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奇襲(一)

 まだ、夜も開け切らぬ早朝。その知らせは夜露を蹴散らして宮の正門に駆け込んできた、若い砂徒の先駆けによってもたらされた。

 普段なら静まり返っている時間であるのに、松明を持った者が、宮の中を慌ただしく動き回っている。

 ルイカが騒々しさに目を覚ますと、タダキともう一人の侍婢が、暗がりの中、枕元に控えていた。

「何があったのじゃ?」

 物々しい気配に身を起こすと、タダキが近寄ってきて深刻そうに声を潜めた。

「詳しいことは分からないのですが、先程、先駆けが着いたようで……。今、その対応で混乱しているようでございます」

 ルイカの頭に、先日卜骨から読み取った、宮中が混乱する様子が甦ってきた。

 そういえば、あれから四日目の朝だ。

 はっとして寝処から飛び出し、簡素な夜着のまま、館の外に走っていく。

「姫様! そのようなお姿で、なりなせぬ!」

 タダキが手近にあった掛布を手に、慌てて追いかけてきた。

「ツクスナ!」

 館の戸口で腕を組んで立っていたツクスナが、振り返った。

 彼がそれまで見ていた方向を見やると、たくさんの篝火が焚かれているらしく、主祭殿が橙色に浮かび上がっている。

「姫巫女様の占じた通りだったようですね。今日は、大変な一日になりそうです」

「一体、何があったの?」

 タダキが背後から、掛布をふわりとかけてくれた。ツクスナが後を継ぐように、その布端を引いて、ルイカの身体にぐるりと巻き付ける。

 ルイカは振り返って、タダキに下がるよう命じた。

「先日、斯馬国に向かった兵が、向こうの軍に合流する前に、何者かに襲撃されたようです。動かせない重傷者は斯馬国に預け、軽傷者と……戦死者が戻ってきます」

「戦死……者?」

 平和な時代の日本に生まれ育ったルイカには、戦死者どころか戦争すら、これまで過去の出来事か遠い外国の話でしかなかった。それが今は、現実としてすぐ近くに存在する。

 ルイカは身体をぶるっと震わせると、巻き付けられた掛布を内側から首元に引き寄せた。

「大丈夫ですか?」

「……うん、平気」

「手を」

 掛布の間から手を出すと、彼はその掌に、左手から銀色の細かな砂を流し入れた。

 ルイカは目を閉じてそれを握りしめると、軽く息を吐き出し、彼を見上げた。

「斯馬国の軍が随行して、負傷者達がこちらに向かっているようですから、宮からは夜明けとともに迎えの軍を出します。今はその準備で、慌ただしくなっているのです」

「もしかして、伊邪国にやられたの?」

「分かりません。伊邪国との国境よりかなり手前で襲われたようですので、伊邪国軍とは考えづらい。しかし、斯馬国は国境を除けば安定した国ですから、斯馬国の者の仕業とも思えません」

「じゃあ、盗賊とか?」

「派兵軍を襲っても、たいして得る物はないですよ。それに、闇に乗じて一斉に矢を射がけてきて、こちらが体勢を立て直す前に去ったらしいですから、盗賊ではないでしょう。我が軍が攻撃された理由も、敵が何者なのかも、今のところ全く分かりません」

 二人で話している間にも、ときどき、主祭殿から伝令が走ってくる。彼らは姫巫女の姿を認めると慌ててその場に跪き、その後、ツクスナに何事かを耳打ちしていく。

 彼は弐徒と呼ばれているように、砂徒の中では序列二位の、邪馬台国軍高官の武人である。本来なら、このような場所にいる人間ではない。

「ツクスナは、あっちにいかなくてもいいの?」

「私の役目はあなたをお守りすることです。指示ならここからでも出せますから、問題ありません」

「わたしは、どうしたらいい?」

「負傷者達が宮に戻って来るのは、早くても今日の夕方でしょう。今、焦ってもしょうがないですよ。私はずっとここにおりますから、安心してもう少し休んでいてください」

 優しい口調で言い聞かせながらも、彼は主祭殿を絶えず気にしている。

 ルイカも焦燥に満ちた宮の空気に、いても立ってもいられなかった。

「休めと言われたって……」

「今は、姫巫女様の出番はありませんよ。それに……」

 そう言いながら、彼が足元に目を落とす。

 いつの間に来たのか、そこには砂徒の少年が跪いていた。少年は立ち上がると、背伸びをするようにツクスナに耳打ちする。

 ツクスナは小声で指示を返すと、ルイカに申し訳なさそうな目を向けた。

「今の混乱した中に、姫巫女がいると……」

「分かった。……邪魔なのね」

 ルイカがしょんぼりとうなだれた。

 周囲から姫巫女だと持ち上げられていながら、こんなときには何一つ役に立たない。それに、国の大事であるというのに、この国きっての武人であるツクスナは、自分を守るためにこの場を離れられない。それが、申し訳なかった。

「そんな顔をしないでください。それぞれの役目があるというだけのことですから」

 ツクスナの右手が一瞬動いたが、彼はそれをごまかすように膝を折った。そして、気遣うような目でルイカを見上げた。



 宮から迎えに出た軍が、負傷者と戦死者を連れ戻ったのは、西の空にうっすらと赤みが差す頃だった。

 身体のあちこちに赤く染まった布を巻き付けた武人達は、ざっと四十名。板に乗せられて運ばれてきた亡骸は三体。重傷者は斯馬国に置いてきていることも考えると、その被害は甚大なものだった。

 三人の死者は、東の小さな祭殿の高床の下に安置された。彼らは運ばれてきた板に横たえられ、上にムシロがかけられていた。悲しみに暮れる親族と思われる者たちが、それぞれの亡骸を囲んでいる。

「本当に行かれるのですか? 姫巫女はあまり人前には出ないものですが」

「今まではそうだったかもしれないけど、わたしは行きたい!」

「……辛い思いをしますよ」

 ルイカは上下ともに白い巫女装束を纏い、東の祭殿に向かっていた。相当の決意で足を進めていたのだが、祭殿の下に肩を寄せ合う人影を認め、すすり泣きの声を耳にすると、その場に凍り付いたように動けなくなった。

「ルイカ、無理をしなくても……」

 ツクスナが後ろからそっと声をかけた。

 ルイカは俯いて唇をきゅっと結ぶと、くるりと向きを変えて、もと来た道を少し戻った。そこに、白い穂のような満開の花をつけた、大きな波波迦の木があった。木を高く見上げ、その清楚な白い花の集まりを指差す。

「ツクスナ、あの花を三本切ってきて」

「この時代には、死者に花を手向ける風習はありませんが」

「いいの。わたしは、そうしたいの」

 彼は微かに微笑んで頷くと、木に登り、ちょうど良い咲き具合の枝を吟味して、刀子で三本切った。そして、戻ってくるとルイカの前に跪き、その花を捧げ持った。

 ルイカは厳かに花を受け取ると、また東の祭殿に足を向けた。

 祭殿の下に集まっていた人々は、波波迦の花を手にした白装束の少女に気づくと、唖然とした表情になった。少女の後ろには、独特の文様を顔と身体に刻んだ屈強な男が控えている。

 少女が何者なのかは知らなくても、供を従えた、凛とした威厳ある姿に、人々は畏れおののき身を寄せ合った。

 あどけない小さな子どもが、ぽかんとした顔でこっちを見ている。

 きっとこの子は父親を亡くしたのだろう。そう思うと、ルイカの胸が痛んだ。

「このお方は、姫巫女様であらせられる」

 跪いたツクスナが重々しく告げると、人々はひっと息を飲み、慌てて地面に額をこすりつけるようにひれ伏した。

「面を上げよ。わらわにひれ伏さずとも良い」

 震えそうになる声をこらえて、人々に優しく声をかけた。しかし、誰一人顔を上げることはなく、固く丸めた背中を小刻みに振るわせている。その間を、ルイカはゆっくりと歩いていく。

「この哀れな者たちに、せめて、花を捧げよう」

 わたしには、こんなことしかできない。

 やりきれない思いで、ムシロがかけられた亡骸の傍らに膝をつくと、手にした白い花を、胸のあたりに一本置いた。目を閉じて、静かに祈りを捧げる。

 その後ろでツクスナも膝を折った。

 三本の花と祈りを捧げると、ルイカは静かにその場を去った。

 姫巫女の姿が遠く離れてから、人々はようやく涙の伝う顔を上げた。身分の低い自分たちに膝を折ってくれた高貴な姫巫女を、心から敬い崇拝する眼差しを向ける。

 じわりとした熱を背後に感じながら、ツクスナは目の前を歩くルイカを見つめていた。

 背を伸ばして真っすぐ前を見ながらも、悲しみと強い憤りに震える小さな背中は、まぎれもなく、王となる者の後ろ姿であった。

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