第7話 山越え
俺たちが夕食に選んだのはジビエ料理専門店だ。猟師が獲物を仕留めることができた日の夕食時しか店を開いていないらしく、そんな店で食事が出来るのは運が良い。今日の獲物は熊らしくメニューを見ると色んな物があるが、店主いわく初めて食べるなら鍋を食べれば間違いないとの事なので勧められた熊鍋を注文する。正直に言って変な食感だった。だが不味いと言うわけでなく、どこか癖になる味でご飯との相性も良く、あっという間に鍋がからになった。熊鍋で腹を満たした俺たちはその帰りに入浴券をサービスしてもらった銭湯で汗を流し、宿に戻って部屋の前で別れた。部屋割りはもちろん俺が一人部屋で、スカーレットとクウが二人部屋だ。部屋に入って寝間着に着替えてベットにダイブする。素泊まりだが寝具には自信があるとあの少年が豪語するのもうなずける。本当に5秒で夢の世界に行きそうだ。
日の出と共に目が覚めた俺は身支度をして部屋を出る。廊下を挟んで向かいの部屋からもスカーレットとクウが起きてきた。一階に降りると女将さんが受付で作業をしていた。
「皆さん、おはようございます。昨日は良く眠れました?」
「えぇ、お陰さまで昨日の疲れが吹っ飛びました。これで山越えも安心です。」
「そうですか。お節介かもしれませんがあの山脈を越えるのでしたら廃坑を進む方法もあるので考えてみてください。」
「はい。一晩ありがとうございました。」
女将さんに見送られて宿をあとにした俺たちは、村役場で登山で山越えをするのと廃坑を進むのはどちらが良いか確認して、その先に進むことにした。役場は早朝でも対応してくれて、山脈を越える方法について説明してくれた。まず山登りのほうはガイドをつけて二日で終わるらしい。だがそのガイドを雇う費用がかなりの額らしく、雪の解けきっていない今の時期は猟友会しか入れないため金が有っても無理のようだ。次に廃坑のほうだが一般人には解放されておらず、冒険者をはじめギルドの関係者に許可された者しか立ち入りが許されていないらしい。幸い俺たちはこっちの基準を満たしているので登山道の雪が解けるまで待たなくて良さそうだ。クウの母親がどうなっているか、一刻も早く知る必要があるので廃坑を進むことにした。廃坑に入る手続きはここではやってなく、入り口付近にある小屋のような場所でやっているというのでそちらに向かった。
「こちらが廃坑内部の地図になります。」
その手続きはクエストの受注の一種だった。その内容は廃坑内に棲息している昆虫型モンスターを一定数討伐するというもので、廃坑のどちらの出入り口からでも受注と精算が出来るようになっているらしい。
「廃坑内にも多少の照明はありますが戦闘時には物足りないと感じられると思いますので松明の購入をお勧めしているのですが?」
「いらないです。」
俺が答える前に横に居たスカーレットが即答していた。いらないとは俺も思っていたけどそんなキッパリ断らなくても。
「そうですか。お気を付けて。くれぐれも討伐確認用の部位を忘れないでくださいね。」
受付のお姉さんに見送られて、俺たち三人は薄暗い廃坑へと入って行った。
廃坑にはそこら中に蜘蛛の巣が張ってあり、それが壁際の松明に照らされて十数倍にも大きくなった蜘蛛の影が地面に写し出され、恐怖心が増長される。影を見つける、警戒する、何だ蜘蛛の巣か。と繰り返していく内に警戒心が弱まり、本物のモンスターの影を見落としてしまった。気付いたときにはもうそいつらの間合いに侵入してしまっていた。廃坑の松明に照らされ気味悪く黒光りする通称Gの間合いに。
「ヴギャーッ!」
一瞬その巨体を前に硬直しかけたスカーレットだったが、その後の反応は一番早かった。Gの巨大さに叫びながらも先日手に入れた剣を抜き、鬼神のごとき様相で斬りかかった。いったいどんな恨みがGにあるというのだろうか。ものの数十秒で辺りのGを全滅させてしまった。目に見えているすべてのGを掃除し終えたスカーレットは的確に討伐確認用の触角を必要数剥ぎ取って何事も無かったかのように帰ってきた。
「ごめんね、取り乱してしまって。」
「いや、スカーレットは悪くない。考えたら予想できた相手だった。これは俺のミスだ。」
廃坑という湿った環境と昆虫型モンスターの組み合わせで最も考えられるのはドウマやGといった類いだ。だが俺はそれを失念してしまった。
「それはお互い様、だからいいっこなし。それより早く先に進みましょう。」
「そうだな。死肉を漁りに他のモンスターが近付いて来るかもしれないからな。」
そうして俺たち三人は先へ急いだ。地図に書かれた最短ルートを囲まれる前に昆虫型のモンスターを倒しながら突っ切ってなんとか日が暮れる前に出口にたどり着いた。
廃坑を抜けしばらくするとそこにはよくある宿場町という感じの街が広がっていた。受付でGやドウマの触角を渡して報酬を受け取った。冒険者の肩書きのお陰でトラブルなくそのまま街に入ることができた。飲食店や武器屋、宿によろず屋と様々な店が軒を連ねていた。
「二部屋借りられそうな宿を探そう。」
俺はそう言いたかった。だが言う前にお腹がなってしまったのだ。頭では早めに宿を見つけなければならないと分かっていても、体は正直に空腹を訴えてきた。仕方がない、今日は先に飯にするか。それにしても店が決まらない。そこら中から漂ってくる香りが食欲をそそりどの料理も捨てがたいのだ。
「ここがいい。」
いろんな店に目移りしてどこにするか決めかねていた俺とスカーレットは、クウが選んだ麺料理のお店に入ることにした。
その店はちょっと裏に入った所にあり、住居の一階部分を改装した造りになっていて、店主と女将さんの二人で切り盛りしているみたいだった。コシのある太いもっちりとした麺が特徴の饂飩屋で今の店主で三代目らしい。饂飩を食べたことがない俺は店主イチオシの猪肉うどんに、スカーレットは悩みに悩んでシンプルにかけうどん、クウは迷わずきつねうどんを選択した。
「いただきます!」
三人揃って合掌する。そしてまずは汁を一口。・・・旨い。次に麺をすすり、肉を食らう。また、汁を飲む。そして気が付けば器はからになっていた。となりをみると最後に残しておいたのか大きな油揚げをクウが涙を流しながら一口、また一口とかじっていた。
「あれ、私なんで泣いてるの?泣きたくないのに涙が止まらないよ。」
クウは大粒の涙を流しながら、それでも箸を休める事なく油揚げを食べきった。
うどん屋をあとにした俺たちは程なくしてお手頃価格の設備の良い宿を見つけた。そしていまは、俺の部屋で明日の予定について話し合っていた。何事もなく予定通りに行けば明日の昼過ぎにルゴール王国との国境の大河を渡ることになるはずだ。
「でもそう簡単に行けるかしら?行ってすぐに渡し船が出るわけでもないし。」
「そうだろうな。道中、モンスターに襲われないとも限らないからな。明日中には桟橋のある村に入れるようにしよう。」
予定も程度決まり、それぞれの部屋で就寝というときにクウが急に謝ってきた。
「さっきは取り乱してしまってごめんなさい。あの油揚げの味はまったく違ったから何ともないと思っていたけど、お母さんの手作り油揚げの味を思い出してしまったらどうしようもなくなって、それで。」
要約するとこうだ。油揚げはクウの地元、イナリ地方の名産らしい。そしてそのレシピが世界に伝わって油揚げが広まったらしい。紛い物でも本家のレシピを元に作った油揚げだから、それはどことなく故郷の味に似ていて、故郷の事を急に思い出してしまって取り乱したようだ。
「ほら、クウちゃんもう泣かないの。」
「そうだぞ、早くお母さんに元気になって貰って、また油揚げ作って貰わないとな。」
声にもならないような小さな声で「うん」と返事をして頷いた。
「よし。クウは良い子だ。今日は早く寝て明日に備えるぞ。」
こうして俺たちにクウのお母さんに、ついている影を祓う理由が出来た。