黄金の炎をまとう矢(二)
邪馬台国の宮は、ちょっとしたムラ一つ分ほどの規模があり、かなり広い。主祭殿のある政に関わる建物が集められた北内郭から、王族が住まう館が立ち並ぶ南内郭までは、しばらく歩かなければならなかった。
所々に篝火が焚かれているが、場所によってはかなり薄暗い中、だまったままのヤナナに並んで、ルイカが歩いていく。その後ろから二人の巫女が続いた。
近くで見ると、ヤナナは思っていたより若く、せいぜい十代後半のようだ。切れ長の目と鼻筋の通った整った顔立ちだが、表情に暗い影を落としており、護衛らしく周囲に目を配っていても、どこか精彩を欠いていた。
「ヤナナ……とか申したな。年はいくつじゃ」
重苦しい雰囲気をなんとか和らげようと、頭一つ以上身長差のある彼女を見上げて話しかけた。
「十七……です」
この時代の十七歳なら、自分の時代の数え方なら十五歳かもしれない。
「え? もしかして……」
同い年? と聞きそうになって、今の自分の幼い姿を思い出して口をつぐんだ。
その時、ルイカの頭の中を、痛みを伴うほどの直感が貫いた。脳内に浮かぶ恐ろしい光景に戦慄が走り、両手で頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
「う……。あぁ……っ」
「姫巫女様、どうされたのですか?」
ヤナナと巫女たちが、慌てて膝を折り、姫巫女に手を差し伸べた。
ルイカは青ざめた顔を上げると、周りの女たちをぐるりと見た。
巫女が二人と、武人が一人。
この場合、この直感の内容を告げるべきは——。
「ヤナナ! 外に……」
ルイカはとっさに女武人の腕を掴んだ。
しかし、彼女の憔悴し切ったような顔を見たら、それ以上言葉が続かなかった。なぜかは分からないが、彼女に告げてはいけない気がした。
ルイカはそのまま立ち上がると、身を翻して、もと来た道を走り出した。裾が広がるゆったりした裳が脚に絡んで走りづらかったが、必死に走る。
「姫巫女様! お待ちください」
巫女たちはあっさり置き去りにされたが、ヤナナはさすがにすぐに追いついてきて、ルイカの腕を掴んで止めようとした。
「どうなさったのですか。姫巫女様!」
「放すのじゃ!」
姫巫女がぴしゃりと言って手を振り払ったため、ヤナナはそれ以上どうすることもできず、仕方なく走りながらついてきた。
息を切らしながら、篝火に照らし出される主祭殿にたどり着くと、ツクスナの名を叫ぶ。
彼が驚いた顔で、弾かれたように円座から立ち上がった。
「ル……姫様。どうされたのですか!」
彼は慌てて駆け寄ってくると、荒い息をしているルイカの肩を支えて、顔を覗き込んだ。
「ツクスナ……、み……つけた。九徒……を」
彼の顔色がさっと変わった。
ルイカの声は途切れ途切れの囁きに近かったが、間近にいたヤナナにも聞こえたのだろう。彼女も大きく息を飲んだ。
「どこにいるのですか」
「宮の……北側。外城柵の向こう」
彼は頷くと、軍議に集まっている男達を振り返った。
「姫巫女様が、九徒の居場所を感じ取られたようです。今から、確認しに行きたいのですが」
弐徒の声に、大きなどよめきが上がる。
将軍トシゴリが立ち上がって、即座に野太い声で指示を出した。
邪馬台国の宮全体を大きく取り囲む外城柵の外側には、柵に沿って掘られた深い外壕があり、要所要所に敵の侵入を防ぐための逆茂木が立てられている。
外城柵には先王ヒミコが施した結界の力も働いており、物理的にも呪術的にも鉄壁の守りを誇っていた。
調査の一行は、警備の厳重な東の正門から城柵の外に出た。
危険だから主祭殿に残るようにとの周囲の説得にも関わらず、姫巫女は同行することを頑として譲らなかった。
先頭には松明を手にした伍徒と六徒。続いて姫巫女と弐徒。その後ろに砂徒長、トシゴリ、数人の砂徒と武人たちが続く。そして、いちばん後ろに、なぜかヤナナがついてきていた。巫女装束をまとったルイカ以外は、全員、物々しく武装していた。
東の正門から外壕に沿って、北に向かって歩いていく。
城柵の内側で焚かれている篝火の色はそこまでは届かず、月明かりもないに等しい。一行は松明だけをたよりに闇の中を歩いていった。
悪い予感に誰もが無言だった。
ただ、土を踏む足音と、松明が爆ぜる音だけが聞こえていた。
「あそこに、いる」
闇と同化した沈黙を破って、姫巫女が少し先の暗がりを指差した。
先頭の砂徒二人が雑草をかき分け、逆茂木の間を縫うように疾走していく。その後ろを、少し小さな人影が追った。
「いたぞ!」
「九徒、しっかりしろ! おいっ! 九徒」
「……だめだ。もう……」
悔しさの滲む男達の声が聞こえてきた。
さっき、ルイカに視えたのは、逆茂木の間に倒れている血まみれの若い男の姿だった。生死までは分からなかったが、最悪の事態は予想していた。
やっぱり、だめだった……。
ルイカは唇を噛むと、きつく目を閉じた。
「ソキ! いやあぁあああ! ソキ! どうして……あああぁぁ……」
闇を引き裂くような、若い女の悲痛な叫び声が聞こえてきた。その声にルイカは胸を握りつぶされる思いがした。
松明に照らし出された中、まだわずかに体温の残る九徒の亡骸に、ヤナナが覆い被さるようにして嗚咽を漏らしていた。その周囲を、痛ましい顔をした武人達が取り囲んでいる。
そうだったの? ヤナナと九徒は……。
女が参加することが許されない軍議の場にいた彼女。焦燥し切った表情、第一印象と違う暗い影。その理由を、彼女の慟哭がはっきりと示していた。
「見ないほうがいいです」
そう言って庇おうとしたツクスナの腕を押しのけて、ルイカは逆茂木の間に横たわる青年とヤナナを、震えながら見つめていた。
見なければいけないと感じていた。
「まだ、近くに、敵が潜んでいるかもしれません!」
六徒の声に、ヤナナが涙に濡れた眼をきっと上げ、身体を起こした。
「そうです。今すぐ調べにいきましょう」
他の男達も口々に賛同の声を上げる。
腕を組んで難しい顔をした将軍が、砂徒長と視線を交わした。
その時、ルイカの頭に、あるイメージが浮かんだ。それは、彼女の力が感じ取ったのではなく、一方的に送りつけられたものだった。
「行ってはならぬ!」
姫巫女は厳しい声で男達を制すると、遠くの闇をさっと指差した。その向こうに、昼間であれば、小さく緑の茂みが見えるはずだった。
「蛇の男はあの林の中におる! しかし、誰も行ってはならぬ」
怒りに震える声で叫ぶように告げると、周囲から驚きと不満の声が上がった。
「なぜですか! 居場所が分かっていながら、見逃せとおっしゃるのですか」
「ならぬものはならぬ」
「お願いです。わたしに行かせてください! この人の敵を、どうかわたしに討たせてください」
ヤナナの必死の懇願に胸が痛んだが、行かせる訳にはいかなかった。蛇の少年は、明らかに挑発してきているのだ。ルイカは白い大袖の下で、爪が掌に刺さるほど拳を握りしめ、言葉を絞り出す。
「……行けば必ず、九徒と同じ運命を辿ることになろう。今は行ってはならぬ。奴は九徒の亡骸をここに打ち捨て、わざわざ自分の居場所をわらわに知らせてきておる。その理由を考えよ」
「な……!」
「罠だとおっしゃるのですか?」
「それ以外、何があるというのか」
「…………くそっ」
それぞれが、わき上がる怒りを必死に自分の中に押さえ込み、その場に沈黙が落ちた。
乾いた風が生い茂った草をなびかせ、かすかな音を鳴らしていく。それは、苦しい思いを慰めるようにも、あざ笑うかのようにも聞こえた。
「ヤナナ。そなたは弓の名手と聞く」
静かな姫巫女の声に、ヤナナがはっと顔を上げた。
姫巫女が視線を闇に滑らせ、向こうにあるはずの林を真っすぐに指差した。
「そなたの矢で、あの林を射よ!」
毅然と命じた姫巫女の姿に圧倒され、ヤナナが思わず後ずさった。
「で、ですが……届きません」
「届かなくとも構わぬ。できるだけ遠くに射がけよ」
姫巫女の命を受け、ヤナナは震える手で長弓を背から下ろした。矢筒から矢を一本抜いてつがえようとしたとき、姫巫女が右手を伸ばして、その矢尻に触れた。
このまま、すごすごと引き下がったりなどするものか。
その強い念が、指先に凝縮する。
「おおおっ!」
突如、神々しい黄金の炎が矢尻を包み込み、周りの者の顔を眩しく照らし出した。驚愕の声が上がり、男達が数人、思わずその場にひれ伏した。
「さぁ、その矢を射るのじゃ。ヤナナ!」
「御意」
燃え上がる炎を映す姫巫女の瞳に、ヤナナは同じ瞳で応えた。表情を引き締めると、闇の向こうに潜む敵を鋭い眼で睨み、弓をキリキリと引き絞る。
風を切る音と共に放たれた黄金の火矢は、敵に届くことなく、闇の中に吸い込まれるように消えていった。
それでも、こちらの強い決意は相手に伝わったはずだ。
「受けて立とうではないか」
姫巫女は顎を上げて闇を睨むと、凛とした声で言い放った。




