ナニカの浄化
わたしの脇腹を神子ルーエの刺突が抉っていった。体をひねっていなければ確実に心臓を刺されていたことだろう。
そんなにわたしの命が欲しいか……!
痛みと共に怒りが沸き上がり、思考が塗りつぶされそうになる。しかし冷静さを失ってはならない。ライフドレインの影響もあって力が抜けていく体を叱咤し、伸びきった神子ルーエの腕を肘と膝で思いっきり挟んだ。
ボキリと音が響く。しかしまたライフドレインされたのでこれも回復されるかもしれない。本当に厄介だ。
このまま接触していてはマズい。わたしは握っていた棒を収納し聖水の瓶に持ち替えて、叩きつけるように神子ルーエの顔面を殴る。
「がっ……!?」
頭部への瓶での殴打と聖水で呻き声をあげる神子ルーエ。勢いが緩んだ隙に畳みかけるべきかと一瞬悩んだけれど、横からの気配に気付いて後方へ下がる。
「リオンに何をする!」
「ごはっ!?」
ポーションで傷を治したウルが神子ルーエの頬にストレートを放ち、吹き飛ばしていった。一旦ウルに任せてわたしも回復しよう。
ウルは先ほど剣で斬られたことを警戒してか容易に拳を振るうことはしなくなった。神子ルーエの鋭い剣撃を避けることを優先している。しかしこれは神子ルーエの暴走前と同じ光景とはならない。蠢く闇炎にライフドレインされてしまうのでギリギリ回避が出来ない上に、斬り返しの速度も上がっていることでなかなか懐に入れないようだ。ただウルに焦っている様子はないので、まだ全然余裕なのだろう。
……いや、あれはわたしを待っているのか。足止めの方法が変わっただけで、わたしが何とかしてくれると思っている。
とはいえどうしたものか。聖水を樽ごとだろうとただ掛けるだけでは焼け石に水。効果がない、というよりは効果が足りないという感触だったので、もっと強い浄化を試みなければ駄目ということか。効果が高いということは反比例して範囲が狭い。動いている状態では確実に逃げられるので、まずは行動不能にしなければいけない。
「せいっ」
わたしは聖水と同時に痺れ薬を投げつける。ウルを巻き込む? ウルの耐性なら大丈夫なのは立証済みである。果たして神子ルーエに効くかどうか。
「ふんっ!」
痺れ薬が剣で叩き落とされた。それでも霧状になり神子ルーエに纏わりつくが……やっぱ駄目か。本人の耐性か闇炎で掻き消されたのかわからないけど、全く効果が見られない。聖水の分、少し闇炎が削れただけだ。
「だったらこれはどうだ!」
「だから、こざか、しいと!!」
今度は投網を投げつける。……駄目だ。そこそこ強いモンスターも絡め取ることの出来る物だけれど、剣であっという間に斬り裂かれた挙句に、闇炎で燃えてしまった。
それでもわたしは何か効かないかと色んな物を投げつける。火炎瓶だったり粘着玉だったり、悪臭箱も混じっており、今までの色んな臭いが入り混じって余計に酷い臭いになった。ウルも顔をしかめている。ごめんよ。
「いい加減に、しろぉ……!!」
ただでさえ狂気に呑まれている神子ルーエが、子どもであれば一発で泣きそうな憤怒の形相でわたしを睨みつけ、向かってくる。神子ルーエの剣の腕だけは確かで、強化された今ではわたしの技術ではまともに対応できない。
だけどまぁ……まともに対応する気なんてサラサラない。
「私を、馬鹿にするなと――」
「いや、貴様は愚かだ」
ただでさえ怒りで視野狭窄な状態でわたしに意識を集中すればどうなるかなんて、結果は火を見るより明らかだ。
ウルに無防備な背を向けることになった神子ルーエは後ろから蹴り倒された。逃げ出さないよう、背中を強く踏みつけられている。強化されていなければ背骨の骨折か内臓破裂が起こっていたことだろう。そしてその体勢であれば剣も満足に振れない。これがわたしであればアイテムを使って起死回生するところだけど、そんなアイテムを持っていればとっくに使っているはずだ。
接触しているウルの足から相変わらずライフドレインされているけれど、ウルが倒れる前に、逃げられる前に、とっとと終わらせる。
「ごめん。またウルを巻き込むけど、我慢してね」
「仕方ないのである。一思いにやってくれ」
わたしはわたしの血――さっき脇腹を抉られた時、治療する前に採集しておいた新鮮な血――を使い、倒れた神子ルーエを中心に魔法陣を描く。神子ルーエは藻掻くが、ウルの足からは抜け出せない。唯一満足に動く口で聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせてくるけど、無視だ無視。あ、ウルの踏みつける力が強くなった。
光属性触媒であるアイティの羽根も使うか。神力で満たし、一定間隔で魔法陣に沿って突き立てていく。上から見ると五芒星の位置だ。
「聖光よ――」
体内で神力を練り上げ、魔法陣に神力を注ぎながら詠唱をすると、魔法陣が光を放ち始める。鬱蒼とした森に朝日が差し込んだような暖かな光だ。わたしにとっては優しい光なのだけれども、神子ルーエにとっては違うのか唸り声を漏らす。
願うは、神子ルーエに宿る呪い紛いなバフの解除と、瘴気を振り撒く闇炎の浄化。
付け加えて、わたしはもう一つ小瓶を取り出す。先日、セレネに属性分離してもらったわたしの血の一部だ。それをわたしの手に塗りたくる。
セレネを神子ルーエには二度と会わせない。だから代わりに恨みを晴らすように――わたし自身の怒りも籠めて――神子ルーエの後頭部を、詠唱の締めと共に思い切り殴りつける。
「この愚かな神子の祝福を打ち破り、侵された炎を清めたまえ! 浄化の聖光!!
「―――――ッ!!?」
溢れる光が神子ルーエの全身を焼く。神子ルーエは雷に打たれたように大きく体を跳ねさせ、声にならない悲鳴を上げた。
ウルが踏みつけたままのためその場から動けないのだが、足を大きくバタつかせ、髪を掻きむしる。……普通のヒト相手には何の効果もないはずなのだけれども不安になってきた。
なお、ウルはちょっと息苦しそうだけれども、ダメージを負っている様子はない。やせ我慢がないとは言い切れない表情ではあっても、それでも神子ルーエに比べれば全然だ。
……逆に何故神子ルーエにここまで劇的に効果が出てくるのか。それほどまでによろしくないバフアイテムを使用したのか。呪いと引き替えに強化係数を上昇させる、とかありえそうだけれども……。
それとも……これは本当に、神子なのだろうか?
そのようなことを考えている間に神子ルーエの体から闇炎が剥がれていった。新たに溢れてくることもなく、綺麗サッパリ消える。
……考えすぎだったか?と、頭を振って流そうとしたのだが。
「……様…………お許し……くだ……――」
小さな小さな言葉が耳に届く。
そして神子ルーエは動かなくなった。もちろん死んだわけではなく、浄化が終了しただけだ。
……本当に死んでないよね? 念の為確認したら呼吸はしていた。問題はない。
「……終わったのかの?」
「うん、そうだね」
ウルがそっと神子ルーエの背から足をどける。死んだフリというわけでもなく、ウルは大きく息を吐きながら肩をぐるりと回す。
「ウルは大丈夫?」
「……ちょっと体が重くなったくらいだ。直に戻るであろう」
良かった。何だかんだでウルも聖属性への耐性が増えているのだろう。
ただ……気掛かりはそれだけではない。神子ルーエの、最後の言葉。
『お許しください』
これが創造神への謝罪ならよいのだけれども……もし、そうでないのだとしたら。
神子が許しを請う相手が、居ることになる。
……一体、誰に……?
その時。
――ゾワリと。
不吉な思いを増幅させるような、澱んだ、穢れた気配が流れてきた。
ウルも察したようで、眉を顰める。
「リオン」
「……うん。神子のことは終わったけど、事態の解決はまだこれからだね」
わたしたちは揃って気配の方を――神子ルーエたちがやってきた方を睨む。
何かを隠していたのか、偶然か。
どちらにせよ、碌なことにならない予感しかなかった。




