ある日、森の中
「――が……はっ……!?」
少年は受け身も取れず、血反吐を撒き散らしながら雪原を転がっていった。
……ちょっとばかりやりすぎたかもしれない。イラっときただけで殺しかけるなんてどんな暴君だ。後悔はしてないけど少しばかり反省。
死なないようにポーションを投げつけると、しばしの後に少年はゲホゲホと咳き込みながら上半身を起こして睨みつけてくる。尻をついたままでやられてもちっとも怖くない。滑稽で鼻で笑いたくなるくらいだ。
「これで勝負ありだね」
「――っ」
わたしの宣言に少年は口元を大きく歪め、血混じりの唾を吐く。ギュっと拳を握りしめ、地面に叩きつけた。
「……まだ、だ。まだ俺は、戦えるぞ……!」
「……は?」
まさかポーションを使われたことにすら気付いてない? それとも知っていて厚顔無恥な言動をしている?
「ちょっと、油断しただけだ……! 俺が、負けるものかよぉ!」
確かに少年は慢心していて油断だらけだった。まぁ油断していなくてもわたしが勝ったけどね。不幸にも彼より力を持っているヒトが周囲に居らず、天狗になっていたのだろう。
だからといって、明らかに決着のついた勝負事を、油断の一言で片付けてなかったことにするのは往生際が悪いにもほどがある。
いっそトドメを刺すか?などと物騒な思考が脳裏をチラつく前に、静観していたウルが前に出た。
「それだけみっともなくぶっ飛ばされておきながら、よくもまぁ大口を叩くものだ」
「なに、を……!?」
「あまり無様を見せるようなら……我が潰すぞ?」
「っ!?」
殺気すら籠められたウルの重い声に少年は一瞬で毛を逆立て、ついでに内股になっていた。……ナニを潰すと思ったんですかねぇ……さすがにウルの場合はそんな意図を籠めてないと思うけど。
わたしもそれくらい威圧感があれば絡まれずに心を折ることが出来ただろうか。弱そうな外見はどうしようもなくても、無駄にケンカを売られない程度には強く見られるようには……なれないよなぁ。
「……して、そこの者も、不満があるなら我が相手になるぞ?」
……おっと。そういえばもう一人居たんだった。
少年に原因があるとはいえ、一方的にやられた少年を見て、普通であれば仲間は良い気はしないだろう。
これ以上騒動を大きくしたくないなぁと心の中で溜息を吐きながら、やってきたヒトを見ると。
思わず、言葉を失った。
何故なら、視線の先には――シロクマが居たからだ。
二足歩行の状態で二メートルを超える、革鎧を身に着けたシロクマ。そして身の丈ほどの長さのあるハルバードを手に持っている。
つい最近、ディジーズグリズリーと戦ったばかりなこともあり、無意識に警戒体勢を取る。
……のだけれども、このシロクマからはモンスター特有の荒々しい気配は発せられていない。むしろその瞳には理性の光すら見える。
つまり……このシロクマはモンスターではない。獣人ということだ。
であれば、こちらから手を出す必要はない。少年の報復の可能性はあるのでやや警戒は残しつつ、構えを解く。それが意外だったのか、シロクマは目を瞬いた。
「……珍しいな、俺に攻撃してこないのか」
「――っ。……必要なさそうですからね」
一瞬言葉が詰まる。
……いやだって、めちゃくちゃ渋いオジサンボイスだったんだもの……!
つぶらな瞳をしていて、愛嬌すら感じられるシロクマの口からそんな渋声が出てくるなんて、脳がバグるっての!
幸いにしてわたしがどもったのをシロクマは不審に思わなかったようだ。ふぅ。
「それで、ジルヴァ。俺がちょっと目を離している内に何があったのだ」
わたしたちに攻撃の意図がないことを受け、シロクマは視線を少年に向けて問う。ジルヴァというのが少年の名前なのだろう。
ジルヴァはふてくされたように口を尖らせる。
「それがよう、俺の嫁に声を掛けようとしたら――」
「誰がお前の嫁だ。もう一回ぶん殴られたいか?」
「むぐ……っ」
過去イチでドスの効いた声が出た気がする。いやこいつ、マジで反省しないな?
シロクマはジルヴァを見て、わたしを見て、わたしの後ろに隠れているフリッカを見て。
手を大きく挙げて――ジルヴァの頭に拳骨を落とす。
「あがっ!?」
身を起こしていたジルヴァが腰からボッキリと折れ、顔面から雪に埋まる。
……すごいいい音がしたなぁ。けれど痛そうと同情する気持ちは一切起きず、よくぞやってくれたと胸がすいた。
そのままシロクマはジルヴァの頭をグリグリと抑えつけ、ジタバタするジルヴァを意に介さずにわたしたちに向けて頭を下げてくる。
「どうやらこいつが粗相をしたようだな。代わりに謝罪する。すまなかった」
「……いえ、あなたが悪いわけでは……」
「俺はこいつの親代わりだ。このような性格に育ってしまった責任は俺にもあるだろう」
この紳士熊に育てられておきながら、この馬鹿が出来上がっただと……? なんてことだ。
わたしは背後のフリッカをチラと見る。フリッカは小さく首を横に振った。
「被害者である彼女からも特にないようなので、あなたからの謝罪は結構です」
「……では当人から謝罪させよう」
シロクマは今度はジルヴァの首根っこをひっつかみ、上体を起こさせる。雪の中で息が出来なかったのか、ジルヴァは涙目で酸素を求めて喘ぎ始めた。
「どう考えてもお前が悪い。悪いことをしたら謝れと教えただろう?」
「ちょ、まって……いきが……っ」
「この程度で音を上げるようなやわに育てた覚えはないぞ」
「ふぐっ…………すみま、せん、でした……」
正直、謝られても許せる気はしなかったけど、あまりに情けない声だったので怒りが呆れに変換されてしまった。フリッカはわたしの背に隠れたままだけど、追及する気はないようだ。おそらく関わりたくない気持ちもあるのだろう。わたしも同じ気持ちだ。
……はぁ、疲れたよぅ……。
とりあえず、ジルヴァにはフリッカの半径二メートル以内に近付かないように約束させた。当人は非常に不満そうであったけど、わたし、ウル、シロクマのベオルグさんに睨まれてすごすごと引いた。しかしこの分だと感情に任せてまたやらかしそうなので、しっかりと目を光らせておかねば……絶対に触れさせないぞ。初対面の相手をここまで夢中にさせてしまうとはフリッカも罪作りな……とは決して口に出来ない。男性が苦手な彼女からすればストレスにしかならないからだ。
未練がましくフリッカを見つめるジルヴァを無視しながら、道すがらベオルグさんと話をする。二人にはわたしが創造神の神子ということは伝えた。ジルヴァは「嘘だろ!?」と目を剥いたけど、作成スキルを見せつけたらこればかりは納得するしかなかったみたいだ。疑われたところで放置するだけだけど。そしてわたしが神子であるからこそ、近くに村があり、困りごともあるとかで訪問することになってしまった。フリッカのためにもジルヴァとはさっさと別れたかったけど、神子としてはその要請を拒否しづらい。後でちゃんとケアしておかないとな。
「リオン殿はどうしてこの地に? しかも雪の深くなる真冬に」
「わたしも出来ればこんな時期に来たくなかったんですけど、どうしても必要な素材があるんですよ。隕石とディメンションストーンストーンを探しているんですが、見たことあります?」
「……残念ながら、どちらも見てないな」
まぁ期待はしてなかった。鉱石探知機にも反応はないし、探索には時間が掛かりそうである。
「しかし、隕石なら噂には聞いたことがある。北の山を越えた先にあるとかないとか」
「本当ですか!? 情報ありがとうございます!」
山を越えた先か。……異変と関係していたりするのだろうか。していないといいなぁ……。
まぁ、どちらにせよ、北に行く必要はある。同じ方向にあるだけマシと思っておこう。