???
瞼を開いたら、真っ暗な場所に居た。
「……あれ?」
前にも後ろにも、上にも下にも、何もない。闇に包まれた世界。
それでいて自分の手足は見えると言うよくわからない状態。
「うぅ……上下左右の感覚がなくて気持ち悪い……せめて足場……」
と呟いた途端に足元に石畳が浮かび上がり、妙な浮遊感が消え去った。
石畳をコンコンと踵で叩き、感触を確かめる。
「あぁ……夢か」
いわゆる明晰夢と呼ばれるやつだろう。
自分が『これは夢だ』と自覚を持ち、しばしば夢の中を好きなように変化させられると言う。
ふむ、夢であるならば久々にアレが見たいな。
「出でよ、パソコン!」
手のひらを前に差し出し呪文のように唱えると、目の前にわたしが以前使っていたパソコンが音もなく出てきた。
しかし、触れる前に泡のように消え去ってしまう。
「あれぇ……」
パソコンの他に読みかけだった電子書籍が入ってるデバイス、愛用していたポータブルプレイヤーなどを出してみるけれど、そのどれもがすぐに消え去ってしまうのだった。
くぅ、わたしの夢のくせにケチ臭いぞー。石畳はまだ消えてないと言うのに、一体何の違いがあると言うのだ……。
はぁ……仕方ない。夢が覚めるまでヒマなのでブラブラ歩いてみるか。
「と、思ったけど……歩けるのかな、これ」
足を一歩前へ出してみる。すると石畳が一枚前に増えた。なるほど。
しかし代わりに後ろの石畳が一枚消えた。枚数制限でもあるのか、それとも……時限式足場みたいにどんどん消えていったりしないよね?
石畳のない部分を覗き込んでみる。果てのない、奈落の底まで続いているかのような漆黒。高所に命綱なしで居るような感覚がして、背筋に寒気が走った。
出来るだけ足元を見ないようにしながら、ゆっくりと足を進めて行く。
「うーん……見事に何もない」
あるのは自分と石畳だけ。聞こえるのは自分の声と石畳を叩く音だけ。
これがわたしの心象風景なのだとしたら……嫌だなぁ。
もっとモノに溢れたごちゃごちゃした世界の方が正しい気がするんだけども。
ぼんやりとあれこれ考えながら、一分とも十分とも一時間ともつかない、曖昧な時間感覚の中でただただ歩く。
変化は、唐突に訪れた。
『何故このような場所に人間が居るのだと思うたが……貴様、プロメーティアの子か』
「ひぇっ?」
何の前触れもなく自分以外の声が響いたことに驚いて変な声を出してしまった。し、仕方ないよね!
『しかし神子だとしても貧相すぎるな……何故存在が出来て……いや成る程、そう言うことか』
推定二十代の女性の声の主の姿は見えず、妙に反響してどの方向から聞こえてきているのかもわからない。
聞き覚えのない声質なのでわたしの知らない人だとは思……いや、何処となく、覚えがあるような……ないような……?
喉元に引っかかってるような感じがしてどうにももどかしい。いっそ尋ねてみよう。
「あ、あのー……どなたです? 後、せめて顔を合わせてお話し出来ればなぁ、と……」
『別に姿を見せても構わぬが……死ぬなよ?』
「……はい?」
不穏な返事と共に。
視線の先に、闇が溢れた。
既に闇の中だと言うのに、更に凝縮された深い闇とでも言えばいいのだろうか。
いや、この周辺が実は闇ではなくて――
「――カハッ」
心臓を直接握り潰すかのような圧を受け、わたしは血反吐を吐いた。
全身に氷柱をぶっ刺されたような痛みと寒気が覆い、立っていることも出来ずに膝を突く。
怖い、痛い、怖い、怖い。
あの闇が、強烈な――の気配が。
圧倒的な――の力が。
『はは、このひよっ子め。やはり無理だったか』
「あ……?」
女性の呆れたような苦笑したような声がすると同時に、わたしの身に降り積もっていたナニカが和らいでいった。
ほんの数秒の出来事だったと言うのに、体中汗まみれで、それでいて冷たさに震え、酸素が圧倒的に足りないと呼吸に喘ぐ。
『だがまぁ生きてはいたか。……さすがに事故とは言え貴様を殺してはプロメーティアに叱られるだけじゃ済まなそうだしの。よく耐えたな』
ぐるぐるとまだ頭が混乱したままだったが、どうやら褒められたらしい。
何となく、ポロっと口をついた。
「あ、ありがとう、ございます……?」
『ハハッ、貴様は素直なのか愚かなのかわからんな!』
「……じゃあ、どっちもと言うことで……?」
そんな応答をしたら更に笑われてしまった。どうやらツボに入ったらしい。
たっぷり一分は笑ってから、それでもまだクツクツと笑みを零しながら、女性は言葉を紡ぐ。
『さてはて、耐えることが出来たのはアレのおかげか、貴様の資質か……いや、創造神の神子でありながら持っている時点で資質と言って良いか』
……何だろう? 何のことを言っているのかよくわからない。
けれどもわたしが口を挟む前に、女性は続ける。
『ただ追い返すだけにしておこうかと思ったが気が変わったわ。ほんの少しだけだが加護を授けてやろう。創造神の神子に持たせるものではないが……なぁに、貴様は既に持っているので大して変わらんだろうよ』
「は? え? そ、そんなモノもらって、創造神様に怒られません?」
『クハハ、もしもの時は一緒に怒られてやるわ』
「ちょっとー!?」
わたしの抗議を余所に、前方の闇が一欠けら切り離されてこちらへふよふよと飛んできた。
ひえええ、逃げ……ようと思ったけど体が動かないー!
抵抗虚しく闇の欠片?を浴び、やばい一体どうなるんだ……と戦々恐々としていたけれど……特に異常は感じられない。
むしろ少し体が暖かくなったような……?
身に起こった変化がわからずに目を白黒させていると、ふと、女性の声が柔らかな物へと変化した。
『大丈夫だ、怒られるなどありえぬよ』
「え?」
刹那、わずかに垣間見えた女性のそれに、わたしは既視感を覚えた。
闇に浮かぶそれはまるで――
『さぁ、目を覚ませ。と言うかとっとと出て行け』
「あっ」
ゲシっと体を蹴られたような感触がして、わたしは石畳の上から落とされて。
深淵へと――
「ぎゃあああああああっ!?」
「ああああああああっ!!?」
わたしは叫びながらガバッと跳ね起きた。
「ああああ……あ、あれ……?」
荒れ狂う心臓を宥めるように胸に手を当てながら周りを見渡す。
見慣れた木目の壁。窓から差し込む朝日の光。傍らに在るぬくもり。
「……ぬぅ……なにごとなのだ……」
「……ウル?」
目元をこすり、大きなあくびをしながらウルがゆっくりと起きてきた。
「む、朝か。リオン、おは………んん?」
「な、何?」
何時ものように朝の挨拶をしてこようとしたウルが言葉を止めて、訝し気にわたしの方を見てくる。
見てくるだけじゃなく、何故か体をくっ付けてきて鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ始めた。えぇ……寝汗でも掻きましたかね……と言うわけでもなかったようで。
「何やら知っているような気配が……」
「はい?」
どゆこと?と聞こうとしたものの、それは外からの慌ただしい訪問で遮られる。
「リオン様! 大丈夫です……か……?」
先ほどのわたしの叫び声で異常事態が発生したのかと思ったのか、フリッカが駆け込んできたのだ。
しかしその心配する声は尻すぼみになり、何とも言えない表情へと変わっていく。
そしてわたしにくっ付くウルを見て。もう一言。
「……混ざっていいですか?」
「何もしてないよ!?」
かくして、夢の中の出来事はわたしの頭からスッポリと抜け落ちるのであった。




