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前日 2

 

 過剰なライトアップ。光を吸収して、それは輝いた。

 【肝臓】とは、ネーミングセンスが死んでいるのではと誰もが乾いた笑いを起こしていたのに、いざお披露目されれば会場は沈黙した。

 形はその通り、人間の【肝臓】だった。

 医学書、教科書、人体模型、インターネットの画像など、誰しも見たことがあろう、まさしく、【肝臓】。

 ただし肉色ではなく、輝きに満ち溢れた深緑を呈していた。

 造形や大きさを察するに、悪趣味な人間が尊き最大級の宝石を醜悪にカットしてしまったか、古の儀式の媒体としてそのものの価値を無視した挙句の宝なのか、保証も曰くも一切が不明で価値も不明。だのに、いかに客の趣味に合わなくとも、いかに世の万人から非難されようとも、これを前にするとどうでもよくなる。

 沈黙を破り、この空気を堪能しただろう司会者が両手を上げた。


「皆々様、お覚悟と懐は決まりましたか? 誰の手に渡るのかは、金のみぞ知る! 五千万からのスタートです!!」


 スタートがそもそも今日の最高落札と同列ではあったのに、会場が雄たけびじみた金額の応酬に包まれた。


「五千五百!」「六千八百!」「く、くそっ……七千!!」「九千!!」


 ここまでで一切手を上げずにいた彼女は、動物園のような音の行き交いをじっと傍観し、傍聴していた。


「一億」


 ざわり、叫び声が途絶え、どよめきに変わる。

 これまでに出てきた商品へ金を捧げてきた客からすれば、これ以上は棺桶に片足を突っ込むも同義。特に半分もの商品を買い付けた恰幅のいい男商人は、九千を高らかに告げた直後など、息も絶え絶えである。心なしかやつれてすら見えるかもしれない。

 その息の根を止めたのは、壁際の客だった。

 顔全体を覆うタイプの仮面のせいで表情は読めないが、声は実に気だるげだった。興味関心のない、楽しさもない声。上げた手もやる気なくぶらぶらしている。しかし体格やスーツの仕立の良さからすれば、行動に反して最盛期の青年と認識できる。性格は意図的に除く。

 司会は、少し困ったように手をすり合わせた。


「お客様、大変恐縮なのですが……当オークションでは原則として、現金払い、ローン無し、ツケ無しとなりますぅ……ご提示頂いた現金はございますでしょうか?」

「受付に渡した。確認がいるなら、俺の番号を荷物と照会して、中身を確認しろ」

「……確認できました! 問題ございません! 一億! これ以上のお方はいらっしゃいますか!?」


 一億即金。一体どんな職についていればそんな金をほいほい出せるのだろう。まあ、この場の誰もがほいほい出せる職らしいが。

 一億の値に興奮気味の司会者。他にいないかと声を荒げる。


「一億二千は、どうかのぅ」


 またざわつく。

 ゆったりとした声は、テーブル席から。全員が立っている中で、一人だけ席に着き、そのテーブルの料理を平らげていた男だった。

 可愛げのある小さな背に、後ろで一つに束ねた白髪、極めつけはソース塗れの口ひげと、なかなかにインパクトのあるビジュアルの老人。暴食の限りを尽くしていた彼が、料理以外に言葉を発したのだ。金額よりもそこにざわついたのかもしれない。

 老人の道楽、余生を謳歌。そんな言葉が過る。

 いつの間にか、青年と老爺(ろうや)の間には道が出来ていた。

 客はこの二人の対決だろうと察したようだ。裏を返せば、一億越えを出せる客が、もうこの二人しかいないことを指している。


「一億三千」

「ちまちましとるのう。一億八千」

「二億」


 ざわつきが大きくなる。

 わざとらしく挑発的な態度をとっていた老爺が、ひくりと口の端を揺らした。

 青年は壁にもたれたまま変わらない態度を決め込んでいる。仮面の下はどうなっているのだろう。余裕の笑みの一つでもあるのか、それとも実は冷汗の一筋でも流しているのか。一番妥当なのは、興味のなさげな表情だろう。喜も苦もない、仮面の如き表情が。

 老爺がううむと唸る。そして手を数度叩くと、麻袋を被った黒服の男が数人、傍らに跪いた。


「うぬら、今日日(きょうび)、いくら持ってきた?」

「……に、二千です」

「一千……」

「ご、五千です!」

「ふぅむ。であれば、二億六千。如何(いかが)かの、坊や」


 黒服は一様に震え声で金額を口にする。孫か親戚か部下か奴隷か。よくよく見れば首で締められた麻袋の口の下には、悪趣味な首輪が着いているではないか。老人の余生の謳歌にしては、一般的に見れば大いに悪趣味。勝ったと誇らしげな彼の笑いも、下品に映る。

 司会者も感極まったのだろうか、金額をマイクで復唱し続けている。


「二億六千……魅惑の数字です……ああ、今すぐにでも……おっと失礼。職務放棄はいけませんよね! さてさて……どうされますか、お兄さん。二億六千以上! 突っ込んでみますか?」

「その前に。他人の金を使ってもいいのか?」

「ええ、はい。なんせ禁止事項は案内状に書いたもののみですので。はい。誰のお金を使おうと構わぬ次第でございます」


 案内状。うちわ代わりに使っていた客も多いことだろう、それはいやに金をかけた黒い三つ折りの紙。

 タイトル、宛名、薄っぺらい案内文句、お品書き、日時、場所、ドレスコード、そして、それまでの項目は全て白文字だったのに、急に始まる赤字の禁止事項。

『本会場に損傷が出ました場合、然るべき処置を致しますので、あしからず』

 つまり、同じく会場入りした連れから金を取ってもいいし、全くの赤の他人を脅すなりして金を工面しても良いのだ。

 けれどそれをする輩はいない。

 お互いの個人情報を出したくない多くの客は、それをしない。どんな足がつくかわかったものではない。そして連れならば、これまでの品でいくら使ってしまったのかも把握している。つまり、借りるないし奪う金は端からないのだ。

 ここまで見越して配下を連れてきていた老爺の悪知恵がここにきて発揮した。誰もが、【肝臓】を手に洋々と帰る小さな姿を目に浮かべた。


「三億」


 その中に、青年は含まれていなかった。

 さも当たり前に言ってのけた金額は、司会者も老爺も反応が遅れるレベル。

 宝くじが当たったとしても、これは正気の沙汰ではない。

 たかが宝石の【肝臓】に、三億。

 道楽も程度を越せば狂気の沙汰だ。客は青年の周りからぞっと引いて行った。

 髭が逆立たんばかりに震え出す、たった二億六千しか出せない老爺の周りには、逆に客が寄っていく。もはや彼は悪趣味な老人ではなく、憐れなおじいちゃんだからだ。よっぽど親近感や感情移入もしやすい。


「ええ……三億、三億です。三億が出ました。ええ……打ち止めでしょうね? これ以上の金額を聞いたら、私ぶっ飛んで素が出てしまいそうですので。ええ」


 大台までくれば興奮は落ち着いて、寧ろ冷静に言葉を選ぶ余裕さえ出てくる。賢者タイムとでも言おうか。司会者は天を仰いで囁くような声で何度も頷いていた。


「五億」


 ごつん。司会者のマイクが落ちた。

 蜘蛛の子を散らすように、潮が引くように客の群れが割れていく。

 五億。ぽんと言ったのはその道の先。

 能面の彼女だった。

 司会者は数秒立ち尽くし、肩をびくりと震わせてから足元のマイクを拾い上げた。けれど手は震えたまま。両手で持ってようやく口に照準を合わせられる動揺ぶりだ。


「……はい? 申し訳ございません、何と、申しましたか?」

「五億って言ったのよ。いらないの? 五億円」


 彼女の認識はあった。能面。能面だ。

 だが、今の今まで声の一つも発していなかった。手を上げもしない、料理にも手を付けない。存在感は能面分しかなかった。

 その彼女が、伸びをしながらステージに向かって歩いて行く。

 誰も止めはしないし、遮りもしない。というよりも、誰も近づかない。

 壁際の青年を狂気の沙汰と言うならば、彼女はもはや人外の精神と言っても過言ではないだろう。全員の頭に浮かんだのは、たかが、【肝臓】の形をした宝石だろうに、だ。

 司会者さえステージに登った彼女から距離を取る。五億という金額は、どうやら司会者の素を引きずり出したようだ。


「あ、え? あ、あるんですか? 五億ですよ?」

「照会でも何でもしなさいよ。それがあんたらの仕事でしょ」

「あ、ああ、はい、え? ……ほ、本当にあんのかよ! マジか!」

「素が出てるわね。ま、あんたの素顔だなんだは無価値だとして、ねえ、これこのまま持って帰ってもいい?」

「いいに決まってんだろですよ! 即金五億! まいどありあした! 他にいますか? いねえよな! 五億だぜ、五億!!」


 興奮のあまりめちゃくちゃな言葉遣いの司会者を尻目に、彼女はうっとりとそれを指でなぞった。

 滑らかな感触。細やかなカットが成す業だろうか、まるで鉱石の指触りではない。本物の臓器といって目隠しで触らせれば、一時ほどは騙せるのではないかと思う出来。職人は何のためにこんなものに、その技術をつぎ込んでしまったのか。

 それも、彼女にとっては無価値な疑問だ。

 悠々とそれを小脇に抱え、ステージを降りる。

 スタッフ一同からの拍手や、司会者からの中身のない称賛の言葉、客からの奇異の視線を浴びながら出口を目指す。と、ふと足を止めたと思えば、壁際の敗者に歩み寄っていく。

 彼はもたれているものの、僅かに肩を上下して見せる。


「あんたの負けね。それはまた今度の軍資金にでもしなさい」

「……お前から借りればよかったな」

「貸すわけないでしょ。寝言にしたって馬鹿よ、あんた」


 知り合いらしい。であれば、彼が彼女から金を借りなかったことが不思議に思われるが、どうやら貸し借りをしない間柄のようである。

 そんな過去は意味をなさない。

 熱気はすでにどこへやら、狂人どもの応酬の後には、冷え切った沈黙だけが残った。



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