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奇襲(三)

 人目のないところまで、二人は黙って歩いてきた。

 その間、抱きかかえているルイカの身体がわなわなと震えているのに、ツクスナは気づいていた。

「……これ……だったの?」

「ルイカ……?」

 呟くような言葉とともに立ち止まると、ツクスナが心配そうに顔を覗き込んできた。

 先程のショックで震えているのだと彼は思っていたが、ルイカは想像とは全く違った表情を浮かべていた。

「……ムカつく」

 吐き捨てるように言うと、ルイカはツクスナの袈裟衣を両手でぐっと掴んだ。

「これが目的だったの? 本当の狙いはわたしだったの? そんなことのために、関係のない人を三人も殺して、大勢を傷つけたっていうの!」

 ここまでずっとこらえていた激情を、叩き付けるように一気に吐き出す。

 涙を溜めた大きな瞳は、激しい炎を宿していた。

「許さない! 卑怯者! 来るんだったら、わたしのところに直接来なさいよ! あの蛇、絶対に許さない」

「……ルイカ」

「あの三人を、ヤナナの大事な人を返して! わたしが狙いなら、わたしの命だけを奪えばいいのよ! なんでいつも関係ない人……まで」

 大粒の涙がぱたぱたと地面に落ちる。

 激しい感情をどうすることもできず、膝から崩れかけたところを、ツクスナに抱きとめられた。

 彼はそのまま身体を屈めて、逞しい両腕と胸で囲い込むように、激しく泣きじゃくるルイカを拘束する。

「は、放して!」

 怒りが頂点に達したまま身体の自由を奪われて、ルイカは喚きながら必死に身をよじった。しかし、小さな子どもの身体でいくら暴れたところで、屈強な武人のツクスナは全くびくともしない。

「やだ! 放してったら! うあぁぁぁ」

「落ち着いてください、ルイカ」

「あんな……こと、許さない! 絶対に、許さないっ!」

「ルイカ……落ち着いて」

 頭の上から降ってくる静かな声が、何度目かで耳に入り、ルイカはようやく動きを止めた。

 無理矢理に拘束しているようでも、この腕は優しい。

 息苦しいほど狭く温かな場所が、怒りに燃え上がった心を鎮めていく。彼に守られているのだと、強く感じて安堵する。

 ——はっ!

 とてつもなく恥ずかしい状況になっていることに、ふと気付いた。

 慌てて、ほとんど身動きが取れない中で身をよじるが、彼の腕は少しも緩まなかった。

「ちょ……っ、ツクスナ。放して」

 抗議の声を上げると、彼は逆に腕に力を込めた。

「く……。ツクスナ、もう大丈夫だから……」

「また、あなたを守れなかった。守ると……誓ったのに」

 苦しそうにかすれた声が、彼の身体を直接伝わって聞こえてきた。

 確かにさっきは、もうだめだと思った。

 同じことを、彼も思ったに違いない。

 邪馬台国軍への攻撃が、自分を狙ったものだったとは、思いもしなかった。もし気づいたとしても、あの一瞬の、意表をついた至近距離からの攻撃を、防げたとは思えない。敵の方が何枚も上手だったのだ。

「さっきの蛇は、誰にも防げなかった。火をつければ、あの蛇を燃やすことができたかもしれないのに、わたしにもそんな余裕がなかったもの。ツクスナの責任じゃないわ」

「いいえ、私が守らなくてはならなかったのです。あなたがこんな目に遭わされているのは、元はと言えば私のせいなのですから。私があの時、イヨ姫を守りきれなかったせいで、あなたまで、こんな……ことに」

 ああ……やっぱり。

 彼はイヨ姫を守れなかったことをずっと悔やみ、自分を責め続けているのだ。

 そして、また守り切れずに失うことを恐れている。

 全てを自分のせいにして苦しんでいる。

 腕を緩めたら目の前の少女が消えてしまうと思っているかのような、そんな緊迫した強い抱擁に、ルイカは身を預けた。

「ツクスナに守られていなかったら、わたしは現代で、とっくに死んでいたのよ」

「しかし、さっきの蛇を止められませんでした」

「それでも、あなたは今こうやって、わたしを恐怖や怒りや悲しみから守ってくれてる。そばにいて守ってくれてる」

 コウが消えたことを知らされたときも、ヤナナの夫を巻き添えにしてしまったときも、ついさっきも……。彼はずっとそばにいて、精神的な支えになってくれた。

 背負い込もうとした重荷を「あなたのせいではない」と、下ろしてくれた。

 けれども、取り除いてくれたものはすべて、それ以上の負荷をかけて、彼が一人で背負っているのだ。

 自分の責任として——。

「私は姫を、守り切ることができませんでした。そもそもの始まりは、そこにあるのです」

「あの時、あなたが姫のそばにいなかったら、彼女はその場で殺されていたはずよ。あなたがいたから、最悪の事態は免れたの。姫は死んだんじゃない。この時代に身体を残し、わたしに生まれ変わったんだから」

「ですから、そうなってしまったのは私のせいなのです!」

「違う! わたしはそんな風に思わない。憎むべきはヨウダキであって、あなた自身じゃない。あいつが姫を狙ったりしなければ、何もかも違っていたの! 決して、あなたのせいじゃない!」

 その言葉にツクスナの腕が少し緩んだ。

 ルイカは身体の隙間からようやく両腕を引き出すと、彼の背中に回した。

「コウは、わたしを助けたかった。だから、彼のためにも自分を責めてはいけない。そう言ったのはツクスナよ。イヨ姫も同じなのよ。あなたを死なせたくなかったの。だから、姫の力で生き延びたあなたは、姫のためにも自分を責めないで」

 ルイカは子どもの腕には大きすぎる背中を、必死に抱きしめた。

 あなたは、わたしが守る——。

 ツクスナがずっと自分にしてくれたように、彼を、彼の心を守りたかった。

「ルイカ……」

 砂の文様を刻んだ両腕が、今度はふわりとルイカを包み込んだ。

 とくとくと刻む彼の鼓動に、自分のそれが重なっていく。伝え合う体温が同じになり、二人の間の境界がなくなっていくような不思議な感覚。彼の大きな手が、慈しむように、髪を何度も滑っていく。

「ありがとうございます」

 しばらくして、ツクスナはルイカの両肩に手を置いて、そっと身体を離した。

 ルイカは、彼の穏やかに凪いだ瞳を覗き込んだ。

 澄んでいるからこそ、その奥に痛みの名残が見えたが、彼はそれを大切に包み込むように瞳を細めた。

「私は……あなたに、そう言ってもらいたかったのかもしれません」

 伸ばされた指先に、もう、ためらいはなかった。白い頬を伝う涙を優しく拭ってくれるツクスナは、イヨ姫の記憶の中の彼と同じだった。

「あなたは、大丈夫なのですか?」

「……え?」

「あんなことがあって、平気なはずはないでしょう?」

 彼に言われて、ルイカは思い出したように自分の左胸を押さえた。すっかり忘れてしまえるほどに、禍々しい気配は感じられない。

「今は平気よ。痛くも何ともないし」

「しかしあの蛇は、消えた訳では……」

「うん。今もわたしの中にいるはず。でも、気配も何も感じられないわ」

 しかし、黒い蛇の姿をした言いようのない不安が、身体の中をずるずると這いずり回っている。

 ルイカはその不安を吐き出すかのように、大きく息をついた。

「あれだけ大掛かりなことを仕掛けて、一体、何をするつもり? その気があれば、あの場でわたしを殺せたはずよね」

「殺す以外の目的を、まだ、捨てていないのでしょう」

 そうでなければ今頃、ルイカは腕の中で冷たくなっていたはずだ。そう考えるだけで背筋が凍り、ツクスナは奥歯をぎりりと噛んで、拳をきつく握りしめた。

「わたしの……イヨ姫の力が欲しいのね」

 ルイカは自分の右の掌をじっと見つめた。

 ぽっ……と音を立てて、掌に小さな金色の炎が灯る。

 全く熱を感じず、形あるものは何も燃やすことのない不思議な炎。しかし、砂徒や蛇の力に引火し浄化する、最強の力だとツクスナが評した。

「こんなもののために……」

 ルイカは指を閉じて、眩しい輝きを握りつぶした。

「その力を持った姫巫女という存在そのものが、欲しいのかもしれませんね。万人の目に映るのはあなたの炎だけですから、人々を惑わすには都合がいい」

「現代にいたときも、服従しろって言ってたもんね。じゃあ、この蛇はわたしを脅すためのもの? それとも、わたしを操ろうとしているとか?」

 ルイカはまた左胸を押さえた。

 今はなんの違和感も感じないが、いつか動き出すに違いない。これで終わるはずがないのだ。

 そのとき、わたしはどうなってしまうのだろう……。

「何かを企んでいるには違いないでしょうが、今は、様子を見るしか……」

「そうね……」

 ルイカが重苦しい溜め息をつくと、大きな手が伸びてきて、片方の頬をそっと包み込む。

 優しい手の温もりに顔を上げると、気遣わしげに眉を寄せた、砂の文様を刻んだ顔がすぐ近くにあった。

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