壷に収められた小石たち(二)
ゆっくりと目を開けると、煤けた木の骨組みと葦葺きの屋根の内側が目に入った。
雨粒が屋根を叩く音がする。
外の光がほとんど入らない館の中は、昼も夜も炉の橙色の炎にちらちらと照らされ、時間の感覚が掴みづらい。
わたし、どうしたんだっけ……。
ルイカはぼんやりと辺りを見回した。
寝処から一段下がった場所で胡座をかいて俯いていたツクスナが、気配に気付いてはっと顔を上げた。
「姫。気がつかれましたか」
「姫様。ほんに……心配いたしました」
彼の隣にいたタダキは涙声だった。
二人の声を聞きつけた他の侍婢たちも、安堵の表情を浮かべて集まってきた。
「皆には心配をかけた。もう、大丈夫じゃ」
もう少し横になっているようにと止められたが、ルイカは構わずに身体を起こした。疲労感が強く、頭もクラクラしたが、胸の痛みなどはなかった。
ツクスナが背後に回って身体を支えてくれた。
「わらわはどれくらい、気を失っておったのじゃ?」
「もう、とうに昼をすぎましたから、半日ぐらいでしょうか」
すぐ後ろから答えながら、ツクスナが前屈みになっていたルイカの肩を自分に引き寄せた。
ルイカが彼にもたれかかると、タダキが掛布を胸まで引っ張り上げてくれた。
「そうか……。そんなに」
「何か滋養に良いものを作って参りましょう。少しでもお召し上がりください」
タダキは目尻に光るものを拭って微笑むと、ふっくらとした両手で姫巫女の頬を大事そうに撫でた。それから、若い侍婢たちを連れて部屋を出て行った。
「今朝、タダキがいなくて良かったわ。あの人に、姫が苦しむ姿なんて見せたくないもの」
タダキの後ろ姿を見送りながら、ルイカが呟いた。
「本当に、身体は大丈夫なのですか?」
ツクスナが心配そうに、後ろからルイカの顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫だってば! ひどく疲れているだけだから」
砂の文様を刻んだ顔が近すぎて、ぎょっとしたルイカは、彼を両手で押しのけようとした。しかし彼はびくともしない。
「だめです。もっと休んでいてください」
「じゃあ。寝かせてよ! 横になっている方がいいでしょ」
「本当にあなたは……いつも、無理をなさる」
彼は少し怒ったようにぶつぶつ言うと、巻き付けていた両腕を解いて、ルイカを寝処に横たわらせた。そして、掛布をそっとかけてくれた。
葦葺きの屋根裏を見上げ、ルイカはふうっと大きく息をついた。
「あのとき、いきなり……ズキッて左胸が痛くなったの。心臓に牙を突き立てているみたいだったわ。頭の中は乱暴にかき混ぜられているようだった。息ができないほど苦しくて、痛くて、気持ち悪くて……ほんと死ぬかと思ったけど、やっぱりあいつは、わたしを殺すつもりはなかったみたいよ」
首を回して視線を向けると、彼は拳をきつく握りしめ、床を睨んでいた。
「イヨ姫、わらわに従え……って、頭の中にあの女の声が響いたの。だから……」
「姫を操ることが目的だった、ということですね」
ツクスナが言葉を継ぐと、ルイカが頷いた。
「多分ね。でも、わたしが力一杯拒絶したから、諦めたのよ。くそっ、なぜじゃ……って、捨て台詞が聞こえた後、急に身体が楽になったわ」
「諦めた?」
「うん。わたしがどうしても従わなかったから、諦めたんでしょ?」
その説明に何か引っかかることがあるらしく、ツクスナが腕を組んで考え込んだ。
「操る……? 諦める? ……だとしたら」
「どうしたの?」
彼の様子が気になって、ルイカが身体を起こした。
「この宮は、大巫女様が施した強力な結界で、外からの呪術的な力が効きづらくなっています。時代を超えてあなたの世界にまで干渉できるほどの能力の持ち主でも、この宮の中には簡単に手出しできないのです」
「うん。だから、ヤナナの傷口に術を仕込んで、宮の中に持ち込んだんでしょ?」
「おそらくそうです。私は、あなたの身体に直接埋め込んだ蛇の力が、毒のようにじわじわと効いてくるか、プログラミングされたように、時が来れば作動するのかと思っていました。しかし、違ったようです」
「そうね。外から動かしていたってことよね?」
「そもそも、身体の中に埋め込んだ力が勝手に動き出すのなら、術者の力の回復は関係ないはずだ。襲ってくるまでに時間がかかったのは、外からコントロールしている証拠。くそっ! こんな簡単なことに、どうして気づかなかった!」
拳で力任せに床を打つ、大きな音が響いた。
敵の攻撃の仕組みは分かったが、ルイカには彼が何をこれほどまでに悔やんでいるのか、さっぱり分からない。
「どういうことなの?」
きょとんとして訊ねると、彼は顔を上げてにやりと笑い、ルイカの左胸を指差した。
「あなたの身体に埋めた蛇の力を、ヨウダキが遠隔操作しているのなら、私があなたを砂の壁で囲めば、力を遮断できる。紗季やあなたのお母さんが操られたときと同じ方法で、あなたを守れます」
「あ……そうか。そういうことなのね!」
紗季と母親がヨウダキに操られたとき、彼は自分たちを取り囲むドーム状の砂の壁を築いた。そのとたん、二人は糸の切れた人形のように、ヨウダキの支配を離れたのだ。
彼が一緒にいれば、先程のような堪え難い苦痛から救ってくれる。そう思うと一気に気が楽になった。
「良かったぁ」
「次は必ず、あなたを守ります」
彼が力強く頷いてくれる。その自信に満ちた顔が心強かった。
「姫様。おかげんはいかがですか。食事をお持ちしたのですが」
入り口からタダキの遠慮がちな声がしたから、ルイカは慌てて口調を改める。
「タダキか。もう、すっかり元気じゃ」
「それは、ようございました。どうぞ、温かいうちに召し上がってください」
寝処に近づいてきたタダキが、料理が置かれた盆をルイカの膝の上に置いた。横からツクスナが手を伸ばし、盆を支えてくれる。
木製の椀に山鳥の肉と浅葱が入った米粥、小さい土器には山菜と胡桃の和えもの、そして、木の小皿には見慣れないものが乗せられていた。
「え? これ……は?」
毒々しい黒に近い紫色をした小さな粒の塊が、十粒ほど盛られている。色と形の悪いラズベリーのようにも見えなくはないが、なんだか不気味だ。
こんなものは見たことも食べたこともない。
「ようやく熟し始めたのですよ。姫様、お好きでしたでしょう? これでしたら、具合が悪いときでも召し上がりやすいと思いまして」
にこやかなタダキの説明に、ルイカは何度か瞬きした。




