帰れない理由
「リオン!!」
「がっ……は……」
パニックで過呼吸を起こしかけていたわたしの背にバン!と大きな衝撃が走ったことで、わたしはやっと正常な呼吸の仕方を思い出す。
それでも、ガタガタと震えが止まらない。指先が凍えてきたような気さえする。足元が覚束なくなり、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
舌打ちの音が聞こえると共に、わたしを支えるように肩をガシリと掴まれた。背中を叩かれた時と同じくちょっと痛かったけれども、その痛みが今は少しありがたい。
「プロメーティア! 聞こえているか!? 聞こえてるならさっさと降りてこい!」
地神が空に向かって吠える。
いやそんな方法で降臨するわけが――
「――レーア? どうしましたか?」
……ない、と思ったのに、天地を貫くわずかに光る柱を辿って本当に創造神は姿を現した。神様同士なら呼ぶのも簡単なのだろうか。
などと考えていたら、今度は押し出されるように背中を軽く押された。
「プロメーティア、リオンの質問に答えてやれ。誤魔化しはなしでな」
「質問ですか? 何でしょう?」
うぇっ……わたしに振られてしまった。心の準備なんて何も出来てないのに……。
でも、きっと後回しにしたところで何のプラスにもならないのだろう。このまま積もり積もって泥のようになって動けなくなる前に、いっそバッサリとしてしまった方がスッキリするのかもしれない。
わたしはごくりと唾を飲み込み、腹に力を篭めて、ついにその疑問を創造神へとぶつけた。
「……創造神様、わたしの元の体ってどうなってるのでしょうか……?」
生きている。死んでいる。
どちらの答えが返って来ても耐えられるように身構えていたのだけれども。
解答は……想像だにしていなかったものだった。
「リオンの元の体、ですか? 偶にしか見ていないので現時点でどうしているか正確には不明ですが、二十日ほど前の時点では元気にゲームをしていましたよ」
「そうですか、元気にゲームを……………………はい?」
ゲーム?
死んでいるならゲームなど出来るわけがない。
寝たきりでも同じくゲームは出来ないし、万が一出来たとしても『元気に』なんて付かないだろう。
……え? 魂がなくても、生きて動いていたりするの? わたしの体はホントにどうなってるの?
状況が全くもって理解出来ずに呆けていると、わたしの代わりに地神が質問を続けてくれた。
「んん、元気に……? プロメーティア、アンタはリオンの体から魂を抜いて連れて来たんじゃないのかい?」
「? 抜いていませんよ?」
「「えっ」」
「そのようなこと言いましたっけ……」と創造神は首を傾げているが、そう言えば……『抜いた』とは一言も聞いてない、気がするぞ?
地神にそっと視線を向けてみると、『……スマン、勘違いかもしれん』と申し訳なさそうな目をしていた。
でも……魂を抜いてないのだとしたら、『今のわたしの魂』は一体どのような理屈でここに在るんだろう?
元の体は元の世界にある、魂も一緒にそこにある。
と、言うことは……つまり――
「今のわたしの魂は…………複製品?」
……まるで、どこぞのSF作品みたいな。
体は神のお手製ではあるが作り物で。
中身すら偽物とは言い切れないにしても本物ではなくて。
そんな状態で、わたしは本当に『秋月璃音である』と、言えるのだろうか……?
あまりにも嫌な想像に、足場が壊れたような気持ち悪い浮遊感に一瞬見舞われたけど、その考えは創造神によって即座に否定された。
「いいえ、リオン。あなたは複製ではありません」
「……じゃあ、あっちのわたしが複製ってことですか……?」
「それも違います。どちらも本物です」
わたしが上手く飲み込めずにいると、創造神は言葉を選ぶためか、少しだけ間を空けてからこう説明してくれた。
「魂を、炎のようなものとして想像してみてください。燃え盛る竈に薪を差し込んで火を点けたとしても、どちらも炎であり、区別できないでしょう?」
……なる、ほど?
そう言う話なら、異なるのは燃えている素材……魂の器である肉体だけ、と言うことになる、のかな?
いやうん、それでもよくわからないのだけれども、『本物である』と創造神が断言してくれたことで少しばかり心は持ち直した。
「では、元の世界に帰れない、と言うのは……」
「あちらにもリオンが居るからですね。いくら元は同じ魂とは言え、すでに道は別たれて異なる人生を歩んでいます。それを統合すると……人格障害を起こす可能性が非常に高いです」
赤と青の絵の具を混ぜると紫色に変化する、みたいな話だろうか。
だとしたら、統合せずに、アステリアのわたしみたいに体が用意出来れば……どうやって用意するんだ、って話よね。創造神があちらの世界で力が発揮出来るわけじゃなさそうだし、たとえ出来たとしても唐突にわたしが二人に増えたら家族も友人も困るだろう。
つまり……わたしは帰れないことが確定したわけだ。
はぁ、と大きく溜息を吐く。
一か八かで戻るのも分が悪くてさすがにそんな気は起きない。どうしても戻りたい、戻らなきゃいけない理由があるのならともかく、植物人間でも死人でもない――家族に迷惑をかけていないことがわかったので、むしろ無理に戻ることは逆に不幸の引き金になってしまうだろう。
迷惑をかけていなかったのは一安心だけれども……胸にくるものは、ある
「……プロメーティア、アンタはもっと考えてから行動した方がいいよ……」
「そう……ですね。申し訳ありません、リオン」
胸を押さえているわたしが相当苦しそうに見えたのか、地神が創造神に苦言を呈し、創造神は素直に頭を下げていた。
わたしはそんな創造神に対し「……大丈夫ですよ」と力なくへらっと返すことしか出来なかった。……今笑顔を作るのは、ちょっと厳しい。
「あー、リオン、お迎えが来たよ」
「……お迎え?」
地神がクイっと顎で示した方を見てみれば、少し離れた場所に何時の間にかウルが立っていた。
創造神が来ているのだ。何かあったのかと思ってこっちに来てみてもおかしくはないか。いつもみたいに声を掛けてこないのは空気を読んだのかな。
「アンタはもう戻って休みな。酷い顔をしているよ」
「……そんなに、ですか」
自分の顔に触れてみるけど、実感がわかない。
洗面所に鏡はすでにあるけど手鏡とかも作れば便利だろうか、などと場違いなことが頭に浮かぶ辺り、実は余裕があるのか根っからの神子なのか、どっちなのだろう。
どちらにせよ言葉に甘えて戻ろうとしたその間際に、創造神が言う。
「リオン、先ほど自分が複製ではないかと悩んでいたようですが」
「……?」
「混乱させた張本神である私が言えた話ではないですが、本物か複製かなど些細なことだと思っています」
「私の神子は今目の前に居る貴女です。あちらのリオンではありません。もちろんあちらのリオンにも謝意はありますが……私にとってより大切なのは、貴女の方です」
……。
だからわたしは創造神を憎めないんだろうなぁ、なんて。
良いのか悪いのか、単純なわたしに対し苦いモノを感じながら、わたしは二柱に背を向けて、じっと待ってくれていたウルの方へ歩いて行った。