目を逸らしていたこと
祭壇にて。聖水を作るために祈りを捧げていたところに、背後から誰かがやって来る足音がした。
わたしの聖水作りを邪魔しないでくれているのか創造神像に向かって跪くわたしに声を掛けたりはしなかったので、そのまま先に作業を終わらせることにする。
フゥと一息吐いて、立ち上がりながら振り返ってみれば、そこで待っていたのは地神だった。
「お待たせしました?」
「あぁ、ただの散歩だよ。特にこれと言った用はないさ」
「そうですか」
とは言え『じゃあわたしはこれで』と去るのもなんだか気が引けたし、次の作業が立て込んでいたわけでもないので雑談に興じることにする。
「体の調子はどうですか?」
「そうさねぇ。おかげでかなり回復してきているよ」
首やら肩やらを回しながら地神が答える。痛がっているようでもないので、そろそろ全快も近いのだろうか。
全快、でふと思い出し、地神に質問をしてみる。
「地神様って、回復したら自分の領域に帰るんですか?」
バートル村のある地域が風神の領域だったように、神様にはそれぞれ担当領域がある。そこに滞在して創造神の世界運営を手伝い、また神子に助言をしたりしていた。
この拠点近辺が誰の領域なのかはわからないけど、偶然ここが担当でもない限り元居た場所に帰るのかな?と言う疑問が前からあったのだ。
「いや、しばらくはここに居ながらプロメーティアの補助をする予定だよ」
「ちなみにここってどの神様の領域なんです?」
「ここは……ここも風神だね」
おや、そうだったのか。意外と広いと言うべきか、世界が広いと言うべきか。
うーん、バートル村のためだけじゃなく、うちのためにも風神は早めに解放しておきたいところだけど……まだノーヒントだしなぁ。
「プロメーティアが言うにはアタシの領域もあまりよくないことになってるようだからねぇ。申し訳ないがどのみち神子の力を借りないことには戻れないんだよ」
「なるほど? 地神様の領域はどの辺りで?」
「ここから北東さ。風神の領域と隣接してるからそこまで遠くはないさね」
ふむふむ。と言うことはバートル村から東の方になるかな? 他に優先するところを創造神から指定されない限り、次の目的地はそこにしても良いかもな。
「まぁうちは見ての通り小規模なのでたいしたことは出来ないかもですが、必要なものがあれば可能な限り用意するから言ってくださいね。……ただしお酒は除く」
「おい!?」
地神が抗議の声を上げているがあーあー聞こえなーい。
それはさておき、本当にたいしたことが出来ないんだよねぇ。わたしを除いて地神に対応出来そうなのがアルネス村で司祭をしていたフリッカくらいだし。
後は何と言っても人が少ない。レグルスとリーゼを入れても六人しか居ないのだ。他の村から希望者を募れば来てくれる人も多少は居るだろうけど……大事な拠点なので気軽に移住させることもなかなか出来ない。実際にはこの人数でも回るから、増やさなきゃと言う気持ちもあまり沸かないんだよねぇ。
渋い顔をしていた地神であったが、何やら仕返しとばかりにニヤりとしてはこんな問いかけをしてきた。
「ところでリオン、アンタはどっちを選ぶ気なんだ?」
「どっち、って……何と何の話ですか?」
「ウルとフリッカの話に決まってるじゃないか。あぁ、両方ってパターンもあるか?」
「……は? ……………はあああああっ!?」
ちょ、何てこと聞いてくるんだこの神は!?
た、確かにフリッカを見てればそう言うのは察せられるかもしれないけど、ウルはどっから出てきたの!?
いやウルはウルで大事だけど、そういう対象として考えたことはなくてですね……。
唐突な問いにもごもごと口ごもって答えられずに居たら、地神が呆れたような表情に変化した。
「……もしもアンタにその気がないのなら、きちんと断ってやるのも優しさだよ。まぁ、アンタのその顔を見るに全く気がないわけじゃなさそうだけど……」
うぇっ? そんな顔してる……!?
慌てて自分の頬をペタペタするが、当たり前だけど自分ではよくわからない。
「それとも何か、決断出来ない理由でもあるのかい?」
「え、えっと、同性ですし、そもそもまだ出会ってからそんなに経ってないですし、そんな早急に決めるようなことでは……」
「……それが理由であるようには見えないがね?」
「……」
地神に突き詰められて、改めて考えてみる。
……いや、考えるまでもない。
――わたしが、異世界人だからだ。
「地神様はわたしが異世界から来たと知っていますよね」
「そうだな」
「……創造神様からは『帰れない』と言われているのですが……わたしはまだ、帰ることを、諦めきれていません」
創造神がどのような手段をもってわたしをこのアステリアに連れてきたのかはわからない。
だからこそ、『来ることが出来るのなら、帰ることだって出来るのでは?』と言う考えが捨てきれてないのだ。
とある地点へ出かけたら、来た道をそのまま辿れば帰ってこられるように。
……でもひょっとしたら、それは一方通行の道なのかもしれない。滝の水は上から下にしか流れ落ちないように。
その上でなお……神様の万全の力があれば、滝を登ることだって可能になるのでは?
本当にどうしても帰れないのか、さっさと聞いてしまえば良いのだけれども……まだ聞けていない。
単純にタイミングの問題もあるけれど、帰れないと改めて突き付けられるのが怖いのか、それとも……『帰るフリ』を理由に、決断を先送りにして逃げているだけなのか。
「あー……アタシもプロメーティアからその辺りのことは細かく聞いてはないんだが……」
俯くわたしの頭に、どこか遠慮がちな地神の声が降ってくる。
そして、次の言葉で。
「プロメーティアはリオンの魂に来てもらったと言っていた。……リオンの世界の生物は魂……中身の抜けた体は生きていけるのか?」
「……え――」
ドクンと、心臓が一際嫌な音を立てた。
「アステリアにおいては、体だけでも、魂だけでも生きてはいけない。だから、リオンの魂だけではなく、器としてその体が用意された」
魂だけの生物はすぐに死ぬか、アンデッドのゴーストとして残るか。
体だけの生物はいわゆる植物人間状態で永遠に目覚めない眠りにつくか、死に至るか、アンデッドのゾンビとして残るか。
どちらにせよ、死ぬかアンデッドの二択しかない。アンデッドも死んでいるのだから実際には一択か。
では、元の世界では?
今現在アステリアで生きているわたしの状態がどうあれ、あちらでは魂の存在は証明されていない。だから魂の有無は関係なく、体の状態のみで生死を判断されるだろう。
魂を意識と言い変えたとして、意識を抜かれたわたしの体は……生きているのか、死んでいるのか。
生きているとしたら、家族が病院に連れて行ってくれて多くの管を繋がれながらも生き長らえているかもしれない。
でも……死んでいたとしたら、魂の帰る場所は既になく――
「――」
そもそも、勘違いが原因だったとは言え、わたしは家族に何の説明もなくこちらへやって来た。
たとえわたしの体を保管してくれていたとしても、勝手なことをして、多大な迷惑を掛けて、『実は異世界を救いに行ってて――』などとおめおめと帰って良いものなのだろうか……?
いや、せっかく保管してくれてるのだから、めちゃくちゃ叱られようと帰らないとお金がもったいないか?
いやいや、創造神が帰れないと言うからには、やはり体は死んでいて――
「……か、ハ――ッ」
そのような益体も無いことをグルグルと考えていたら、呼吸が上手く出来なくなった。
わたしは息を吸っているのか? 吐いているのか?
その前に……今のわたしは、本当に生きているのか――




