゲンドウバーだけど?……まさかおにーさん知らないの?」
なにその引いた感じで聞いてくるの……馬鹿にされてる感否めないんだけど。
「ユーチューバーなら聞いたことあるけど、ゲンドウバーなんて初めて聞いたよ」
「ふぁ??ゆーちゅーばー?なんじゃそりゃ?」
「ユーチューブっていうアプリで動画配信する人の事だけど?」
「あぁ完全に理解。俺らでいう現世の出来事を動画で配信するやつだわ。」
「……そっちの世界にも動画配信ってあるんだね」
「まぁね~。人間に俺たちの姿なんて見えないし、なかなか俺みたいに現世に来れない死神や天使には現世を映す動画は大人気でさ~」
さっきの生放送中断したら俺トレンド入りしちゃったし、と照れてるのはいいけど、仕事中に動画配信ってどうなの……
「どうして僕には君の姿が見えるの?」
「あぁそれな。なんか実体化したままだったみたい」
上司に電話したら激おこだった、と笑っていた。
「まぁさ!こうして俺と出会えたのも運命ってことで……俺の名前は19番!あ、ゲンドウバー名の死神さんって呼んでもいいよ!」
「なんで番号なの?」
「今はまだ上司から認められてないから、名前貰ってないんだよね~」
まだまだ先は遠い、としょげている。
「じゃあ、死神さんで。番号で呼ぶのはなんか嫌だし」
「おっけ!じゃあ俺はもっちーって呼ぶわ!」
「もっちーって呼ばれんの大学生以来……いや、なんで名前知ってるの!?」
「え?だってこの資料によれば確か、1992年5月6日生まれ百瀬彰浩28歳独身彼女歴=年齢って」
「え、何その資料!?個人情報ダダ洩れじゃん!」
死神さんがスマホをスクロールしながら、何かを目にしてピタッと動きを止めたが、すぐに話し始めた。
「もっちーって苦労してんだねぇ……」
「いや、苦労ってほどでも……」
きっと彼は僕の今までの人生経歴を見ているんだろう。
さっきからまじまじと僕を見てる。
「なんでここから飛び降りようと思ったの?」
え、急になんでその質問?ていうか、
「……死神さんならすべてお見通しだろ」
「見れまてーん!さすがに人間の気持ちまで見れたら俺の仕事イージーモード」
ケラケラと笑いながらどこか呆れた様子だった。
「まぁ、大方予想はつくけどね」
死神さんは鎌を背負いなおして座っている僕と目線を合わせる。正直、被り物の骸骨といえど、ものすごくリアルで思わず後ずさってしまった。
「さて、もっちー。まだここから飛び降りる気?」
先ほどと変わらない口調のはずなのに、どこか威圧的な冷たい話し方をするもんだから焦った。
「……いや、また死神さんに生放送されても困るし、今日は帰る」
「ま?俺は初のトレンド入りしたし、動画編集もしなきゃいけないから帰りたかったんだよね~」
マジ助かるラスカル、と立ち上がり背負っていた鎌を手に取る。
「じゃ、また明日~」
お疲れサマンサ~、と陽気に言う死神さんは鎌を思い切り振り上げ、勢いよく僕の首めがけて鎌を振った。
「ちょ、なんで……!」
さっきまで仲良く話してたのに、どういう気持ちの切り替え!?
サイコパスなのか!?
慌てて目をつむって手を前に出してせめてものガードしたけど絶対役に立たないよねー!
さようなら、僕の人生!なんて思っていると首に冷たいものが当たって無意識に絶叫して目を開けた。
「うわあぁぁあああああぁあ!」
目の前に死神さんはおらず、いつの間にか僕は自分のデスクの椅子に座っていた。
「首!僕の首!」
ペタペタと触って確かに首の感覚がある。大丈夫、俺はまだ死んでない!
「びっくりした……怖い夢でも見たんすか?すごい声でしたよ」
これ差し入れです、と斜め後ろを見ると缶コーヒーを僕の首に当ててる後輩の米沢君がいた。
「いや、だってさっき鎌で僕の首を……いや、なんでもない」
だって僕はちゃんと靴を履いている。あれが現実なら靴は屋上に揃えて置いておいたはずだし、何より僕はデスクにいない。
なら、ただの悪い夢だったのかもしれない。
さっきの鎌の冷たさは米沢君が僕を驚かせるために首に当てた缶コーヒーだろうし。
「疲れてるんなら帰って寝た方がいいっすよ?あと9時間後には会議ですし」
心配そうに僕を見る米沢君の瞳に耐えられなかった。
「あぁそうだね……差し入れ貰っておいてあれだけど僕は帰るね」
「了解です!じゃあ百瀬さん、会議でお会いしましょう」
敬礼のポーズをとる米沢君に見送られながら僕はオフィスを後にした。
家に着く頃には疲労も困憊で、僕は倒れこむようにベッドへ沈んだ。
「そういえば米沢君、僕より先に帰ったと思ったけどなぁ」
思い出すのはヘロヘロになって疲れた声で
『お先に失礼しまーす。百瀬さん、残業はほどほどに……』
確かそんな姿だった気がする。
「考えても仕方ないか……」
僕は意識を手放すように深い眠りへと落ちて行った。
「おやすみもっちー」
敬礼して見送ってくれたくれたのは
米沢君に化けた死神さんだとは知らずに。