炎の彼方に消えた姫巫女(三)
「……弐徒」
すぐ近くで誰かが呼んでいる。誰かの力強い腕に、上半身が抱え上げられた。
「おいっ、弐徒。しっかりするのだ」
ああ……これは、砂徒長の声だ。
弐徒は、ぼんやりと眼を開いた。
しかし、眼を開けたはずなのに何も見えない。そこには暗闇しかなかった。
「大丈夫か? 何があった」
「……う……ぁ」
何か答えたくても、うめき声にしかならなかった。
息が苦しい。ひどく寒い。
手も足も氷のように冷え、指一本動かす事ができなかった。
しかし、自由にならない身体と引き換えに、感覚が研ぎすまされていく。祭殿の中の様子が手に取るように分かった。
「イヨ……イヨ姫。目を覚ますのじゃ」
上下ともに白い装束を身にまとった大巫女が、姫巫女の傍らにかがみこみ、必死に声をかけていた。
侍婢に上半身を抱き起こされた姫の白い手は、力なく床に下がり、閉じられた両の瞼には涙が浮かんでいた。息はある。どこにも怪我をした様子は無い。
しかし、姫の近くに倒れていた侍婢たちは、すぐに意識を取り戻したというのに、姫だけは一向に、目覚める気配がなかった。
「姫……」
大巫女が、姫の涙を拭おうと彼女の頬に触れ、驚きの表情を見せた。
「こ……これは、もしや」
大巫女が目を細め、何かを確かめるように、右手を姫の顔の前にかざす。そして硬く目を閉じて、何ごとかをつぶやく。
祭殿内を極度の緊張感が覆い尽くし、その場が水を打ったように静まり返った。
しばらくして、大巫女が目を閉じたまま、低い声で話し始めた。
「姫の魂は、この世にはない。あの強すぎる炎の力で、自分の魂を何処かへ弾き飛ばしてしまったようじゃ。一体、何処へ……」
さらに何かを探ろうと、右手を円を描くように動かしていく。額に刻まれた皺がより深くなり、汗が浮かんでいる。
「消えてはおらぬ。どこか……ああ、どこか遠い世にあるのが視える」
そこまで言うと、大巫女は力尽きたように、ぐったりと床に座り込んだ。
「おお……さ……」
砂徒長が、ほとんど音になっていない声に気づいた。
弐徒が、色の無い唇を振るわせて、必死に何かを告げようとしている。
「どうした。弐徒」
「……さま…………を」
砂徒長が目を凝らし、弐徒のかすかな唇の動きを正確に読み取っていく。
「待て。今、お呼びするからな。……大巫女様。ヒミコ様! 弐徒が!」
その声を聞きつけ、大巫女が弟のオシヒコに支えられるようにして近づいてきた。
弐徒は、ほとんど唇の動きだけで、大巫女に懇願する。薄れていく意識を懸命につなぎ止め、途切れ途切れに、音の無い言葉で意思を伝える。
私は、もう助からない。
だから、どうか、どうか私を姫の元へ。
今一度、姫の守りに……。
じっと弐徒の顔を見つめていた大巫女が、膝を折り、彼の前にかがみ込んだ。右手を伸ばして彼の額に触れ、我が子にするかのように、髪や頬を愛おしそうに何度も撫でた。
「お前の望み、聞き届けようぞ」
大巫女が厳かに告げた。
力つきた砂の文様を刻んだ頬に、涙がひとすじ伝っていった。