金木犀の葬送(一)
「う……ん」
ふと目を開けると、ぐるりとカーテンに囲まれたベッドの上に横たわっていた。
ここは……保健室? どうして、ここに?
「あれは……夢だった……の?」
あんなこと、現実に起こるはずがない。
きっと恐ろしい夢を見たのだと、自分に言い聞かせながらゆっくり起き上がると、カーテンが揺れて、隙間から皓太の顔がひょっこりのぞいた。
「ルイカ? 目が覚めた?」
「ひっ……」
留以花は小さな悲鳴を上げて、後ずさった。
しかし、人懐っこい笑顔を見せた彼は、いつもの皓太だった。夢の中で見た、両頬に濃紺の刺青が刻まれた、不気味な顔ではない。
「な……。コウ。びっくりさせないでよ」
まだドキドキしている胸を押さえていると、彼の顔はカーテンの向こうに引っ込んだ。
「せんせー! ルイカ、気がついたみたいです」
確かに、皓太に違いなかった。
彼らしい無駄に元気な声に、留以花は苦笑する。
白衣を着た若い養護教諭が足早にやってきて、カーテンをぐるりと開けた。
「具合はどう?」
「あの……わたし、どうしたんですか?」
あれが夢だとしたら、自分が保健室に運ばれた理由が分からなかった。悪夢を消し去るためにも、まず、それを知りたかったのだが。
「あら、佐野さんも覚えていないのね。あなたは教室の爆発事故で、気を失ったのよ。クラスの他の子たちは、ガラスで怪我をして病院に運ばれたんだけど、あなただけは奇跡的に無傷だったから、保健室で休ませていたの」
「爆発事故……? ガラス?」
養護教諭の説明に、背筋が急激に冷えていく。
「本当に、どうして、普通の教室で爆発が起こったのか……」
養護教諭が説明を続けていたが、留以花には聞こえていなかった。
クラス全員が気を失っている異様な光景。一斉に窓が割れる、激しい衝撃音。自分一人に襲いかかる、鋭く尖ったガラス片。
自分を取り囲む銀色の壁と、不思議な力を使う皓太の姿をした男。
あれは、夢じゃ……ない?
留以花は思わず、震える両手で口元を押さえた。
その様子を心配した養護教諭が、身を屈めて顔を覗き込んできた。
「大丈夫? まだ気分が悪いようなら、もう少し休んでいてもいいわよ」
「もう少し寝てたら? 顔が真っ青だよ」
心配そうに留以花の肩に置かれた少年の手に、びくりとなった。
この人は……誰?
「い……い。帰る……。帰りたい!」
留以花は彼の手を振り払うと、逃げるようにベッドの反対側に下りた。
「佐野さん。どうしたの!」
「ルイカ! 待って!」
内履きも履かずに保健室を飛び出した留以花の後を、皓太の姿をした男が追った。
よろめきながら必死に走る留以花だったが、陸上部の足は、あっという間に差を詰める。廊下の最初の角を曲がったところで、留以花はあっさり捕らえられた。
「いやぁぁ! やめて!」
悲鳴を上げてその場に座り込み、腕を振りほどこうともがく。
「ルイカ!」
「やめて! 放して! わたしをどうするつもりなの!」
「ルイカ。お願いです。落ち着いてください」
二度目に名を呼んだその声は、確かに皓太のものであるのに違って聞こえた。
皓太よりずっと落ち着いた、少し低めの声。丁寧な口調。
恐怖がすっと引いていく。
そうだ。この人は、わたしを助けてくれた人。何度も、大丈夫だと言ってくれた人だ。
留以花は顔を上げて、まっすぐ彼を見た。
「……誰……なの? コウじゃないわよね」
彼が、色素が薄めの皓太の瞳で見つめ返す。強い眼光。引き締められた口元。皓太と同じ顔でありながら、全く別人の表情だ。
「はい。私の名は……」
男は言いかけて、しばらく迷う様子を見せた。
「ツクスナ」
耳慣れない、不思議な響きの名だった。
「ツ……クス……?」
「ツクスナ。月の砂、です」
「やっぱり、コウじゃなかったのね。コウは? コウは、どうしたの?」
その問いかけに、ツクスナは辛そうに瞳を伏せた。
「コウは…………。そうですね。その話を先にしなければなりませんね。ですが、ここではなんですから、外に出ましょう」
彼がすっと立ち上がり、留以花に手を差し伸べた。
こういう部分も、明らかに別人だった。
彼は皓太より、ずっと大人だった。