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真北に位置する宮(二)

 身体の中で何かがことんと動いた気がして、ルイカはふと目を醒ました。

 大きな温もりに包まれていたはずの右手は、掛布の中に戻されている。

 燃えた薪が崩れる音がして、部屋をぼんやりと橙色に照らす火の明かりが、ゆらゆらと動く。首を巡らせると、炉の前によく知った影が見えた。

「ツクスナ……?」

「あぁ、すみません。起こしてしまいましたか?」

 そっと声を掛けると、彼が申し訳なさそうに寝処の側まで戻ってきた。

 時間は分からないが、真夜中なのだろう。辺りはしんと静まり返っている。

「夜明けはまだまだ先ですよ。もう少しお休みください」

 彼はそう優しく言い聞かせながら、掛布をかけてくれようとしたが、ルイカはそれを断って身体を起こした。胸の奥を探るようにを押さえながら、寝処から足を下ろして座る。

 左胸に埋め込まれた蛇の力は全く感じない。しかし、ざわざわとした妙な胸騒ぎが、身体の中を這いまわっていた。

「奴が……来るのですか?」

 ルイカの顔は炎の淡い光を受けていても、はっきりと分かるほど青ざめていた。

 ツクスナが掛布を引き寄せ、ルイカの身体にぐるりと巻き付る。

「分からない。でも、なんだか胸騒ぎがしてしょうがないわ」

「私もです。……失礼」

 彼は寝処に上がると、ルイカを抱え込むように背後に腰を下ろした。両腕をきゅっと締めて、全身で守るように小さな身体を包み込み、ルイカの肩口に顔を伏せる。

「こうしていましょう」

 耳元に、くぐもったような低く優しい声。

「ち、ちょっと、ツクスナ。何やってるのよ! やめてよ!」

 青ざめた顔が、一気に赤くなるのを感じた。掛布越しに伝わってくる、彼の鍛え上げられた固い身体の感触にどきどきする。掛布に巻かれた上に、ツクスナの力強い腕が絡んで、まるで身動きが取れない。それでもじたばたもがくと、さらに腕が強められた。

「次にヨウダキが襲ってきても手を出すなと、あなたに言われましたが、ただ見守るなんてできません。おつきあいします」

 ちょっとそこまで……のような軽い調子の声にほっとする。

 今回、自分一人でヨウダキに立ち向かうつもりだったのに、彼の強い腕に、優しい声に、存在そのものにしっかりと守られている。

「こんなに近くにいると、ツクスナのこと、吹っ飛ばすかもよ」

 ルイカも軽口を叩くと、彼の身体がふっと笑ったように揺れた。

「あなたは建物でも吹っ飛ばしますからね。でも、やれるものならやってみてください。私は何があっても決して放しませんから。それより、ルイカこそ、どこへでも魂を飛ばさないでくださいよ」

「うーん。それは保証できないかも。でも、別の時代に飛んでしまったら、これまでの苦労が水の泡になっちゃうよね」

 何でもないような軽い口調は、底知れぬ不安や恐怖の裏返しだ。この体勢なら、彼に顔を見られないことにほっとしながら、ルイカは目を閉じ眉間にしわを寄せながら、表情とは正反対の明るい声を出す。

「そうですよ、この世界で決着をつけないと。でも、万一どこかに飛んでいくのでしたら、必ず私も連れて行ってください」

 ルイカの強がりを感じ取り、ツクスナが伏せた顔を苦しげに歪めて、彼女を抱きしめ直す。それでいて声は朗らかだ。

 顔が見えないことにほっとしているのは、彼も同じだった。

「それにしても静かね」

 会話が途切れると、炉の火が爆ぜる微かな音しか聞こえない。その静けさが不安を煽ってくる。けれども話題が見つからなくて困っていると、彼が唐突に言う。

「歌でも歌いますか?」

「は? 歌? ……って、この国の歌? 今まで聞いたことがないけど」

「この国の歌は、ちょっとしたリズムを刻むだけの、呪文のようなものです。そうではなくて、あなたの時代の歌ですよ。私があの時代にいた頃、合唱コンクールの練習をしていたでしょう? その曲なら歌えます」

「そういえば……」

 ルイカとコウが通っていた中学校では、毎年秋に、校内の合唱コンクールが開かれ、クラス毎に歌声を競っていた。二人が弥生時代に来たのは、本番直前の、練習に熱が入っていた頃だ。

「じゃあ、歌ってみてよ。ツクスナの歌声なんて初めて聞くわ。上手いの?」

「さぁ……。コウは音痴でしたけど、この身体に戻ってから、歌ったことなどないので、なんとも」

 全身に砂の文様を刻んだ、屈強な弥生人のツクスナと、中学生が合唱コンクールで歌う現代曲。あまりに不似合いすぎて、どんな風に歌うのか全く想像がつかない。

「ふふっ。楽しみ」

「ハードル上げないでください」

 くすくす笑っていると、耳元で困ったような声がした。その後、低く抑えた歌声が聞こえてきた。

 彼の歌は少々ぎこちなくて、上手とは言えなかったが、口ずさむ歌詞とメロディは懐かしい日々を思い起こさせる。ルイカも以前歌ったことのある歌だったから、いつの間にか、彼に合わせて歌い始めていた。

 たった二人だけの合唱は、重なり、寄り添い、離れては呼応し合う。旋律に合わせて、二人の身体がゆったりと揺れる。呼吸が、体温が同じになる。二人は、この先に起こるであろう試練をしばし忘れ、心地よい一体感に身をゆだねていた。

 しかし。

 曲が二番目の終わりに差し掛かったとき、ルイカの胸がざわりと騒いだ。

 歌声が途切れた理由にはっとして、ツクスナがルイカを守る両腕に力を込める。

「ツクスナっ、押さえてて!」

 鋭い叫び声を上げると同時に、ルイカの身体を激しい衝撃が襲った。

 彼女の背中にぴったりと身体をつけたツクスナが、その力を全身で受け止める。

 二人の身体は後方に飛ばされ、ツクスナの背中が館の壁に叩き付けられた。

「くっ……。ルイカ! 大丈夫ですか!」

「う……、かっ……はぁぁぁ」

 尖った牙を何度も心臓に突き立てられるような激痛。身体の内側が焼かれ、熱く真っ赤に染められていく。苦痛に固く閉じた目の内側も、どす黒い赤に塗りつぶされていった。

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