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夜明けの襲撃(三)

 宮の中はもう戦どころではなかった。

 人々は何が起こったのか分からず、ただただ、あの神々しくも凶暴な炎に畏れおののいて、地面にへたり込んだり、震えたりしていた。

 そんな中に、砂の文様を頬と身体に刻んだ屈強な若者に抱き上げられた、一人の少女が姿を現した。

 鮮やかな茜色の大袖を身に纏い、艶やかな黒髪を風になびかせ、凛とした強い瞳で真っすぐに前を見つめる少女の姿に、人々が目を見張る。そして誰もが、その場の空気を変えるほどの少女の圧倒的な存在感と、先程の荒々しくも神々しい炎を頭の中で結びつけたとき、その場にいた一人の砂徒が、がばりと低くひれ伏した。

「姫巫女様!」

 その声に、周囲からざわめきが沸き起こる。そして、伊邪国も己百支国も関係なく、その場にいた者全てが武器を下ろし、次々と地に伏していった。

 ツクスナの足は、もとは祭殿であった建物の残骸に向かった。

 大勢の人々がその場にいるというのに、不思議なほどに静かだ。

 誰一人、顔を上げる者はいない。

 ルイカは丸くなって震えているたくさんの背中を、高い場所から見下ろしていた。

 祭殿であった高床式の建物は、葦葺きの屋根が吹き飛び、床が抜け落ち、崩れた木材の間に、何本かの太い柱がかろうじて立っているだけの壊滅的な状態だった。

 その残骸を背に跪く、ヤナナと伍徒の姿があった。

 彼らのすぐ傍らに、一人の少年が背中から血を流してうつぶせに倒れていた。

 こと切れた横顔に蛇の鱗の文様。右腕にも同じ文様が刻まれている。市でルイカ達を襲い、ヤナナの夫の命を奪ったのは、この少年に間違いなかった。

「ヨウダキらしき者の姿が見えません。気をつけてください」

 ツクスナは彼らに近づいていくと、そう囁いて、ルイカを腕から下ろした。

「姫巫女様」

 ヤナナが強い瞳で見上げてきた。彼女が本懐を遂げたことが、その表情からうかがえる。

 ルイカは口元を引き結んだまま、大きく頷いた。

 ヨウダキは女のはず。この少年とは違う……。

 ルイカはツクスナを伴って残骸の周囲をゆっくりと歩き、辺りを注意深く見回した。しかし、目視ではそれらしき人物は見つけられず、相手の気配を探ろうと、目を閉じた。

『おのれ! よくもエンダをっ!』

 突然、あの女の低い声が、頭に響いた。

「ツクスナっ!」

 ルイカの叫び声と、彼が真横に左手を上げるのが同時だった。彼の掌から放たれた銀色の砂が、一瞬のうちに大きな壁を作り上げる。そこへ、先程よりも巨大な黒蛇が激しく衝突した。

 蛇の姿も銀色の壁も、常人には見えないが、低く沈み込むような不気味な地響きと激しい衝突音に、方々から悲鳴が上がった。

「姫様をお護りしろ!」

 周囲の警備を固めていた、砂徒長を始めとする十数人の砂徒達が、一斉に左手を掲げ砂を放つ。しかし、四方から放たれた砂は、荒れ狂う漆黒の蛇の体表に触れた瞬間、焼け石に落ちた水滴のように、音を立てて消えていく。先程ルイカ達を襲った蛇とは、桁違いの力だった。

「ルイカ。あの女は私に任せてください」

 ツクスナが腰の素環頭大刀に右手をかけた。大刀をすらりと抜き、柄頭の輪に結ばれた紺青の帯を、柄を握る手首に巻いて歯で固く結びつける。

「うん。でも、わたしも手伝う」

 ルイカは右の人差し指の先に、眩しい輝きを灯した。

「むやみに吹っ飛ばさないでくださいよ。周りを巻き込んでしまいますから」

「大丈夫よ。今は冷静だから、ちゃんとコントロールしてみせる」

 二人は視線を交わし合った。

「うおおおおぉぉ!」

 雄叫びを上げたツクスナが力強く土を蹴り、自らが築いた砂の壁を突き抜けていく。ほぼ同時に、ルイカが指先の炎を銀色の壁に移した。

 小さな炎は瞬き一つの間に、銀色の壁を眩い金色に塗り替えた。そして怒り狂う黒い大蛇に、さらには砂徒達が放った砂に燃え移り、次の瞬間、天をつくほどの巨大な炎となって燃え上がった。

 しかし、燃え盛る炎であるのにその音は全くせず、爆風も吹き荒れない。

 目が眩むばかりの神々しい炎が、幻のように静かにそこにあるだけだった。



「くっ。なんという力……じゃ」

 ヨウダキは迫り来る炎を押し返そうと、渾身の力を振り絞った。しかし、巨大な竜巻のようにも見える黄金の炎は、かえって勢いを増しながら、自分に向かって真っすぐに迫ってくる。

 ヨウダキの放った蛇の力は、頭部を炎に喰われ、自分の右手に繋がる尾の部分しか見えなくなっていた。

 熱もなく、音もないまま目前に迫った巨大な炎の威力に、ヨウダキが押されるように後ずさった時、炎の中から黒い影が躍り出た。

「ヨウダキ! 覚悟っ!」

 姫巫女の炎は熱を感じることはない。しかし、ヨウダキが肩から胸にかけて一直線に感じたのは、焼け付くようなような熱さだった。

「ぐ……」

 あまりの早業に、何が起こったのか分からないまま、ヨウダキは自分に移った熱を両腕で抱きかかえた。

 この程度の火なら、自分の力で消せるはずだと思った。

 しかし、白い大袖の衣が、見る見る赤く染まっていく。乾いた土に、ぼたぼたと音を立てて赤黒い跡ができていく。鼻につくのは、焼けこげた臭いではなく、鉄のような生臭さ。

 まさか、これは……。

 ヨウダキは、驚愕に大きく目を見開いた。

 炎の熱だと思ったものが、突如、堪え難い激痛へと変化する。

「こんな、ばか……な……。わらわが、あんな小娘に負けるはず……が……」

 直後、背中に感じた重い衝撃。

「ぐ……っ、ふっ……」

 崩れ落ちる女の眼に最期に映ったのは、自分の左胸から突き出した、細身の大刀の切っ先だった。

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