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前日 3

 

 会場から出れば、廊下は蝋燭の灯りのみで照らされていた。

 一度(まばゆ)いステージに登ってしまった彼女の目は、弱弱しい灯りの及ばぬところを視認できずにいた。どんなに目を擦っても目を細めても見えないものは見えない。

 しかし、抱えた戦利品は面白いことに、蝋燭の灯りを吸収して輝いていた。安く言えばミラーボールのように、壁に緑の軌跡を残している。

 能面を外して宝石に被せる。目が余計に眩みそうだったからだ。

 汗ばんだ前髪を横に流し、彼女は大股で建物の出口に向かって行く。

 表情自体は喜んでいるのだろう。欲しかったものが手に入ったのだ。それも五億もの大金を手放してまで小脇に収めることのできた代物なのだから。

 という割には、焦りが前面に出てしまっている。

 一刻も早くここを出たい。

 会場は、古い洋館を改装したらしい造りをしていた。外壁や内装も真新しく、新築の匂いがすると言えば誰にでも伝わるだろうか。廊下に備え付けられたアンティークの時計や調度品の数々も、品のある仕様だ。

 極めつけに言えば、広すぎる。

 スタッフがいるから当然といえば当然だが、人の気配がそこかしこにある。

 それがたまらなく彼女の足を速めていた。

 玄関ホールに辿り着いた途端、彼女は立ち止まり、肺から空気を全て吐き出した。


「……ああ、あの人数の空間なんて、嫌いよ」


 様々な匂いのついた空気。それを吸い込んでいたと思うだけでもぞっとする。

 玄関ホールは大扉を開けたままだったため、常に換気がされていた。夜の匂いしかしていない。

 もうすぐ帰れる。嬉しそうに一歩を踏み出した、かった。


「それ、くれないか」


 誰の気配もしなかった。匂いもしなかった。間違いはない。

 けれども声は突然、聞こえたのだ。

 宝石を強く抱え直し、彼女が右足を後退させる。声はしたが、ここも灯りが少なすぎる。どこにいるのかわからない。


「その、大事に抱えている【肝臓】、くれないか」


 また、聞こえた。

 見渡してからようやく気が付いた。

 左真横の柱に、誰かが立っている。

 誰もいなかった。こんなにも近距離に、人はいなかったはずだ。そんな抜けを出すほど彼女は呆けていないつもりだったのだ。

 あまりの出来事、失態にも近いものに、恐る恐る彼女は視線を動かした。

 それは小さな子供だった。

 小さな、とは的確な表現ではない。小学生くらい。身長は彼女の腹ほどで、適当に伸び散らかした髪のせいで顔は見えないが、声からすれば小学生が的確だろう。

 何故こんな時間に、こんな場所に。疑問は浮かべど口にはせず、ただじっと見つめた。


「聞いているのか」


 小学生がこんな言い方をするだろうか。

 世には、一定以上肉体が成長できない病の人もいると聞く。それならば目の前の子供が成人という可能性もある。


「……耳が聞こえないのか。あるいは、日本語では伝わらないのか。それとも、何故夜半に子供姿の何かが突然現れ、子供らしからぬ言動をし、【肝臓】を欲するのかと、思案しているだけなのか」

「何なのよ、あんた」


 気味の悪さがピークに達してしまった。結果、思考を待たずして言葉が先行した。

 失態に失態を重ねている。その自覚があった。

 言った直後に後悔をしたものの、出た言葉は絶対に戻らない。例え、無人の空間であっても、自分という聞き手がいる時点でもう終わりなのだ。

 子供はこくりと頷いた。


「端的で非常にいい質問だ。だが、先に質問を投げかけたのはあくまでオレだ。人間は、順番を守るのだろう?」


 砕けているのか、尊大なのか、どこか判別しにくい言葉を使われると、どうも弱い。

 子供に諭されているという状況も頂けない。彼女はいい歳をしたレディである。


「……あげるわけないわ。これは私が買ったんだから」

「なるほど、そうか。ところで、質問は『オレが何か?』だったな。オレは……なんだろうな。適切な言葉が見つからない」

「真面目に答える気がないのだけは、よくわかったわ」


 声は間違いなく真面目なのだろう。顔は見えないが。

 しかし内容は空っぽだった。何か、と聞かれて、子供らしく人間だとか、子供だとか、名前を名乗るだとかするなり、成人らしく所属だとか、病の経歴だとか、自己紹介をするなりしたならばまだ構う気にもなっただろうに、残念ながら空っぽに構う程暇ではない。

 が、構わず外へ出ようとした彼女をその子は引き留めた。

 もちろん、言葉で。


「今、その玄関を使うと身に危険が及ぶぞ」


 きっと普段の彼女ならば意に介さなかった。特別、子供が好きでも嫌いでもない、まさしく無関心ならばどうでもいい話題だ。構ってほしいが故に、そっちに行くなよ、危ないよ、みたいなもの。無価値だった。

 無価値な言葉に足が縫い止められたことは、誠に遺憾であった。

 足に視線を落とした。ぴったりと赤い絨毯に足裏を貼り付け、前進を阻止する、自分の足。

 彼女の意思ではない。であれば、この場でそうさせる要因は、一つ。


「……冗談にしては質が悪いわね。身に危険、ですって?」


 この子が妙に大人びた言い方をするのがいけない。構う気なんて微塵もなかったし、冗談を繰り返すなんて以ての外だ。

 けれど動けないのだから仕方ない。どういう仕組みで足が硬直したのかは置いておくとして、ひとまず話を聞くことにした。興味があったわけではない。ただ立ち尽くす時間がもったいなかっただけだ。

 子供が柱から彼女に近づく。

 手にしていた【肝臓】を警戒していた。このキッズは、これを欲しがっているのだから、この隙に盗ろうと企んでもおかしくないからだった。あげないと言ったが、そうかと納得して見せただけの可能性も当然捨てられない。人間は、そういうものだ。


「玄関脇に二台、噴水を挟んで奥に三台、黒いバンが止まっている。各車両に約三人の麻袋を被った黒スーツの男たちが待機している。得物はナイフが多い。ただ数人はサイレンサー付きのハンドガン、車自体にショットガンが1丁ずつ備えついている。目的は君を捕らえることだ」


 彼女の思考は最悪の展開に結び付いた。展開と結末は全部で二つ。たったの二つだ。

 一つ、玄関から出て、露骨な誘拐犯に誘拐され、やっと手にした宝の臓器を奪われる。彼女の身の安全は限りなくない。運良くて生き残る程度だろう。

 二つ、屋敷内を経由し運良く逃走。しかしそこから先の逃走劇はあまりに費用がかさむ。どう見積もっても赤字。最悪、収入が絶えて死に体になる。

 どちらも避けたくて止まない結末だ。

 不安要素はまだある。さしあたって、隣の子供だ。

 子供と呼称するのは大枠すぎる。ふと会話を振り返り、一人称がオレだったことを思い出した。以降は少年と呼ぶことにする。

 少年の得体の知れなさもさることながら、何故情報を流したのかがわからない。

 敵はどう考えても可哀そうなおじいちゃんだ。あんなにも悔しがっていたのだから、何かしらのアクションはあるだろうと思っていたが、まさかまさか十数分でここまで配備を済ませるのか。感心はしたくない。

 で、あれば。少年はおじいちゃんの回し者で、嘘の情報を流しているかもしれない。最初のくれくれ発言はつまるところ、おじいちゃんへの、孫からの土産といったところか。

 結論を言えば、信用できない。

 足の硬直が気づけば解けている。踵を鳴らさないよう注意しながら柱に隠れ、開けっ放しの扉の向こうを窺った。

 夜の世界。噴水があるが、水は出ていない。来た時にも見たが、水は完全に抜かれていた。

 噴水の向こう。バンが、見えてしまった。

 彼女は眉間を押さえた。


「……なんで、教えてくれるの」


 少年も真似をしてか柱の陰に隠れた。細身の体は太い柱にすっぽり隠れているが、やはり見落とすほどの同化は感じない。


「君は質問ばかりだな。次はオレの番だろうに」

「わかったわよ。で、何が聞きたいの」


 余裕があるのかのんきなのか、これも作戦の内なのか、さてどれなのかは推察もできやしない。状況は正直、彼女が圧倒的に不利だ。

 それでも何があるのか知らなくても、少年から聞けることがあるなら聞くに越したことはない。今必要なのは情報。足りなさすぎるものが、情報なのだから。

 少年の視線は、未だに光を漏らす【肝臓】へ注がれていた。


「どうしたら、それをくれる?」


 彼女は、瞬きをした。

 かぐや姫を思い出していた。

 無理難題を言って引き下がらせた彼の姫の知恵を、今借りずしていつ借りるのか。

 敢えて能面を外す。僅かに差し込む月明かりが、【肝臓】の中で反射し、輝く。


「タダであげるわけないわ」

「なら、落札額の五億を払えば、くれるのか」

「誰が原価で譲るのよ。そうねぇ……十億。二倍よ、坊や。それが払えるのなら譲ってあげるわ」


 無理難題があまりに大人げない。彼女はそれに良心の呵責(かしゃく)を感じることもない。

 最初から手放す気はさらさらないのだから、相手がどれほど怒ろうが嘆こうが知ったこっちゃないのである。諦めてくれれば御の字。恨みを買うのは承知の上。ただし訴えられるのは勘弁である。裁判の費用は黙認しかねる。

 しかも、彼女よりもずっと年下の子供に対して、十億円などとほざいている。時と場所次第ではイジメと叩かれ非難轟々であろう。

 仮に、少年が外見通りの子供であるならばの話だが。

 さて逃げる算段を立てねばと、彼の返答を待たずして柱に背を預ける。

 正直、賢くはない。生き汚く小賢しいだけで、頭の回転も良くなければ作戦立案も得意ではなく。ただ記憶力だけは卑しいほどに高い。今現在、逃走経路を考えるにあたって屋敷の構造を思い描いていた。

 奇妙な構造だと、最初にここへ来て歩き回った際に思った。

 人が正式に出入りできる扉は、バンに包囲された玄関しかなく、どういうわけか一階には窓がない。繰り返す。窓が一切ない。廊下もそうだが、トイレも応接室も、違和感を覚えないように綺麗に埋め立てられていた。

 二階には窓があるけれど、あるのは玄関の真反対にのみ位置している。しかも階段はこの玄関ホールにしかないという、構造上の欠陥住宅にしか思えない屋敷だ。屋敷の真後ろが低いなりの崖になっているところも、好物件としての条件を損なっている。

 結論を急ごう。一階で逃げ回れば挟み撃ちにあうことは必至。バッドエンドまっしぐら。

 二階に逃げれば捕まるか、裏手に飛び降りて大怪我を負って捕まることが必然。

 さて、窓の無さからも八方塞がり感がひどい。


「十億は、円か、ドルか」


 空気を読まない言葉が聞こえてしまった。

 別のことを考えていたせいで反応し損ねた彼女は、一拍思考停止を起こし、明らかにげんなりした目で少年を睨んだ。

 算数の勉強のつもりなのか? 社会の宿題のつもりなのか?


「円よ、円。まだその話を続けるつもり? 私は今、忙しいのよ」

「円。了解した」


 苛立ちが冷静さによって抑制される。

 彼は了解した。

 何に?


「十億円を支払い、その【肝臓】を買い取ろう。とはいえ、現状オレは一文無し。時間はかかれど達成する」


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