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前日 4

 

 喉が渇く。あの司会者が興奮して言葉遣いを見失った気分がよくわかる。

 十億円の口約束など、一切の価値もないだろう。そんな約束した覚えがないと白を切る人間など五万といる。よく知っている。

 髪の向こうで少年がゆっくりと瞬きをしたのが見えた。

 目で人を判断する能力なんてものは知らないし、持ち合わせていない。そんな能力は紙の上やテレビの向こうだけで結構だ。あって困らないのは、精々経験からの勘程度。それなら様々な場面で役に立つし、それだけ経験を積んできたのだと実感もできる。

 多少ではあるが、彼女にもそれがあった。

 少年の目は、年相応ではなかった。

 暗いから、遠いから、と言うには明らかに濁った眼球。

 ひどい殺意や憎しみに捕らわれた人間や、異常な思考の持ち主によく見られる気味の悪い目。

 だが逆に、それは証拠でもあった。

 目的達成のためならばあらゆる犠牲を躊躇せず出せる人間が、そうなるのだ。あくまで彼女の経験上の話であるが、経験上だからこそこの少年がいつか辿り着くと確信してしまった。


「……あてはあるの? 何の考えもなしに十億払うなんて、簡単に言わない方がいいわよ」


 改めて少年を頭のてっぺんからつま先まで観察する。

 髪は先も言ったように伸び放題。目は濁り切った汚い状態。服はサイズの合っていない白の長袖に、七分丈の白いズボン。どちらも薄汚れている。最後に裸足。

 どう見ても、というか、彼も言ったが金はない。あったら外見くらいはどうにかできていたんだろうか。

 少年は、ふむ、と視線だけを玄関の向こうに投げた。


「君に現状の打破を申し出て、その結果に見合った給金を得る」

「は?」

「噛み砕いていえば、君を助ける代わりに給金を要求し、それを足しにする予定だ」


 まさかの展開である。流石に予想だにしない斜め右上を攻められた。

 恩を売ろうというのか。存外彼は頭がいいらしい。支払先に恩を売ればそれだけで後々に良い影響が出る。

 問題はその相手だ。彼女は頭痛でもするのか、こめかみを揉んだ。


「私に金を要求するなんて、いい度胸だわね。でもあんたみたいな子供の脳を借りなきゃならないほど、猫の手を借りたい状況じゃないわけよ」

「だが、君の考えるどれもが君に不利な結果をもたらすことは想像に難くない。猫の手は猫の腹の皮ほどの役にも立たないが、オレの手ならば良い結果を手繰り寄せられる」


 勝手な思い込みと偏見、そして妙な自意識過剰が見られる。融通の利かない性格でもあるようだ。さらにこめかみを強く押した。


「……私が生きて戻って、なおかつあの犯罪者予備軍どもを再起不能にできるような方法を、あんたは提案できるって?」

「そう解釈してもらって問題はない」

「……はぁ……それを聞かせてもらえるかしら。できるだけ、手短に」

「もとより至ってシンプルだ。ついてきてくれ」


 そう言って少年が歩き出す。

 このホールに窓がないことが幸いし、壁沿いに進めば外から中は窺い知れない。欠陥と判断したが、まさかこういう事態を想定して造られたのだろうか。

 彼女はぽかんと口を開けた。てっきり長たらしく作戦内容を語られ、あまりの無謀さに頭痛が増すと腹をくくっていたのに、まったく拍子抜けである。おかげで数秒ほど動けなかった。

 少年が振り返る。


「ついてきてくれ」


 いや、融通の利かなさには頭痛が増した。口調に騙されていたが、実はオウム返しするとか、妄想と現実の区別がついていないとか、何かしらの特性を持っている可能性を考えられなかった彼女の負けである。

 どの道、逃げられるルートは少年の進む階段しかないのだから。

 会場にいた時も思ったことだが、おじいちゃんの部下は、部下ではなく、プロでもないらしい。

 プロの犯罪者であれば、標的が裏手に回ることを見逃しはしないし、ここまでの少年とのやり取りでかなりの時間を浪費しているのだから突入も可能だったはずだ。金を貰っているならやる気も増し、出来高払いなら血眼になってもおかしくはない。

 そのどれもがなかった。

 彼らは私兵であっても部下というよりは奴隷や捨て駒に近い存在。

 士気なんてものは(はな)からなかったのだろう。

 さっさと二階に上がり切った少年が見下ろしてくる。

 もやつく胸やけをどうにか飲み下し、彼女は【肝臓】に能面を被せ直して後を追った。

 二階に同じく立った途端、ヒールの踵部分をぼきりと折って一階に投げ捨てた。


「ごみのポイ捨てはどうかと思うが?」

「走ることになったら、ピンヒールなんて不利なだけよ。ならとっとと折るに限るわ……ああ、ポイ捨てに対する質問? 案内状には、会場の損傷に対して処置があると書いているだけで、ごみを捨てるなとは書いてない。つまり問題ない」


 少年の「どうかと思う」は、常識的に考えての意味だ。もちろん彼女も把握していたが、素直に言う気はさらさらなかった。一種の八つ当たりである。再び大人げない。


「そうか。ならば別に構わない。それに、折るという点は理解が及ぶ。オレもよく折る」


 八つ当たりの相手を間違えている。

 何故か素直に返事をされてしまって苦虫を噛む羽目になってしまった。法則の読めない少年だ。

 法則以前の話として、今変な発言が混じっていたような気がする。よく折るとは。裸足の少年がピンヒールを愛用し、さらには折ることを趣味としているかは(さだ)かではないのだが、はっきり言って彼女の興味を惹かなかった。

 スタスタと歩く背中を追い、一つ角を曲がった後で気が付いた。


「あのおじいちゃんをどうにかすれば、どうにかなるんじゃない?」


 バンの情報を開示された時点で、首謀者が老爺(ろうや)であることは確定していた。会場にいた彼の奴隷が麻袋を被っていたのだから、待ち伏せ集団にもその特徴が当てはまったことで芋づる式なのだ。

 ともなれば、護衛で最低三人は近くにいるとしても、上手く立ち回れるなら説得できるのではないか。

 これが上手くいけば、案外何もなかったかのように無事帰宅できるのではないか。

 楽天家ではないが、それでも相手は大食いなだけの老人。年の割に大人げなく、歳に等しく意地汚い金策に走ってはいたが、話の通じない相手ではないと期待したい。

 少なくとも、目の前を迷わず進む少年よりは希望が見える。

 そんなことを口にしたら、少年がまた足を止めた。廊下も中ほど。真横はオークション会場である。天上の高さからして二階まで広間なのだろう。耐震性は大丈夫なのか。

 立ち止まったのなら何かを言うはず。首を捻って見せるも、彼の目は彼女を見ていなかった。


「おじいちゃんとやらは、君の後ろにいるご老体で合っているのか?」


 後ろ。

 手間が省ける反面、嫌な予感はしていた。

 振り向けば、髭を綺麗にして(たたず)むおじいちゃん。見知ったというには時間が短すぎたが、特徴的なその髭を忘れるほど時間も経っていない。杖を手にして立つ老体の背後に麻袋が三人。会場にいた者と同じだろう。遠目で見てもわかるほど、三人揃ってガタガタ震えて整列している。


「合ってるわね」

「そうか」


 老爺はにこりと笑ってくれた。けれど目は月並み通りに笑っておらず、どこか虚ろに見える。オークション中はもっと生気があったのに、この十数分で何があったのだろうか。


「誰かと思えば。縁があるの、【肝臓】を手にしたお嬢ちゃん」

「犯罪に手を染めるのはどうかと思うわよ、おじいちゃん」


 縁なんて白々しい。

 どうせ正面切って出て行って、まぬけに捕らえられた後に出張ったところで、同じセリフを言ったことだろう。まったく同じセリフを、今よりは満足げに。

 ほほっと笑う声がする。


「こんな場所に来るなら、巻き込まれても文句は言えんて……それを、譲ってはくれんかの? もちろん、タダでとは言わん」


 今日、いやほんの十数分前にも同じような問いを投げられた。が、彼女はまるきり同じだとは思っていなかった。

 老爺はすらりと杖を抜いた。木製に見えたそれは、廊下の僅かな灯りを受けて陳腐にぎらりとしてみせた。杖は杖でも仕込み杖とは、これまた古風な。

 脅すつもりなのだろう。枯れ枝ばりの腕でゆっくりと持ち上げ、切っ先を彼女に定める。


「お代はお嬢ちゃんの命。どうじゃ、安くない取引じゃろうて」


 つまり、死にたくなかったら【肝臓】置いてけ、渡さなければ命諸共【肝臓】を頂く、という殺害予告だ。はっきりしている。生きるか死ぬかの究極の選択を強いられている。

 ――もし、十億以上の値を出していたら。

 したり顔の老人に、彼女はそんなことを考えていた。


「悪いわね。先約があるのよ」


 心底、興味をなくした顔をしていた。

 命の危険に晒されようとも我関せず。物ともしないその言い方に、老いた体が不自然な揺れを引き起こした。


「……ほう。お嬢ちゃん、命を差し出してまでそれを渡したくないのかね? 最近の若いもんの考えは理解できんわい。昔は、ほれ、命あっての物種なんて言うておったが、無駄死にとわからんとは……ははぁ、さては流行りのゆとりとやらかの?」

「何言ってんのよ。あんたより高値で買う奴がいるって話をしてるのに。商談をするか、人生の説教をするか、どっちか一つに絞ってもらえない?」


 少年が、彼女の後ろでやり取りを眺めていた。何も言いはしないが、それでも老人と同じ疑問を抱いていた。


「……お前さん、自分の命よりも金をとるのかね?」


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