廃地の穢された闇黒
男性ながらに腰まで届くストレートの黒い髪。切れ長の目と物憂げな黒瞳。
そして……細身の体の背に生える大きな――小さくなってしまった光神とは違い、体を覆えるサイズの――黒い翼。
間違いない、闇神ハディスだ。
「に、似た誰かではないのかの?」
「……いや、その線はないよ。だって――」
「神気が……発せられています……」
『こんな場所に闇神が居るなんて思えない』
そう考えたウルの気持ちはわかる。そっくりさんなのでは?という疑問が沸いても仕方がないだろう。
しかし残念ながらそうではない理由を説明しようとしたら、フリッカから震える声で指摘が入った。神様たちと一緒に居ることが増えたので彼女も感じ取っているのだろう。ウルが鈍感という意味ではなく、フリッカがか弱いという意味でだ。
フリッカは……神気に圧されて青褪めてしまっている。レグルスとリーゼも気圧されているが、彼らは火神との訓練でいつも浴びているせいかマシに見える。
しかしフリッカは違う。地神や風神とニコニコ笑顔で渡り合うこともあるけれど、神様たちはおバカみたいな行動をすることはあっても根っこは神格者であり、フリッカに向けて神気で威圧することはない。慣れてないことは責められないし、そもそも神様に威圧されるパターンを想定しろというのも無理な話だ。なお水神はわたしを試す時は笑顔で威圧してくる。慣れてきた自分がなんだか悲しい。
姿形だけではなく神気からして、前方に立つ男性が闇神ハディスなのだとわたしは判断した。
……判断した……のだけれども、違和感が拭えない点もある。
それは彼の周囲に取り巻きながらも彼を襲わないモンスターであったり、彼の放つ気配そのものであったり。
あれだけの瘴気が噴出された後であるのに、まだ地下部分には多くの瘴気が残っている。そして瘴気は闇神――正確にはその翼を中心にうねっているように見える。
以前に天人であるイージャも苦しんだ、瘴気を取り込む翼。
闇神もイージャも生まれつきの黒翼であり、瘴気を取り込んだことで黒く変色したわけではない。しかし瘴気を取り込んだがゆえに黒くなってしまったかのように錯覚するほどの禍々しさが宿っている。
この気配、どこかで……と考えたけれど、すぐに心当たりに到達した。
神子ルーエと、その領域から漂っていた良くないモノ。
まさか本当に、神子も、土地も、……闇神すらも瘴気に穢されたことにより、この島の全部がおかしくなっていた……?
特大の不安が脳裏を過り、背筋が冷えた。
わたしはそれを意志で押し込めながら、闇神に問いかける。
「初めまして、闇神様。数年前に創造神の神子として任命されたリオンです」
「……あぁ、そうだね。君からは……創造神の気配が、するよ」
わたしが神子と認められて内心でホッとする。神子ルーエは全然聞いてくれなかったから、闇神も同じかと思ったけどそうではなかったようだ。
けれども、それだけで全部が全部安心出来るわけではない。依然としてえも言われぬ悪寒がわたしを刺激し続けている。
「闇神様は解放されていたのですね。……でも何故それを創造神様に報告していないのですか? ここで何をしているのですか?」
闇神がアイティの時のように何らかの理由で解放されたのか、神子ルーエの手によって解放されたのかはわからない。けれどそこは重要ではない。
問題なのは、解放されたことを創造神が知らないことだ。アイティは創造神の手が届かない冥界を彷徨っていたから仕方ないとして、闇神の場合は瘴気塗れとはいえ地上に居るのだ。いくらでも報告出来たはずなのに、今の今まで報告していないのは明らかにおかしい。ついさっき解放されたばかりでもあるまいに。
先刻の神子ルーエの最後の言葉は闇神に向けてのものだったのだろう。……つまり神子ルーエは闇神の存在を知っていたということになる。まぁこれだけ村に近い位置に居たのだ、知らない方がおかしい。敵対関係にあるわたしに教えていなかったのも、殺意の高い罠を仕掛けて近付くのを拒んだのもまぁわかる。
しかし、神子ルーエが創造神を憎んでいて接触を拒んだとしても、闇神の行動を抑えるなんて絶対に無理だ。神子ルーエに創造神が声を届けられなくなっていても、闇神の方からの呼びかけが出来なくなるわけではない。神の力を封じられるほどの能力を持ち合わせているようにも見えなかったし、そもそも闇神には敬意を払っているようだったので封じるなんてもっての外だろう。
「……見て、わからないのかい……?」
「……何が、でしょうか」
「僕は……この島の瘴気の、浄化をしているんだよ……」
困った神子だ、とでも言いたげにやれやれと溜息を吐く闇神。
いやわたしだって瘴気の浄化はわかりますよ。天人の元になった翼は瘴気を吸収するだけでなく、浄化する能力を持つ。あれだけ瘴気が纏わりついているのだ。浄化中だってこともすぐに察しがつく。『何をしているのか?』は一応聞いてみただけだ。
けれどそれは、創造神に報告をしない理由にはならない。
「……この島の、瘴気が多くて……浄化が、追いつかなくてね……」
それもわかる。浄化が追いついていればこの島はこんな酷い状態になっていない。神様ですら追いつかないほどの瘴気の量は異常だけれども、それはひとまず置いておく。
「……僕のこの衣の下は、瘴気で酷いことに、なっていてね……。創造神に、知られたくなかったんだよ……泣かれてしまうからね……」
「……」
わかるような、わからないような。
創造神は情の深い神様だ。神様たちが解放されながらも瘴気に汚染された姿を目にした時、いつも泣いていた。神様たちは創造神に会えた喜びもあったけど、泣かれることに悲しんでもいた。その延長というか、極地であれば、わからないでもない。
でも……今もずっと封印されたままだと思われている方が、よっぽど悲しませることになってしまうと想像がつかないのだろうか?
それに、創造神のことを想うなら、神子ルーエが創造神に対し憎しみを持ち合わせていることに可能な限り改善を促すはずだ。あぁいや、神子ルーエが闇神の前で猫をかぶっていればわからないか。これはありそうだ。
何にせよ理解は出来ない。浄化がすぐに終わると軽く見積もっていた? 引っ込みがつかなくなった? 何故こんな事態になるまで、助けを求めなかった?
そんな感情が顔に出ているのが察せられたらしい。闇神が眉根を寄せながら言う。
「……創造神の、手をわずらわせるわけにも……いかないだろう。この世界には……神子が、足りなさすぎる」
「それは……そうですが……」
「すでに、この地に神子は、居るのだ。……彼女の手を借りれば、いずれは……」
しかし神子ルーエは力が足らず、島は未だ浄化されないまま。
……島全体の状態が悪く、ろくな素材も入手出来ない時点であまり責められない気持ちはあるのだけれども。
だからといって……闇神にかなりの負担を押し付けながら、自分は戦うことばかりに目がくらんでモノ作りの腕を上げようとしなかった姿勢に腹は立ってくる。
などと闇神に怒りをぶつけるわけにもいかない。ひとまず闇神に現状を訴えて、神子ルーエの敵意を取り除くことは無理でもせめて邪魔をしないように言い聞かせてもらって、わたしが島の浄化に手を付けられるようにしよう。
わたしがそう考えた時、ウルがわたしを抑えるように腕を横に伸ばしてから闇神に低い声で問う。その内容にわたしは止まらざるをえなかった。
「闇神とやら。主は何故リオンを狙った」
「えっ――」
わたしを、狙った?
……闇神のインパクトで忘れかけていた。敷地内に踏み込んだ途端に石畳が弾けて瘴気が吹き出したんだっけか。
あれはモンスター向けのトラップかと思ったけど……いや、やり方はわからないけど闇神はモンスターを抑え込んでいる。だからモンスター向けにあそこまで大がかりで殺傷力のある罠は必要ない、はず。そもそもあんなのを仕込んでいたら神子ルーエも巻き込まれる。
ということは、勝手に発動するタイプのトラップではなく、能動的に発動させたものだったってことか……?
思わぬ発言に息を呑み、闇神を注視すると……彼は気だるげに、何も大したことはなかったかのように答える。
「……邪竜の気配がしたんだ。敵だと思うに、決まっているだろう……?」