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夜明けの襲撃(一)

 二人の男が、伊邪国の宮の正門に倒れ込むように駆け込んだのは、夜が明けてしばらくしてからだった。息も絶え絶えの男達からもたらされた驚くべき報告は、すぐさま伊邪国王に伝えられた。

「邪馬台国軍約六百、斯馬国軍約八百の夜襲により、斯馬国との国境が突破されたとのこと。宮が攻め込まれるのは時間の問題かと」

「なんだと!」

 寝処の中で知らせを聞いた伊邪国王クチヒタは、憤怒の形相で飛び起きた。

「どういうことだ! 邪馬台国軍はせいぜい四百しか常駐しておらぬはずだ」

「それが、昨日、邪馬台国に戻ったはずの兵が、夜になって引き返してきたようで……」

 邪馬台国軍は、砂徒のような特殊な力を持つ者を除いても、個々の能力が高く、倭国一と謳われている。国境に四百名を常駐させるだけで、伊邪国の侵攻の抑止力となっていたのだ。それが、約六百名も集結したという。

 これまで国境を守ることだけを主眼に置いていた斯馬国軍も、かつてない頭数を揃えている。

 これほどの規模で夜襲をかけられたのでは、伊邪国軍はひとたまりもなかった。

「おのれ、邪馬台国め……。誰か、蛇の姉弟をここへ連れてまいれ!」

「は、はっ!」

 慌てて王の館を出た高官は、異変を察知して西の祭殿に向かおうとしていた姉弟を呼び止めた。高官は二人を伴い、すぐさま王の前に戻った。

 その僅かの間に、王は怒りを辺りにぶつけていたらしく、床に敷かれていた鹿の毛皮はずたずたに切り裂かれ、床や柱にはいくつもの刀傷ができていた。

「なぜ、邪馬台国軍が我が国を襲って来るのだ! 貴様ら、何かしくじったか!」

「まさか、そんなことがあるはず……」

 ヨウダキはそう言いかけてはっとした。

 四、五日前、邪馬台国の姫巫女を亡き者にしようとしたとき、黒く汚した青銅の鏡に触れていた右手の指先に、ちりりと焼かれたような微かな痛みがあった。攻撃的な気を感じたわけではなかったから、気のせいだと思っていたのだが。

 あれは、もしや……。

 ヨウダキは悪い予感を打ち消そうと、頭を振る。

 あの夜、姫巫女の気配は一瞬の荒々しさを見せた後、風前の灯火と言って良いほど弱々しくなった。息の根を止めることには失敗したが、あの様子では、そう長くは持たないはずだった。あの小娘が何かできるはずはない。

「だったら、なぜだ! 儂は倭国二十八国を治める王なのだぞ! 誰も儂に逆らうことは許さぬ!」

 クチヒタは手にした豪奢な環頭大刀を、怒りに任せて振り回す。

 そこへ、別の男が駆け込んできた。

「申し上げます! き、北のトブセ川の向こう岸に、己百支国軍と思われる大軍が!」

「なんだとっ!」

「ひっ……。ク、クチヒタさ…………」

 王がぎろりと睨んだ直後、男の悲鳴が上がり、赤いしぶきが館の中に飛び散った。

「おやめください。クチヒタ様」

「ええい! うるさい! 儂に命令する気か」

「いいえ、滅相もな……うわぁぁぁっ!」

 王は自分の置かれている状況を直視することができず、腹立ち紛れに誰彼構わず斬りつける。その場が血に染まった惨劇となっていく様を、姉弟は部屋の隅から冷ややかに眺めていた。

 自分たちが、この男を倭国王にしてやったのだが、無能な男であることは最初から分かっていた。手を切るにはちょうど良い機会だろう。

「姉様、とにかく祭殿に行ってみよう」

 二人はその場を見捨てて、西の祭殿に急いだ。


 高床式の祭殿の階を駆け上がろうとすると、ヨウダキの足元がふらついた。イヨ姫を襲った時の極度の消耗から、まだ完全には回復していないのだ。

「姉様! 大丈夫か」

「手を貸すのじゃ、エンダ」

 ヨウダキは弟に支えられるようにして、黒く汚した青銅鏡が置かれた祭壇の前に進んだ。

 供物として供えた皮を剥いだ蛇の生臭さと、薬草の紫色の煙に吐き気がする。

 口元を押さえながら、蛇の文様を刻んだ右手を、煤で黒く汚した青銅鏡に伸ばそうとすると、「俺がやる」と弟が割り込んだ。

 エンダは精神を集中させて鏡の向こう側、邪馬台国へと遠く意識を飛ばした。しかし、昨晩まで感じ取れていた姫巫女の衰弱した力は、今や欠片も感じられない。黒い鏡面にも、何の影も映らなかった。

「ようやく、死んだか。手こずらせおって」

 これで、最大の邪魔者はいなくなった。横から鏡を覗き込んでいたヨウダキは、ほっとしたように呟いた。

 しかし、今回の三国の軍の侵攻の目的が分からない。

 いくら暴君とはいえ、ここは倭国王の住まう宮だ。おいそれとは手出しできぬはずなのだ。

 ヨウダキは右手の指先をじっと見つめた。

「小娘め……」

 おそらく、あのとき居場所を嗅ぎ付けられたのだ。そして、瀕死の状態で伊邪国に攻め入るように命じたとしたら、今の状況はあり得る。

「エンダ、この宮の周囲を調べてみよ。砂徒は、どのくらい軍に加わっておる?」

 イヨ姫が死んだ今、自分たちに対抗できる力を持つのは砂徒だけだ。防御の力しか持たない砂徒であっても、数が多ければ厄介だ。

 エンダは一つ頷くと、再度、鏡に手を伸ばした。

 指先が鏡面に触れた瞬間、目の奥が眩い黄金の光に覆い尽くされる。

「うわあぁぁっ!」

 エンダは弾かれたように手を離すと、両手で目を覆って後ずさった。

「エンダ、どうしたのじゃ」

「い……今のは、まさか。いや、そんな……ありえない」

 姉の声は、エンダの耳には全く入らなかった。顔から血の気が失せ、背中に冷たい汗が伝っていく。

 これほどの力の持ち主は、イヨ姫以外はありえない。しかし、あの小娘は昨晩まで、ひん死の状態で邪馬台国にいたはずだ。

 こんなはずがない。きっと何かの間違いだ……。

 エンダはごくりと唾を飲むと、震える右手を再度鏡に伸ばした。

「うっ!」

 身がすくむほどの、あまりに強大な力が、宮のすぐ西側にあった。

「うああああああーっ!」

 半狂乱になったエンダは、鏡に向かって渾身の力を放った。

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