この世界で生きる
のろのろとした足取りで、しかしウルは道中何も尋ねることはせず、静かにわたしの手を引きながら歩調を合わせてくれた。
いつもの倍以上の時間が掛かってやっと自室に戻り、ベッドに誘導されたので力なく端に座り込む。隣にウルが座ったのか軽く振動が伝ってきた。
しばらくの間、背中を丸めてぼーっと床板の木目を見つめているだけだったけれども、それでもウルは黙って待っていてくれて。わたしはやがて大きく息を吐き、ポツリと語り出した。
「……わたしが……その、遠い所から来た、って言うのは、知っているよね」
「うむ」
墓まで持って行こうかと思ったこともあるけれど、この時はもういっそぶちまけてしまえと言う気持ちの方が大きかった。ある意味ヤケになっていたのかもしれない。
ゴクリと喉を鳴らし、意を決したようでいて、腰が引けてるような、矛盾した気持ちを抱えながらわたしはついにソレを口にした。
「わたしが他の……創造神様の管理するこの世界とは違う世界から来た、って言ったら、信じる?」
「信じるぞ」
「そうだよねー、信じ……るのっ?」
しかもまさかのノータイム!?
あまりのあっさり具合にわたしが逆に驚いていると、ウルは不思議そうに首を傾げた。
「そのような嘘を吐いてリオンに何か得があるのか?」
「い、いや、ないけどさ……荒唐無稽すぎて『何を言ってるのだ?』とか『頭がおかしくなったのか?』とか思ったりしない……?」
「? リオンは元々おかしいだろう?」
「ちょっと!?」
日頃の行いが悪いからだった!?
いやいやいや、さすがにそれはあんまりだ!と憤慨のポーズを見せたら、苦笑して訂正するのだった。
「さすがに言葉が過ぎたかの。何と言えばいいか……そうだの、元々の思考回路が突飛すぎて、『あぁ、だからなのか』とむしろ納得したくらいであるぞ」
「……えーっと」
も、もしや、わたしのせいでわたしの世界の人々がみんな変だと思われてしまっているのだろうか。同じゲームの神子ならともかく、他の人は関係ないからね……?
ともかく、別の世界でVRゲーム……コンピュータやらの概念が知られてないアステリア人相手には説明が難しいからこの単語は使わずに、神子の体験をして、その結果が創造神の目に留まって招かれた、と言うような説明をしていく。
「それで……招かれたのだけれども…………絶対に、元の世界に、帰れ……ない、って……さっき、創造神様からの説明で、知って」
「……」
改めて自分で言葉にして、胸に重い物が圧し掛かったような嫌な感触がした。
それに引っ張られて、どんどんと心に澱が積もって行くように……いや、とっくに積もっていたのだろう、それは今この時決壊しそうになっていた。
「いや、うん、最初から、帰れないって聞かされてたのに、勘違いしたわたしが悪い、んだけど、さ……」
引きつりそうになる声を何とか宥めていたのだけれども。
わたしの感情はわたしの理性をすり抜け。
気付かぬうちに、一筋の涙が流れていた。
それを自覚した途端に、止めどなく涙が溢れ、嗚咽が漏れだす。顔を押さえてみたところで止まるわけもない。
「……うくっ……うああぁ……っ」
みっともなく泣くわたしに対してウルはやはり何を言うでもなく、たどたどしい手付きで背をポンポンとさすり続けてくれていた。
ひとしきり泣いてしゃっくりだけしか出なくなった頃。
「……リオンよ。出来れば、怒らないで聞いてほしいのだが」
「……?」
ぐずぐずと鼻を鳴らすわたしに向かってウルが困ったような、申し訳なさそうな声で言い出した内容は。
「正直な話。……我は、リオンが帰れないと聞いて、少し……いや、かなりホッとしている」
「……えっ」
ホッとしている? ……な、何で……?
目を見開き驚愕するわたしに、罪悪感を顔に浮かべながらウルはその心情を述べていった。
「我はずっとリオンと一緒に居るものだと思っていた。でも、リオンはいつか故郷に帰る日が来るのではと、思った時もあった」
「……」
「リオンが居なくなったらと想像するだけで寂しさがこみ上げてきた。それでも、帰ることが望みであれば、その望みは叶えられるべきなのであろう」
わたしはずっと、帰れないことが、元の世界との縁が完全に切れたのだと、思っていた。
確かに、それはその通りなのだけれども。
「遠く離れた場所であろうとリオンが元気に生きてさえいれば、それで良いと納得するべきなのであろう。少なくともアルタイルの時のように、死んでしまうのではないかという背筋の凍るような恐怖ではないのだから」
わたしは、元の世界だけでなく、この世界でのことも、もっと考えなければならなかったのだ。
「リオンは時折遠い目を、故郷を偲ぶ目をしていた。たとえ我がどれだけ寂しかろうと、帰りたいと願うのであれば見送る気ではあった」
縁が切れた?
……その縁は、このアステリアと結ばれたのだ。
ウルと……アステリアに住む人々と、新たな縁が、紡ぎあげられていたのだ。
それを自分の都合だけで切って帰りたいだなんて、思ったところで誰にも責められはしないだろうけど……。
「だから……我は、とてもホッと、してしまったのだ。これで、ずっと一緒に居られる、と」
ウルの思いを知ってしまったわたしには……切ることは、無責任に思えてしまった。
フリッカから逃げ続けていたのも、元の世界に帰るからかも、と言うのが理由の一つにあった。だからあまり深入りしない方が良いのではと半ば無意識に一歩退いていたりもしたけど。
「……まぁ、いくら我がそう願ったところで、我が主に嫌われない限り、と注釈は付くがの」
……もう、遅すぎた。
とうに切って捨てることが出来ない、捨ててはいけないほどの縁が、大切なモノが出来上がっていた。
今更気付くなんて、どれだけ周りを見ていなかったんだろう。
帰れないならせめて……などと言う代償行為ではなく、きっとわたしは、帰れると聞かされても、全てを終えて選択を迫られた時には残ることを選んでいただろう、と思う。
元の世界でも大事なモノはあって、それをおざなりにするつもりはないのだけれども……『もう一人』のわたしが居るのだから……『このわたし』は、必要ない、のだ。
あぁ……わたしは、このアステリアで、この地で。
しっかりと足を踏みしめて、前を向いて、未来を見据えて、生きて行かなければならなかったのだ。
痛みすら伴いそうな喪失感は、ゲームではなく現実であると知った後も、その事実からいつまでも逃避し続けて向き合わなかった、わたしの自業自得だ。
決してわたしが『元の世界で不要になったから』では……ない。
だからわたしは、押し潰して飲み込み。
「……大丈夫だよ、ウル。きみがわたしを嫌いにならない限り、ずっときみと一緒に居るよ」
今出来る、精一杯の笑みで答えた。
のだけれども。
「……リオンはそんな嘘は吐かないとわかってはいるが、そうも辛そうな顔で言われると不安になるのぅ」
苦笑いで返されてしまった。
わたしの顔は未だ相当ひどいことになっているらしい。
「リオンはまだ心が疲れておるのだろうよ。もうしばし休むとよいぞ」
うぬぅ……泣いたせいか微妙に頭はフラフラしているのだけれどもさ。
この状況でウルをほっといて休むべきか悩んでいたら、ウルはいつかのように自分の膝をペシペシと叩いてきて。
……誘惑に抗えずに膝を借りたら、さしたる時も掛からずに意識が沈んでいくのだった。
見方を変えれば、自分の居場所をもう一人の自分(ドッペルゲンガー)が奪っていった的なホラーだよなぁ、っていう。